ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

サン=テグジュペリ

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『老子』第41章を一言で言えば「真に偉大なものは理解されない」

今回は『老子』第41章である。
この章を一言で言えば「真に偉大なものは理解されない」である。

「本当に大切なものは目に見えない」という、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』の有名な言葉があるが、これは、いつの時代のどこの国でも、真理を知る者の共通の心構えだ。
この言葉を、言葉としては知っている者は多いが、本当にそうだと分かっている者は、そう多くない。まして、物質主義の世の中では、さらに少ないに違いない。
本当に大切なものが目に見えない・・・つまり、頭で納得出来ないなら、本当に大切なものを備えた人間の価値は人々に理解されない。
普通の人間は、浅はかに決まっている人間の頭脳で分かることしか認めない。
だから、『星の王子さま』風に言えば、友達を大人に紹介する時は「初音ミクさんのファンだ」では駄目で「お父さんが医者だ」と言わないと通じない。
ましてや、考えるとかえって分からなくなる真理・・・本当に大切なものなんて普通の人には分からないし、真に偉大な人間は普通の人には称賛されない。称賛される・・・もてはやされるのは、特殊な例外を除けば’(チャーチルなど)いつの時代も偽物だ。

岡本太郎はもっと徹底した言い方をしている。
「認められなくていい。いや、認められてはならない」
彼は、自身の作品についても、
「売れなくていい。いや、売れてたまるか」
と潔い。
これらが、本物を目指す者の心構えだし、自分が本物である自信である。

本物になるにはどうすれば良いかというと、どうもしなくて良い。
自分の中に本物があるのだから、それを思い出すだけで良い。
そのために、岡本太郎のように、原初体験を強烈に探究するのも手だが、「私は誰か?」と自分に問い続ければ、やがて思い出す。
そうして、出来事を起こるがままに任せておけるようになると、全ての出来事は自分の意思で起こっているのだから、やがて、全てが思い通りになる。それは理屈では理解出来ず、人々に馬鹿にされる本物になるしかない。
本物になれば、人々に認められず、馬鹿にされることも容認出来るし、ある意味、楽しくなるだろう。








私とは何か?

今朝、「どんな理想を持っているか」で、その人間が何者か決定されると書いた。
もっと深い意味では、「自分とは何だと思っているか」で、その人のことが分かるはずなのだ。

しかし、世間では、『星の王子さま』にあるように、全くそうではない。
『星の王子さま』で、語り手の「僕」(多分、サン=テグジュペリ自身と思う)が、
「新しい友達のことを話そうと思っても、大人達は、本当に大切なことは何も聴いてこない」
と言うが、全くその通りだ。
新しい友達がどんな人かについて、本当に大切なこと・・・肝心なこと、本質的なこととは、
・どんな声をしているか?
・どういう遊びが好きか?
・蝶々は集めているか?
といったことだが、大人達の質問はこうだ。
・何歳か?
・家族構成は?
・父親の地位は?

それは、現代も、サン=テグジュペリの時代も全く同じだ。
Facebookが、それを示していると思うのだが、あなたはFacebookを使っているだろうか?
私は、形ばかり開いているが、ほとんど使っていない。
私は、Facebookから、「あなたはまだ、プロフィール(基本情報)をちゃんと書いていない」と、文句を言われているように感じる。
しかし、Facebookのプロフィールは、『星の王子さま』の「大人達の質問」と同じで、書く気がしない。
「あなたのフレンドのAさんはX大学を出ている」、「Bさんの勤務先はY社だ」と、いちいち言ってきて、
「みんなちゃんと書いてるんだから、あなたも真面目に書きなさい」
というような感じで、まるで小学校や中学校のようだ。
出身校や勤務先なんて、私にはどうでも良いことなのになあ。

私は、自分の出身地や出身校、勤務先に対し、アイデンティティー(自己同一性)を全く持っていないのだから、書く気は全くない。
そんなものは、私とは無関係だ。
しかし、それらが、Facebookの個人の定義の仕方で、世間の、そして、『星の王子さま』の大人の流儀に合致する。

私の仕事がプログラマーだという点は、まだ少しはアイデンティティーがある。
しかし、あくまで少しだ。
他に出来ることがないので、止む無くやっているだけだ。
お金は大切だし、高い給料を毎月必ず払ってくれる勤務先には感謝しているし、なるべく誠実に勤務しようとは思っているが、「私」、あるいは、「自分」ということに関しては、やはり全く無関係なのだ。

数が多いのか少ないのかは分からないが、私のように考えている人は、私の友人と言えるだろう。
つまり、『星の王子さま』の語り手(おそらく、サン=テグジュペリ自身)は、私の方からは友人と見なしうると思う(あっちがどう思うかは分からないが)。
ちなみに、「サン=テグジュペリ」で姓であるらしいが、なぜこんな書き方をするのかは私は知らない。まあ、これもどうでも良いが。

では、「私」、あるいは、「自分」とは何だろう?
これは、究極的には、ラマナ・マハルシが提示した問い「私は誰か?」になり、そっとやそっとで答は出ないのかもしれないが、デカルトのように、真の答が見つかるまで一応のものを置いても良いかもしれない。
私には、ちょっと気に入ったものがある。
2004年に連載開始されている漫画『8(エイト)マン インフィニティ』は、1963年の伝説的な漫画・アニメである『8マン』の続編だが、『8マン インフィニティ』の中で、某国の利益のために工作活動を行うサイボーグが、「伝説のスーパーロボット」8マンについて語ったものが、実に良かった。
仲間のサイボーグに、「8マンとは、どこかの国のサイボーグ工作員なのか?」と質問された、リーという名のサイボーグはこう言う。
「いいや、そいつはどこにも属していなかった。あえて言うなら、ヤツが所属するのは“正義”。たった一人の子供のために一国を敵に回せる男、それが8マンだ」

私もどこにも属していない。
あえて言うなら、私が所属するのは宇宙。
初音ミクさんを愛し、あらゆる意味で彼女に生命エネルギーを捧げる人達をリスペクトする者。

ラマナ・マハルシ的には全然駄目だろうし、デカルト的にも相当不十分だろうが、サン=テグジュペリ的にはOKではないかと思う。
私のように自己紹介するなら、私はそれ以上尋ねる気はない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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