ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ザ・ケルン・コンサート

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

奇跡は「起こる」のか「起きる」のか

何度かご紹介した、教育学者の七田眞さんの著書に書かれていた奇跡の口癖(これをずっと唱えていたホームレスが宝くじで1憶円を2回当てた)「神様の奇跡が起こる」は、人によっては馬鹿げていると思うかもしれないが、私は理に適っていると思う。
エミール・クーエの有名な自己暗示「毎日、あらゆる面で私はますます向上していく」と似た面もあるが、むしろ、「神様の奇跡」の方が少なくとも日本人には合っていると思う。

ところで、この「神様の奇跡が起こる」で、ちょっと気になることを思い出す。
Mitchie Mさんによる初音ミクさんの歌『FREELY TOMORROW』の中で、「奇跡は起きる」と歌われていることである。
これは、考えてみると、意外と面白いし重要だ。

1億円の口癖「神様の奇跡が起こる」
 FREELY TOMORROW「奇跡は起きる」

まず、最初に言っておくと、日本語的にはどちらも正しい。
NHK放送文化研究所の「最近気になる放送用語」の「起きる?起こる?」によれば、元々は、

人・動物が主語の場合「起きる」(例:早く起きる子供)
出来事が主語の場合「起こる」(例:偏食が原因で起こる病気)

であったようだ。
ただ、「早く起こる子供」は駄目だが、「偏食が原因で起きる病気」は問題ない。
「早く起きる子供」で、どうしても「起こる」を使いたければ、「子供の早起き」を主語にし、「子供の早起きが起こった」とでも言うしかない。

そもそも、「起きる」とは、横になった状態から縦になる(上半身を起こしたり、立ち上がったりする)ことで、病気、地震、台風の「起きる」は「発生する」という意味である。
「起きる」は、本来は、「起き上がる」専用。
「起こる」は、「発生する」「生じる」「芽生える」「産まれ出でる」等の言葉を代用する。

「奇跡が起きる」には、少し、人為的な雰囲気があると思う。
一方、「奇跡が起こる」には、非常に珍しいことが偶然起こった、あるいは、神様が起こしたという印象があるのではないかと思う。
例えば、正義のヒーローが、絶対勝てないと思える強い悪に立ち向かい、奇跡の勝利を得た場合、「奇跡が起こった」では、全くの偶然の勝利のように感じ、頑張った正義のヒーローに対し、失礼かもしれない。
だが、「奇跡が起きた」なら、正義のヒーローの頑張りがあってこそという意味合いが感じられるような気がする。
まあ、これも微妙なのだが。

まとめると、私見かもしれないが、
「奇跡が起きる」=「人と神の共同作業」
「奇跡が起こる」=「神の業」
と思えるのである。

1億円を当てたホームレスは、自分は何もせず、ただ「神様の奇跡が起こる」と唱えていたので、仏教でいう「絶対他力」であり、まさに、「神様の奇跡が起こる」が合う。
一方、『FREELY TOMORROW』の「奇跡は起きる」は、特にミクさんのような溌溂とした少女が歌っていると、人間も頑張っているのだと感じるし、歌全体を聴いてもそう感じるように思う。
口癖にする場合、完全に神にまかせるなら「神様の奇跡が起こる」「神様の奇跡」、神と自分とのパートナーシップを想う場合は「神様の奇跡が起きる」「奇跡は起きる」で良いかもしれない。

そういったこと(自分と神の協力関係)を感じる話がある。
ザ・ケルン・コンサートだ。
1975年にドイツのケルンで行われた、ジャズピアニスト、キース・ジャレットのピアノソロ演奏会である。
この時、ジャレットはスイスのチューリッヒから563キロを5時間かけて運転してきたばかりで、しかも、数日間の不眠もあって、体調は最悪だった。
さらに、演奏用に用意されていた、会場の広いオペラハウスに合わない小さなピアノは壊れていて、高音部と黒盤とペダルは使えなかった(手違いで正式のピアノが届かず、そこにあったこのピアノしかなかった)。
ジャレットはそのピアノを見て、いったんは演奏を断ったが、主催した少女の立場を思いやって気力を奮い起こした。
ジャレットは、この小さなピアノで大きな音を出すために、中腰で力強く鍵盤を叩かなければならなかった。
だが、演奏が始まると、すぐに、奇跡が起きていることが分かった。
この演奏の録音こそが、400万枚を売り上げた、最も成功したジャズのソロアルバムである。
偶然に奇跡が起こったのではないし、ジャレットが奇跡を起こした訳でもない。
ジャレットに神が味方して起こった奇跡・・・奇跡が起きたのである。
初音ミクさんが歌う『FREELY TOMORROW』にも、私はそんなことを感じる。
2011年8月20日、『FREELY TOMORROW』は、初音ミクさんのよく知られた静止画1枚だけの動画としてニコニコ動画に登場し、わずか20日と6時間ほどで100万回再生したのは、2017年7月にハチさん(米津玄師さん)の、「マジカルミライ2017」のテーマ曲として大いに宣伝されたアニメーション付の『砂の惑星』が記録更新するまでの約6年の間、最速記録だった。

『FREELY TOMORROW』はクリエイティブ・コモンズ・ライセンスにより、著作権者により利用を許可されている。
FREELY TOMORROW (楽曲ファイルの無料入手もこちらから)

以下に、 Mitchie Mさんの最新アルバム『バーチャル・ポップスター』と、初音ミクさんがライブで『FREELY TOMORROW』を歌う『マジカルミライ2014』をご紹介しておく。








悲壮感のある人が呪文で輝く

呪文を唱えずとも、うまくいく人がいる。
それは、生まれつき恵まれている人だ。
両親はお金持ちの教養人。
自身も美男美女で、頭が良かったり、運動神経が良い、あるいは、特別な才能があり、早くからそんな天分を生かして称賛され、自信を持ち、さらに飛躍する。
人間は、意識してはいなくても、頭の中で沢山の言葉をつぶやいているのだが、そんな人間は、「私は特別」「誰にも負けない」「偉大なり、私」「私が一番」という言葉が頭の中に定着し、自動的にうまくいく。

そんな人間には、呪文は不要だ。
呪文を必要とするのは、「持たざる者」だ。
放っておいたら、頭の中はマイナスの言葉だらけになって自滅するような者だ。
呪文以外に頼るものがない場合も多い。
しかし、それで良い。
呪文しかなくても、呪文を唱え続けると、「持っている者」をはるかに超える。
「持っている者」というのは、初めから高いところにいて崇められるが、どこか「いけすかない」もので、若い間は良いが、やがて色褪せていく。

人間は、悲壮感があった方が輝く。
ジャズ音楽で最高の売上を上げているライブ演奏『ザ・ケルン・コンサート』は、キース・ジャレットの即興演奏のピアノ・ソロコンサートだ。
ところが、この時、ジャレットは24時間眠っておらず、車を長時間運転して疲れていて、時間は夜の11時半。
用意されたピアノは小さ過ぎる上に壊れていて、ペダルも黒盤も高音域も使い物にならない。
ジャレットは悲壮感を持って挑んだはずだ。
しかし、演奏が開始されると同時に奇跡が起こっていることは誰にも分かった。
まさに、神の演奏だった。
1974年のこの演奏のレコード、CDは今も売れ続けている。

ジャレットは何か言葉をつぶやき続けていたはずだ。
それも、アメリカ人だから、「オールライト(大丈夫)」という単純な言葉だったに違いない。
恵まれた条件なら、そんなことはせず、上手い演奏にはなっても、魂に届くものにはならない。
ウィーンフィルやベルリンフィルも、エリート集団になってからは、恐ろしく上手くても全然良くなくなってしまった。

念仏も、呪文と同じ原理であるが、法然はまさに、何も持たない悲壮な人々を見て、僧としての自分の悲壮を感じた。
その時、まさに仏が入り、「念仏さえあれば良い」「念仏以外にない」と確信したのだろう。

プロレスの話だが、日本のプロレス史には、ジャンボ鶴田という、とんでもない天才レスラーがいた。
素材は、プロレス史上最強のルー・テーズ以上だった。
大学からレスリングを始めてもオリンピックに出てしまう。
2メートル近い長身で、体力、運動神経は生まれつき超人的という、あらゆるものを持った天才だった。
ジャイアント馬場の全日本プロレスでは、若い時から、馬場に次ぐナンバー2が確約され、馬場は超一流の外人レスラーをいくらでも呼べるので、鶴田はそれらの選手と伸び伸び戦っていれば良かった。
だが、その凄まじい才能の半分も生かせなかったと思う。
名著『1964年のジャイアント馬場』に、こんな非常に印象に残ることが書かれていた。
ある、実に鋭い洞察をする人が鶴田に言う。
「アントニオ猪木にあって、お前にないのは悲壮感だ。お前はいくらでも一流の外人レスラーと戦えるが、猪木のところにはタイガー・ジェット・シンしか来ない。しかし、猪木はシンと一生懸命戦っている。そこに悲壮感があるが、お前にはそれがなく、一生懸命戦えない」
猪木さんは、まさに悲壮を絵に描いたような人だが、あの存在感は凄い。
猪木さんも、絶対に何かの言葉を持っているのだと思う。

「持たざる者」である我々は、呪文を唱えなければならない。
努力をしても悪い方にしかいかない。
頭の中で悪いヘビがささやき続けているのだから、努力すればするほど悪くなる。
いわゆる、「がんばったのが裏目に出る」のだ。
ある程度、歳を取っている人なら実感していることだろう。
恵まれた人に言うことはない。
だが、そんな人も、すぐに落ちぶれるので、呪文を必要とする。
万能呪文、
「絶対、大丈夫だ」
「全て順調だ」
「世界は意のままだ」
の中から1つを選び(あるいは、同意の他の言葉でも良い)、常に心の中で、感情を込めずに淡々と唱える必要がある。
それで確実にうまくいくが、ほとんどの人が続かない。
頭の中のヘビに負けてしまうのだ。
だから、思い出す度に呪文を唱えていただきたいものである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

壊れた人間の生きる道

エンジンが狂った車や、調律が出来ていない楽器、バグのあるプログラムのように、頭、あるいは、心が狂っていたり、歪んでいたり、深刻な欠陥を持っていたら、いくら努力し、修行をし、情熱をたぎらせ、犠牲的精神すら発揮して、強い意思で行動しても、結果は悲惨だ。

そんな壊れた人間は、どれほど頑張ろうとも、経験するのは失敗と屈辱だけだ。
たまたま(本人にとって)上手くいった例がヒトラーだが、成功したら成功したで、やはり、世の中にも自分にも災禍をもたらすだけだ。
だが、偉人のように思われている者にも、狂った者はいると思う。
極度のロリコンだったルイス・キャロルは間違いなくそうだったし、錬金術にのめり込んでいたニュートン、人格者のように思われているが(部分的にはそうかもしれないが)偏執的な人間であったアインシュタインや、特定の食品を偏愛する大物俳優のジョン・トラボルタもそうだろう。
彼らの場合は、肯定的に成功し、人類に利益すら与えたかもしれないが、マイナス面も少なくないはずだ。
そして、有名人とか成功者でない、「ただのつまらない狂った人間」は、きっと多い。
先天的に脳に異常がある場合もあるだろうし、家庭や学校の教育や、生まれ育った環境のせいで狂ってしまった者もいる。

狂った人間は、自分の狂いを自覚して、騙し騙しやったり、自分とは別の自我を自分で構築して、ロボットとして行動することで成功することもあるだろうが、そのままでは、狂った人生を送るしかない。

「努力したのに」
「がんばったのに」
「我慢したのに」
「犠牲を払ったのに」
「苦しかったのに」
敗北と屈辱と悲哀しか与えられなかった者達の霊の呻きが聴こえる。

「ザ・ケルン・コンサート」という、狂ったピアノで演奏された世紀の名演奏がある。
いったいなぜ、あんな奇跡が起こったのかは分からない。
だが、演奏者のキース・ジャレットは、ピアノが壊れていることはよく分かっていた。
まともな人間のことは見当がつかないが、我々狂った人間は・・・狂った脳や心を持った人間は、狂いを自覚し、それを隠さなければならない。
狂いの部分が評価されたことはない。
たとえ狂気の天才と呼ばれることはあっても、彼が評価されたのは、まともな業績であることに気付かなければならない。
念仏なんて、狂った人間が、それを隠すためのツールのようにも思える。
いや、般若心経の呪文でも何でもいい。
それで狂いを封じ込めれば希望はある。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

ひきこもり器質は武器である

人類史上最高のスプリンターと言われるウサイン・ボルトは背骨に障害を持ち、それは本来、陸上短距離走者としては致命的な欠陥であるようだ。
それで、ボルトは、困難を抱えて苦闘する人々の希望になっているのだろう。
しかし、こんな言い方をしたら文句や非難まで出るかもしれないが、ボルトは、障害があったからこそ成功したのかもしれない。
つまり、人間は、困難があった方が成功するのである。
むしろ、才能はあるのに、「困難に恵まれなかったために」成功しなかった人が多いに違いない。

困難があった方がクリエイティブになれるといったテーマで、2015年にティム・ハワードがTEDで講演した中で取り上げた、ジャズピアニストのキース・ジャレットのドイツ・ケルンでのピアノソロコンサートは、まさに困難だらけだった。
ジャレットは長距離を運転し24時間眠っていなかったし、主催者は何かの手違いでちゃんとしたピアノを用意出来ず、ジャレットは小さな音の弱い、そして、壊れているピアノで演奏した。
ところが、その演奏が、ジャズ部門で史上最高の売上となる名演奏になったのである。

成功した人、最高の業績・成果を上げた人がいれば、「この人にはどんな困難があったのだろう?」と、最初に思っても良いくらいではないだろうか?
実際、成功の陰には、必ず障害があるのだと思う。
むしろ、何かに取り組む際、困難がなければ、「私は成功出来ないのではないだろうか?」と不安に思うくらいで丁度良い。
まあ、本気で何かに取り組めば、必ず困難に・・・そして、志が大きいほど、大きな困難がやってくるものだ。

そこにいくと、ひきこもり器質なんて、何をやる上においても障害なのであるから、最初から成功の種を持っていると思って良いのである。
一歩を踏み出しさえすれば、困難に抗いさえすれば、必ず成功するのである。
ただ、成功の定義はそれぞれで、必ずしも大富豪になるようなことではなく、何度か引用したが、ドワンゴの川上量生会長がブログで書かれていたように、社会の最底辺に入れてもらえることかもしれない。
ただし、ひきこもりが社会の最底辺に入れた時、そのひきこもりは何か貴重なものを得ているのであり、それこそが本当の成功なのである。
あの世にお金は持っていけないが、ひきこもりが得た、その何かは、重要なものとして持っていけるのだと思う。

思想家の吉本隆明さんは、自分はひきこもり気質だと言われていたと思うが、もしそうでなければ、彼は大思想家にはなれなかったに違いない。
ただ、欠陥の自覚がなければ、それは武器にならないのだと思う。
サイコパスだって、それを人間としての致命的欠陥と自覚出来るサイコパスだけが本当の意味で成功するのだろうと私は思うのだ。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

禁断の愛ほど燃えるのはなぜか

「障害のある愛ほど燃える」とか言うが、それは違う。
「障害のない愛なんか燃えない」が正しい。
「禁断の愛」こそ、身も心も燃え上がるのである。

イタリア映画「愛のほほえみ」で、8歳くらいの可愛い少女オルガがタバコを手に、「火をお持ちでない」と言い、ルーカ少年を驚かせるが、公爵夫人の孫であるオルガは、「あたし、やってはいけませんということは全部やりたいの」と言う。
その「やってはいけないこと」は、厳しく禁じられ、決してやらせてもらえないし、出来ないようなことだろう。
つまり、「簡単に出来る」ことなんかやっても面白くなく、「困難が多い」ことほど面白いということなのだ。

困難があった方が、生命力が高まり、能力が発揮され、充実するのである。
スポーツの試合でも、怪我を押して出場したり、体調が悪い方が、案外に活躍したりする。
あるプロボクシングの世界タイトルマッチで王者がKO勝ちしたが、実は王者は風邪で40度近い熱があったなんて話もある。体調万全であったら、もっと苦戦したか、ひょっとしたら負けていたかもしれない。
昔の東京オリンピックの女子体操で団体準優勝と個人総合優勝を獲得したチェコチームは、その時、亡命の真っ最中で、練習場所もなく、木の枝を使って段違い平行棒の練習をしていたとかいうし、ロサンゼルスオリンピック女子体操で個人総合優勝したメアリー・レットンは、足首を捻挫して、試合2日前までは歩けなかったとかいう。
そんな障害がなかったら、案外に、いまひとつの結果になっていたかもしれない。

1975年に、ドイツのケルンで行われた、ジャズピアニスト、キース・ジャレットの即興演奏によるピアノ・ソロ・コンサートこそ、障害、困難が奇跡を起こしたものである。
ピアノは小さ過ぎ、ジャレットは中腰で力強く鍵盤を叩かなくてはならなかったし、そもそも、そのピアノは壊れていて、黒盤、高音域、ペダルが使えなかった。
しかも、ジャレットは運転で疲れ、24時間眠っておらず、コンサートは深夜11時半に開始された。
だが、その演奏は神懸り、いまだ、アナログレコード、CDは売れ続け、ジャズ音楽で最高の売上を記録している。

商売でも、「買って下さい」と平身低頭する商売人よりも、「買わなくていいよ」という態度の商売人の方が大きな契約を取るものである。
女の子だって、「もうどうにでもして」と寄ってくる子より、「雪の女王」というほどの冷たい子の方が燃えてしまうもので、それを心得て、そっけない態度をする女の子もいる。
ツンデレが可愛いのは、ツンが様になっている場合だ。

学歴がない、資金がない、英語が出来ない・・・、そりゃ、非常に歓迎すべきことだ。
そうでなくては成功出来ない。
しかし、皆、そんな障害に気持ちで負けてしまうのだ。

ラズベリー*モンスター
纏う 攻撃は最大の防御なのに誰もが逃げてる
ラズベリー*モンスター
僕を止められるヤツは何処にも居ない
~『ラズベリー*モンスター』(作詞・作曲・編曲:HoneyWorks、歌:初音ミク)より~

ある空手家が、真剣を持った剣術の達人と決闘した。
百パーセント勝ち目はないので、空手家は、「よし、死のう」と思って突進し、その後の記憶がないのだが、気がついたら、剣術の達人は目の前で伸びていた。
だが、先に命を捨てなければ、空手家は殺されていただろう。
ここまでの状況はなかなかないだろうが、困難があれば、飄々(ひょうひょう)と念仏でも称えて忘我、没我、無我に近付くことだ。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード