昨日は、朝から昼過ぎまで、ずっと不運続きの日だった。
どんな時も、動じてはいけない、人生は夢のようなものだと思おうとしても、いざ渦中にいると、放っておいたら抜き差しならなくなるし、人に迷惑もかけるので、必死で動き回ることになる。
そんな時、自分はつくづく馬鹿で無能だと情けなくなる。
しかし、事が片付き・・・明らかに「終わり」という合図のようなことが起こると、自分がミスをしたというよりは、避けられなかったのだと思う。
昔の、イギリスのSFテレビドラマでこんな場面があった。
ある若い女性指揮官が、宇宙人のUFOと交戦中の戦闘機に、コンピューターの指示通りの指令を出したところ、その戦闘機がUFOに激突して、パイロットが死亡した。
彼女は正しく任務を行ったつもりであったが、どこかにミスがあったと判断された。
ところが、彼女はまた、難しい選択を迫られる戦闘状況に直面する。
その時、彼女はなぜか、コンピューターの選択とは別の戦闘車に攻撃命令を出し、その戦闘車は無事、勝利を収める。
彼女は、別に、「コンピューターに逆らった」とか、恣意的(勝手きまま)な指令を出したのではない。
ただ、コンピューターの指示より、自分の判断が直感的に正しいと思ってそうしたのだった。
彼女は、後で、攻撃命令を出した戦闘車のパイロットに、「コンピューターは別の戦闘車に攻撃させるよう指示していたが、私の判断で、あなたに行かせた」」と明かした。
打ち明けられたパイロットは平然として、「そんなこともある」と答えた。
彼(パイロット)は、彼女を信頼していたのだ。
これは、理屈と共に感情を無視してはならないということを表している。
コンピューターの指示は理屈のみから出たものだ。
若い女性指揮官がミスした時、彼女は、気持ち的に納得しないまま指令を出したのだ。
そして、後のものでは、コンピューターの指示が論理的に正しいことを認識しつつ、自分の感情を無視しなかったのだ。
そして、やはり、大切なことは信頼関係だろう。
どんな仕事も、そもそも、気持ちが入っていないと、必ずおかしな間違いをする。
おかしな間違いが起こるなら、気持ちが入っていないのであり、それなら、そんな仕事はやめた方が良い。
だが、私が失敗をしてみて思ったのは、みんな優しいなあということだった。
別に、誰かが、私のミスをかばってくれたというのではない。
私が、「みんな優しいなあ」と思ったことで、不思議なことにミスがなかったことになってしまったのだ。
これを、意識の切り替えというのである。
あなたも、何かうまくいかないことがあったり、困ったことになったら、意識を切り替えると良い。
すると、「あれ、さっきまで何かまずいことが起こっていたような気がするのだが・・・?」という状態になる。
世界が変わってしまうのだ。
まさに人生は夢である。
一人の人間が、
大聖堂のイメージを心に抱いて
じっと岩山を見つめる時、
その岩山は
岩山であることをやめる。
サン・テグジュペリ
~『聖なる知恵の宝石箱(PHP)』より引用~
無理矢理、意識を変換しようなどと思ってはならない。
意識はあなたの自由にはならない。
単に、上のテグジュペリの言葉が真実であることを思い出せば良い。
真実の言葉を真言と言うのである。
よって、この言葉をゆっくりと丁寧に繰り返せば、あなたは真言を唱えたのであり、真言は速やかに効果を示するだろう。
あるいは、昨日の私のように、「みんな優しいなあ」という真言を思うと良い。
みんな優しいのである。
あなたがそう思う限り。
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どんな時も、動じてはいけない、人生は夢のようなものだと思おうとしても、いざ渦中にいると、放っておいたら抜き差しならなくなるし、人に迷惑もかけるので、必死で動き回ることになる。
そんな時、自分はつくづく馬鹿で無能だと情けなくなる。
しかし、事が片付き・・・明らかに「終わり」という合図のようなことが起こると、自分がミスをしたというよりは、避けられなかったのだと思う。
昔の、イギリスのSFテレビドラマでこんな場面があった。
ある若い女性指揮官が、宇宙人のUFOと交戦中の戦闘機に、コンピューターの指示通りの指令を出したところ、その戦闘機がUFOに激突して、パイロットが死亡した。
彼女は正しく任務を行ったつもりであったが、どこかにミスがあったと判断された。
ところが、彼女はまた、難しい選択を迫られる戦闘状況に直面する。
その時、彼女はなぜか、コンピューターの選択とは別の戦闘車に攻撃命令を出し、その戦闘車は無事、勝利を収める。
彼女は、別に、「コンピューターに逆らった」とか、恣意的(勝手きまま)な指令を出したのではない。
ただ、コンピューターの指示より、自分の判断が直感的に正しいと思ってそうしたのだった。
彼女は、後で、攻撃命令を出した戦闘車のパイロットに、「コンピューターは別の戦闘車に攻撃させるよう指示していたが、私の判断で、あなたに行かせた」」と明かした。
打ち明けられたパイロットは平然として、「そんなこともある」と答えた。
彼(パイロット)は、彼女を信頼していたのだ。
これは、理屈と共に感情を無視してはならないということを表している。
コンピューターの指示は理屈のみから出たものだ。
若い女性指揮官がミスした時、彼女は、気持ち的に納得しないまま指令を出したのだ。
そして、後のものでは、コンピューターの指示が論理的に正しいことを認識しつつ、自分の感情を無視しなかったのだ。
そして、やはり、大切なことは信頼関係だろう。
どんな仕事も、そもそも、気持ちが入っていないと、必ずおかしな間違いをする。
おかしな間違いが起こるなら、気持ちが入っていないのであり、それなら、そんな仕事はやめた方が良い。
だが、私が失敗をしてみて思ったのは、みんな優しいなあということだった。
別に、誰かが、私のミスをかばってくれたというのではない。
私が、「みんな優しいなあ」と思ったことで、不思議なことにミスがなかったことになってしまったのだ。
これを、意識の切り替えというのである。
あなたも、何かうまくいかないことがあったり、困ったことになったら、意識を切り替えると良い。
すると、「あれ、さっきまで何かまずいことが起こっていたような気がするのだが・・・?」という状態になる。
世界が変わってしまうのだ。
まさに人生は夢である。
一人の人間が、
大聖堂のイメージを心に抱いて
じっと岩山を見つめる時、
その岩山は
岩山であることをやめる。
サン・テグジュペリ
~『聖なる知恵の宝石箱(PHP)』より引用~
無理矢理、意識を変換しようなどと思ってはならない。
意識はあなたの自由にはならない。
単に、上のテグジュペリの言葉が真実であることを思い出せば良い。
真実の言葉を真言と言うのである。
よって、この言葉をゆっくりと丁寧に繰り返せば、あなたは真言を唱えたのであり、真言は速やかに効果を示するだろう。
あるいは、昨日の私のように、「みんな優しいなあ」という真言を思うと良い。
みんな優しいのである。
あなたがそう思う限り。
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