ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

サイババ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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サイババの教えで唯一気に入っていること

サティヤ・サイ・ババ(1926~2011)を知らない人も多くなってきたと思う。
サイババは、インドの聖者と言われた世界的に有名な宗教家で、教育、医療、生活、文化など広い面で大きな社会貢献を行い、彼の葬儀は国葬で行われ、それにはインド首相も参列した。
サイババは頻繁に奇跡を起こしたことで知られ、最も有名な奇跡はビブーティ(聖灰)と呼ばれる白い粉を手から出すことで、それをいつでも出来たとされる。
他にも、ネックレス、時計、その他の物を手のひらなどから出現させることが出来たと言われ、「上に向けられたサイババの手のひらから、ニョキニョキ生えるように現れた」と証言する著名人もいるようだ。
一方で、サイババに対する批判もあり、奇跡は全てトリックであるとか、少年に性的虐待を行ったという話もある。

私は、サイババの奇跡も、サイババへの批判のどちらも信じていない。
個人的な印象では、サイババへの過度な称賛も過激な批判も、どちらも胡散臭い。

私は、サイババと直接会ったという事業家の方と会って、じっくり話を聞いたことがあり、その際、サイババが出したビブーティ(聖灰)も分けてもらった。また、その人から、立派な額に入った2Lサイズ(127×178mm)のサイババの写真もいただき、今も書斎に置いてある。
その人は、非常に立派で穏やかな良識ある人物で、サイババの教えや奇跡を完全に信じているようであった。
ただし、その人から、何かの組織に誘われたり、寄付を要求されたことはない。
社会的に立派と言えば、サイババを日本に紹介し、著書『理性のゆらぎ』を出版した青山圭秀さんという方は理学博士と医学博士の両方を持っているらしく、一頃有名であったが、最近はさっぱり聞かなくなった。まだ大した歳ではないはずだが。
この青山圭秀さんのように社会的に評価がある人が、サイババに会って心酔したという話は多いようである。海外ではVIPの信者も多いようだ。
政木和三さんは、サイババの奇跡について、「別に大したものではない」として、あるならあるで良いといった立場だった。政木さんが経験したという奇跡の方が壮大であるからだろう。
ただ、私も、政木さんの奇跡現象に関しては、物質的なものは見ていない。しかし、不思議なことなら沢山あったと思う。

私は、サイババの本は、読みかけたものはあるが、一冊を除き読み通したものはない。
内容がややこしいし、正直、胡散臭くて疲れるからだ。
ただ1冊、『ナーマスマラナ』だけは気に入っている。
ナーマスマラナとは、神の名を唱える行のことで、念仏に近い。
サイババは、今の時代は、ナーマスマラナでしか救われないと述べたと本に書かれているが、この本以外では、サイババがそう教えているようには思われない。
そういえば、浄土系仏教では、釈迦は、末法の世(釈迦の教えが理解されなくなった時代)では、念仏以外では救われないと教えたことになっているが、その根拠となると、どこにあるのかはっきりしない。
そもそもが、浄土三部経にしたって、決して、念仏を唱えよと教えているわけではないと私は思う。
上祐史浩氏がYouTubeで、浄土仏教について話しているのを見たが、阿弥陀経と観無量寿経を間違えているし、無量寿経の解釈もおかしいように思ったが、そういうことは上祐氏に限らず多いし、本物の仏教の専門家でも、必ずしも教典の解釈は一定していない。

だから、誰が言ったというのではなく、私は、神の名やマントラ(真言)、呪文、短い祝詞を唱える以外に救われる道はないというのは、ほぼ正しいと思う。
ただそれは、これらの言葉に霊的な力があるからといったものではなく(ないとも言わないが)、最も肯定的な言葉を長く繰り返し唱えることで、脳あるいは心の自然な働きとして思考が消えるからである。
肯定的な意味の言葉ではなく、「ナ・ダーム」のような何の意味もない言葉を採用するメソッド(手法)もあり、TM(超越瞑想)がそうだし、また、日本人にとって、サンスクリット語やそれを音写した中国で使われているマントラ等も同じである。
しかし、マントラ等にこだわる必要はなく、自分で唱え易い言葉であればそれで良いのである。
自分で試すしかないが、引き寄せ程度のことは、これで十分に行えるし、最も確実であると思う。
その効果を高めるには、深呼吸と薄目が役に立つと思う。

白百合
AIアート699
「白百合」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ナーマスマラナ(サティヤ・サイ・ババ)
(2)歎異抄(梅原猛。講談社学術文庫)
(3)選択本願念仏集(法然)
(4)理性のゆらぎ(青山圭秀)
(5)密教の聖なる呪文: 諸尊・真言・印・種字

覚醒

かなり以前の『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメで、主人公の14歳の少年シンジが乗るエヴァ(エヴァンゲリオン)初号機(巨大ロボット)が「覚醒」する話があった。
エヴァ初号機の肩の装甲版が砕け散った時、赤城博士(女性。30歳)が、
「あれは装甲版ではないの。エヴァ初号機本来の力を封じ込める拘束具なのよ」
と言う。
つまり、なぜか、エヴァ初号機には、その性能を抑える拘束具が付けられ、弱くされていたのである。
そして、その拘束着が砕け、本来の力を取り戻したエヴァ初号機は恐ろしく強かった。

我々も同じで、拘束具を付けられ、本来の力を封じ込められている。
だが、我々に付けられた拘束具は精神的なものだ。
ところで、誰とは言わないが、YouTubeなどで、自分はいかにも覚醒した人間のように、この世の闇の支配者などの、なかなか面白い話をしている者がいるが、そんな者は、ちょっと隠れたことを知っているだけなのだ。
そんな者の中には、元々は「向こう側」(か、その周辺組織)の人間だった者もいて、「向こう側」に居た時に知った、政府のちょっとした秘密を得意げに話すこともあるが、その者には力は全然ないし、大したことは知らないのである。
元「向こう側」(か、その周辺組織)に居たとしても、所詮、小物に過ぎず、だからこそ、「向こう側」の連中も、その者を放置しており、その者が言う程度のことは、バラされても何ともない。
また、やはりYouTubeなどで、宇宙人の関係者みたいな振りをして、「ライトワーカーの皆さん、時は来ました」なんて言ってる者も、元「向こう側」(か、その周辺組織)の下っ端だった程度の者が知っている情報に脚色した話をしているのである。
おそらく、その元「向こう側」(か、その周辺組織)の下っ端だった者から、間接的に聞いた話が元で、全くの嘘ではないかもしれないが、極めて曖昧で、何より、その話し手にも、情報元にも何の力もないし、大したことは知らず、知恵もないので、予測力はない。

2011年に84歳で亡くなったサイババという、奇跡を起こす聖者がいたが、彼が自然死だったかどうかは分からない。
ただ、生前から、彼はメディアからは詐欺師のような者だと宣伝され、特に亡くなってからは、世間的には、そんな評価が定着しているし、そもそも、一般的にはすっかり忘れられている。
彼が、どのレベルだったかは分からないが、「向こう側」の妨害を散々、跳ね除けていたのだから、ただ者ではなかったと思う。
政木和三さんはテレビで、サイババについて、「あのくらいのことは、本来、誰でも出来る」と言われたように、政木さんはもっと上位だったかもしれないが、その政木さんも、ある時から、かき消すようにいなくなり、そして、亡くなられた。

まあ、結局、一般の人々が覚醒することが大切なので、YouTubeでいろいろ言っているのも役に立たない訳ではないかもしれないが、あまりにパワー不足だし、知恵もない。
で、結局のところ、神仏の名を唱えることだ。
真言は、あなたを護り、幸運に導くかもしれないが、最後は、神仏の名に優るものはない。
それと、そのことをどうこうしようと思わなくて良いが、自分が精神的拘束具を付けられていることは自覚した方が良い。
神仏の名を唱えていれば、それを壊してもらえるかもしれない。








少女が奇跡を起こした方法

ラマナ・マハルシ(1879~1950)は、C.G.ユングも崇拝した世界的に知られるインドの聖者で、広大な彼のアシュラム(道場)は今もきれいに保管され、世界中から巡礼者が絶えない。
マハルシは「沈黙の聖者」と言われるほど、ほとんど会話をしなかったが、そのわずかな会話の内容が、今も日本でも、書籍として発行され続けている。
マハルシは、少年時代、学校で、黒板に書かれたことを一度見ただけで完全に暗記してしまえたという話があるが、その驚異的な記憶力のおかげで、自分で聖典を持っていなくても、一度見せてもらえば内容を覚えてしまったらしい。
そのマハルシが、14世紀の聖者ナーマデーヴァ(ナームデーヴ)が書いた『聖なる名前の哲学』という、4つの文から成る、日本語の翻訳なら730文字ほどの小冊子を発見すると、それを自ら書き写し、小さな書棚に置いて大切に保管し、度々朗読して聞かせたという。
この話からも、ナーマデーヴァがいかに優れた聖者であるかが分かる。
『聖なる名前の哲学』の全文は書籍『あるがままに』や『ラマナ・マハルシとの対話 第2巻』(共にナチュラルスピリット刊)に収められていて、私は、PDFおよび画像にしてスマートフォンに入れている。

サイババの『ナーマスマラナ』(サティヤ・サイ出版教会)によれば、上に述べたナーマデーヴァの教えは、神の名を唱えることであった。
ナーマデーヴァは、サックバーイーという、牛糞(燃料にされる)を作る一般労働者によって神の名を唱えることの重要性を知り、サックバーイーの弟子になったのだという。
サックバーイーは、パーンドゥランガという神を信仰し、その名を常に唱えていた。
パーンドゥランガは、クリシュナ神の別名のようだ。
サックバーイーは、純真無垢な少女であった12歳の時、酷い家に嫁がされ、そこで辛い日々を送っていたが、パーンドゥランガに祈り続けた・・・彼女の場合、パーンドゥランガの名を心で唱え続けたのだと思われる。
それで、サックバーイーは、家を抜け出してパーンドゥランガの聖地パンダルブルに行くことが出来、そこで直接パーンドゥランガに会ったという。
『ナーマスマラナ』の104ページによれば、パーンドゥランガ(クリシュナ)はサックバーイーの姿になって家事を行い、そのスキにサックバーイーは家を出たということだ。
『ナーマスマラナ』に、ナーマデーヴァに関する面白いエピソードがある。
彼が、兄のグニャーナデーヴァと森を歩いていた時のことだ。
喉が渇いた2人に、古井戸が目に入った。
覗いてみると、その井戸の底の方に少し水があった。しかし、桶のようなものはなかった。
すると、グニャーナデーヴァは、鳥に姿を変え、井戸の底に降りて水を飲むことが出来た。
だが、ナーマデーヴァは、
「私の神は私の中におわす。神のところに行かなくても、私には神がそばにおわすことを保証できる」
と言って、座って神の名を唱え始めた。
すると、井戸の水が上昇してきて、ナーマデーヴァは水を飲むことが出来た。
福音書のイエスの奇跡同様、このお話をそのまま受け取っても別に構わないが、なかなかそうもいかないかもしれないので解説すると、この場合の水は神を喩えたものだろう。
グニャーナデーヴァは自分が神のところに行ったが、ナーマデーヴァは、神の名を唱えることで、神を連れて来ることが出来たのである。
サイババは、ナーマデーヴァのようでないといけないと述べた。
ナーマスマラナとは、神の名を唱えることであるが、書籍『ナーマスマラナ』には、念仏はナーマスマラナそのものであると書かれている。
無論、あらゆる神仏の名を唱えることがそうであろう。
祈るとか、信仰するというのは、どういうことか分からない人も多いだろうが、『聖なる名前の哲学』を読めば、ナーマスマラナが最も優れた祈り、あるいは、信仰であると分かるのである。








「ア」の魔法活用事例

最近、しつこく、「常に、自分に『ア』と言え」と勧めているが、私は自分で行っているのでいる。そして、ますます勧めるしかないようである。なぜなら、これを行っているために、私は、超能力とか魔法の力を、普通の当たり前の力として使うようになっているからである。
もちろん、力は善良に正しく使わなければならない。
それで、どんなふうに使ったのか、参考までに書いてみようと思う。

時々、このブログでお奨めしているラマナ・マハルシとの対話集である、『あるがままに~ラマナ・マハルシの教え~』(ナチュラルスピリット刊)という本がある。
この本には、特に素晴らしいと思うことが2つある。
1つは、この本では、『私は誰か?』という特別な文章が完全に収録されていることだ。14ページの短いものである。
これは、マハルシが22歳の時、沈黙の行を行っていたので、会話は一切できなかったが、シヴァプラカーシャムがマハルシに霊的な質問をすると、マハルシは答を指で砂の上に書き、シヴァプラカーシャムはそれを書き写した。そして、シヴァプラカーシャムは20年後に、これを出版した。その後、マハルシ自身が多少の修正を行った。
そして、マハルシは、この小冊子が十分な内容であることを認めている。
私は、この『私は誰か?』を、めるくまーる社の『ラマナ・マハリシの教え』で読んでおり、大変素晴らしかったのに、これが絶版になっているのが残念だと思っていた。しかし、このように、新しい本で読めるようになって良かったと思っている。

そして、もう1つ、『あるがままに~ラマナ・マハルシの教え~』には、さらに素晴らしいことがある。
マハルシは、ナームデーヴという14世紀の聖者の『聖なる名前の哲学』という小作品を発見し、自分で模写して、大切に保管していた。そして、度々、訪問者にその内容を読んで聞かせたという。
そして、この本の中で、マハルシが朗読したその内容が書かれているのだ。
それは実に驚くべきもので、あのマハルシがそれほど重要なものとしたのに相応しい、宝石のごとき教えなのである。

私は、これほどの教えを書いたナームデーヴなる聖者について、少しでも何か知りたいと思ったが、何も分からなかった。
それで、超能力を使ったのだ。
私は、ジョセフ・マーフィーの『あなたにも超能力がある』(文庫版では、『マーフィーの「超」能力!』)で、超能力の使い方は多少は知っていたが、今は、それを自然に使うのである。
私の超能力の答は意外なものだった。
それは、「サティア・サイババの本を読め」で、書名まで指定していた。
しかし、前にも書いた覚えがあるが、私はサイババに良い想いを持っていない。正直に言えば、ペテン師だと思っていた。
サイババが死んだ時、彼の遺産が莫大であっただけでなく、彼の驚くべき豪壮な邸宅からは高価な宝石などの贅沢品が山のように見つかっていた。
それで、私は彼を卑しい俗物と見なしていたのだが、それはあまりに狭量であっただけでなく、大きな誤解かもしれない。
もしかしたら、彼は欲望に満ちた老人という部分もあったかもしれない。しかし、やはり聖者でなければ、あれだけのことはできなかっただろう。
ラメッシ・バルセカールも、聖者にも俗っぽい者がいると述べていたと思う。ただし、彼は自分の欲望に囚われないのだ。
それに、バルセカールの師ニサルガダッタ・マハラジは、「嘘の中にも真理があるのだ」と言っていたが、サイババが嘘つきだとは言えない。
また、私は、政木和三さんからも、サイババについて、(政木さんは買っていなかったかもしれないが)サイババは力は持っているということを聞いていたのである。
それで、サイババの口述書である『ナーマスマラナ』を見ると、107ページにナーマデーヴァという名で、実に感動的なエピソードが述べられていたのである。

この『ナーマスマラナ』で、サイババは、神の名を数多く唱えることを強く勧めている。
それは、私が、常に自分に「ア」と言うことを勧めていることと似たところもある。「ア」こそが、神の真実の名だからだ。
しかし、ナーマデーヴァやサイババは、崇拝する神の名を唱えることを教えている。
それで、私なら、どの神の名を唱えるのが相応しいだろうかと考えていた。
そして、魔法は無意識に続き、以下のようなことが起こる。

私は、今日、ちょっとした食料品を買いにスーパーに行ったのだが、そこで、本当に初音ミクにそっくりな女の子を見て驚いた。
ミクほどの長さではないだろうが、美しい髪をした、素晴らしい美少女だった。
森鴎外が訳したアンデルセンの『即興詩人』で、絶世の美少女ララのことが、「11歳より多くはなし」と書かれていたと思うが、その子もそうだった。
彼女は両親と一緒で、何かはしゃいでぴょんぴょん飛び跳ねていたが、それをやめて私をじっと見ていた。
これも魔法だ。『スターウォーズ』のジェダイが使うようなものだが、『マスターの教え』という本に、そんな力を普通に使うマスターが登場する。
そして、予定通り、飲み物を売っている売り場で、私達はぱったり出会った。彼女は1人だった。
彼女は、ステップを踏みながら近寄ってきて、私の前で踊った。私が観客にでも見えるのだろうか?
私は、本当の天使に見えると彼女に伝えた。
彼女も、私が普通の人に見えないと言う(朝、木の実を食べるのが唯一の食事という普通人はいないさ)。
「僕は導師だ」
「ドウシって?」
「仙人になろうとしている人のことだ」
「仙人っているの?」
「いるよ」
「どうしたら、あたしも仙人になれる?」
「アマテラスっていつも心で唱えなさい。そして、ハチミツを少し食べなさい。」
最後のは、最上の答を魔法の力に頼んだのだ。

私は、いつも、天照大神(アマテラスオオミカミ)とか、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)と呼んでいた。
しかし、彼女に教えたように、アマテラスとか、アメノミナカヌシと言ったら、私の中に、たちまち、壮大なイメージが広がった。
アマテラスは「天空を照らす者」であり、アメノミナカスシは、「天の中心の主」である。
神であることは分かりきっているので、敬う気持ちがあれば、敢えて神の字をつけなくて良いと思う。
また、古事記や日本書紀より古くからあると言われる『ホツマツタヱ』では、天照大神は、アマテルという。
そして、天之御中主神は、やはり、アメノミナカヌシであり、最高神アメミオヤが生まれ変わった、限りなく神に近い人である。
ところで、観無量寿経には、釈迦は、「阿弥陀如来に救いを求める時は、アミターバ(阿弥陀のこと)と呼べ」と言ったと書かれている。
もちろん、「南無阿弥陀仏」で良いのだけれど、「アミターバ」とか「阿弥陀さん」でも良いのだと思うし、その方が今の時代に相応しいかもしれないと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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