ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ザナドゥ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

シャンバラに招かれる者とは

落語に『死神』というものがあるが、どこかで見たり聞いたりしたことがあるかもしれない。
その落語のお話の中で、ある真っ暗な洞窟の場面がある。そこには、無数のロウソクが燃えている。
このロウソクは、地上の1人1人の人間の寿命で、ロウソクが燃え尽きた時、その人は死ぬのである。
このお話は、グリム童話の『死神の名付け親』から来ている。このお話でも、地獄の洞窟の中に、人の寿命を示すロウソクが沢山燃えているのだ。

ひょっとしたら、似たような話は他にもあるかもしれない。
私も誰かに教えられた訳ではないが、小学校の低学年の頃、あるところに存在する沼に、泡(あぶく)が絶え間なく浮かび上がって来るが、その泡の1つ1つが、人間1人1人であると考えたことがあった。なぜ、そんなことを考えたのかは分からないが、ひどく確信を持っていたものだ。

ギリシャ神話では、3人の運命の女神モイライが、それぞれの人間に対応した糸を切れば、寿命が尽きるとされていた。
北欧神話にも、似たような3女神ノルンがある。

人の運命とは分からないものだが、その構造は、案外に単純だということだろうか?
そして、人の運命は、何ものかの手委ねられているのだ。
いずれにしても、人は自分の運命や寿命を、自分ではどうすることもできない。
ほたるの光を、人の命に喩えることもよくある。
やはり、人の命は儚いものであると思われるのだろう。

だが、こう考えてみても良いだろう。
地球の地下深くに、地獄や黄泉の国ではないが、地上とは異なる別世界がある。
昔から、シャンバラ、シャングリラ、ザナドゥ、桃源郷などと呼ばれていた世界だ。
地上の人類とは比較にならないほど進歩したその世界は、人類が現れるよりはるかな昔から存在していた。地上に現れた超人、聖人達は、この世界から地上に出た者達だ。
その中の、ある荘厳な建物の中の一室は闇に包まれている。
しかし、そこには、無数の小さな蛍火が光っている。
それが、地上の人間1人1人の魂だ。
進歩した魂は、明るく力強い。しかし、欲望に従って生きているだけの愚鈍な魂は薄暗い。
ひと際明るく輝く魂があれば、この世界の聖者は地上に出て行き、その者の前に現れる。聖者は、その素晴らしい魂の持ち主に教えを授け、そうして、その者がさらに進歩し、光が強くなれば、その者を地下の世界に迎えるのである。
新しく地下の世界に参入した者は、引き続き、学習や修行を行う。この世界では、エネルギーや食料などは無限に容易く創り出せるので、労働する必要はない。地上の人間の知らない身体や心の使い方もマスターし、その寿命は、地上の人間とは比較にならないほど長くなり、いつまでも若い。
そんな世界に、意識レベルの低い者が来ることは決して無い。太古の昔、そんな世界が地上にあったが、住人の中に欲望が強くなって堕落する者が現れ、そんな者達のために大惨事が起きて世界が滅びたことがあった。その生き残りが地下のこの世界に逃れたのだ。だが、その時、堕落した人間を助けることはしなかった。

地下の世界で学び続け、十分な進歩を遂げると、地上の人間を導く役目を負うことになる。
こういった世界を、釈迦は極楽浄土と言い、イエスは天国と言ったのだろう。もちろん、彼らも、地下世界の聖者だった。
経験的に言えば、地下世界を実際に訪れて、目で見ることは難しくても、感じることはできるものだ。
地下とは言っても、言ってみれば四次元的な世界で、地上とはかなり異なる。
世間での生活が辛く苦しくても、欲望を捨て、魂を磨くことだ。地下の聖者は、全ての人類をそこに迎えるか、あるいは、地下の都を地上に移すかしたいと思っているのだ。
あなたの進歩も、シャングリラの聖者により注意深く見られているのだ。

考えてみれば、地下の世界の様子は、『観無量寿経』に書かれた極楽浄土のようだ。
難しいことではないが、肉食をやめ、食を慎み、性行為は、エロチックなものを見たり、考えたりすることも含めて避けていると、感覚が研ぎ澄まされ、そんな世界のことが心に浮かぶようになる。『観無量寿経』では、釈迦が、その世界を思い浮かべる方法を教えている。実際は、その通りにやることは不可能かもしれないが、それが出来ない場合のことも教えているのである。
地下世界の様子は、『エメラルド・タブレット』を読めば、いくらか想像がつくようになるかもしれない。
それで、確信が持てれば、魂の光を輝かせることを考えるようになるだろう。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

ストラディバリウスという幻想

パリ大学の研究者が、ヴァイオリンの至高の名器と言われるストラディバリウスについて、こんな研究発表をしたらしい。
国際コンテストに集まったバイオリニト達に、自分がどのヴァイオリンを弾いているか分からないように工夫して演奏してもらい、彼らにそれぞれのヴァイオリンの評価を聞いたところ、現代のヴァイオリンの方が、ストラディバリウスより評価が高かったという。

別に驚くほどのニュースではない。
ヴァイオリニストの多くは、自分が名器で演奏しているという高揚感によって良い演奏をする。
昔の日本の武将が、崇敬する主君の刀や弓をもらったら、気力充実して戦場で良い働きをするようなものだ。
また、国際コンテストに集まったヴァイオリニストというのも気になる。コンテストなんて、一種の受験であり、客観的でも何でもなく、審査員の偏見に合わせる必要がある。そういった調整に努力する演奏家の感覚には、現代のヴァイオリンの方が適合したのだろう。

私は、ラヴェルのボレロが好きで、よく聴くが、私が持っているCDは、演奏はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で、指揮は、あのカラヤンだ。
ところで、私はクラシックにはさっぱりこだわりが無い。そもそも分からない。だから、ベルリン・フィルでカラヤンなのだ。
もしこだわりがあれば、演奏に、演奏者達や指揮者の意識を感じるだろう。そうなれば、ベルリン・フィルでカラヤンというのは、ひょっとしたら最悪かもしれない。権威と名誉と富といった欲望が渦巻く世界だ。一瞬で気味の悪いものを感じて、聴いていられなくなるかもしれない。

ヴァイオリニストが、全財産はたいてストラディバリウスを買い、それを演奏して満足しているなら、それで良いではないか?世俗の人間が求め得る満足の中では、比較的高貴で崇高な部類に入るものだ。可能ならそんな満足が欲しい人は多いだろう。自分に同じようなことが出来ないからといってひがむこともない。
真の演奏家というものがもしあるなら、楽器にこだわらないだろう。真の演奏家とは、自分が演奏しているという意識を持たない演奏家だ。彼は、自分が演奏しているのではないことを知っており、演奏は自動的に進んでいく。
昔、ホロヴィッツという歴史的な名ピアニストが、相当な高齢になってから初来日し、全国を演奏旅行した。専門家の中には、「もう10年早く来て欲しかった」と、既に腕衰えたホロヴィッツを酷評する人もいたが、あのホロヴィッツということで満足した人もいた。もし、ホロヴィッツが、演奏家の自覚を持たずに演奏できるほど悟りを開いていたなら、生涯最高の演奏をしたに違いない。

カーテンから、1つの手だけが出ていた。手の主の姿は隠されている。
しかし、私には、その手は、あの人(アニメの美少女キャラ)のものだということが、なぜか分かった。
その手を取った時の高揚感に恍惚となる。
昔の夢の中でのことである。今は、そういった幻想を持たないので、同じことはできないが、あの瞬間の感激は覚えている。
ストラディバリウスに限らず、この世の全てはそんなものだ。
そういった全てを拭い去った時、楽器の名器、伝説の名刀、最愛の萌えキャラといったものと比較にならない至福を得る。それは、誰でも、疑いなく得られるものだ。
それが、イエスの言う内なる王国、エデン、ザナドゥ、極楽浄土、桃源郷である。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

真のザナドゥ(桃源郷)には誰でも行ける

世界中に、至福に満ち、一切の苦しみのない理想世界である、桃源郷、ザナドゥ、シャングリラなどといった伝説がある。
中国の古典『列子』には、終北(しゅうほく)、列姑射(れっこや)、古モウ(こもう)などといった、理想世界の話がある。
言うまでもなく、聖書のエデンも同じものである。
気候は温暖で、働かなくても食物はふんだんにあり、人々は心穏やかで争わない。
現実の苦しみ多い世界の中で、人々はそんな世界を夢見たのだろうか?
イエスも天国について語ったし、浄土系仏教では、阿弥陀如来が造った極楽浄土があり、法然、親鸞は、阿弥陀如来の名を呼べば、即ち、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えさえすればそこに行けると言った。

先日放送された、『灼眼のシャナ・ファイナル』第14話のタイトルがまさに、『ザナドゥ』であった。
異世界の神である祭礼の蛇と、この世界の平凡な高校生だった坂井悠二の思いが一致して融合し、理想世界ザナドゥの創造を目指す。
(私は、原作は、悠二が祭礼の蛇になった少し後あたりで挫折して読んでいない。)
異世界の者は人間を喰う必要が無くなり、よって人間は死ななくて済む。シャナも戦いの世界から解放される。
悠二と祭礼の蛇は、救世主として、そんな理想を熱く語る。
だが、シャナはどうしても承服できない。胸の中で、何かが「違う!」と言っている。
シャナは正しい。それは、まさに、ソクラテスが言った、内なる英知ダイモーンの声を聞いたということだ。

私は原作を読んでいないので、結局はどうなるか知らないが、悠二や祭礼の蛇の言うザナドゥ(理想世界)など造ったら最悪の悲劇となる。
人類は、理想郷の結末まで考えなかったのだろうか?
そんな世界でも、必ず、いつか争いは起り、しかも、恵まれているだけに、あまりに悲惨なことになるのだ。

イエスの言う天国や、釈迦が言ったかもしれない、阿弥陀如来の極楽浄土は、悠二や祭礼の蛇の言うザナドゥとは全く違うのだ。
それは、我々の内側にあるのである。それを外に求めるのは愚かなことだ。
「何か違う!」と思ったシャナの中にちゃんとあるものだ。いや、ちゃんとあるから、そこへの道をおぼろにでも感じているから、シャナには分かるのだ。
イエスの言う天国-内なる王国-は誰の中にもある。
ソクラテスは、そこからの声を聞いていたから知恵を得たのだし、それと同じものがシャナに特別な感覚を与えた。何より、作者にこの作品を書かせた。
だが、ソクラテスは、作家自身は、そのことに気付いていないと言ったのだ。

内なる王国を知るには、ソクラテスのように、そこから流れてくる英知を感じれば良い。
そして、英知とは、実に、沈黙なのだ。
これは別に難しい話じゃあない。
沈黙の中から、抽象的概念が起る。抽象的概念は沈黙の子であり、これが高度な知恵である。
抽象的概念から思考が生まれる。それならこれは、沈黙の孫である。どんなに洗練させても、せいぜいが世俗の知恵、あるいは、悪知恵だ。
そして、思考から言葉が生まれるが、言葉は沈黙のひ孫で、何とも粗雑なものだ。

うまく言語化出来ない。情報の伝達に齟齬(そご)が発生するかもしれない。でも、聞いて。
~『涼宮ハルヒの憂鬱』より。長門有希の言葉~

だから、人類は詩というシンプルな美しい言葉で語ることを考案し、さらに、西洋でも東洋でも、文字を限定する形式の詩(日本では和歌や俳句)こそが、言葉としては最上のものと認識し、発展させた人々がいたのだ。

心の沈黙を守ること。それが英知であり、内なる王国、天国、真のザナドゥだ。
どうすれば、粗雑な思いを祓い、清らかな沈黙が得られるか?
それを共に得ようというのが、これまでの、そして、これからも変わらぬ本ブログのテーマといったところだ。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼

最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
タグクラウド
QRコード
QRコード