私が小学4年生の時の超常現象の話をしようと思う。
私は学校で忘れ物が非常に多く、そのために教師や親によく怒られていたが、自分ではどうしようもなかった。
学校に興味がないとはいえ、散々教師や親にひどい目に遭わされても憶えないのは、少し前に書いたが、私は脳の欠陥で短期記憶の能力がなく、忘れると言うよりは、最初から憶えていないのだろう。
大人になってからはメモを取るようになったが、後でメモを読み返すと、書いたことを憶えていないメモが大半で、やはり私には短期記憶の能力がないのだと思う。
ところが、その小学4年生のある日、忘れたでは済まされない忘れ物をしてしまい、この時ばかりは絶望的な気分になった。
それで、休み時間になった時、家に取りに帰ろうと決心した。
しかし、私の家と小学校はかなり遠く、通学は片道30分はかかっていた。
距離は少なくとも1km・・・多分、1.5kmはあった。
それを、休み時間の10分で往復するのは不可能である。
(普通の高校生男子で1.5kmは5分強)
私は、授業時間の開始時に教室にいなかったことはなかったが、この時は、遅れてしまっても、その忘れ物がないよりマシと思ったのかもしれない。
ただ、実際は、もう何も考えていなかったと思う。
そして、家に帰って忘れ物を取り、学校に戻ってくると、生徒達が校庭で遊んでいるのを見て、不思議な感じがした。
間に合ってしまったのだ。
しかも、ほとんど疲れていなかった。
江戸末期の神道家、黒住宗忠が、あり得ない距離と時間で移動した話が有名だが、彼はイエス・キリスト並の奇跡の力を持っていたと伝えられている。
だが、イエスも言ったように、こういうことは、やろうと思えば誰でも出来るのである。
そして、私に出来た理由は、「遅れまい」とか「遅れたらどうしよう」という想いがなかったことはもちろん、一切の思考が消えていたからだろう。
いつも言う通り、人間は思考を消せば全知全能なのである。
AIアート202
「パパの書斎」
Kay
『灼眼のシャナ』の漫画で、死にゆく坂井悠二が(まあ、生き返るのだが)、シャナに、
「大事なことは、ただやるってことなんだ」
と言うのを印象深く憶えている(原作小説も読んだはずだが、ちょっと憶えていない)。
私の小学4年生の時の奇跡も、何も考えず、ただやった(走った)から起こったのである。
ジャズ・ピアニストのキース・ジャレットが、1975年の「ザ・ケルン・コンサート」で奇跡の演奏が出来たのも、夜の11時半で、しかも疲れ切っていて、その上、ピアノは会場の大きさからいって小さ過ぎる上に壊れている・・・そんなどうしようもない状況で演奏を決心したジャレットは、もう何も考えずにやるしかなかったからである。
それで、地球の歴史に残るほどの、とんでもない奇跡の演奏になったのだ。
私は学校で忘れ物が非常に多く、そのために教師や親によく怒られていたが、自分ではどうしようもなかった。
学校に興味がないとはいえ、散々教師や親にひどい目に遭わされても憶えないのは、少し前に書いたが、私は脳の欠陥で短期記憶の能力がなく、忘れると言うよりは、最初から憶えていないのだろう。
大人になってからはメモを取るようになったが、後でメモを読み返すと、書いたことを憶えていないメモが大半で、やはり私には短期記憶の能力がないのだと思う。
ところが、その小学4年生のある日、忘れたでは済まされない忘れ物をしてしまい、この時ばかりは絶望的な気分になった。
それで、休み時間になった時、家に取りに帰ろうと決心した。
しかし、私の家と小学校はかなり遠く、通学は片道30分はかかっていた。
距離は少なくとも1km・・・多分、1.5kmはあった。
それを、休み時間の10分で往復するのは不可能である。
(普通の高校生男子で1.5kmは5分強)
私は、授業時間の開始時に教室にいなかったことはなかったが、この時は、遅れてしまっても、その忘れ物がないよりマシと思ったのかもしれない。
ただ、実際は、もう何も考えていなかったと思う。
そして、家に帰って忘れ物を取り、学校に戻ってくると、生徒達が校庭で遊んでいるのを見て、不思議な感じがした。
間に合ってしまったのだ。
しかも、ほとんど疲れていなかった。
江戸末期の神道家、黒住宗忠が、あり得ない距離と時間で移動した話が有名だが、彼はイエス・キリスト並の奇跡の力を持っていたと伝えられている。
だが、イエスも言ったように、こういうことは、やろうと思えば誰でも出来るのである。
そして、私に出来た理由は、「遅れまい」とか「遅れたらどうしよう」という想いがなかったことはもちろん、一切の思考が消えていたからだろう。
いつも言う通り、人間は思考を消せば全知全能なのである。
AIアート202
「パパの書斎」
Kay
『灼眼のシャナ』の漫画で、死にゆく坂井悠二が(まあ、生き返るのだが)、シャナに、
「大事なことは、ただやるってことなんだ」
と言うのを印象深く憶えている(原作小説も読んだはずだが、ちょっと憶えていない)。
私の小学4年生の時の奇跡も、何も考えず、ただやった(走った)から起こったのである。
ジャズ・ピアニストのキース・ジャレットが、1975年の「ザ・ケルン・コンサート」で奇跡の演奏が出来たのも、夜の11時半で、しかも疲れ切っていて、その上、ピアノは会場の大きさからいって小さ過ぎる上に壊れている・・・そんなどうしようもない状況で演奏を決心したジャレットは、もう何も考えずにやるしかなかったからである。
それで、地球の歴史に残るほどの、とんでもない奇跡の演奏になったのだ。