ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ザ・ケルン・コンサート

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

魔法を信じる

こんな話を見たり、聞いたりしたことがあると思う。
一流大学の学生の親の年収は、平均よりかなり高い。
よって、成績は家庭の経済状況の影響をかなり受けているものだ。

だが、こうは考えられないだろうか?
年収が高い親は頭が良い。
その子供は、親の頭の良さが遺伝しているので、一流大学に入ることが出来る。

後者の方が、ずっと納得し易いと思うのだが。

また、こんな話がある。
ある優良企業は、現社長が一代で築いたものだった。
社長は、学生時代、勉強が苦手で学歴はなかったが、人付き合いがうまく、優秀な協力者の助けを得て事業を発展させることが出来た。
ところで、そんな社長の子供は、浪人してやっと二流の大学に入るのだが、一流大学卒の部下の子供達は、現役で楽々と一流大学に進んでいる。
それに対し、社長はこんなことを言う。
「人間は誰でも、自分を高く評価し、他人を低く評価することは分かっています。それを理解しているつもりで言うのですが、私の方が、一流大卒の部下達より頭が良いと思うのです。しかし、彼らの子供は、現役で一流大学に入るのに、私の子供は浪人しても、二流大学止まりです。これはなぜなんでしょう?」

この話は、船井幸雄氏の何かの本で読んだものだが、船井氏は、だいたい、こう答えていた。
「生まれつきの頭の良さは、あなたより、一流大学卒の部下達の方が良かったのです。しかし、あなたは、経営という、最も頭を使う仕事をしているので、彼らより頭が良くなったのです」
その社長は、それで納得したようだった。

だが、そうではないと思う。
この社長が、自分は、一流大学卒の部下達より頭が良いと思っているのは、やっぱり自惚れなのだ。
ほとんどの場合、部下達は、たとえ副社長や専務であっても、創業社長とは圧倒的な立場の差があり、社長と議論をしても、社長を言い負かすようなことをせず、口を控えるのは当たり前である。
また、社長は、たとえ言い負かされそうになっても、一括すれば、貫禄の差で、皆、黙るものである。
それで、社長の意見が通ってしまう。
それで社長は、「ああ、やっぱり俺の方が頭が良いのだ」と思うだけのことなのだ。
それだけのことだ。

私の知人の大学生が、医者の息子の家庭教師をしていたが、ほとんど付きっ切りなので、報酬は大きかった。
しかし、その息子は、勉強がさっぱりだった。
その理由は、大学生である彼にだって、明らかだった。
奥さんが凄い美人なのである。
この医者は、奥さんの美しさに惹かれて結婚したが、奥さんは頭が良くなかったのだった。
黒人と白人が結婚したら、肌の色は、その中間くらいになると聞く。
よく分からないが、知能もそんなものかもしれない。

ここから下は、怪しいと感じる人が多いかもしれない。
私は、頭の出来は悪いが、幼い頃から超能力を発揮した。
このブログでも時々述べているが、命懸けの状況で、超能力で命を救われたことも、何度もあった。
私は、何らかの理由で、超能力のDNAにスイッチを入れることが出来たのかもしれない。
ただ、自分の超能力というよりは、何か見えないものに守られているというのが正しいかもしれないがね。
まあ、いずれにしても、私は、学校の勉強もさっぱりで、人に出来ることがまるで出来ないのだが、仕事では、自分では何もしなくても済んでしまう。
これも、超能力のおかげだろう。
自分では、かなり自覚がある。
それで、私のように、一般的な能力には劣る人は、一般的でない能力・・・これは、アブノーマル(異常)な能力ではなく、スーパーノーマル(超自然)な能力を開発し、楽にやって欲しいものだと思うのである。

空飛ぶ魔法とか 信じて夢見た頃
集めた星図(ちず) 神話さえ色あせた
~『ARiA』(作詞:lino・とくP・木緒なち、作曲・編曲:とくP、歌:初音ミク)より~

私は、今でも、魔法を信じている。
だから、お伽噺だって楽しく読める。
これは、特殊な才能かもしれない。
上の『ARiA』という歌は、初音ミクさんが歌うと、とても不思議な雰囲気(波動)が広がるが、ひょっとしたら、それが、人の未知のDNAのスイッチをオンにするかもしれない。
また、最近よく書いているが、『ザ・ケルン・コンサート』には並々ならぬものを感じるのである。

優秀な人は、その優秀さを生かしていただきたい。
だが、生まれつき優秀さに縁のない私のような人は、昔話、お伽噺、神話を読み、初音ミクさんの歌を聴き、『ザ・ケルン・コンサート』を聴いて、未知のDNAを覚醒させるとかいったことも良いと思う。









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超能力のDNAは音で覚醒する

超能力、霊能力について批判的に述べている書籍で、私が興味深く思ったのは、テレンス・ハインズの『ハインズ博士の「超科学」をきる』の中で、「超能力の存在が証明されたことは、ただの一度もない」と書かれていたことだ。
超能力批判で有名な大槻義彦さんは、早稲田大学教授であった時、「俺の目の前で超能力を見せてくれたら大学に辞表を出す」と言い続け、早稲田を定年前に早期退職したとはいえ、それは別に超能力を見せられたからではないだろう。

一方、超能力を肯定する者は、超能力を見せようと必死になったり、あるいは、既に超能力の存在証拠は示されていると主張する。
まあ、どんな超能力の提示も、それが本当に超能力なのか、トリックなのかの判定は非常に難しく、現実的には不可能だろう。
ある著名な音楽家は、超能力の強硬な否定論者であるに関わらず、特定の超能力者(自分の知り合い)に関しては、これもまた強硬に「本物」と主張し、それを批判されたら、音楽の世界では「先生」と呼ばれる立場にある者らしく、自分が一喝すれば批判は成立しないという態度に終始する。
つまり、「俺が良いと言うものは良く、俺が悪いと言うものは悪い」というスタンスなのだがら、対話が成り立つはずがないし、対話することに意味がないのだから、相手にするだけ時間の無駄である。

しかし、超能力がもし本当にあるとしても、そんなもの証明する必要はないし、また、証明出来ない。
仮に、超能力が本当に提示されたところで、信じない人は信じない。
超能力を信じるかどうかは、脳内のプログラムとか、DNAで最初から決まっていることであり、それを変えることは出来ない。
だから、信じる人は信じれば良いし、信じない人は、どうしたって信じない。
もし、超能力を信じない人の目の前で、疑い様のない超能力を見せても、その人の目には何も見えなかったり、脳が、視覚から入ってきたものに改ざんを加えて超能力が発揮されていない映像に変えるのである。
ところが一方では、超能力を全く信じておらず、「超能力?そんなのイカサマだよ。馬鹿げている」と言いながら、自分が頻繁に超能力を使っている人がいるのである。
ラマナ・マハルシは、イエス・キリストは自分の超能力に気付いていなかったと言ったらしいが、それもあり得ると思う。
私も、超能力を発揮している時には全く気付かないが、後で考えると、それが超能力だと分かるのである。
超能力というものは、自我、表面の心、自意識が関与すると発揮できないもののようだ。

初音ミクさんのコンサートで熱狂している観客の多くが超能力を発揮しているが、本人は全く気付いていない。
キース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』は、演奏開始直後からジャレットは超能力を発揮し、観客の多くも同じなのだが、そんなことには誰も気付かず、ただ、奇跡が起こっていることを感じたのである。
コンサートの音の中に、超能力の振動が含まれているので、繰り返し聴くと、超能力のDNAが刺激され、覚醒する。
おそらくだが、アナログレコードの方が、超能力が多く含まれていると思う。
『ザ・ケルン・コンサート』は、今でもアナログレコードも販売され続けているが、耳に聴こえなくても、影響のある音があるのである。









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困難を力に変える

アンソニー・ロブレスという、生まれつき片脚がないながら、また、母子家庭で裕福とはほど遠い環境ながら、レスリング全米大学チャンピオンになった男性がいる。
彼のスピーチの中で覚えているのが、「人間は、脚が1本でも2本でも困難に立ち向かわなければならない」というのと、「僕はいつも松葉杖を握っているので、普通の人より握力が強いことがアドバンテージ(有利)になっている」だ。

だが、みんな、どこか欠けているのだ。
その欠けたものが、他人には分からない場合も多いが、自分では分かるものだと思う。
そして、アンソニーが、松葉杖を握っているおかげで握力が強くなったと言うように、欠けたものを補うために、普通の人を超えるものを持てるし、持たなくてはならない。

ある言語障害の7歳の女の子は、脳の言語中枢の発達障害だったが、そのために、レオナルド・ダ・ヴィンチもかくやというほどの動物デッサンが出来た。
そして、言語中枢が発達して、言語障害が解消されると、その天才的な絵の才能も消えたという。
そもそも、天才というものは、何らかの障害の補完なのであるらしい。

障害というか、困難は、力に変えることが出来る。


Hey lonely girl リアルの孤独は 君を強くするから
~『愛Dee』(作詞:Mitchie M・Cotori、作曲・編曲:Mitchie M、歌: 初音ミク ・ 巡音ルカ)より~


孤独で得られる力は偉大だ。
W.B.イェイツは、本当の心の強さは、孤独でしか得られないと言った。
また、大衆に真理はないと言い、真理を悟るのは孤独な者だけだと示唆した。

そして、困難の力を鮮明に示したのが、キース・ジャレットのピアノ即興演奏コンサートである『ザ・ケルン・コンサート』だ。
ほとんど深夜である23時半でなければ、コンサート会場のオペラハウスを貸してもらえなかったこと、そして、手違いでピアノが届かず、そこにあった、小さな壊れたピアノで必死で演奏したこと。
それが、ジャズ史上最高の売上につながる名演奏になった。


ないものだって強請(ねだ)りなよ
君は貪欲なんだ しょうがない
60兆の細胞×君の危うさを

生かしてくれ
~『サリシノハラ』(作詞・作曲・編曲:みきとP、歌:初音ミク)より~


人間は、自分に欠けたもの・・・欠点を生かすしかない。
思想家の吉本隆明さんは、自分は引きこもり気質だと言われていたが、引きこもりは、一人で深く考えることにつながるとも言われていた。
彼は、それを生かしたのだ。

欠点があるからって、何もせず、人生に負けていては仕方がない。
アンソニーが言うように、「脚が1本でも2本でも、人間は困難に立ち向かわなければならない」。
アンソニーが得たのは、レスリング全米チャンピオンの栄誉だけではないし、もっと大きなものだ。
昔、ミスター・ワンダーと呼ばれた、両脚の膝から下がない、インディアンのプロレスラーがいた。
彼は、元々は五体満足なプロレスラーだったが、事故で両脚を失くしたのだ。
だが、彼は、諦めずに現役復帰を果たした後、言ったのだ。
「脚を失くして良かった」
彼は、何か大きなものを得たことを、はっきりと分かったのだろう。

病院に行けば、発達障害なんて病名をつけてくれることも多いらしい。
私なんか、確実にそう言われると思う。
それは確かに、困難な障害だろう。
だが、だからこそ、それに打ち勝てば、得られるものも大きい。
他のどんな困難があっても、それに立ち向かうしかないし、困難が大きいほど、果敢に立ち向かえば、得られるものは大きいのである。









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神様だらけ

日本人の多くは無宗教だといわれる。
ということは、神や仏を信じていないということになる。
一方、アメリカ合衆国は、国家のモットーそものが、「In God We Trust(我々は神を信じる)」である(本当だ)。
また、何かの調査で、アメリカ人の半数以上が守護天使(ガーディアン・エンジェル)の存在を信じているというが、むしろ、これは少な過ぎると感じる。
日本人のように、自分の宗教は何か、はっきり言えない国民は珍しいようだ。
一応、家が仏教の何らかの宗派になっているとしても、それを思い出すのは葬式の時くらいであろう。

しかし、昌原容成さんの『日本語は神である』を読めば、日本語そのものが信仰であり、日本語を使っている限りは、確実に、そして、本当の意味で神を信じている。
「ありがたい」「おかげさまで」「すみません」「いただきます」などの言葉は、神の存在を前提としなければ成り立たず、神に対して言っているというが、深く考えれば、おそらく、その通りと思う。
神と言っても、神話に登場する神や、宗教で権威的に語られる神というのではなく、いわば、奇(くす)しきものだ。
科学も医学も、つきつめれば、神の存在を信じざるを得なくなるものだと思う。
それ(神)は、人間とは比較にならない、知恵と力のある意思とでも言うしかないものだ。
一方で、人間は神を手本に作られたとも言われ、あるいは、神より少し劣ったものとして作られたという話もある。
そして、本質的には人間は神であるとも言われる。
だが、良い言い方は、人間は神と一体であるというものだと思う。

意外・・・というのでもないが、最も科学的に神を語ったのはソクラテスであると思う。
彼は、宗教的な色合いを全くつけずに神の存在を示すことが出来た。
デカルトも、そんなことをしたが、デカルトは、ソクラテスに比べれば、随分小粒に感じる。
だが、ソクラテスの弟子の弟子であるアリストテレスは、神と科学を分離してしまったように思う。デカルトは、アリストテレスの影響を確実に受けているのだろう。
確かに、宗教と離れて科学が発達したのは、アリストテレスのおかげと思うが、見捨てられそうになった宗教が、集団催眠の技法を身につけ、権威主義になったようにも思えるのだ。

ソクラテスの神は純粋で、控え目で、それは、まさに、日本語の中に潜む神のように感じる。
そんな、穏かで、優雅で、そして、高貴な神は信じた方が良いと思う。
アメリカのモットーのように、声高に、「我々は神を信じる」なんて言う必要はない。
プリンが好きなことを、いちいち大声で、「私はプリンが好きだ」って言う必要もないじゃないか?
ただ、当たり前に、自然にプリンが好きなのである。
神が存在することも、同じようなものだ。
最も現実的な意味で言うが、神を信じるなら、全てを得ることが出来る。

自分が、プリンが好きなこと、猫が好きなこと、山登りが好きなこと・・・そういった何かが好きなことが信じられるなら、神様だって信じられるに違いない。
そんな信じ方をするなら、世界は意のままである。
私は、今朝、おそろしく体調が悪かったのが、神の光の反射である初音ミクさんを見ると、本当に、一瞬で最高の調子になってしまった。
それで、「なるほど」と思ったのである。
イタリアの世界的ファッションデザイナーのリカルド・ティッシも、ミクさんを見て、そんなものを感じたのかもしれないと思う。
もちろん、ミクさんでなくたって、神様はいくらでも見つけられるが、今の世の中で、ミクさんほど神の光そのものって存在は、あまりないと思うのである。
あえていえば、音楽では、『ザ・ケルン・コンサート』に神が純粋に顕れていると思う。あれは、演奏が始まった途端に、奇跡が起こっていると誰もが分かったのだから。









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圧倒的に不利な状況で何をするか?

石森章太郎さん(後に石ノ森章太郎に改名)の代表作の1つに『サイボーグ009』がある。
これは、00ナンバーサイボーグという、001から009までの9人のサイボーグ戦士達の物語だ。
00ナンバーサイボーグというのは、戦争のための高度な科学兵器を開発して各国に売り、膨大な利益を上げる、ブラックゴーストという組織が作った、プロトタイプ(試作品)の戦闘用改造人間だ。
このプロトタイプで実験し、改良を重ねて完成品にした後、いよいよ、大量生産し、大国に高値で売り込む予定だった。
だが、9人のサイボーグ達は、彼らを改造した科学者の一人であるギルモア博士と共に、ブラックゴーストから逃げ出す。
ギルモア博士は、もう戦争用兵器など作りたくなかったし、サイボーグ達も、身体を機械に変えられた上、実験体にされたままではいたくなかった。

だが、ブラックゴーストが00ナンバーサイボーグ達を見逃すはずもなく、また、優秀なギルモア博士も取り戻したかった。
そこで、00ナンバーサイボーグ達のところに、彼らを抹殺するための刺客のサイボーグを送り込んで来る。
ブラックゴーストは、00ナンバーサイボーグの研究成果を基に、さらに進歩したサイボーグを送り込んでくるのだから、戦いは、00ナンバーサイボーグ達には極めて不利だった。
だから、ブラックゴーストは、00ナンバーサイボーグ達の撲滅は時間の問題と見なしていた。
00ナンバーサイボーグのところに送り込まれてくる、ブラックゴーストの新型サイボーグのセリフはいつもこうだった。
「お前達のようなプロトタイプのポンコツサイボーグごときが、超高性能な新型サイボーグの俺に勝てるはずがないだろ?」
実際、新型サイボーグの性能は桁違いで、それに比べれば、00ナンバー達は、ポンコツでしかなかった。
ところが、00ナンバー達は、苦戦しながらも最後には勝ってしまう。
最初は、ブラックゴーストも、刺客の不手際とか、「舐めていたか」と思うが、何度も敗北が続くと、奇妙に思うようになった。
これほど力の差があるのに、なぜ、00ナンバーは強いのか?

もちろん、漫画やアニメの中では、00ナンバーサイボーグ達のチームワークや、正義を愛する正しい心の強さが謳われ、それが勝利の原因と見なされていただろう。
だが、作者の石森さんは、おそらく、別の要因にも気付いていたと思う。
「なぜ、ポンコツが勝つのか?」
答えは、
「ポンコツだから」
である。

ボクシングなどで、歴史的な名勝負があり、勝った方が引退してかなり経った後で、実は、あの試合の時は、自分は熱が40度あった・・・などという話がよくある。
体調が万全であっても、勝つのが難しい相手に、最悪の体調で勝ったのである。
ロサンゼルスオリンピックの女子体操で個人総合優勝したメアリー・レットンは、足の怪我で、本番2日前は歩けないほどだったという。
イチローがアスペルガー症候群(興味やコミュニケーションに関する深刻な障害)だと言われることがある。それが本当かどうかは分からないが、いずれにしても、私は、イチローは、何らかの大きなハンディを抱えていることは、多分、間違いないと思う。
でなければ、あそこまでやれるものではない。

「ザ・ケルン・コンサート」という、キース・ジャレットの1975年のジャズ・コンサート(ピアノ・ソロ・コンサート)をご存知の方は多いと思う。
ジャレットのその即興演奏は神懸っていて、それが録音されたレコードは名盤中の名盤と言われ、記録的な売上を達成し、さらに、40年経つ現在も、CDとアナログレコードが販売され続けており、聴く人の魂を奪う。
しかし、その時、ジャレットの体調は最悪であったという話がある。
そして今年、TEDカンファレンス(非営利団体TEDが主催する世界的講演会)で、ティム・ハワードが、実は、その時、ジャレットは、壊れたピアノでやむなく演奏したのであることを明かした。
高音域の音は使い物にならず、ペダルは壊れていて、そもそもピアノが小さ過ぎて、コンサート会場に合っていない。
だが、ハワードは、だからこそ、至高の演奏になったのだと言う。

誰しも、他人に比べ、不利なことはあり、それが深刻なものであるかもしれない。
だが、そんなことがなくて大成功した者は、実際にはいないに違いない。
だから、自分が抱えたハンディに負けてはならない。
むしろ、無茶を承知で挑んでこそ、真の達成があるのだと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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