ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

サンダーバード

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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人間が持っているかもしれない摩訶不思議な力

1965年にイギリスで製作された人形劇である特撮テレビドラマ『サンダーバード』は今も世界中で人気があり、2004年には本格的なSF映画(人間の俳優)が作られ(ヒットしなかったので、予定されていた2作目は中止になったが)、その後もCGアニメが作られたりで、昨年(2022年)には、人形劇で新作が製作された。

ところで、なぜ、最初の『サンダーバード』が人形劇であったのかについて、現代のCGアニメの論理から考えると、当然ながら、製作費が安いからであると考えられるが、どうもそうではなかったらしい。
というのは、製作者のジェリー・アンダーソンは、1970年に初めての人間の俳優を使ったSFテレビドラマ『謎の円盤UFO(原題:UFO)』を作った時の思い出話として、「予想外だったことは、人間の俳優は高いということです」と語っていたからだ。
こんな当たり前のことに気付かなかったことが可笑しいが、それは、『サンダーバード』は金がかかった作品であったからで、この作品で使われたメカニックや爆発シーンなどは、まさに、金に糸目をつけずに迫力ある映像を作ったことが分かる。

チューリップが咲く庭
AIアート111
「チューリップが咲く庭」
Kay


ジェリー・アンダーソンは、『サンダーバード』の次の人形劇作品『キャプテン・スカーレット』(1967)では、人形をさらに精巧にし、ストーリーも面白かったが、『サンダーバード』ほどにはヒットしなかったようだ。

ところで、この『キャプテン・スカーレット』のストーリーが現代でも驚異的に素晴らしいと思う。
この作品の中で、火星の超高度文明を築いたミステロンという火星人種族が登場する。
このミステロンのテクノロジーが凄い発想なのである。
このテクノロジーを一言で言えば「再生」である。
たとえば、火星のミステロン基地は、地球人によって誤って攻撃され破壊されたが、即座に復活した。
ミステロンが再生出来るものに制限はない。
地球人のロケットを破壊し、その直後にそっくり作成して利用したりもした。
荒唐無稽な感じがするテクノロジーだが、そうとも言えないと私は思う。
このように、壊れたものを再生したり、起こったことを起こらなかったことにするというのは、人類の夢でもある。
小説・アニメ『サクラダリセット』では、ヒロインの春埼美空(はるきみそら)は、最大3日分、世界を「巻き戻す」能力があり、それを使って浅井ケイは、わざと死ぬが、死んだことをなかったことにして「生き返った」。
手塚治虫の漫画『ザ・クレーター』の『大あたりの季節』も、似たようなお話だ。
『灼眼のシャナ』にも「存在のエネルギー」を使って、壊れたものを再生させる力が描かれている。
探せば他にもあると思う。

そして、どうも、人間には、何らかの形で、そんな能力があるのではと考えられるのである。
無論、常識的な思考をする者は受け入れないだろうがね。
だが、壊れたものを再生する、過ぎ去った過去を取り戻す、起こってしまったこと、やってしまったことをなかったことにするというのは、不思議なことに人間の夢である。
そして、多くの人が知らないことは、人間は不可能なことには憧れないということだ。
ところが、人々は「不可能だから憧れる」と誤解している。
だが、我々はこの認識を改めねばならない。
人間は可能なことにしか憧れない。
憧れるからには必ず出来るのである。
そもそも、人間は宇宙だって作りだせることは、科学でも可能性を見い出しつつある。
それなら、時間を巻き戻すことなど、むしろ容易だ。
実は、「時間を巻き戻す」のではなく、「エントロピーを逆転させる」ことに近い。
そして、この世ではエントロピーの逆転は起こらないが、それが普通に起こる世界があるかもしれないことは、物理学者にも認めている者がいる。

壊れたものを再生する、起きたことをなかったことにする・・・そんなことは、実は簡単なのであると思う。
それは、本当は魂では分かっているのに(だから憧れる)、なぜか、それが出来ないと思っているのが人類の状況であると思う。








宇宙旅行時代

民間の宇宙観光ビジネスが既に存在し、時間は短いながら宇宙空間での体験(無重力体験や地球を見る等)を、数千万円で、一般人が得られるようになった。
少し昔なら、どこかの大富豪が、数十億円とかの莫大な金額でロシアの宇宙ロケットを借りて、やはり、短時間宇宙に行ったようだ。
最近では、昨年(2021年)末に、衣料品通販大手ZOZOの創業者で大富豪の前沢友作氏がロシアの宇宙船ソユーズで宇宙飛行し、民間人として初めて国際宇宙ステーションに滞在したが、費用は100億円ほどだったと言われている。
イーロン・マスクがCEOを務める民間宇宙船会社スペースXは、既に宇宙ロケットでの実績を持ち、今後のNASAの月着陸計画ではロケットの建造を受託し、また、2020年代での火星有人旅行を目指すが、スペースXでは、実用的な民間ロケット移動サービスを計画しているという話もあった。実現すれば、これまでのジェット機による移動よりも、はるかに速く遠くの国に行けるようになる。

宇宙に行けば、何が良いのだろう?
「自分は地球を離れている」という体験だけでもエキサイティングなのかもしれないが、それだけで費用に見合うものだろうか?
これに関しては、立花隆氏の1985年の著書『宇宙からの帰還』に興味深いことが書かれており、大金を積んででも宇宙旅行に行く金持ちの動機になっている場合もあるのかもしれない。
その時代では、宇宙飛行は、ごく少数の選り抜きのエリートパイロットだけが可能であった。
そして、この本で語られているのは、宇宙飛行士達の衝撃的な「内的体験」であった。
一度、宇宙に行くと、同じ人間でいることが不可能とまで言うほどの、スピリチュアルな体験をする。
それは、「神の実在」を強く感じることである。
まあ、当時の宇宙飛行と、今の宇宙飛行では、いろいろな条件が異なるが、そのような(衝撃的な内的体験)ことがあったことを、日本人宇宙飛行士や、先の前沢氏、あるいは、Amazon創業者ジェフ・ベゾスが語るのを見聞きしたことは、私はないが。
より沢山の人が宇宙に行くようになり、悟りを開く人や超能力が目覚める人がいれば面白いものである。

さて、遠い未来、『2001年宇宙の旅』のように、誰でも宇宙に行け、ついには、民間人が月にも行けるようになった・・・私は昨夜、そんな夢を見た。
初の民間の月旅行宇宙船が月に向かう中、これを実現した民間宇宙船会社は、この乗客へのサービスとPRのため、追随する2機の宇宙船による、壮大なデモンストレーションとして、曲芸飛行のようなものを見せる。
肉眼ではっきり視認出来る距離でのすれ違い飛行は、全く新しく体験する超高速なもので迫力満点だった。
私は思わず、この飛行のための高度で緻密な計算とプログラムについて考えてしまった。
2004年のイギリス・フランス・アメリカ合作の映画『サンダーバード』で、富豪の令嬢にして国際諜報員であるレディ・ペネロープの自動車(フォード・サンダーバードがベース)が飛行しているところを、サンダーバード1号、2号機が追い抜いていく場面があるが、その際、他のサンダーバード隊員達の父親で、1号機を操縦するジェフ・トレーシーが茶目っ気を出して曲芸飛行を披露し、ペネロープ嬢を喜ばせたが、あれも見ごたえがあったことだろう。タダで見せてもらえたペネロープ嬢はラッキーであったが、やはり金持ちで優秀であったからで、我々は、なかなか贅沢な凄いものを見ることが出来ない。
だが、夢の中でなら、私は、子供の時、壮大な宇宙の中で、もっともっと凄いものを何度も見た。
それが、私の奇跡の力に関係しているに違いないと思うのである。
尚、上の映画『サンダーバード』は、興行不振(興行収入が僅か10憶円。製作費は60億円)のため、計画されていた続編が作られなかった。私はなかなか面白いと思ったのだが・・・
アランとチンチン(テレビシリーズではミンミン)を少年少女にし、アランを主人公にしたこと。サンダーバード機の、特に2号のデザインをやや変えたことなどがテレビシリーズと異なっていたが、いったい何が悪かったのだろう?








差別をしないことは結局は極めて得なことでもある

1965年に製作された人形劇であるイギリスの特撮TVドラマ『サンダーバード』は現在でも人気があるが、監督のジェリー・アンダーソン(1929~2012)は、それまでにも、人形劇の経験を積んでいた。
そのサンダーバード以前の人形劇で、アンダーソンが黒人の人形を使ったところ、テレビ局から、白人の人形に差し替えるよう指示され、それに逆らうことが出来なかったというアンダーソンの思い出話をどこかで見た覚えがある。
その後、アンダーソンはさりげなく、テレビドラマの中で人種差別と戦っていたのだと思われる。
彼が、初めて人間の俳優を使った1970年の『UFO』(日本でのタイトルは『謎の円盤UFO』)は、地球人のものより、はるかに高度な科学技術を持って地球侵略を目論む宇宙人に戦いを挑むという、当時としては10年後の1980年の未来を描いたSFドラマだった。
その中で、月面基地の白人司令官が死亡した時、主人公である最高司令官ストレイカーは黒人男性に後任司令官を打診する。
その時、翻訳であるが、だいたい、こんな会話をする。
「なぜ私なんですか?」(黒人男性)
「優秀だからだ」(ストレイカー司令官)
「もし断ったらどうします?」
「なぜだ?理由を言いたまえ」
「本当に解りませんか?」
「ああ、解らないね」
「私の肌の色です」
「(苦笑しながら)馬鹿な。人種差別など5年も前になくなっている」
「表面的にはそうです。でも、緊急事態になれば、必ず影響が出るんです」
また、このドラマでは、日本人好みの女性指揮官(白人)と男性パイロット(黒人)の恋愛感情が作戦に支障をきたす場面にも、人種問題をさりげなく巧妙に絡めていた。

ところで、現代のアメリカのTVドラマ『スーパーガール』(2015~)や、『THE FLASH/フラッシュ』(2014~)では、スーパーガールことカーラや、フラッシュことバリーらは白人であるが、カーラの義理姉やバリーの義理姉は黒人で、素晴らしい人物として描かれ、また、カーラもバリーも、黒人青年や黒人女性(男性にしか青年という言葉を使えないのも何だが)への、叶わない恋愛感情に苦しむ。
こういったことが、あまりにさりげなく描かれているが、さりげなさ過ぎることに、妙な違和感を感じる私がおかしいのか・・・
実際には、最近のアメリカでの大規模暴動事件を見ても解る通り、人種差別は全くなくなっていない。
今でも黒人に貧困層は多く、収入においても、大学進学率においても、黒人と白人では大差がある。
一方で、裏づけのある調査であっても、「黒人のIQ(知能指数)は白人のそれに劣る」といった内容を含む研究論文を出した科学者が地位を失うなど、表向きでは、アメリカでは人種差別を厳しく禁じてはいるのだが、これ(人種差別)は、制度や管理の問題ではない。
また、人種差別以外にも、家柄や学歴や地位や容姿など、人間には無限の差別があり、それがきれいさっぱりなくなるというのは、子供騙しの妄想ショーかもしれない。

ところが、2400年前に書かれたと言われる『荘子』に、だいたいの意味でこんなことが書かれている。
「古代の(つまり、荘子よりさらに大昔の)人達は偉大な知恵を持っていたが、今はそれは失われた」
「知恵が失われた過程は、まずは“区別”からだが、ここまでは、まだ良かった」
「だが、“区別”から“優劣”を考えるようになった時、知恵が失われたのだ」
「優劣」は、「是非」「好悪」を生じる。
それにより、人間は愚かになり下がる。
だから、叡智を持つ方法は、
「視線を自然にし、分別をせず、是非好悪から離れることである」
と言う。
無論、現実世界において生きてくためには、万事これでは無理と思える。
毒キノコと食用キノコは区別しなければいけない。
しかし、毒キノコにだって存在理由はあり、食べてはいけないが、「非」でも「嫌」でもある必要はない。
美人は「好悪」で言えば「好」だが、別に不美人を「悪」だの「嫌」だのと考える必要はないのだが、馬鹿ほど、「悪」「嫌」を強く持つのである。
実際、「嫌い」が少ないほど能力が高まるように人間は出来ていると思われるのである。
差別主義者のエリートだっているが、やはり、そういった連中は、優秀な面と共に、常人以上に馬鹿な面もあり、結局は不幸になるように思える。
「好き」はあっても良いが、過剰になってはならず、「嫌い」を出来るだけなくすことが、向上の鍵であり、幸運を呼ぶのだと感じる。













当ブログ著者、KayのAI書。
著者が数年前、機械学習に取り組んだ時、そのためのパソコンの環境設定やプログラミングで苦労し、実際にAIを使うのは遠い道のりでした。
その時、「データがあれば、すぐにAIに推測させるようになればいいのに」と強く思いましたが、現代では、それが出来るようになり、さらに、主流になりつつあります。
しかし、その学習の方法となると、まだまだ、難しいもの、退屈なものが多いように思えます。
そこで、日常語を使い、なるべく普通の感覚で理解出来る、そして、面白いテーマで実際にAIを作れるようになる本を書きました。

夢と現実が交わった体験

1965年のイギリスの人形劇によるSFテレビドラマ『サンダーバード』は、現代でも十分に通用するロケットなどのデザインや特撮技術、そして、何よりストーリーの素晴らしさのために、いまだ人気が高い。
その『サンダーバード』のあるお話で、1人の8つか9つの少年が、サンダーバードの秘密基地に何かの間違いで入り込み、中の様子を詳細に見てしまったことがあった。基地内部のことは、外部の人間には極秘にされなければならないのである。
困ってしまったサンダーバードの隊長ジェフ・トレーシーや、隊員であるその息子達は、考えた上で、どうしたかというと、少年が寝ている間に、彼を彼の家に運んで彼のベッドに入れ、彼が目覚めた時、全ては夢だったと思わせたのだ。
少年は父親に言う。
「本当のことだったみたいなんだ」
父親はこう答えた。
「パパもよく見たものさ。本当みたいな夢をね」
制作者のジェリー・アンンダーソンが後に創った同じく人形劇の『キャプテン・スカーレット』や、初めて人間の俳優を使った『謎の円盤UFO(原題:UFO)』では、1話まるまる夢の話(その2つの内容は酷似している)というものまであった。
アンダーソンは、夢に対する、何か特別な思いがあったのかもしれない。

しかし、「まるで本当のような夢」というのは、子供の時には、実際によく見るものかもしれないと思う。
元々、子供は、現実と、鮮明な想像との区別が付かないものらしい。ならば、夢と現実の混同があっても不思議はない。
私も、あれな夢だったのか現実だったのか分からないという思い出がいくつかある。あるいは、理屈の上では、どう考えて夢なのだが、あまりに現実的だったというものもある。
『荘子』の中に、荘子が夢で蝶になった時のことを語るところがあるが、荘子は、「人間荘子が夢で蝶になったのか、蝶が夢で人間荘子になっているのか分からない」と言う。

世界や人間に対する洞察が深まると、夢と現実にさほどの違いはないという結論に達するに違いない。
いずれも夢なのだ。
子供のとっては、その両者はあまり明確ではないし、大人になってからも、明晰夢と言われる、極めて現実的な夢を見ることがある。
夢と現実が交わった時のことの中には、夢を見ている自分が、肉体から魂が抜け出し、現実世界の人間と接触したかのようなものもある。
「眠っている間に会いに行くよ」と言い、言われた方の人間がその夜、自分の部屋でその人に会い、また、会いに行った方も、そのことを覚えていたといった話を何かの本で読んだことがあるが、私も、それに成功したかもしれないという思い出がある。
それが想像であると言えば確かに想像である。しかし、エマーソンも言うように、「想像と空想は違う」のだ。
夢の中の経験は、心を広げ、豊かにしてくれる。
夢の中で、現実世界の誰かと会うと、言葉で語ることはなくても、心が直接に通じるようだ。
それで、言葉では知ることの出来ない貴重なことを教わることもあるし、その人のことを深く知ることもあるかもしれない。
私は夢の中で、ある建物の中の1つの部屋に居たのだが、そこに誰かが入ってきて言う。
「誰かに会いに行くのかい?」
私は、
「そうしようと思う」
と答えた。

政木和三さんは、夢の中で、遠いところに行っただけでなく、時間を超え、その場所の昔の風景を見、後でその信憑性を確認したものもあるし、また、夢で訪れた現実の場所で、竜といった、肉体の目では見ることのできないものを見たこともあったらしい。政木さんは、そのことを著書に詳しく書かれている。
また、聖者が、ある場所で起きて何かをしながら、別の場所で誰かの前に現れたという話もある。
多くの人は誤った観念を持っているが、魂は、決して、この小さな肉体に閉じ込めれたものではない。魂に大きさはない。むしろ、魂の中に肉体があると言う方がまだ正しいだろう。
ならば、聖者がそのようなことをするのは、別に不思議なことではなく、彼は自然なことを普通に行ったのだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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