今月(2025年12月)16日の朝日新聞夕刊の1面は、こんなタイトルの記事だった。
M-1 先生の本気見たか
都立高現役教諭コンビ、3回戦進出
大学時代にお笑いサークルをやっていたり、あるいは、漫才が好きだった49歳と29歳の教師が漫才コンビを結成しM-1グランプリという漫才コンクールに出場して3回戦まで勝ち進んだというものだ。
2人は学校内でも漫才をよく披露しているようだ。
記事では、保護者が「保護者会で漫才があるなら行く」と言ったという一例を切り取って紹介していた。
そして、全国の生徒達に伝えたいメッセージが、高校3年生に扮したこの2人の漫才の、
「おいお前そんなんで将来やっていけんのか!」
「これ我々よく言います」
「大体やってけんのね」
「大丈夫です、そのままで。安心して下さい。何にも変えなくていい!」
だそうだ。
学校という特殊な閉鎖社会の中で起こってしまうことだろう。
個人的には「馬鹿じゃないの」「この愚か者」と思ってしまう。
記事は、生徒達や保護者達が、その漫才教師達を肯定的に受け取っているとか、彼らが生徒達に良い影響を与えていると思うよう印象操作していると私は思った。
本気なら、教育技術の向上や生徒のための行動でやれ。
漫才をやるのではなく、一流の予備校や塾に行って優れた教え方を教わって来い。
もっと他に、本当に教育に役立つ、やるべき幅広い勉強や活動がいくらでもあるはずだ。
教師なのだ。漫才に時間をかけている場合ではないだろう。
趣味なら隠れてやれ。学生時代の趣味は卒業して仕事に打ち込め。
生徒達や保護者達は、漫才ならプロのを見るし、プロの生き方から学ぶ方が良い。
・・・と私は感じてしまう。
高校教師のM-1での3回戦進出は凄いが、漫才師としては3流以下。
そんなものを見せられる生徒達や保護者達は被害者かもしれない。
プロの漫才師の世界は、「聴きたい者だけ聴け」「嫌なら聴くな」というものだ。
だが、生徒達や保護者達は無理矢理聴かされるのかもしれない。
たとえば、プログラマーの私が会社で、社員達や顧客を楽しませるために漫才を熱心にやっていたら「仕事をやれ」「迷惑だ」と言われるのが当たり前だ。
まして、納期遅れがあったり、作ったソフトにバグがあったら、漫才活動のせいと言われ、会社の信用は落ち、私はクビだ。
こんな常識が、学校では通用しないのかもしれない。
そんなことが生徒に与える悪影響は計り知れないと私は思う。
いや、実際に会社でもあるのだ。
趣味のギターを会社の休憩室で演奏したり、趣味のコーヒーセットを持ち込んで社員達にふるまう者だ。
休憩室は休憩する場所で、それぞれの休憩法を行えるよう静かにすべきで、下手なギター、プロでない者のギター、そもそもギターを聴きたくない者もいることに気付かないのは馬鹿である。
会社はコーヒーの趣味をやる場所ではない。確かにタダでドリップコーヒーを飲めて喜ぶ者もいるだろうが、目障りに感じる者もいるだろうし、そもそも、コーヒーメーカーを設置したその場所は皆のもので、たとえ社長でも勝手に占領して良いわけではない。
そもそも、皆がそんな自分勝手なことをやったらどうなるか分からないのは、致命的な想像力の欠如だ。
だが、そんな頭のおかしい者達が増えていると思う。
そして、その漫才教師らが、そんな人間の製造に一役買っていると思えてならない。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)サイコパスから見た世界: 「共感能力が欠落した人」がこうして職場を地獄にする(デイヴィッド・ギレスピー)
(2)サイコパス・インサイド(ジェームス・ファロン )
(3)まんがでわかる 隣のサイコパス(名越康文監修)
(4)あなたの近くの危険な人物! 【図解】サイコパスの話(名越康文)
(5)サイコパス(中野信子)
(6)マンガでわかる! 境界知能の人が見ている世界(宮口幸治、佐々木 昭后)

AIアート2300
「一人の時間」
Kay
M-1 先生の本気見たか
都立高現役教諭コンビ、3回戦進出
大学時代にお笑いサークルをやっていたり、あるいは、漫才が好きだった49歳と29歳の教師が漫才コンビを結成しM-1グランプリという漫才コンクールに出場して3回戦まで勝ち進んだというものだ。
2人は学校内でも漫才をよく披露しているようだ。
記事では、保護者が「保護者会で漫才があるなら行く」と言ったという一例を切り取って紹介していた。
そして、全国の生徒達に伝えたいメッセージが、高校3年生に扮したこの2人の漫才の、
「おいお前そんなんで将来やっていけんのか!」
「これ我々よく言います」
「大体やってけんのね」
「大丈夫です、そのままで。安心して下さい。何にも変えなくていい!」
だそうだ。
学校という特殊な閉鎖社会の中で起こってしまうことだろう。
個人的には「馬鹿じゃないの」「この愚か者」と思ってしまう。
記事は、生徒達や保護者達が、その漫才教師達を肯定的に受け取っているとか、彼らが生徒達に良い影響を与えていると思うよう印象操作していると私は思った。
本気なら、教育技術の向上や生徒のための行動でやれ。
漫才をやるのではなく、一流の予備校や塾に行って優れた教え方を教わって来い。
もっと他に、本当に教育に役立つ、やるべき幅広い勉強や活動がいくらでもあるはずだ。
教師なのだ。漫才に時間をかけている場合ではないだろう。
趣味なら隠れてやれ。学生時代の趣味は卒業して仕事に打ち込め。
生徒達や保護者達は、漫才ならプロのを見るし、プロの生き方から学ぶ方が良い。
・・・と私は感じてしまう。
高校教師のM-1での3回戦進出は凄いが、漫才師としては3流以下。
そんなものを見せられる生徒達や保護者達は被害者かもしれない。
プロの漫才師の世界は、「聴きたい者だけ聴け」「嫌なら聴くな」というものだ。
だが、生徒達や保護者達は無理矢理聴かされるのかもしれない。
たとえば、プログラマーの私が会社で、社員達や顧客を楽しませるために漫才を熱心にやっていたら「仕事をやれ」「迷惑だ」と言われるのが当たり前だ。
まして、納期遅れがあったり、作ったソフトにバグがあったら、漫才活動のせいと言われ、会社の信用は落ち、私はクビだ。
こんな常識が、学校では通用しないのかもしれない。
そんなことが生徒に与える悪影響は計り知れないと私は思う。
いや、実際に会社でもあるのだ。
趣味のギターを会社の休憩室で演奏したり、趣味のコーヒーセットを持ち込んで社員達にふるまう者だ。
休憩室は休憩する場所で、それぞれの休憩法を行えるよう静かにすべきで、下手なギター、プロでない者のギター、そもそもギターを聴きたくない者もいることに気付かないのは馬鹿である。
会社はコーヒーの趣味をやる場所ではない。確かにタダでドリップコーヒーを飲めて喜ぶ者もいるだろうが、目障りに感じる者もいるだろうし、そもそも、コーヒーメーカーを設置したその場所は皆のもので、たとえ社長でも勝手に占領して良いわけではない。
そもそも、皆がそんな自分勝手なことをやったらどうなるか分からないのは、致命的な想像力の欠如だ。
だが、そんな頭のおかしい者達が増えていると思う。
そして、その漫才教師らが、そんな人間の製造に一役買っていると思えてならない。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)サイコパスから見た世界: 「共感能力が欠落した人」がこうして職場を地獄にする(デイヴィッド・ギレスピー)
(2)サイコパス・インサイド(ジェームス・ファロン )
(3)まんがでわかる 隣のサイコパス(名越康文監修)
(4)あなたの近くの危険な人物! 【図解】サイコパスの話(名越康文)
(5)サイコパス(中野信子)
(6)マンガでわかる! 境界知能の人が見ている世界(宮口幸治、佐々木 昭后)

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「一人の時間」
Kay



