ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

サイコパス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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サイコパステストは有益である

サイコパスというのは「サイコパシー(精神病質)」を持つ者のことで、サイコパシーはれっきとした精神障害である。
サイコパスを自称する岡田斗司夫さんは、サイコパスは脳をCTスキャンで見れば分かる脳機能障害だと言っているが、TEDでも講演した神経科学者のジェームス・ファロンも、サイコパスの条件の中に一部の脳機能の低下をあげている。
ファロンは自分がサイコパスであることを認めているのだが、彼は自分の脳のものとは知らずに、ある脳のCT写真を見て「これは酷い。凶悪犯特有の脳だ。いったい誰の脳だろう?」と思ったらしい。

一般にサイコパスは、道徳性・倫理性に欠けるとか、感情がなく冷淡であるとか言われるが、一方で、頭が良く有能で、医者、弁護士、政治家、軍人などに多いと言われ、また、ビジネスの成功者にも多いと言われる。
感情がなければ合理的判断が出来る可能性が高いので、確かに根本的に優秀であれば成功する可能性も高いかもしれない。

サイコパスの詳しい話は、本来、非常に複雑で、あまり軽々しく語れるようなことではないと思うが、一方で、誰もが知っておくべき問題でもあると思う。
しかし、サイコパスについて分かり易い話をすれば、著しく正確性に欠ける。
かといって専門家の話は、抽象的になり易く、掴みどころがないように思うが、要するに、サイコパス以前に、脳については未知の部分も多いのだから、そうなるのが当たり前かもしれない。
上にもあげた岡田斗司夫さんは、YouTubeなどでサイコパスに関して分かり易い話をしているが、分かり易い分、かなり正確性に欠け、内容に誤りもあるというのも仕方がないと思う。
とはいえ、岡田さんは、専門家がなかなか言ってくれない重要なことを述べてくれている。
たとえば、サイコパスは感情がない、あるいは、感情が非常に薄いように言われるが、サイコパスが、強い、あるいは、深い感情を見せることもある。
ただ、サイコパスは、あることに関しては深い感情を見せる一方で、普通の人であれば感情を起こすようなことで全く感情を見せないことがあり、そこが問題になるのだろう。
たとえば、岡田斗司夫さんは、親が死んだ時も悲しいと思わなかったが、1人になり、親が自分にしてくれたことを一生懸命思い出すと、涙がボロボロと出ると言っていた。
また、アップル創業者のスティーブ・ジョブズは精神面でも優れた人だと言われるが、一方で、必死で口説いたガールフレンドが自分の子供を産んで、名前すら自分がつけているのに、その子供を認知せず、養育費を全く出さなかったというように、感情に非常に偏りがあるのだが、それは初めに述べた脳機能障害のせいであると思われる。
(後にジョブズは、その子供を認知し教育費も出しているが、良心によってかどうかは分からない)
ジョブズもサイコパスだと言われている。

今ざっと、「サイコパシー・チェックリスト改訂版 (PCL-R)」(全20問)をやってみたら、30点以上ならサイコパスとされるのだが、私は31点だった。

※サイコパシー・チェックリスト改訂版 (PCL-R)
各設問に0~2点で解答。
◆口達者/表面的な魅力
◆ 誇大的な自己価値観
◆ 刺激を求める/退屈しやすい
◆ 病的な虚言
◆ 偽り騙す傾向/操作的(人を操る)
◆ 良心の呵責・罪悪感の欠如
◆ 浅薄な感情
◆ 冷淡で共感性の欠如
◆ 寄生的生活様式
◆ 行動のコントロールができない
◆ 放逸な性行動
◆ 幼少期の問題行動
◆ 現実的・長期的な目標の欠如
◆ 衝動的
◆ 無責任
◆ 自分の行動に対して責任が取れない
◆ 数多くの婚姻関係
◆ 少年非行
◆ 仮釈放の取消
◆ 多種多様な犯罪歴

岡田さんは、このテストでサイコパス診断が出て青くなる人に対し、「サイコパスはあくまで脳機能障害であるから、脳を検査しないと分からない」と焦る必要はないようなことを言われているが、ここらが無責任なサイコパスらしいところで、このテストでサイコパスと判定されたら、サイコパス特有の脳機能障害を抱えている可能性は高いと思う。
そして、このテストで30点を超えたら、かなり真正のサイコパスかもしれないが、たとえば20点なら、ある程度サイコパスの傾向性があるというもので、やはりTEDでサイコパスに関して講演したジャーナリストのジョン・ロンソンも、そのTED講演の最後を「皆、どこかサイコパスだ」と締めくくっていた。

私は、脳科学者の中野信子さんの本の影響で、サイコパスとは「良心を持たない人間」と思っていたが、サイコパスにも良心はあるし、もしかしたら、強い良心があるかもしれない。
私も、自分に関し、良心は確かにあると思うのだが、深く考えると、「それが本当に良心と言えるのか?」と疑問に思うし、さらに追及すると、やはり自分は良心を持っていないのかもしれないと思う。
ジョン・ロンソンのTED講演の中の話で、どこかの、もろサイコパスの事業家が「あなたの感情は浅薄だ」と言われたら、「下らないことで悩みたいやつがどこにいる?」と答えたらしいが、私はこれも分かるのである。

「サイコパシー・チェックリスト改訂版 (PCL-R)」はとても良いもので、必ずしも正確ではないかもしれないが、サイコパスについて知ったり、サイコパスが自分を知る上で有益なものであると思う。
私も、もっと早くこれを知っていたら、自己分析が出来、もっとうまく生きられたかもしれない。
そして、ジョン・ロンソンが言う通り、皆どこかサイコパスであり、完全にサイコパスでない人でも、自分の欠点を知るのに役に立つかもしれない。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)サイコパス・インサイド(ジェームス・ファロン)
(2)サイコパスを探せ! ~「狂気」をめぐる冒険~(ジョン・ロンソン)
(3)サイコパス(中野信子)
(4)診断名サイコパス(ロバート・D・ヘア)

湖の岸辺
AIアート905
「湖の岸辺」
Kay

不動心といった心はない

不動心という言葉は、甚だしい誤解を与える言葉だと思う。
不動心などという心はない。
心とは動くことが本性で、まさに「コロコロ」と動くのがココロである。
何物にも動じないなら、不動心という心が在るのではなく、それは心がない・・・心が消えているのである。

不意のアクシデントで莫大な損失を被った社長が全く動じないなら、この社長は心が強いのではない。心がないのだ。
「そんなことはない。長い修練で鍛え上げた強い心だからこそ動じないのだ」と主張したい人もいると思う。
そうではない。
たとえば、どれほど長く厳しい訓練や実戦で心を鍛え上げた軍隊の隊長でも、戦闘で大勢の部下が命を落とせば動揺し心が乱れる。
では、もっと鍛えれば心の平静を保てるのかというと、そうはならない。
だが、たとえ、それほどの隊長でなくても、心が消えれば動揺も消える。動揺は心の状態に過ぎないからだ。
そして、心が消えれば、最善の対処をし、奇跡を起こすこともある。

サイコパスという、良心を持っていないとしか考えられない人間が100人に1人はいると言われる。
そして、サイコパスは、政治家、軍人、医者、経営者、弁護士等に向いていると言われる。
たとえば、サイコパス経営者は、会社の存続のためにリストラが必要だと判断すれば、躊躇なくリストラする。
サイコパス軍人は、その作戦が、犠牲は出すが勝てると分かると、やはり躊躇なく作戦を実行する。
サイコパス医師は、命を救うために脚を切断することが必要だと分かれば、迷わず切断する。
そのようなサイコパスは効率が良く、成果を出し易いので成功することがよくある。
ところで、サイコパスの場合は、心がないのではなく、自分を守るための心しかないのである。
だから、サイコパスは他人の価値は認めなくても、自分を重要視し、自己中心的で尊大である。
しかし、サイコパスは、自分自身が危機に陥ると、動揺し、弱いものである。

だから、サイコパスであろうがなかろうが、生き抜きたいなら、平和が欲しいなら、心を消すべきである。
心を消すことだけは努力すべきである。
その方法はいくらでもあるが、最も簡単で楽で、かつ楽しいのは、今この瞬間にフォーカスする(焦点を合わせる)今今メソッドであると思う。
今この瞬間はいつも新しいので、今に意識が合っていれば、新しい目で物事を見るが、それは感動の連続である。
それが楽しくないはずがない。
「今にフォーカスする」というのが分かり難ければ、「今、今、今、・・・」とゆっくりつぶやくと良い。
目の前の光景や物事の空気感や雰囲気を感じようとしても、今に焦点が合い易い。
今に生き、パワーを得ないと、これからの時代は危ないかもしれない。

整えられた庭園
AIアート862
「整えられた庭園」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)サイコパス・インサイド(ジェームス・ファロン)
(2)診断名サイコパス(ロバート.D.ヘア)
(3)サイコパスを探せ! : 「狂気」をめぐる冒険(ジョン・ロンソン)
(4)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)

サイコパスの特徴に学ぶことの重要性

アメリカのジャーナリストのジョン・ロンソンが2012年のTED講演(TED2012)の中で、著名なターン・アラウンド・マネージャーである、アルバート・ダンラップにインタビューした時のことを話した。
ターン・アラウンド・マネージャーとは経営学用語で、経営破綻した企業の業績を回復させることを目的に経営を請け負う者である。
ターン・アラウンド・マネージャーは、多くの場合、大規模なリストラや事業の切り売りといった過激な方法を取る。
日産自動車の社長に就任した時のカルロス・ゴーンの手法が、おそらく、ターン・アラウンド・マネージャー的なやり方であったと思う。
とにかく、まともな人間の神経を持っていては出来ない仕事だと思う。
ロンソンは、ダンラップに、「あなたはサイコパスです」と言い、「正規の手法による、あなたのサイコパス診断をしたい」と言ったら、ダンラップも興味を持った。
こんなやり取りがあったようだ。

ロンソン「あなたは過剰な自尊感情がある」
ダンラップ「自分を信頼すべきだ」
ロンソン「人を操りたがる」
ダンラップ「それはリーダーシップだ」
ロンソン「感情が薄い」
ダンラップ「くだらん感情で悩みたいやつがどこにいる」

ロンソンのネガティブな診断を、ダンラップがポジティブに言い直していることが分かる。
これがサイコパスの特徴で、サイコパスだって、自分が悪人だとか、欠陥人間だとは思いたくないのだ。
つまり、自分がやったことに対し、罪悪感は持っていても、それに囚われない。
しかし、普通の人は罪悪感に囚われる。
そして、今朝も書いたが、罪悪感に囚われる人間に引き寄せは出来ない。

サイコパスになれと言うのではないが、ある程度サイコパスらしさがないと引き寄せは出来ないのだと思う。
では、科学的に自分がサイコパスであると判断した神経学者のジェームス・ファロンが、親しい友人に自分をどう思っているか尋ねたら、サイコパスの特徴が出てくる出てくる(笑)。
その一覧を下に記す。

・人を操る
・魅力的だが狡猾
・狡知に長けたガキ大将
・自他に関わらず不誠実
・自己愛的
・表面的で軽薄
・いざという時に信頼できない
・自己中心的
・深く愛することができない
・恥知らず
・まったく良心の呵責がない
・巧妙な嘘をつく
・法律や権威、社会のきまりに対して無頓着
・都合のいい道徳だけで生きている
・無責任
・完全に無感情
・冷たい
・共感性に欠ける
・情緒的に浅い
・偉大なり、この私は」
・病的虚言者
・他責的
・完全な自信過剰
・いつも退屈している
・騒ぎを求めている
・絶えず刺激を欲しがる
・恐れ知らず
・自分も、他人をも巻き込んで非常な危険に追いやる
・非常に人気があるが、多くはうわべだけの関係でしかない
・いかなる罪悪感もない

まさにサイコパスだ。
IQが高いサイコパスは成功する可能性が高い(ファロン博士のIQは150台)。
そして、重要なことは、やはり、サイコパスの特徴は、引き寄せのために必要な条件である「罪悪感を回避する」ことだ。
さっきも述べたが、サイコパスになってはならないが、参考にすべき点も多いのである。
自分は天使だと言う者には引き寄せは難しいと思う。

木の上のフェアリー
AIアート660
「木の上のフェアリー」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)サイコパスを探せ! : 「狂気」をめぐる冒険(ジョン・ロンソン)
(2)サイコパス・インサイド(ジェームス・ファロン)
(3)サイコパス 秘められた能力
(4)快楽主義の哲学(澁澤龍彦)
(5)鈍感力(渡辺淳一)

不道徳な願いは叶うか

今回は少し変わった、しかし、興味深い話をしよう。
引き寄せにおいて、どんな願いも、願った瞬間に叶う。
これは、願いの大きさや、難しさには関係がない。
ところで、では、不道徳な願いや倫理に反するような願いはどうであろう?
結論から言って、叶う。
それを叶えることによって、悪い反動があるかと言うと、つまるところ、それは、叶えた本人に罪の意識があるかどうかの問題である。
では、罪の意識が無ければ、悪い反動がないのかと言うと、そうである。
それなら、サイコパスのように、良心に欠け、罪の意識を感じない者は、自己中心的な願いを叶えても、バチが当たらない(何ら悪い影響がない)という理不尽なことが成立するが、その通りなのかというと、その通りなのである。
実際、成功者や社会のリーダーであるような立場の者には、サイコパス、あるいは、サイコパス的な人間は驚くほど多い。


例えば、あなたが男として、隣の奥さんが美人で、手を出したいという場合はどうかというと、それも叶うが、全く罪の意識を感じないというわけにはいかないかもしれない。
だから、ラマナ・マハルシが、そのような相談を受けた時、
「やらないに越したことはないが、間違いを起こしても後悔するな」
と言ったのだ。

そもそも、明治時代までは、日本の多くの村では、近所の奥さんに手を出すなんてのは普通で、それで争いが起こることがなかったどころか、手を出した奥さんの家が忙しい時期には、手を出した男が手伝いに行くのも普通で、その男と、その奥さんの旦那も仲が良く、その家の子には、手を出した男の子供がいることも了解済みだった。

少年や少女の、その方面の手ほどきをするのも、村の大人の重要な努めで、特に、少女に手ほどきをした男は、その後も少女の面倒を、自分の生涯に渡って見るものであった。
そんな、今からすれば「けしらかん」風潮により、村や人々は活気があり、仲が良く、平和であった。

もちろん、今日の日本は、明治以前の日本とは違うが、問題は、本人の意識の持ち方である。
荘子すら、社会のしきたりに従うことは大切だと言っていたが、それは、その方が間違いがないという理由によってである。

あなたも、どんな願いを持っても、基本的には構わない。
しかし、伝統や風習に反する願いを実現するには、人々の集合意識に打ち勝つ強さや賢さが必要である。
それをよく憶えておくことである。








ジョークが通じない相手

昨日、ツイッターの中で、だいたい、こんな感じの発言を見て胸が痛んだ。
「ジョークが通じないやつは始末に負えない。俺はそんなやつと友達になれない」
それで思い出したのが、以下のことだ。

手塚治虫の漫画には、よく、ロックという名の悪役が登場する。
それぞれの作品で、全く別人なのだが、名前だけでなく、容姿や性質は、全くと言って良いほど同じである。
つまり、ロックは、若く、超美男子(今流には超イケメン)で、超絶頭が良く、そして、極悪非道冷酷非情な大悪人で、今流行りの言葉で言えばサイコパスにも該当するだろう。
手塚治虫は、ロックというキャラクターに、何か深い思い入れがあるのだと思う。しかし、私は、手塚さんの自伝的著作を少しは読んだことがあるが、それ(手塚さんのロックへの想い)が何かは、まだ分からない。

手塚作品で、ロックという名の男が人間的感情を見せることはない。
ところが、私が知る範囲でだが、ただ1つの大きな例外がある。
つまり、ロックが全く普通の人間のような心を見せたことがあり、まるで、その作品に関して言えば、ロックは生まれつきのサイコパスではなく、大悪人になった理由があったと思えるのだ。
ただし、あくまで、その1つの作品に関してだけである。
その作品は『バンパイヤ』(連載:1966~1969)だ。
バンパイヤ村という、何かのきっかけで動物に変身してしまう人々が住む村があり、その村の15歳の少年であるトッペイ(月を見ると狼に変身する)がロックと出逢う。

※以下、『バンパイヤ』のネタバレを含む。
ロックは、生まれつき頭脳が超優秀だったこともあり、普通の子供とは違っていたのだろう。
それで、他の子供達からは異物として排除され、学校でも孤立し、友達がいないばかりか、頭は良くても肉体的には普通なので、いじめの標的にされていた。
そんな辛い日々を送っていたが、風介(ふうすけ)という名の、頭は悪いが純朴で、正義感と、そして身体が強い少年が、いじめっ子達からロックを守り、友達になってくれる。
時が流れ、生来の悪魔であったように、悪の限りをつくしていたロックだが、そこに、不意に風介が訪ねて来た。
風介との再会の瞬間、ロックは喜びに打ち震えるように相好を崩した。まるで、自分が悪党であることを忘れてしまったかのようだった。
だが、ロックに悪いことをやめさせ、まともな人間にしようとする風介は、ロックには邪魔だった。
ロックの投げたナイフが風介の胸を貫き、ロックが「悪く思わないでくれ」と言うと、風介は「悪くは思わないが、びっくりしたなあ」と言って息絶える。
最後まで風介は、心でもロックを裏切らなかった・・・つまり、ロックを信じていたのだ。
ううう・・・(筆者の泣き声。笑)

最初の「ジョークが通じないやつとは友達になれない」と言った者の話に戻る。
頭のレベルや趣味や主義などが違えば、ジョークは通じない。
ある者にはジョークであっても、別の者は、その発言で怒ったり、悲しんだり、時には深く傷つく。
世の中では、上流の人間がジョークで言ったことが、下流の人間には、とても笑えないことがあり、上流の人間である政治家や偉い先生などの有名人が、そんなジョークで糾弾されることがある。
すると、上流の人間が、自身の発言を「失言」として謝罪するが、彼は、本当は自分の発言がなぜ悪いのか理解していないことも多い。
本当にモラルに反しているなら、責められても仕方がないかもしれないが、発言した当人にしてみれば、配慮には欠けたかもしれないが、本当にただのジョークのつもりだった場合もあるだろう。
しかし、人間の種類が違えば、ジョークは通じない。
だが、偏見を捨てれば、分からないはずのジョークでも「笑ってあげられる」かもしれないし、ジョークが通じなくても、仲良くなれるかもしれない。
ロックや風介がジョークを言ったかどうかは分からないが、もし、言ったとしても、お互いにジョークが通じなかった可能性が高い。
それで、一時的に彼らの友情が崩れることもあるかもしれない。
しかし、友情であれ、愛情であれ、それが本物であれば、そんなことがあっても、むしろ、絆は強くなる。
いや、そんなことがなければならない。
異なる者同士が理解し合うことが本当の友情や愛情だ。
今の人類は、まだまだ、そのレベルに達しておらず、似た者同士でくっつきたがり、すぐに対立、異物の排除といったことが起こる。
だが、起こっても良い。限度をわきまえる知性や理性があればだが・・・
人間には、時にぶつかり合いも必要である・・・と、『美少女戦士セーラームーンS(スーパー)』で、タキシード仮面も言ってたなあ(笑。セーラームーンが、ウラヌス、ネプチューンと戦う時)。

◆KayのTwitterホーム








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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