ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

サイボーグ009

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

速さは力

スポーツの中でも、特に格闘技において有利な条件に、大きさ、力の強さ、上手さ、そして、速さがある。
あるレベルまでは、大きさ、力の強さ、上手さが有効だが、これらは、ある限度以上になると、役に立たなかったり、逆に不利になったりする。
しかし、速さは無限の価値を持つ。

1960年代から始まり、いまだ人気がある漫画・アニメの『サイボーグ009』では、加速装置を持っていて最も速い009が最大の力を持つ。
009が加速装置を使うと、009にとって周囲の動きがスローモーションに見える。
これほど力になることはない。
この「加速すれば周囲がスローモーションに」は、イギリスの作家H.G.ウェルズの1901年の短編『新加速剤』で語られた概念で、加速することの高いメリットを示している。『サイボーグ009』の加速装置も、このアイデアを利用したのかもしれない。

政木和三さんは脳波をシータ波にすることで1万倍加速すると言い、これで思考も1万倍加速して数多くの発明を行い、いろいろな奇跡現象を起こしたと言う。
ただ、眠ったら誰でも脳波はシータ波になるが、そうではなく、意識があるまま脳波をシータ波にすることが必要だ。
超高度な将棋棋士は、対局中に脳波がシータ波になるという話があるが、思考が加速されていると考えれば、その強さが説明出来る。

頭の中で数を1から100までなるべく速く数えることを繰り返す知能向上のトレーニングがあるが、あまり知られていない。
初めは、ほとんどの人があまり速く数えることが出来ないが、訓練を重ねるうちに、数十倍、数百倍の速さで数えられるようになり、それに伴い思考スピードが向上する。
スパーラーニングもだが、こんな本当に効果があり、しかも簡単に出来る訓練は世の中から消えていく。
教育企業にしてみれば、こんなことを知られたらビジネスにならないし、支配者層からすれば凡民の能力が上がっては都合が悪いので、強引に消してしまうのかもしれない。
それで、関連の書籍は絶版になるが、やはり価値があるのか古書は高価だ。

運動でも、速さが力になることが多い。
ここでよくご紹介する、佐川幸義流四股は、佐川幸義の弟子でも、スローな四股を行う者が多いように思う。
しかし、佐川は非常に高速に行っていたという話がある。ただし、佐川は四股を踏むところを人に見せなかったので、本当のことは分からない。
だが、私は、やはり佐川は非常に高速に四股を踏んでおり、それが強さの秘密で、それを秘法にしていたのだと思う。
佐川の弟子の中には、四股の際、足をほとんど踵を上げるだけで行っていたという者がいるが、その者は、佐川も同じようにやっていたのではと推測している。
私もそう思うし、私もほとんど踵を上げるだけで(実際は微かにつま先も上がる)、高速に四股を踏んでいたら、身体能力が非常に向上した。

腕立て伏せも、教科書的な教え方をする者は「床に胸がつくギリギリまで腕を曲げ、ゆっくりと腕が伸びきるまで伸ばす」ことを金科玉条とするが、実際に優れたアスリートや武道家、ダンサーには、小さな振幅で高速に行う者が多い。
私も小さな振幅で高速に行っているが、このやり方は何より気持ちいいので、やりたくて仕方がなく、楽に続けられるのである。
そして、効果も抜群である。
私の場合、一度には、回数は、ちょっとしんどいと感じる80~100回くらいで行っている。

腕振り運動も、振り幅を小さくし、少し速めに行うようにすれば気持ちいいし効果が上がると思う。ただし、あまり速くしようとしてもいけない。あくまで、快適で気持ちいい範囲で行うが、慣れてきたら自然に、相当な速さで行うようになる。

妖かしの娘
AIアート490
「妖かしの娘」
Kay


私は、子供の時読んだ『タイガーマスク』というプロレス漫画で、妙に憶えている場面がある。
プロレスでは、倒れた相手を高速で踏みつける攻撃をマシンガンキックと言うことがあるようだ。
タイガーマスクの試合を会場で見ていた闇のプロレス組織のエージェントであるミスターXがこんなことを考える。
「マシンガンキックを1秒に2発蹴れれば一流だが、タイガーマスクは5発蹴る」
実際のプロレスやマシンガンキックがどうのではなく、この言葉で表現される能力に私はしびれた。
そして、直観的に速さは力であると感じた。
しかし、学校のスローさを強要する教育で忘れてしまったのだが。

上にあげたような方法で速さを磨けば強くなり、超人になるだろう。

◆当記事関連書籍のご案内◆
(1)月刊 秘伝 2022年 03月号 [雑誌]
(2)タイム・マシン 他九篇(岩波文庫)
(3)この世に不可能はない―生命体の無限の力
(4)サイボーグ009(1)

「今」に参入し万能エネルギーと一体化する秘密訓練

米国大統領は「核のフットボール」を常に持ち運んでいる(実際は担当官が持つ)。
「核のフットボール」とは、大統領が核攻撃を指示するプロセスを開始するための各種ツールが収められたブリーフ・ケース(カバン一般を意味するが、なぜか日本語では「書類カバン」)だ。
いわゆる「核のボタン」とも言われるが、核攻撃のためには、複数の指揮官を経由するプロセスが必要なので、大統領がボタンを押したり、「やれ」と命じるだけでは実際の核攻撃は開始されない。
ただ、これは米国の場合で、核保有国であるイギリス、フランスも似たようなものと思うが、米国の5千数百の核弾頭に対し、6千以上を持つと言われるロシアや、数百と言われる中国のことは、一般には分からないのだと思う。

1960年代のアニメ『サイボーグ009』の中で、米国だったかどうか知らないが、大統領が、核ミサイル発射ボタンを押そうとする場面があった。ここでは、大統領がボタンを押せば、ただちにミサイルが発射される設定だったのだと思う。
『サイボーグ009』のリメイク版映画である2012年の『009 RE:CYBORG』では、現代的に、複数の発射プロセスが必要となり、オバマ大統領に似せた(背の高い黒人の)米国大統領が、核ミサイル発射を指示したのだと思うが、ミサイル発射まで一定の時間を必要としたが、核ミサイルは発射される。
その、古い方の『サイボーグ009』では、大統領は平然と核ミサイルの発射ボタンを押すのではなく、大変な緊張と葛藤をすることが描かれていた。
当然である。自分がボタンを押すことで、とんでもない数の人間が死に、放射能汚染も引き起こすのだから、その緊張、葛藤は最大に描く必要があるだろう。
それで、私は考えたのだ。
そんな恐ろしいボタンを押す人物に自分がなり、今まさにボタンを押そうとする時のことを。
子供の時のことであったから、不謹慎なことは多少大目に見たいが、その時の気分は、「これほど興奮することはない」もので、「今が本当にその時なんだ。自分がそのボタンを押そうとしているのだ」と思い込むほど高揚感が高まったが、「人を殺す」という意識ではなく、「地球を消滅させる」というイメージを持っていた。
いや、たとえ生物はいなくても、どこかの惑星1つを消滅させると思うと、やはり、興奮度は最大になる(いや、不謹慎なのは分かる)。
そのボタンを今や押そうとする時、心の中で何が起こっているかというと、「今」に強力に集中しているのである。
言い換えれば、これまでになかったほど「今」を意識しているのだ。
私は、この興奮が忘れられず(笑)、この興奮を引き起こすことを考え付いた。
たとえば、熱心に時間をかけて、紙に絵を描いたら、自分としては最高の出来となって満足感を覚え、その絵を大切に思ったとする。
その絵を破くのである。
その絵が描かれた紙を掴み、今まさに破こうとする時、心で「さあ、破くぞ、破くぞ!」と唱えると、どんどん高揚感が高まる。
これだ、この気分だ(笑)。
他にも、大切な物を2階の窓から落とす(落としたら完全に壊れる)なども有効だった。

実際は、そういった破壊的な目的を持って「今」に集中することには悪い作用もあるが、そうやって、「今」に集中する感覚を身に付けることには意味があると思う。
そして、長じるに従って、困難な選択を行うことがあり、それを、勇気と責任感を持って行う時、やはり、あの時のような「今」に集中する高揚感を感じた。ただし、そこには余計な興奮感はなく、「生の実感」「命のさざめき」を感じるのである。

核ミサイルや、惑星消滅を起こすボタンではない、もっと建設的な空想のボタンを考え、「今」に集中するシミュレーション(模擬実験、模擬訓練)を行ってみると、「今」の感覚を掴めると思う。
そして、「今」を自在に感じられるようになれば、もう魔法使いと言って差し支えない。
「今」の中に万能の宇宙エネルギーがあり、そこに意識を集中させることで、我々はそのエネルギーと一体化するのであるからだ。
さっき、建設的な空想のボタンと言ったが、それは必ずしも楽しいものではなく、痛みを伴う場合が圧倒的に多い。
たとえば、愛する人の命を救うため、その愛する人と永遠に別れるボタンなど、なかなか良い。そういった、痛みを伴うものでなければ訓練にならず、その痛みは大きいほど速く上達する。
これが魔法の訓練の奥義である。
私は昔、相当な年配の人から、軍の中でも秘密組織に属するところで行われていた特殊訓練を、その人は、あの中村天風と一緒にやったという話を聞いたことがある。
上にあげた訓練にも、そのエッセンスが含まれている。








無敵の力の単純な使い方

『サイボーグ009』は、1964年に、26歳だった石ノ森章太郎が連載を開始し、石ノ森は1998年に60歳で癌で亡くなるが、『サイボーグ009』はいまだ新作が作られ、おそらく、今後もそうだろうと思う。
ところで、漫画の『サイボーグ009』は、ある時以降、それ以前と、明らかな断絶がある。
実際に、一時、連載が休止されているのだが、連載休止の理由に関し、石ノ森は「作者も登場人物も疲れた」と書いていたが、同時に、「今後の構想が大きくなり過ぎ、いったん練り直したい」といったことも述べていたように思う。
だが、その後、再開された作品は、どこか単発的な雰囲気であった。
が同時に、再開された作品は、大きな展開へのオーバーチュア(序曲)のようにも見えた。
そして、結局、石ノ森は『サイボーグ009』を完成させることが出来なかった。
癌で入院し、医者が「生きているのが不思議」というほどの状態で、病室で小説の形で執筆していたが、ついに、途中で命尽きる。
残された膨大な原稿は乱雑なものであったが、石ノ森の息子の小野寺丈氏が5年をかけて3巻の小説作品に構成し、2012年に『サイボーグ009 完結編 2012 009 conclusion GOD'S WAR』として発表した。その中で、やむなく小野寺氏が補完、あるいは、まるまる一章を新規に書いたりもしている。

『サイボーグ009』の漫画連載が休止になる時、作品は大変な状況になっていた。
太古の地球にやってきた、究極の進化を遂げた生命体である「神」は、この地球上に人類を創造した。
そして、人類の進化の様子を見ようと、1975年頃の地球に戻ってきたが、人類の出来があまりに悪く失望したので、「神」は、現在の人類をいったん消去し、新しく作り直すことにした。
それを知った、9人のサイボーグ戦士達と、その生みの親であるギルモア博士は苦悩する。
「神」がそう決めたからには、どうしようもなかった。
だが、結論として、サイボーグ戦士達は「神」と戦うことを決意する。
とはいえ、それは、宇宙船をハエが止めようとするような戦いで、「戦い」というよりは「レジスタンス(抵抗)」であるが、現実には、抵抗にもならないに違いない。
その中で、人類最高の頭脳を持つ超能力戦士である001が、サイボーグ戦士達に、「きみ達に新しい力をつけてあげる」と言うところで話は終わっている。
その新しい力が何かは、2012年の小野寺氏の小説で初めて明かされる。
009が、1柱の女神と初めての戦った時のことだ。
009は女神に挑んだが、サイボーグ戦士最強の009とはいえ、相手は神であり、戦いになるはずがない。
009が誇る加装置による高速移動も、女神には止まっているに等しい。
ところが・・・
女神が驚くのである。
なんと、女神が009の動きを追えないのだ。
これが新しい力で、やがて、全てのサイボーグ戦士達が、この「新しい力」を使うようになる。

「新しい力」とは、人間のいかなる力・・・肉体、精神、あるいは、メカニックであろうが、その力を拡張するのである。
それは、「シンギュラリティ」の提唱者であるレイ・カーツワイルによれば、テクノロジーの発達によって可能になる。
だが、人間の神秘の生命エネルギーは、それを瞬時に行う。
多くの人は、まさに漫画のような話と思うだろうが、私は全くそうは思わない。
なぜなら、この世界は、幻想、あるいは、仮想世界なのであり、人間の心が創造するものだからだ。
人類を創った「神」にも、その上位の存在がいると推測出来るが、その上位の存在が設定した力なのかもしれない。
実際、部分的ではあるが、その「新しい力」を私だって使える。
そのことを、この『サイボーグ009』で思い出したのである。
その力をどうやって使うのかというと、単に、「使いたいな」と思うだけである。
確かに、想像力の限界を超えた力は使えない。しかし、心を広げれば、力も広がる。
この力を使うのに、何の宗教も教義も寄付も要らない。むしろ、それらは力を抑えるものである。
だいたい、人間というのは、素直に、ちょっとしたトキメキと情熱を持って「やりたいな」と思ったことは何でも出来ることは、誰でも知っているはずなのだ。
ただ、あくまで、「素直な」「ちょっとしたトキメキと情熱」であることを忘れてはならない。








持たざる者が勝つには

高校サッカーの屈指の名門校でも何でもない普通の高校のサッカー部で熱心に練習していても、プロサッカー選手にはなれない。
普通の高校で試験勉強を頑張っている程度では一流の科学者になどなれない。
音大や芸大に入って、普通に励んでも、音楽家や画家にはなれない。
特に恵まれた環境にいない者が高い位置に昇ることは難しい。
それほど高度な話ではなくても、何の特技もないサラリーマンが、弁護士や経営者やIT技術者になろうとしても、若くても難しいし、年齢が高いほど厳しいだろう。

どうすれば、望む自分になれるのだろうか?
これについて、私は、僅か100円の電子書籍ながら貴重な対談書である『大企業の時代は終わったか』(PHP研究所。2013年)に注目したことがある。
現在は、KADOKAWAやドワンゴの社長を務める夏野剛氏と、当時も現在もチームラボの社長である猪子寿之氏の対談である。
この中で、簡単に言えば、天才と言われる猪子氏が、
「天才はいない。人間が生まれ持った能力に差はない。結果を決めるのは、かけた時間の差だけ。ドラフト上位でなかったイチローがメジャー屈指の選手になれたのは、誰よりも長時間練習したから」
と述べている。
また、『村上龍と坂本龍一 21世紀のEV.Cafe』の中で、村上龍氏は、坂本龍一氏について、
「今日の坂本があるのは、才能ということもあるが、3歳の時からピアノをみっちり弾いたからだ」と述べ、何ごとも10年、懸命にやれば実力がつくのだと力説する。

猪子氏や村上氏の論には、ある程度賛成であるが、特別な位置を求める普通の人には、あまり意味はない。

そこで、もう1つの視点を導入する。
プロレスがショーであることは既に知られているが、とはいえ、実際に強くなくては高位に行けない。
その中で、プロレス史上最高のレスラーと言われるのがルー・テーズだったが(異論はある)、テーズがこんなことを自伝に書いていたことを重要に思った。
「一つだけ技を挙げろと言われればダブル・リストロック」
ダブル・リストロックは、見かけは地味な関節技である。だが、この技の達人であったから、テーズは「地上最強の鉄人」と言われるようになれたのだ。
テーズの場合はオールマイティーであったが、世の中には、その業界で特に実力があるわけではないが、何か1つ、飛び抜けた特技があるためにトップの地位にいる者がいるものだ。
野球で言えば、他にはさしたる能力はないが、ナックルボールという変化球が滅茶苦茶上手くて、メジャーでトップクラスの投手になった選手もいる。
もちろん、こういった特殊な特技を磨くにも時間はそれなりにかかるが、それほどでもない場合も多く、驚くべき少ない時間で達成した者も、実際は少なくない。
システムエンジニア・プログラマーの世界でも、JavaもPythonも出来ないし、OSやネットワークにも詳しくはないが、Excel VBAやAccess VBAがやたら上手くて、悪くない位置にいる者を私は知っている(他にも、少ないが、MAGICやClaris FileMakerの場合もある)。
彼らの多くは、それほど修行したわけではない。
彼らに比べれば、私などは器用貧乏に思えてくるのだ。

だが、どんな特技を持つべきか選ぶのは難しい。
そして、分かってきたことは、そんなこと(どんな特技を選ぶか)は、考えたって分からないということだ。
ほとんどの場合は、本人からすれば、偶然にそれに導かれたと感じているのである。
そんな「斜め上」の力を持つ者は、偶然にそれを得たように見えても、やはり、共通点があるのだ。
それが何か、なかなか上手く言えないが、敢えて言えば、どこかピュア(純粋)なのである。
それにより、幸運に恵まれる精神特性を持っているのだと思えるのである。
高慢ではなく、愚直で、こだわりがなく、それでいて、自分の正義を強く持っている。
モーリス・ルブランやコナン・ドイルは、アルセーヌ・ルパンやシャーロック・ホームズを、商売上の理由から人気者にしようとしたのも確かだが、彼らの天才的な感性は、そのためには、それらの登場人物に高潔さが必要であると気付いたのだと思う。そして、彼らは、ルパンやホームズに、優れた精神性を持たせ、結果、これらの架空の人物達は世界的ヒーローになった。
私は、石ノ森章太郎氏の『サイボーグ009』が歴史的な作品になったのも、漫画としての面白さと共に、主人公の009こと島村ジョーの崇高な人柄があったからだと思う。このジョーの性質こそ、幸運を呼ぶものではないかと思う。それは、派生作品や、石ノ森氏の息子の小野寺丈氏が引き継いだ作品にも明確に認められると思う。
後、愚直に腕振り運動を続ければ、そんな性質を持てるのではないか・・・と私は期待している(笑)。








神とは何か?

インドでは、神のことを「彼」と言うことが多いように思う。
「彼」ではなく、「それ」と言うこともある。
つまり、「彼」とか「それ」という言葉を、文脈によって神と認識する。
例えば、「私は彼である」(あるいは「私はそれである」)と言う場合、「私は神である」という意味になる。
なぜ、そんな言い方をするようになったのかというと、「神」という言葉を直接言うことを畏(おそ)れ多いと考えたからかもしれない。
ユダヤ教やキリスト教においては、「神の名をみだりに唱えてはならない」として、神の名であるヤーウェ(ヤハウェ)を口に出して言わないようにしているらしい。
それで、聖書には、「御名を崇めよ」とか「彼(これは人間)は私の名を知るがゆえに彼を守る」というふうに、神の名を伏せて書くが、これもやはり、神の名であるヤーウェを直接口に出して言うことが畏れ多いからではないかと思う。

ところで、故・石ノ森章太郎氏は、代表作『サイボーグ009』において、ある時期から、ヒーロー達であるサイボーグ戦士達の最大の敵を神とすることに強いこだわりを持っていたと思う。
『サイボーグ009』が長い連載の後、休止となる前に、サイボーグ戦士達、そして、人類の前に神は姿を現す。
その神は、はるかな昔、地球に人類を科学的に作ったが、しばらく振りに地球に来て確認したら、あまりに人類の出来が悪いので、滅ぼして、もう1回作り直すと言う。
サイボーグ戦士達と神では、力の差が大き過ぎ、抗いようもないことは分かっているが、サイボーグ戦士達は神に戦いを挑むことを決心する。
勝ち目はゼロなので、戦いというよりは抵抗に過ぎないが、とにかく、人類のリセット計画など認めないと決めたのだった。
まあ、現代(2022年)の状況を見たら、「人類リセット、大歓迎!」と言いたくもなるが(笑)、当時(1970年代)はそうでもなかったのだろうか・・・?
『サイボーグ009』の連載休止前、神との戦いを決心したサイボーグ戦士達に、サイボーグ戦士の1人でもある001ことイワンが、「君達に新しい力をつけてあげる」と言って終わる。

その後、石ノ森氏は、『サイボーグ009』の連載を再開し、神との戦いをぼんやりとした感じで描くが、連載休止最後のところの直接の続編は書かなかった。
その頃、スタートした第2期のアニメ『サイボーグ009』では、石ノ森氏が主題歌を作詞するなどでも関わり、このアニメでは神との戦いをテーマにしてはいたが、やはり連載休止最後の続きとは程遠いものだった。
しかし、石ノ森氏は、神との戦いの本格的な続編は書く気十分で、ライフワークとして作ろうと考えていたと思われるが、悪性リンパ腫(血液の癌)に侵される。
生きているのが奇跡と医者が言う病状の中、石ノ森氏は、サイボーグ戦士達と神との戦いを小説として執筆するが、未完成のまま没する。
残された原稿は、とても1本の作品としてのまとまりはなかったが、石ノ森氏の息子の小野寺丈氏(現在は「丈」)が数年をかけて作品にまとめ、『サイボーグ009 完結編 conclusion god’s war』全3巻の小説として出版した。
章によっては、石ノ森氏は全く書いておらず、丈氏(当時は小野寺丈氏)が丸ごと書いたことを認めている。

結局は、『サイボーグ009 完結編 conclusion god’s war』は未完であったと思うが、これが出版されたことで、石ノ森氏の意思は受け継がれたのだと思う。
そして、制作された、2012年の『009 RE:CYBORG』は、私はかなり素晴らしかったと思う。
この作品では、神を自然に「彼」と違和感なく呼ぶことが出来たと思う。
「彼の声」を聴いたという、ごく少数の人々が、世界中で爆破テロを起こし、世界に混乱が広がる。
そして、27年間、高校生活を繰り返していた009こと島村丈も「彼の声」を聴き、それが正しいこととして、自分も六本木ヒルズの爆破計画を実行しようとするが、別の「彼の声」を聴いた人物によって先を越され(六本木ヒルズを爆破され)残念がる。
とはいえ、009が邪悪になったのではなく、彼は「彼の声」に従って、人類をやり直す計画を進めようとしたのだった。
まさに、石ノ森氏の連載休止時の続編として成り立つように思えた。
この「彼の声」の「彼」は、やはり「神」であるが、神とは何かを、断定はしないながら、自然に示せていたと思う。
そういうところからも、やはり、なかなかの傑作であると思う。
演出も面白かった。
神が善であるのか悪であるのかも、良い形で示唆出来たと思う。
まあ、個人的には、ジョーとフランソワの愛情表現は、悪くはないが、やや邪魔な感じもしないではなかった。
2人が愛し合っていることには、もちろん異論はないが、宮崎駿監督ほどではなくても(『天空の城ラピュタ』では、パズーとシータの愛情表現シーンは全く描かなかったが、宮崎監督は「あって当たり前」と言う)、あまり直接描かず、デリケートな表現にして欲しかった。
私は『009 RE:CYBORG』は10回ほど見たが、最近も2回見ている。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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