サッカーの三浦知良さんが、FIFAワールドカップに一度も出場していない(フットサル除く)のは不思議なことだ。
いろいろなタイミングが合わなかったとはいえ、あれほどの選手が、31歳、35歳、39歳でのW杯の代表を逃したのはなぜだろう?
それは、彼が完璧な選手だったからではないかと思うのだ。
確かに、彼は、心身のトータルで欠点のない選手だから、50歳近い今でも現役でやれるのだと思う。
しかし、彼がもし、何か大きく欠けたところのある選手だったら、選手寿命はとっくに尽きていたが、別の部分で、もっと突出した選手になっていたと思う。
野球のイチローも完璧な選手のように思われているかもしれないが、彼は欠点が大きいと思う。
「ホームランは狙って打てる」と言うが、彼は狙わない。
オールスター戦前のホームラン競争への出場を断ったのは、松井秀喜さんの「自分には分不相応」というのとは違い、理由がはっきりしなかったが、コンディションを落とす可能性があるからだと思われる。
イチローは、打てるとしてもホームランを狙えないのだ。
また、彼は、チームの勝利より、個人としての活躍を優先・・・とまでは言わないが、かなり重視する選手であることは確かだと思う。
全盛期に、3番を打診されても、可能な限り断り、打席数を稼げる一番に執着し、チームの勝利のために四球を選ぶこともなかった。
結局は、あまりに素晴らしい案打数のために評価されてしまっているが、彼が長打を狙い、3番に入っていれば、チームはもっと勝っていたかもしれない。
彼だって、チームの優勝やWシリーズ制覇は願っていただろうが、自分の活躍はもっと大事だと思っていたとしても、あれほどの選手だから罪はない。
第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、監督を務めて優勝した王貞治さんが、不思議なほど積極的に参加したイチローに対し、「彼はもっと個人主義かと思っていた」と言ったのが印象的だ。
本当は、王さんが思われた通りなのだ。そして、王さんも、実はかなりの個人主義なのではないかと思う。
イチローも、力が衰えてからは、ヤンキースやマーリンズで盛り上げ役をやるようになったが、それは、彼の鋭さを鈍らせることになってしまったと思う。
彼があくまで、大きな欠点のある孤高の打者でいれば、とっくに引退し、これほどの大記録は打ち立てなかったと思う。
まあ、どちらが良いかは分からないが。
芸術家だって、ピカソもゴッホも欠点だらけだ。
ピカソは「60代が芸術家の青春」と言って10代や20代も初めの若い女性ばかり求めたのは、単なる精神的未熟に過ぎないが、それが彼を大芸術家にしたのだ。
ゴッホは、一生、弟のテオに経済面の一切を依存した、単なるニートだった。精神異常もあり、精神病院にも入院した。
そんな救いようのない欠点が、やはり彼を偉大な画家にしたのだと思う。
そもそも、天才にまともな人間なんて、本当はいないのではないかと思う。
岡本太郎は、豪快で爽快なことを沢山言ったが、それは、つまるところ、「欠点なんか気にするな。それを治そうとするなど卑しい」ということなのだ。
彼のロングセラー『自分の中に毒を持て』なんてタイトル自体がそのことを示唆しているが、もっとど単純に、『欠点を持て』として欲しかったところだ。
学校では、欠点を矯正しようとする。
それで、良くいえば、見かけはバランスの取れた人間になるかもしれないが、そんな人間は爪のない鷹、牙のない狼だ。
人々は学校で、最初から終わった人間にされてしまい、世の中で何も出来ないのだ。
私は、元々引きこもりで、コミュニケーション能力はゼロだったが、セールスの仕事をしたことをきっかけに、その能力を少し持ってしまった。
それは、1つには、徹底したコミュニケーション能力の無さのせいで、学校で、かなり辛い目に遭っていたという理由もあるだろう。
それで、偽りのコミュニケーション能力を身につけたおかげで、底辺にしかいられない。確かに、「底辺にはいられる」という見方も出来るが、ストレスも多い。
まあ、協調性の方は、相変わらず1パーセントもないが、そのおかげで、少しは良い思いをしているのである。
国際的事業家で、特にセキュリティーの分野で、日米の政府機関にも関与する、斉藤ウィリアム浩幸氏は、「日本人にはチーム力がない」と指摘し、その改善を強く薦めるが、大きなお世話だ。
日本人だって、チーム力のあるやつはあり、ないやつはないというだけのことだ。
チーム力があることは良いことだが、ないやつは、その欠点が武器なのである。
なけなしの牙を抜かれた者がどれだけ惨めかは、彼のような超優秀なやつには分からない。
哭(な)いていた 唯 哭いていた
他人眼(ひとめ)につかない世界で
其(そ)して恥を知り 惨めになれば
全てが廻りだしてゆく
~『心臓デモクラシー』(作詞、作曲、編曲:みきとP、歌:初音ミク)より~
これは私の聖歌である。
我々凡人・・・いや、それ以下の不良星人は、欠点を大切に抱え、恥を知り、惨めにならなければならない。
それで、全てが廻りだすのである。
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いろいろなタイミングが合わなかったとはいえ、あれほどの選手が、31歳、35歳、39歳でのW杯の代表を逃したのはなぜだろう?
それは、彼が完璧な選手だったからではないかと思うのだ。
確かに、彼は、心身のトータルで欠点のない選手だから、50歳近い今でも現役でやれるのだと思う。
しかし、彼がもし、何か大きく欠けたところのある選手だったら、選手寿命はとっくに尽きていたが、別の部分で、もっと突出した選手になっていたと思う。
野球のイチローも完璧な選手のように思われているかもしれないが、彼は欠点が大きいと思う。
「ホームランは狙って打てる」と言うが、彼は狙わない。
オールスター戦前のホームラン競争への出場を断ったのは、松井秀喜さんの「自分には分不相応」というのとは違い、理由がはっきりしなかったが、コンディションを落とす可能性があるからだと思われる。
イチローは、打てるとしてもホームランを狙えないのだ。
また、彼は、チームの勝利より、個人としての活躍を優先・・・とまでは言わないが、かなり重視する選手であることは確かだと思う。
全盛期に、3番を打診されても、可能な限り断り、打席数を稼げる一番に執着し、チームの勝利のために四球を選ぶこともなかった。
結局は、あまりに素晴らしい案打数のために評価されてしまっているが、彼が長打を狙い、3番に入っていれば、チームはもっと勝っていたかもしれない。
彼だって、チームの優勝やWシリーズ制覇は願っていただろうが、自分の活躍はもっと大事だと思っていたとしても、あれほどの選手だから罪はない。
第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、監督を務めて優勝した王貞治さんが、不思議なほど積極的に参加したイチローに対し、「彼はもっと個人主義かと思っていた」と言ったのが印象的だ。
本当は、王さんが思われた通りなのだ。そして、王さんも、実はかなりの個人主義なのではないかと思う。
イチローも、力が衰えてからは、ヤンキースやマーリンズで盛り上げ役をやるようになったが、それは、彼の鋭さを鈍らせることになってしまったと思う。
彼があくまで、大きな欠点のある孤高の打者でいれば、とっくに引退し、これほどの大記録は打ち立てなかったと思う。
まあ、どちらが良いかは分からないが。
芸術家だって、ピカソもゴッホも欠点だらけだ。
ピカソは「60代が芸術家の青春」と言って10代や20代も初めの若い女性ばかり求めたのは、単なる精神的未熟に過ぎないが、それが彼を大芸術家にしたのだ。
ゴッホは、一生、弟のテオに経済面の一切を依存した、単なるニートだった。精神異常もあり、精神病院にも入院した。
そんな救いようのない欠点が、やはり彼を偉大な画家にしたのだと思う。
そもそも、天才にまともな人間なんて、本当はいないのではないかと思う。
岡本太郎は、豪快で爽快なことを沢山言ったが、それは、つまるところ、「欠点なんか気にするな。それを治そうとするなど卑しい」ということなのだ。
彼のロングセラー『自分の中に毒を持て』なんてタイトル自体がそのことを示唆しているが、もっとど単純に、『欠点を持て』として欲しかったところだ。
学校では、欠点を矯正しようとする。
それで、良くいえば、見かけはバランスの取れた人間になるかもしれないが、そんな人間は爪のない鷹、牙のない狼だ。
人々は学校で、最初から終わった人間にされてしまい、世の中で何も出来ないのだ。
私は、元々引きこもりで、コミュニケーション能力はゼロだったが、セールスの仕事をしたことをきっかけに、その能力を少し持ってしまった。
それは、1つには、徹底したコミュニケーション能力の無さのせいで、学校で、かなり辛い目に遭っていたという理由もあるだろう。
それで、偽りのコミュニケーション能力を身につけたおかげで、底辺にしかいられない。確かに、「底辺にはいられる」という見方も出来るが、ストレスも多い。
まあ、協調性の方は、相変わらず1パーセントもないが、そのおかげで、少しは良い思いをしているのである。
国際的事業家で、特にセキュリティーの分野で、日米の政府機関にも関与する、斉藤ウィリアム浩幸氏は、「日本人にはチーム力がない」と指摘し、その改善を強く薦めるが、大きなお世話だ。
日本人だって、チーム力のあるやつはあり、ないやつはないというだけのことだ。
チーム力があることは良いことだが、ないやつは、その欠点が武器なのである。
なけなしの牙を抜かれた者がどれだけ惨めかは、彼のような超優秀なやつには分からない。
哭(な)いていた 唯 哭いていた
他人眼(ひとめ)につかない世界で
其(そ)して恥を知り 惨めになれば
全てが廻りだしてゆく
~『心臓デモクラシー』(作詞、作曲、編曲:みきとP、歌:初音ミク)より~
これは私の聖歌である。
我々凡人・・・いや、それ以下の不良星人は、欠点を大切に抱え、恥を知り、惨めにならなければならない。
それで、全てが廻りだすのである。
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