私は、ノーベル賞もノーベル賞受賞者にも、全く詳しくはないが、好きな受賞者が2人いる。
一人は、アインシュタインで、理由は、賞金全額を前妻に送ったからだ。
別に前妻に要求された訳ではないし、その時既にアインシュタインは再婚していた。
しかし、アインシュタインはお金をあまり必要としていなかったし、収入は誰とでも(明らかな与太郎とも)大らかに分かち合うような人だった。
もっと好きな受賞者は、フランスの作家サミュエル・ベケット(アイルランド出身)だ。
理由は、面倒臭いという理由でノーベル賞授賞式に行かなかったことだ。
ノーベル財団はそう思いたがっているだろうが、多くの人達も、受賞者は喜び勇んで授賞式に行くと思っているのではないだろうか?
私の予想では、少なくとも7割は、ベケットのように、おっくうだと思っているはずだ。
しかし、それなりの賞金も出るし、色々と世間のしがらみもあり、仕方がないと思って行くのだろうと思う。
ベケットは俗説と異なり、特にものぐさという訳ではなく、相当な政治活動家でもあったのだ。
可能性はほぼないが、私がノーベル賞を受賞したら、やはり授賞式には行きたくないだろう。
それは、社員旅行に行きたくないのと同じ程度の理由だ。
飛行機に乗り、ホテルでのんびりする暇もなく行事においまくられ、スピーチ(英語でやるよう期待される)をし、インタビューには作り話で答え、一定のスタイルを強制されるパーティーで疲れ、授賞式のしきたりも学習しないといけない。
面白いはすがなく、苦痛そのものだろう。
私はものぐさな部類ではあるが、1年に一度は初音ミクさんを生演奏で聴きに行く。しかし、ノーベル賞授賞式だけは御免だ。
ただ、もし俳優なら、アカデミー賞やゴールデングローブ賞などを受賞したら必ず授賞式に行くだろう。
でないと、飛び抜けた世界的スターでない限り(おそらく、たとえそうであっても)、よほどうまく後始末ができないと、廃業の可能性が高いだろう。
ノーベル賞受賞者というのは、自分の好きなことを存分にやった人達だし、大半は老人だ。
それでなおかつ名誉を求めたりはしないし、そうでないなら、人生に安らぎはないだろう。
だから、何も知らない子供が、「ノーベル賞を目指します」なんてことを言ったら、せめて、「ノーベル賞ってのは、目指して取った人はいないのだよ」と、一番大事なことを指摘して、諭してあげることだ。
ところが、学校や塾のいい大人が「生徒がノーベル賞を取ることが私達の夢です」と、大嘘(と信じたい)を言ったりするのは、子供達を不幸にすることなのだ。
ノーベル賞を個人で2度受賞したのは、化学者のライナス・ポーリングだけで、実際、彼は素晴らしい研究者であったはずだった。
ところが、生化学者であり、医療研究者を自称しながら、晩年、ビタミンの過剰摂取を勧める活動に血道を上げるという、おかしな方向に行ってしまったのは、ノーベル賞の、そして、1つは平和賞であったことが影響しているような気がするのである。
ただ、やはり彼は偉大な化学者で、そして、分かり易い、良いテキストを書く人だったようだ。
ノーベル賞授賞式について聴いたなら、考えなければならないこと、言わなければならないことは、上に書いたようなことである。
この認識を持てないなら、地球人は宇宙のステージに上がれない。
もし人類が望ましい進歩をするなら、一切の賞は確実になくなる。
それでいて、真に優れた科学技術が発展し、芸術は大きく花開くであろう。
少なくとも、「私には世間の報奨は必要ない」と言い切ることだ。
そうすれば、必要なものは自動的に得られるようになるだろう。
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一人は、アインシュタインで、理由は、賞金全額を前妻に送ったからだ。
別に前妻に要求された訳ではないし、その時既にアインシュタインは再婚していた。
しかし、アインシュタインはお金をあまり必要としていなかったし、収入は誰とでも(明らかな与太郎とも)大らかに分かち合うような人だった。
もっと好きな受賞者は、フランスの作家サミュエル・ベケット(アイルランド出身)だ。
理由は、面倒臭いという理由でノーベル賞授賞式に行かなかったことだ。
ノーベル財団はそう思いたがっているだろうが、多くの人達も、受賞者は喜び勇んで授賞式に行くと思っているのではないだろうか?
私の予想では、少なくとも7割は、ベケットのように、おっくうだと思っているはずだ。
しかし、それなりの賞金も出るし、色々と世間のしがらみもあり、仕方がないと思って行くのだろうと思う。
ベケットは俗説と異なり、特にものぐさという訳ではなく、相当な政治活動家でもあったのだ。
可能性はほぼないが、私がノーベル賞を受賞したら、やはり授賞式には行きたくないだろう。
それは、社員旅行に行きたくないのと同じ程度の理由だ。
飛行機に乗り、ホテルでのんびりする暇もなく行事においまくられ、スピーチ(英語でやるよう期待される)をし、インタビューには作り話で答え、一定のスタイルを強制されるパーティーで疲れ、授賞式のしきたりも学習しないといけない。
面白いはすがなく、苦痛そのものだろう。
私はものぐさな部類ではあるが、1年に一度は初音ミクさんを生演奏で聴きに行く。しかし、ノーベル賞授賞式だけは御免だ。
ただ、もし俳優なら、アカデミー賞やゴールデングローブ賞などを受賞したら必ず授賞式に行くだろう。
でないと、飛び抜けた世界的スターでない限り(おそらく、たとえそうであっても)、よほどうまく後始末ができないと、廃業の可能性が高いだろう。
ノーベル賞受賞者というのは、自分の好きなことを存分にやった人達だし、大半は老人だ。
それでなおかつ名誉を求めたりはしないし、そうでないなら、人生に安らぎはないだろう。
だから、何も知らない子供が、「ノーベル賞を目指します」なんてことを言ったら、せめて、「ノーベル賞ってのは、目指して取った人はいないのだよ」と、一番大事なことを指摘して、諭してあげることだ。
ところが、学校や塾のいい大人が「生徒がノーベル賞を取ることが私達の夢です」と、大嘘(と信じたい)を言ったりするのは、子供達を不幸にすることなのだ。
ノーベル賞を個人で2度受賞したのは、化学者のライナス・ポーリングだけで、実際、彼は素晴らしい研究者であったはずだった。
ところが、生化学者であり、医療研究者を自称しながら、晩年、ビタミンの過剰摂取を勧める活動に血道を上げるという、おかしな方向に行ってしまったのは、ノーベル賞の、そして、1つは平和賞であったことが影響しているような気がするのである。
ただ、やはり彼は偉大な化学者で、そして、分かり易い、良いテキストを書く人だったようだ。
ノーベル賞授賞式について聴いたなら、考えなければならないこと、言わなければならないことは、上に書いたようなことである。
この認識を持てないなら、地球人は宇宙のステージに上がれない。
もし人類が望ましい進歩をするなら、一切の賞は確実になくなる。
それでいて、真に優れた科学技術が発展し、芸術は大きく花開くであろう。
少なくとも、「私には世間の報奨は必要ない」と言い切ることだ。
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