ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

サイボーグ009

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

「今」に参入し万能エネルギーと一体化する秘密訓練

米国大統領は「核のフットボール」を常に持ち運んでいる(実際は担当官が持つ)。
「核のフットボール」とは、大統領が核攻撃を指示するプロセスを開始するための各種ツールが収められたブリーフ・ケース(カバン一般を意味するが、なぜか日本語では「書類カバン」)だ。
いわゆる「核のボタン」とも言われるが、核攻撃のためには、複数の指揮官を経由するプロセスが必要なので、大統領がボタンを押したり、「やれ」と命じるだけでは実際の核攻撃は開始されない。
ただ、これは米国の場合で、核保有国であるイギリス、フランスも似たようなものと思うが、米国の5千数百の核弾頭に対し、6千以上を持つと言われるロシアや、数百と言われる中国のことは、一般には分からないのだと思う。

1960年代のアニメ『サイボーグ009』の中で、米国だったかどうか知らないが、大統領が、核ミサイル発射ボタンを押そうとする場面があった。ここでは、大統領がボタンを押せば、ただちにミサイルが発射される設定だったのだと思う。
『サイボーグ009』のリメイク版映画である2012年の『009 RE:CYBORG』では、現代的に、複数の発射プロセスが必要となり、オバマ大統領に似せた(背の高い黒人の)米国大統領が、核ミサイル発射を指示したのだと思うが、ミサイル発射まで一定の時間を必要としたが、核ミサイルは発射される。
その、古い方の『サイボーグ009』では、大統領は平然と核ミサイルの発射ボタンを押すのではなく、大変な緊張と葛藤をすることが描かれていた。
当然である。自分がボタンを押すことで、とんでもない数の人間が死に、放射能汚染も引き起こすのだから、その緊張、葛藤は最大に描く必要があるだろう。
それで、私は考えたのだ。
そんな恐ろしいボタンを押す人物に自分がなり、今まさにボタンを押そうとする時のことを。
子供の時のことであったから、不謹慎なことは多少大目に見たいが、その時の気分は、「これほど興奮することはない」もので、「今が本当にその時なんだ。自分がそのボタンを押そうとしているのだ」と思い込むほど高揚感が高まったが、「人を殺す」という意識ではなく、「地球を消滅させる」というイメージを持っていた。
いや、たとえ生物はいなくても、どこかの惑星1つを消滅させると思うと、やはり、興奮度は最大になる(いや、不謹慎なのは分かる)。
そのボタンを今や押そうとする時、心の中で何が起こっているかというと、「今」に強力に集中しているのである。
言い換えれば、これまでになかったほど「今」を意識しているのだ。
私は、この興奮が忘れられず(笑)、この興奮を引き起こすことを考え付いた。
たとえば、熱心に時間をかけて、紙に絵を描いたら、自分としては最高の出来となって満足感を覚え、その絵を大切に思ったとする。
その絵を破くのである。
その絵が描かれた紙を掴み、今まさに破こうとする時、心で「さあ、破くぞ、破くぞ!」と唱えると、どんどん高揚感が高まる。
これだ、この気分だ(笑)。
他にも、大切な物を2階の窓から落とす(落としたら完全に壊れる)なども有効だった。

実際は、そういった破壊的な目的を持って「今」に集中することには悪い作用もあるが、そうやって、「今」に集中する感覚を身に付けることには意味があると思う。
そして、長じるに従って、困難な選択を行うことがあり、それを、勇気と責任感を持って行う時、やはり、あの時のような「今」に集中する高揚感を感じた。ただし、そこには余計な興奮感はなく、「生の実感」「命のさざめき」を感じるのである。

核ミサイルや、惑星消滅を起こすボタンではない、もっと建設的な空想のボタンを考え、「今」に集中するシミュレーション(模擬実験、模擬訓練)を行ってみると、「今」の感覚を掴めると思う。
そして、「今」を自在に感じられるようになれば、もう魔法使いと言って差し支えない。
「今」の中に万能の宇宙エネルギーがあり、そこに意識を集中させることで、我々はそのエネルギーと一体化するのであるからだ。
さっき、建設的な空想のボタンと言ったが、それは必ずしも楽しいものではなく、痛みを伴う場合が圧倒的に多い。
たとえば、愛する人の命を救うため、その愛する人と永遠に別れるボタンなど、なかなか良い。そういった、痛みを伴うものでなければ訓練にならず、その痛みは大きいほど速く上達する。
これが魔法の訓練の奥義である。
私は昔、相当な年配の人から、軍の中でも秘密組織に属するところで行われていた特殊訓練を、その人は、あの中村天風と一緒にやったという話を聞いたことがある。
上にあげた訓練にも、そのエッセンスが含まれている。








無敵の力の単純な使い方

『サイボーグ009』は、1964年に、26歳だった石ノ森章太郎が連載を開始し、石ノ森は1998年に60歳で癌で亡くなるが、『サイボーグ009』はいまだ新作が作られ、おそらく、今後もそうだろうと思う。
ところで、漫画の『サイボーグ009』は、ある時以降、それ以前と、明らかな断絶がある。
実際に、一時、連載が休止されているのだが、連載休止の理由に関し、石ノ森は「作者も登場人物も疲れた」と書いていたが、同時に、「今後の構想が大きくなり過ぎ、いったん練り直したい」といったことも述べていたように思う。
だが、その後、再開された作品は、どこか単発的な雰囲気であった。
が同時に、再開された作品は、大きな展開へのオーバーチュア(序曲)のようにも見えた。
そして、結局、石ノ森は『サイボーグ009』を完成させることが出来なかった。
癌で入院し、医者が「生きているのが不思議」というほどの状態で、病室で小説の形で執筆していたが、ついに、途中で命尽きる。
残された膨大な原稿は乱雑なものであったが、石ノ森の息子の小野寺丈氏が5年をかけて3巻の小説作品に構成し、2012年に『サイボーグ009 完結編 2012 009 conclusion GOD'S WAR』として発表した。その中で、やむなく小野寺氏が補完、あるいは、まるまる一章を新規に書いたりもしている。

『サイボーグ009』の漫画連載が休止になる時、作品は大変な状況になっていた。
太古の地球にやってきた、究極の進化を遂げた生命体である「神」は、この地球上に人類を創造した。
そして、人類の進化の様子を見ようと、1975年頃の地球に戻ってきたが、人類の出来があまりに悪く失望したので、「神」は、現在の人類をいったん消去し、新しく作り直すことにした。
それを知った、9人のサイボーグ戦士達と、その生みの親であるギルモア博士は苦悩する。
「神」がそう決めたからには、どうしようもなかった。
だが、結論として、サイボーグ戦士達は「神」と戦うことを決意する。
とはいえ、それは、宇宙船をハエが止めようとするような戦いで、「戦い」というよりは「レジスタンス(抵抗)」であるが、現実には、抵抗にもならないに違いない。
その中で、人類最高の頭脳を持つ超能力戦士である001が、サイボーグ戦士達に、「きみ達に新しい力をつけてあげる」と言うところで話は終わっている。
その新しい力が何かは、2012年の小野寺氏の小説で初めて明かされる。
009が、1柱の女神と初めての戦った時のことだ。
009は女神に挑んだが、サイボーグ戦士最強の009とはいえ、相手は神であり、戦いになるはずがない。
009が誇る加装置による高速移動も、女神には止まっているに等しい。
ところが・・・
女神が驚くのである。
なんと、女神が009の動きを追えないのだ。
これが新しい力で、やがて、全てのサイボーグ戦士達が、この「新しい力」を使うようになる。

「新しい力」とは、人間のいかなる力・・・肉体、精神、あるいは、メカニックであろうが、その力を拡張するのである。
それは、「シンギュラリティ」の提唱者であるレイ・カーツワイルによれば、テクノロジーの発達によって可能になる。
だが、人間の神秘の生命エネルギーは、それを瞬時に行う。
多くの人は、まさに漫画のような話と思うだろうが、私は全くそうは思わない。
なぜなら、この世界は、幻想、あるいは、仮想世界なのであり、人間の心が創造するものだからだ。
人類を創った「神」にも、その上位の存在がいると推測出来るが、その上位の存在が設定した力なのかもしれない。
実際、部分的ではあるが、その「新しい力」を私だって使える。
そのことを、この『サイボーグ009』で思い出したのである。
その力をどうやって使うのかというと、単に、「使いたいな」と思うだけである。
確かに、想像力の限界を超えた力は使えない。しかし、心を広げれば、力も広がる。
この力を使うのに、何の宗教も教義も寄付も要らない。むしろ、それらは力を抑えるものである。
だいたい、人間というのは、素直に、ちょっとしたトキメキと情熱を持って「やりたいな」と思ったことは何でも出来ることは、誰でも知っているはずなのだ。
ただ、あくまで、「素直な」「ちょっとしたトキメキと情熱」であることを忘れてはならない。








持たざる者が勝つには

高校サッカーの屈指の名門校でも何でもない普通の高校のサッカー部で熱心に練習していても、プロサッカー選手にはなれない。
普通の高校で試験勉強を頑張っている程度では一流の科学者になどなれない。
音大や芸大に入って、普通に励んでも、音楽家や画家にはなれない。
特に恵まれた環境にいない者が高い位置に昇ることは難しい。
それほど高度な話ではなくても、何の特技もないサラリーマンが、弁護士や経営者やIT技術者になろうとしても、若くても難しいし、年齢が高いほど厳しいだろう。

どうすれば、望む自分になれるのだろうか?
これについて、私は、僅か100円の電子書籍ながら貴重な対談書である『大企業の時代は終わったか』(PHP研究所。2013年)に注目したことがある。
現在は、KADOKAWAやドワンゴの社長を務める夏野剛氏と、当時も現在もチームラボの社長である猪子寿之氏の対談である。
この中で、簡単に言えば、天才と言われる猪子氏が、
「天才はいない。人間が生まれ持った能力に差はない。結果を決めるのは、かけた時間の差だけ。ドラフト上位でなかったイチローがメジャー屈指の選手になれたのは、誰よりも長時間練習したから」
と述べている。
また、『村上龍と坂本龍一 21世紀のEV.Cafe』の中で、村上龍氏は、坂本龍一氏について、
「今日の坂本があるのは、才能ということもあるが、3歳の時からピアノをみっちり弾いたからだ」と述べ、何ごとも10年、懸命にやれば実力がつくのだと力説する。

猪子氏や村上氏の論には、ある程度賛成であるが、特別な位置を求める普通の人には、あまり意味はない。

そこで、もう1つの視点を導入する。
プロレスがショーであることは既に知られているが、とはいえ、実際に強くなくては高位に行けない。
その中で、プロレス史上最高のレスラーと言われるのがルー・テーズだったが(異論はある)、テーズがこんなことを自伝に書いていたことを重要に思った。
「一つだけ技を挙げろと言われればダブル・リストロック」
ダブル・リストロックは、見かけは地味な関節技である。だが、この技の達人であったから、テーズは「地上最強の鉄人」と言われるようになれたのだ。
テーズの場合はオールマイティーであったが、世の中には、その業界で特に実力があるわけではないが、何か1つ、飛び抜けた特技があるためにトップの地位にいる者がいるものだ。
野球で言えば、他にはさしたる能力はないが、ナックルボールという変化球が滅茶苦茶上手くて、メジャーでトップクラスの投手になった選手もいる。
もちろん、こういった特殊な特技を磨くにも時間はそれなりにかかるが、それほどでもない場合も多く、驚くべき少ない時間で達成した者も、実際は少なくない。
システムエンジニア・プログラマーの世界でも、JavaもPythonも出来ないし、OSやネットワークにも詳しくはないが、Excel VBAやAccess VBAがやたら上手くて、悪くない位置にいる者を私は知っている(他にも、少ないが、MAGICやClaris FileMakerの場合もある)。
彼らの多くは、それほど修行したわけではない。
彼らに比べれば、私などは器用貧乏に思えてくるのだ。

だが、どんな特技を持つべきか選ぶのは難しい。
そして、分かってきたことは、そんなこと(どんな特技を選ぶか)は、考えたって分からないということだ。
ほとんどの場合は、本人からすれば、偶然にそれに導かれたと感じているのである。
そんな「斜め上」の力を持つ者は、偶然にそれを得たように見えても、やはり、共通点があるのだ。
それが何か、なかなか上手く言えないが、敢えて言えば、どこかピュア(純粋)なのである。
それにより、幸運に恵まれる精神特性を持っているのだと思えるのである。
高慢ではなく、愚直で、こだわりがなく、それでいて、自分の正義を強く持っている。
モーリス・ルブランやコナン・ドイルは、アルセーヌ・ルパンやシャーロック・ホームズを、商売上の理由から人気者にしようとしたのも確かだが、彼らの天才的な感性は、そのためには、それらの登場人物に高潔さが必要であると気付いたのだと思う。そして、彼らは、ルパンやホームズに、優れた精神性を持たせ、結果、これらの架空の人物達は世界的ヒーローになった。
私は、石ノ森章太郎氏の『サイボーグ009』が歴史的な作品になったのも、漫画としての面白さと共に、主人公の009こと島村ジョーの崇高な人柄があったからだと思う。このジョーの性質こそ、幸運を呼ぶものではないかと思う。それは、派生作品や、石ノ森氏の息子の小野寺丈氏が引き継いだ作品にも明確に認められると思う。
後、愚直に腕振り運動を続ければ、そんな性質を持てるのではないか・・・と私は期待している(笑)。








神とは何か?

インドでは、神のことを「彼」と言うことが多いように思う。
「彼」ではなく、「それ」と言うこともある。
つまり、「彼」とか「それ」という言葉を、文脈によって神と認識する。
例えば、「私は彼である」(あるいは「私はそれである」)と言う場合、「私は神である」という意味になる。
なぜ、そんな言い方をするようになったのかというと、「神」という言葉を直接言うことを畏(おそ)れ多いと考えたからかもしれない。
ユダヤ教やキリスト教においては、「神の名をみだりに唱えてはならない」として、神の名であるヤーウェ(ヤハウェ)を口に出して言わないようにしているらしい。
それで、聖書には、「御名を崇めよ」とか「彼(これは人間)は私の名を知るがゆえに彼を守る」というふうに、神の名を伏せて書くが、これもやはり、神の名であるヤーウェを直接口に出して言うことが畏れ多いからではないかと思う。

ところで、故・石ノ森章太郎氏は、代表作『サイボーグ009』において、ある時期から、ヒーロー達であるサイボーグ戦士達の最大の敵を神とすることに強いこだわりを持っていたと思う。
『サイボーグ009』が長い連載の後、休止となる前に、サイボーグ戦士達、そして、人類の前に神は姿を現す。
その神は、はるかな昔、地球に人類を科学的に作ったが、しばらく振りに地球に来て確認したら、あまりに人類の出来が悪いので、滅ぼして、もう1回作り直すと言う。
サイボーグ戦士達と神では、力の差が大き過ぎ、抗いようもないことは分かっているが、サイボーグ戦士達は神に戦いを挑むことを決心する。
勝ち目はゼロなので、戦いというよりは抵抗に過ぎないが、とにかく、人類のリセット計画など認めないと決めたのだった。
まあ、現代(2022年)の状況を見たら、「人類リセット、大歓迎!」と言いたくもなるが(笑)、当時(1970年代)はそうでもなかったのだろうか・・・?
『サイボーグ009』の連載休止前、神との戦いを決心したサイボーグ戦士達に、サイボーグ戦士の1人でもある001ことイワンが、「君達に新しい力をつけてあげる」と言って終わる。

その後、石ノ森氏は、『サイボーグ009』の連載を再開し、神との戦いをぼんやりとした感じで描くが、連載休止最後のところの直接の続編は書かなかった。
その頃、スタートした第2期のアニメ『サイボーグ009』では、石ノ森氏が主題歌を作詞するなどでも関わり、このアニメでは神との戦いをテーマにしてはいたが、やはり連載休止最後の続きとは程遠いものだった。
しかし、石ノ森氏は、神との戦いの本格的な続編は書く気十分で、ライフワークとして作ろうと考えていたと思われるが、悪性リンパ腫(血液の癌)に侵される。
生きているのが奇跡と医者が言う病状の中、石ノ森氏は、サイボーグ戦士達と神との戦いを小説として執筆するが、未完成のまま没する。
残された原稿は、とても1本の作品としてのまとまりはなかったが、石ノ森氏の息子の小野寺丈氏(現在は「丈」)が数年をかけて作品にまとめ、『サイボーグ009 完結編 conclusion god’s war』全3巻の小説として出版した。
章によっては、石ノ森氏は全く書いておらず、丈氏(当時は小野寺丈氏)が丸ごと書いたことを認めている。

結局は、『サイボーグ009 完結編 conclusion god’s war』は未完であったと思うが、これが出版されたことで、石ノ森氏の意思は受け継がれたのだと思う。
そして、制作された、2012年の『009 RE:CYBORG』は、私はかなり素晴らしかったと思う。
この作品では、神を自然に「彼」と違和感なく呼ぶことが出来たと思う。
「彼の声」を聴いたという、ごく少数の人々が、世界中で爆破テロを起こし、世界に混乱が広がる。
そして、27年間、高校生活を繰り返していた009こと島村丈も「彼の声」を聴き、それが正しいこととして、自分も六本木ヒルズの爆破計画を実行しようとするが、別の「彼の声」を聴いた人物によって先を越され(六本木ヒルズを爆破され)残念がる。
とはいえ、009が邪悪になったのではなく、彼は「彼の声」に従って、人類をやり直す計画を進めようとしたのだった。
まさに、石ノ森氏の連載休止時の続編として成り立つように思えた。
この「彼の声」の「彼」は、やはり「神」であるが、神とは何かを、断定はしないながら、自然に示せていたと思う。
そういうところからも、やはり、なかなかの傑作であると思う。
演出も面白かった。
神が善であるのか悪であるのかも、良い形で示唆出来たと思う。
まあ、個人的には、ジョーとフランソワの愛情表現は、悪くはないが、やや邪魔な感じもしないではなかった。
2人が愛し合っていることには、もちろん異論はないが、宮崎駿監督ほどではなくても(『天空の城ラピュタ』では、パズーとシータの愛情表現シーンは全く描かなかったが、宮崎監督は「あって当たり前」と言う)、あまり直接描かず、デリケートな表現にして欲しかった。
私は『009 RE:CYBORG』は10回ほど見たが、最近も2回見ている。








無敵の加速能力を簡単に得る

人間の最高の能力が「加速能力」であることに最初に気付いたのは、SF史上最高であるだけでなく、カーツ・ヴォネガットやコリン・ウィルソンという現在の米英を代表する思想作家とも言える巨匠達が、作家としても最高と言うH.G.ウェルズだった。
ウェルズは、『新加速剤』という作品で、人間の精神・身体の活動速度を数百倍化する架空の薬品を登場させ、それを使った人間が、いかに強者であり、あらゆる戦いに勝利出来るかを示した。
『サイボーグ009』で有名になった「加速装置」は、この『新加速剤』の加速剤の効果と全く同じで、石ノ森章太郎氏は、『新加速剤』をヒントにしたのかもしれないが、天才、石ノ森章太郎のことだから、独自に考えたのかもしれない。

『シティ・ハンター』のヒーロー、冴羽獠(さえばりょう)や、『MADLAX』のヒロイン、マドラックスらが、飛んでくる銃弾を楽々交わして見せるが、彼らには銃弾がゆっくり飛んで来るように見えるのである。つまり、精神と身体が加速し、超高速化しているのである。
実際に弾丸を交わせた人間には、合気道家の植芝盛平がいた。
彼が実際に、どんなふうに弾丸を交わしていたのかは分からないが、彼の場合は、弾丸が飛んでくる軌跡が見えたという話があるが、たとえ、そんなものが見えたとしても、精神や身体が加速しないと、見えただけで交わすことは出来ないだろう。
植芝盛平は、当時の名ボクサーだった、ピストン堀口とスパーリングし、堀口のパンチを掴み取ったところから、やはり、「加速していた」のだと思われるのだ。

さて、加速能力を得る簡単な訓練は、2つある。
1つは、紙の本を高速でめくるのである。
ただし、1ページ1ページめくるのではない。
本1冊、一気にめくるのである。
つまり、親指で、本の背の反対側(小口とか前小口と呼ばれる部位)を押さえ、そのまま、一気に指を滑らせる感じである。
縦書きの本の場合は、左手の親指を小口に当て、その親指を左側に滑らせて、本1冊の全ページをぴゅっと一気にめくるのである。
ゆっくりめくるのではない。なるべく速く、びゅっとめくるのだ。
当然、中身を読むことは出来ない。
また、無理に読もうとしてはならない。
ただ、高速で流れるページを見るのである。
川村明宏氏の本で、このやり方を速読法として紹介していて、実際、これをやっていると速読が出来るようになるようだ。

もう1つの方法は、頭の中で数字を数えるのである。
頭の中で、「いち、にー、さん、・・・」と数字を数え、初めのうちは100までを、慣れてきたら、1000までを1セットとする。
なるべく高速に数えるのだが、それだけ聞くと、皆、頭の中でいい加減に数えてしまう。
そうではなく、正確に数えるのである。
「256(にひゃくごじゅうろく)」と正確に頭の中で唱える。
顔を真っ赤にしたり、しかめたりして、必死で速く数えるのではない。
ただ、速く数えることを意識するだけだ。
すると、正確に数えていながら、超高速で数えることが出来るようになる。
この時、精神は加速しており、身体もそれに引っ張られて加速する。

単に、速く動くものを見るだけでも良い。
昔の野球選手(長嶋茂雄氏もやったという話を見た覚えがある)がよくやったのは、走っている電車の中から、線路を支える枕木を見ることだ。
おそらく、電車の後ろの窓から見たのではないかと思うが、最初は、見えない枕木が、一月もすれば見えるようになるらしい。
すると、ピッチャーが投げる球がはっきり見えるようになるし、一流になれば、ボールの縫い目まで見えるようだ。
いや、単に、立てた人指し指を左右に素早く動かし、それを見るだけでも良い。
他にも、いろいろ考えられると思う。
とはいえ、さっき述べた2つの方法が優れていると思う。

私は、上に挙げたような訓練をやっていたので、こんな面白いことがあった。
カラスが飛んでくると、私の精神的な加速装置のスイッチが入り、飛んでいるカラスがスローモーションに見えた。
カラスの羽の動きや、筋肉の動きまで鮮明に見え、それは非常に美しくて感動的だった。
武道の達人と戦ったところで、加速出来るなら素人が余裕でさばける。
相手がスローモーションで動いているのも同然なのだから当然だ。
ただし、見世物にしようという気持ちや、我欲でやれば、加速出来ない。
理想的には無になることだが、考えないこと、頭の中でおしゃべりをしないことが必要である。
仙道家の高藤総一郎氏は、頭の中のおしゃべりを止めるだけで速読が出来るといったことを、本に書かれていたと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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