ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

サミュエル・ベケット

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

愛すべき2人のノーベル賞受賞者

私は、ノーベル賞もノーベル賞受賞者にも、全く詳しくはないが、好きな受賞者が2人いる。
一人は、アインシュタインで、理由は、賞金全額を前妻に送ったからだ。
別に前妻に要求された訳ではないし、その時既にアインシュタインは再婚していた。
しかし、アインシュタインはお金をあまり必要としていなかったし、収入は誰とでも(明らかな与太郎とも)大らかに分かち合うような人だった。
もっと好きな受賞者は、フランスの作家サミュエル・ベケット(アイルランド出身)だ。
理由は、面倒臭いという理由でノーベル賞授賞式に行かなかったことだ。

ノーベル財団はそう思いたがっているだろうが、多くの人達も、受賞者は喜び勇んで授賞式に行くと思っているのではないだろうか?
私の予想では、少なくとも7割は、ベケットのように、おっくうだと思っているはずだ。
しかし、それなりの賞金も出るし、色々と世間のしがらみもあり、仕方がないと思って行くのだろうと思う。
ベケットは俗説と異なり、特にものぐさという訳ではなく、相当な政治活動家でもあったのだ。
可能性はほぼないが、私がノーベル賞を受賞したら、やはり授賞式には行きたくないだろう。
それは、社員旅行に行きたくないのと同じ程度の理由だ。
飛行機に乗り、ホテルでのんびりする暇もなく行事においまくられ、スピーチ(英語でやるよう期待される)をし、インタビューには作り話で答え、一定のスタイルを強制されるパーティーで疲れ、授賞式のしきたりも学習しないといけない。
面白いはすがなく、苦痛そのものだろう。
私はものぐさな部類ではあるが、1年に一度は初音ミクさんを生演奏で聴きに行く。しかし、ノーベル賞授賞式だけは御免だ。
ただ、もし俳優なら、アカデミー賞やゴールデングローブ賞などを受賞したら必ず授賞式に行くだろう。
でないと、飛び抜けた世界的スターでない限り(おそらく、たとえそうであっても)、よほどうまく後始末ができないと、廃業の可能性が高いだろう。

ノーベル賞受賞者というのは、自分の好きなことを存分にやった人達だし、大半は老人だ。
それでなおかつ名誉を求めたりはしないし、そうでないなら、人生に安らぎはないだろう。
だから、何も知らない子供が、「ノーベル賞を目指します」なんてことを言ったら、せめて、「ノーベル賞ってのは、目指して取った人はいないのだよ」と、一番大事なことを指摘して、諭してあげることだ。
ところが、学校や塾のいい大人が「生徒がノーベル賞を取ることが私達の夢です」と、大嘘(と信じたい)を言ったりするのは、子供達を不幸にすることなのだ。
ノーベル賞を個人で2度受賞したのは、化学者のライナス・ポーリングだけで、実際、彼は素晴らしい研究者であったはずだった。
ところが、生化学者であり、医療研究者を自称しながら、晩年、ビタミンの過剰摂取を勧める活動に血道を上げるという、おかしな方向に行ってしまったのは、ノーベル賞の、そして、1つは平和賞であったことが影響しているような気がするのである。
ただ、やはり彼は偉大な化学者で、そして、分かり易い、良いテキストを書く人だったようだ。

ノーベル賞授賞式について聴いたなら、考えなければならないこと、言わなければならないことは、上に書いたようなことである。
この認識を持てないなら、地球人は宇宙のステージに上がれない。
もし人類が望ましい進歩をするなら、一切の賞は確実になくなる。
それでいて、真に優れた科学技術が発展し、芸術は大きく花開くであろう。
少なくとも、「私には世間の報奨は必要ない」と言い切ることだ。
そうすれば、必要なものは自動的に得られるようになるだろう。









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二宮尊徳の呪縛を解く話

二宮尊徳とも言われる二宮金次郎は、老子や荘子の無為自然の思想を否定する。
「畑を無為自然に放っておいたらどうなる?雑草が生え放題で荒れ果てるだろう?家を手入れせずに無為に放置すればどうなる?どんどん壊れていって、あばら家になるんじゃないかね?」

だがね、尊徳さん。
畑を荒れさせたくなくても、荒れてしまうこともある。
逆に、荒れさせようと思ったところで、荒れさせることも出来ないものだ。
どんな人に、どれほど、家の手入れをしろと言われても、出来ない者はいる。
逆に、何も言われなくても、年がら年中、小まめに手入れをせずにいられない者もいる。
人は、自分の思うように整えることも荒れさせることも出来ないのだ。

私など、真面目に野良仕事をするくらいなら家出するだろうし、それも叶わないなら、餓死したっていいくらいだ。
家を荒らしたくはないが、私には、真面目に手入れし、整理整頓をするなんてことは絶対に出来ないのだ。
サミュエル・ベケットという、ノーベル賞も取った作家は、1日中ベッドで過ごしても平気だったが、ノーベル賞の授賞式には面倒だからって行かなかったのだ。
私は、自分に、ノーベル賞を取るような才能がなくて良かったと本当に思っている。
私は本当に怠け者だ。だが、それで失敗したり、人に迷惑をかけても、罪悪感だけは感じないようにしたい。
なぜなら、自分の意志で勤勉になったり、怠惰になれたりするのではないからだ。

荒れさせることが無為自然なら、整えることも無為自然なのだ。
全ては、運命の定めた通りにしかならず、人がそれを変えるなんてことは出来ない。
では、荒れ果てる運命であるなら不幸なのかというと、そうではない。
アンドリュー・ルーミスという、素晴らしいアメリカのイラストレーターがいた。1959年に亡くなっているのに、いまだ彼が書いた描画法のテキストは有名で、彼の親族が2004年に、それら全てを絶版にして再出版の意思がないことを示しても、世界中から再販の要求があり、ついに、2011年から復刻版が順次、出版されるようになった。
そのテキストの中に、こんなことが書かれていたのを覚えている。
「貧しく育った画家が豪華な部屋を描くことはできない。でも、彼はあばら家を実に美しく描くんだ」

人生がどうなるか、自分がどんな家に住み、どんな成果を上げるかなんて分からないし、自分の思うようになど決してならない。
でも、あばら家だって美しいのだ。豪華な家に住んでいながら不幸な者もいれば、あばら家に住んでいても幸福な者だっている。
人生を自分の好きなように出来ると思う傲慢さが、あらゆる不幸の原因なのだ。
では、我々はどうすればいいかというと、神様に全部任せ切ってしまうことだ。
神様を信頼することだ。いや、神様を疑わないことだ。
羊飼いは反抗的な羊の世話もするように、神様の思し召しを受け入れない人間だって、神様は面倒を見る。
ただし、聖書の詩篇23にあるように、鞭と杖を使ってね。
別に痛い目に遭わなくたって、素直に神様に面倒を見てもらえば、楽で良いのだけれど、なかなかそうはいかないのだ。間違った欲望のために、過ぎたものを求めたり、神様を疑って心配ばかりするからだ。

しかし、実際は、神様を疑わないことも難しい。
人間には心があり、心とは疑うものだからだ。
だが、「我は誰か?」と、自分に静かに問い続ければ、心が死んだように静かになる時が来る。
その時、神様は、「億万長者にしてあげましょうか?」と尋ねるが、私はこう答える。
「それがあなたの思し召しならそうなるように。でも、出来れば避けさせて下さい」
そう答えれば、我々のような凡人なら、かなり豊かにしてくれるのである。まあ、聖人にはなれないかもしれないがね。

落としたのは金の斧でしたと言ったら、神様は金の斧をくれるかもしれない。少なくとも、そんな小さなことで怒ったりはされない。
しかし、金の斧を持って幸福になれる者もいれば、鉄の斧を持っていれば幸福なのに、金の斧を得たばかりに大きな不幸に見舞われる者もいるのだ。
スーフィー(イスラム教神秘主義)に、こんな言葉がある。
「神様を信頼しろ。だが、驢馬はちゃんとつないでおけ」
驢馬をつなぐのは、神様を疑っているからじゃあない。
うまい酒を飲むためだ。つながなくてもいいなら、酒だって不味いに違いない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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