ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

サイコパス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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サイコパスの特徴に学ぶことの重要性

アメリカのジャーナリストのジョン・ロンソンが2012年のTED講演(TED2012)の中で、著名なターン・アラウンド・マネージャーである、アルバート・ダンラップにインタビューした時のことを話した。
ターン・アラウンド・マネージャーとは経営学用語で、経営破綻した企業の業績を回復させることを目的に経営を請け負う者である。
ターン・アラウンド・マネージャーは、多くの場合、大規模なリストラや事業の切り売りといった過激な方法を取る。
日産自動車の社長に就任した時のカルロス・ゴーンの手法が、おそらく、ターン・アラウンド・マネージャー的なやり方であったと思う。
とにかく、まともな人間の神経を持っていては出来ない仕事だと思う。
ロンソンは、ダンラップに、「あなたはサイコパスです」と言い、「正規の手法による、あなたのサイコパス診断をしたい」と言ったら、ダンラップも興味を持った。
こんなやり取りがあったようだ。

ロンソン「あなたは過剰な自尊感情がある」
ダンラップ「自分を信頼すべきだ」
ロンソン「人を操りたがる」
ダンラップ「それはリーダーシップだ」
ロンソン「感情が薄い」
ダンラップ「くだらん感情で悩みたいやつがどこにいる」

ロンソンのネガティブな診断を、ダンラップがポジティブに言い直していることが分かる。
これがサイコパスの特徴で、サイコパスだって、自分が悪人だとか、欠陥人間だとは思いたくないのだ。
つまり、自分がやったことに対し、罪悪感は持っていても、それに囚われない。
しかし、普通の人は罪悪感に囚われる。
そして、今朝も書いたが、罪悪感に囚われる人間に引き寄せは出来ない。

サイコパスになれと言うのではないが、ある程度サイコパスらしさがないと引き寄せは出来ないのだと思う。
では、科学的に自分がサイコパスであると判断した神経学者のジェームス・ファロンが、親しい友人に自分をどう思っているか尋ねたら、サイコパスの特徴が出てくる出てくる(笑)。
その一覧を下に記す。

・人を操る
・魅力的だが狡猾
・狡知に長けたガキ大将
・自他に関わらず不誠実
・自己愛的
・表面的で軽薄
・いざという時に信頼できない
・自己中心的
・深く愛することができない
・恥知らず
・まったく良心の呵責がない
・巧妙な嘘をつく
・法律や権威、社会のきまりに対して無頓着
・都合のいい道徳だけで生きている
・無責任
・完全に無感情
・冷たい
・共感性に欠ける
・情緒的に浅い
・偉大なり、この私は」
・病的虚言者
・他責的
・完全な自信過剰
・いつも退屈している
・騒ぎを求めている
・絶えず刺激を欲しがる
・恐れ知らず
・自分も、他人をも巻き込んで非常な危険に追いやる
・非常に人気があるが、多くはうわべだけの関係でしかない
・いかなる罪悪感もない

まさにサイコパスだ。
IQが高いサイコパスは成功する可能性が高い(ファロン博士のIQは150台)。
そして、重要なことは、やはり、サイコパスの特徴は、引き寄せのために必要な条件である「罪悪感を回避する」ことだ。
さっきも述べたが、サイコパスになってはならないが、参考にすべき点も多いのである。
自分は天使だと言う者には引き寄せは難しいと思う。

木の上のフェアリー
AIアート660
「木の上のフェアリー」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)サイコパスを探せ! : 「狂気」をめぐる冒険(ジョン・ロンソン)
(2)サイコパス・インサイド(ジェームス・ファロン)
(3)サイコパス 秘められた能力
(4)快楽主義の哲学(澁澤龍彦)
(5)鈍感力(渡辺淳一)

不道徳な願いは叶うか

今回は少し変わった、しかし、興味深い話をしよう。
引き寄せにおいて、どんな願いも、願った瞬間に叶う。
これは、願いの大きさや、難しさには関係がない。
ところで、では、不道徳な願いや倫理に反するような願いはどうであろう?
結論から言って、叶う。
それを叶えることによって、悪い反動があるかと言うと、つまるところ、それは、叶えた本人に罪の意識があるかどうかの問題である。
では、罪の意識が無ければ、悪い反動がないのかと言うと、そうである。
それなら、サイコパスのように、良心に欠け、罪の意識を感じない者は、自己中心的な願いを叶えても、バチが当たらない(何ら悪い影響がない)という理不尽なことが成立するが、その通りなのかというと、その通りなのである。
実際、成功者や社会のリーダーであるような立場の者には、サイコパス、あるいは、サイコパス的な人間は驚くほど多い。


例えば、あなたが男として、隣の奥さんが美人で、手を出したいという場合はどうかというと、それも叶うが、全く罪の意識を感じないというわけにはいかないかもしれない。
だから、ラマナ・マハルシが、そのような相談を受けた時、
「やらないに越したことはないが、間違いを起こしても後悔するな」
と言ったのだ。

そもそも、明治時代までは、日本の多くの村では、近所の奥さんに手を出すなんてのは普通で、それで争いが起こることがなかったどころか、手を出した奥さんの家が忙しい時期には、手を出した男が手伝いに行くのも普通で、その男と、その奥さんの旦那も仲が良く、その家の子には、手を出した男の子供がいることも了解済みだった。

少年や少女の、その方面の手ほどきをするのも、村の大人の重要な努めで、特に、少女に手ほどきをした男は、その後も少女の面倒を、自分の生涯に渡って見るものであった。
そんな、今からすれば「けしらかん」風潮により、村や人々は活気があり、仲が良く、平和であった。

もちろん、今日の日本は、明治以前の日本とは違うが、問題は、本人の意識の持ち方である。
荘子すら、社会のしきたりに従うことは大切だと言っていたが、それは、その方が間違いがないという理由によってである。

あなたも、どんな願いを持っても、基本的には構わない。
しかし、伝統や風習に反する願いを実現するには、人々の集合意識に打ち勝つ強さや賢さが必要である。
それをよく憶えておくことである。








ジョークが通じない相手

昨日、ツイッターの中で、だいたい、こんな感じの発言を見て胸が痛んだ。
「ジョークが通じないやつは始末に負えない。俺はそんなやつと友達になれない」
それで思い出したのが、以下のことだ。

手塚治虫の漫画には、よく、ロックという名の悪役が登場する。
それぞれの作品で、全く別人なのだが、名前だけでなく、容姿や性質は、全くと言って良いほど同じである。
つまり、ロックは、若く、超美男子(今流には超イケメン)で、超絶頭が良く、そして、極悪非道冷酷非情な大悪人で、今流行りの言葉で言えばサイコパスにも該当するだろう。
手塚治虫は、ロックというキャラクターに、何か深い思い入れがあるのだと思う。しかし、私は、手塚さんの自伝的著作を少しは読んだことがあるが、それ(手塚さんのロックへの想い)が何かは、まだ分からない。

手塚作品で、ロックという名の男が人間的感情を見せることはない。
ところが、私が知る範囲でだが、ただ1つの大きな例外がある。
つまり、ロックが全く普通の人間のような心を見せたことがあり、まるで、その作品に関して言えば、ロックは生まれつきのサイコパスではなく、大悪人になった理由があったと思えるのだ。
ただし、あくまで、その1つの作品に関してだけである。
その作品は『バンパイヤ』(連載:1966~1969)だ。
バンパイヤ村という、何かのきっかけで動物に変身してしまう人々が住む村があり、その村の15歳の少年であるトッペイ(月を見ると狼に変身する)がロックと出逢う。

※以下、『バンパイヤ』のネタバレを含む。
ロックは、生まれつき頭脳が超優秀だったこともあり、普通の子供とは違っていたのだろう。
それで、他の子供達からは異物として排除され、学校でも孤立し、友達がいないばかりか、頭は良くても肉体的には普通なので、いじめの標的にされていた。
そんな辛い日々を送っていたが、風介(ふうすけ)という名の、頭は悪いが純朴で、正義感と、そして身体が強い少年が、いじめっ子達からロックを守り、友達になってくれる。
時が流れ、生来の悪魔であったように、悪の限りをつくしていたロックだが、そこに、不意に風介が訪ねて来た。
風介との再会の瞬間、ロックは喜びに打ち震えるように相好を崩した。まるで、自分が悪党であることを忘れてしまったかのようだった。
だが、ロックに悪いことをやめさせ、まともな人間にしようとする風介は、ロックには邪魔だった。
ロックの投げたナイフが風介の胸を貫き、ロックが「悪く思わないでくれ」と言うと、風介は「悪くは思わないが、びっくりしたなあ」と言って息絶える。
最後まで風介は、心でもロックを裏切らなかった・・・つまり、ロックを信じていたのだ。
ううう・・・(筆者の泣き声。笑)

最初の「ジョークが通じないやつとは友達になれない」と言った者の話に戻る。
頭のレベルや趣味や主義などが違えば、ジョークは通じない。
ある者にはジョークであっても、別の者は、その発言で怒ったり、悲しんだり、時には深く傷つく。
世の中では、上流の人間がジョークで言ったことが、下流の人間には、とても笑えないことがあり、上流の人間である政治家や偉い先生などの有名人が、そんなジョークで糾弾されることがある。
すると、上流の人間が、自身の発言を「失言」として謝罪するが、彼は、本当は自分の発言がなぜ悪いのか理解していないことも多い。
本当にモラルに反しているなら、責められても仕方がないかもしれないが、発言した当人にしてみれば、配慮には欠けたかもしれないが、本当にただのジョークのつもりだった場合もあるだろう。
しかし、人間の種類が違えば、ジョークは通じない。
だが、偏見を捨てれば、分からないはずのジョークでも「笑ってあげられる」かもしれないし、ジョークが通じなくても、仲良くなれるかもしれない。
ロックや風介がジョークを言ったかどうかは分からないが、もし、言ったとしても、お互いにジョークが通じなかった可能性が高い。
それで、一時的に彼らの友情が崩れることもあるかもしれない。
しかし、友情であれ、愛情であれ、それが本物であれば、そんなことがあっても、むしろ、絆は強くなる。
いや、そんなことがなければならない。
異なる者同士が理解し合うことが本当の友情や愛情だ。
今の人類は、まだまだ、そのレベルに達しておらず、似た者同士でくっつきたがり、すぐに対立、異物の排除といったことが起こる。
だが、起こっても良い。限度をわきまえる知性や理性があればだが・・・
人間には、時にぶつかり合いも必要である・・・と、『美少女戦士セーラームーンS(スーパー)』で、タキシード仮面も言ってたなあ(笑。セーラームーンが、ウラヌス、ネプチューンと戦う時)。

◆KayのTwitterホーム








サイコパスでも癒される

サイコパスという言葉は、よく知られてはいるが、曖昧な意味で使われていると思う。
ウィキペディアで「サイコパス」を見ると、びどく難しいことが書かれている。

私の理解では、サイコパスとは、良心を持たない人のことだ。
なぜ良心を持たないのかというと、共感を感じることが出来ないので、良心を育てることが出来なかったのだ。
良心というものは、共感を感じることで相手の立場に立って考えることで育てることが出来るものだからだ。
そして、なぜ共感を持たないのかというと、脳の欠陥のためだ。脳の欠陥という言い方が悪いなら、特殊な脳を持っているからだ。
共感を持たず、相手の立場に立てない人のことを自己中心的と言うが、自己中心的というのは、まさにサイコパスの際立った特徴だ。
どんな脳が共感を持たないのかの仮説は、自分はサイコパスだと言う神経学者のジェームズ・ファロンの『サイコパス・インサイド』に書かれている。
まとめて言えば、共感を感じることが出来ない脳を持っているために、良心を持てなかった人をサイコパスと言うのである。

よく、サイコパス診断なんてものがあるが、私が見た範囲では、質問が曖昧で答え難く、あてにならないものが多いと思う。
それでも、やってみたら、私は「サイコパスの可能性がかなり大」と出るのだが(笑)。

だが、私がサイコパスだとしたら、良いことがある。
それは、アレクサンダー・ロイド博士の「ヒーリングコード」や「エネルギー療法」は、サイコパスにも効くということになるからだ。
サイコパスが、本当の信仰を持つとは考え難いので、マントラや祈りなどの効果は低いと思われるが、「ヒーリングコード」「エネルギー療法」は、信仰を必要としないので、サイコパスも、これらで心身を癒すことが出来、結果、サイコパスでも、人様に迷惑をかけずに済むかもしれない。

ところで、ジャーナリストのジョン・ロンスンが2012年に、TEDで「サイコパス・テストへの奇妙なこたえ」というタイトルで講演を行っているが、その中で、アル・ダンラップとの問答を紹介していたのが面白いかった。
アル・ダンラップ(アルバート・ジョン・ダンラップ)とは、事業家と言っても、特殊な事業家で、業績の悪化した企業にCEOとして乗り込み、業績を回復させる「再建屋」といったところだ。
多くの企業で、事業の縮小や、それに伴う大規模なリストラなど、血も涙もない方法で見事に業績を上げ、巨万の富を築いた。
業績悪化した日産自動車の社長に就任し、リストラや不良部門の切り捨てといった手法で短期間で業績を回復させたカルロス・ゴーンを思い出してしまう。

ジョン・ロンスンは、アル・ダンラップの豪邸を訪ね、「あなたはサイコパスだ」と言い、続けて「サイコパスの診断表がありますから、一緒に見ていきましょう」と言うと、ダンラップも興味を持って「いいだろう」と答えた。
つまり、ここで、ロンスンは、精神医学的なサイコパスの特徴を1つずつ取り上げ、ダンラップは、それが本当に自分に該当するか確認するわけである。

ロンスン:まず、過剰な自尊感情です。
ダンラップ:自分を信頼すべきだ。(該当)
ロンスン:人を操りたがる。
ダンラップ:それはリーダーシップだ。(該当)
ロンスン:感情の薄さ つまり 多様な感情を持てないこと。
ダンラップ:くだらん感情で悩みたい奴がどこにいる。(該当)
(他にも項目はあったと思うが、省略したのだろう)

つまり、ダンラップは、正当化(あるいは美化)しながらも、自分がサイコパスの特徴に当てはまっていることを認めたわけである。
ダンラップは、かなりはっきりしたサイコパスだ。
しかし、世の中には、半分だけサイコパスという人もいる。
そして、おそらく、誰でもある程度はサイコパスなのだ。
もし、サイコパスの度合いが少ない人がいるなら、それは、共感を持ちやすい人だと思う。

友達を作るには、共感能力が必要で、共感を感じることが出来ないほど、友達が出来ない。
だから、必ずしもそうではないと考えるべきだが、友達が少ない人ほどサイコパスの可能性が高いかもしれない。
サイコパスとの噂もある、超有名なインフルエンサーが、YouTubeで面白いことを言われていた。
「人が死んだ直後に悲しいというのは僕も分かるんだ。しかし、2~3日したら、普通、忘れるだろ?だけど、葬式って、死んでから2~3日後じゃん。そんな時に、死んだ直後のような雰囲気で悲しがっている人って、マジおかしいじゃん」
やっぱりこいつはサイコパスだって思うだろうか?
しかし、私は、身近な人であっても、死んだ直後だって悲しいとは思わないのだ。
きっと、このインフルエンサーも、「悲しいのは分かる」と言いつつ、自分は悲しまないのだと思う。
やっぱり、彼も私もサイコパスなのだろうか?(笑)

サイコパス度が高くても、「ヒーリングコード」「エネルギー療法」は有効と思う。
よって、「ひょっとしたら俺も(私も)サイコパスかもしれない」と思う場合は、これらをやってみると良いと思う。
「ヒーリングコード」は『奇跡を呼ぶ ヒーリングコード』に、「エネルギー療法」は『「潜在意識」を変えれば、すべてうまくいく』にやり方が書かれており、いずれも、3分もあれば覚えられるほど簡単なものだ。
いずれをやっても良いし、両方ならさらに良いだろう。








自分を知る

IQ(知能指数)テストを行ってくれる病院・クリニックは多いらしい。
IQテストを受けることに興味がある人というのは、IQが高い傾向があると思う。
IQは、頭の良さのごく一面ではあるらしいが、そのことを認識した上で、客観的な値を確認しておくのも良いかもしれない。
それに、私の考えでは、IQは固定されたものではなく、少なくともある程度は向上させることが可能で、L.ロン.ハバードの『ダイアネティックス』に書かれているように、誰もが本来の頭脳の能力は高く、その力を目覚めさせることが出来れば、IQは「打ち上げ花火のごとく」向上するのではないかと思う。
とはいえ、個人的には『ダイアネティックス』療法はお薦めしない。理由は、単に、「面倒である」からだ。
私は、能力の開発自体は、もっと単純な方法で行えると思っている。
面倒なやり方だと、どうしても金儲けに利用される。
ただし、『ダイアネティックス』など、ハバードの著作は面白かった。

他にも、自分について、なかなか知ることが出来ないことを知る方法がある。
例えば、あなたは、自分の脳のMRI(核磁気共鳴画像法)画像を見たことがあるだろうか?
この画像を見ただけでも、脳の性能や性質がかなり分かるらしい。
こんな話がある。
TEDで講演したこともある、神経科学者のジェームス・ファロンは、ある時、1枚の脳のMRI画像を見て愕然とした。
ひどい画像だった。
それは、凶悪殺人犯の脳の特徴を明瞭に現わしていた。
ファロン博士は、この気の毒な脳の持ち主を電算室に問い合わせた。
しかし、返事を受け取ると、電算室に対し、もっとしっかり仕事をするよう激を飛ばし、再度、解答を要求した。
しかし、電算室の担当者は、ファロン博士にこう言うしかなかった。
「ファロン博士。その脳のMRI画像は、ジェームズ・ファロン博士、あなたのものに間違いありません」
ファロン博士は、自分がサイコパス(共感能力の欠如により良心を持たない人間)であることを認識し、自分に対する研究成果を基に著書『サイコパス・インサイド』を書き、TEDでも講演した。
確かに、その本を読むと、ファロンが、IQの高い優秀で、かつ、エネルギッシュな人間ではあっても、いかに人でなしの超欠陥人間であるかが、はっきり分かるのである。

私は、10年以上前に、自分の脳のMRI画像を撮影し、見せてもらったことがある。
医者は、実にきれいな脳だと褒めてくれた。
そりゃバラ色だからね(笑)。
しかし、私は、自分が性質的にはサイコパス的なところも多いことは自覚しているので、医者も営業トークをしただけかもしれない。

いろんな意味で、自分を知ることは大切である。
例えば、ある人は、他人を傷付けるに決まっている言葉を平気で言うのだが、本人はそれを自覚していなかった。
その人の両親が、言うべきでないことを無神経に言う人で、それが当たり前になってしまったようである。
このような、治すべきことは、早くに発見して治しておかないと、人生で多大な損失を招くかもしれない。
実際、自覚しない悪癖で人生を棒に振る人は少なくないと思う。
逆に、自分の美点に気付かず、それを生かせば、かなり成功出来た可能性があるのに、それをしなかった「勿体ない」人も多いのだと思う。
そんな意味でも、気心の知れた、何でも言ってくれる友人がいることは、やはり、良いことなのだ。

ギリシャのデルフォイ島のアポロン神殿の扉には、「自分自身を知りなさい」と書かれているらしい(なんで「汝自身を知れ」なんて難しい訳し方をするのだろう)。
だが、そう書かれていても、自分を知ることが出来る人は滅多にいない。
だが、ソクラテスは、それが出来た数少ない人間で、それゆえ、彼は人類で最も知恵のある者になった。
彼は何を知ったのか?
それは、「私は何も知らない」ということである。
なるほど、彼は最高の知恵者だ。
ただし、言っておくが、「私は何も知らない」と言うだけでは駄目である。
本当に知っていなければ。
それなら、彼の弟子のプラトンが書いた『ソクラテスの弁明』を読むと良い(ソクラテス自身は著書を残していない)。
それで、「ああ、私は何も知らない」「私は何も出来ない」と分かれば、知恵に目覚めたことになる。
彼は、貧乏で悪妻に苦しめられ、挙句、死刑になったが、だからといって不幸だった訳ではない。
おそらく、世俗的な意味の幸福など、得ようと思えば得られたと思う。
しかし、彼の目的はあくまで知恵だったので、あの環境が良かったのであると思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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