ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ゴッホ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

欠点は治すな、決して治すな

サッカーの三浦知良さんが、FIFAワールドカップに一度も出場していない(フットサル除く)のは不思議なことだ。
いろいろなタイミングが合わなかったとはいえ、あれほどの選手が、31歳、35歳、39歳でのW杯の代表を逃したのはなぜだろう?
それは、彼が完璧な選手だったからではないかと思うのだ。
確かに、彼は、心身のトータルで欠点のない選手だから、50歳近い今でも現役でやれるのだと思う。
しかし、彼がもし、何か大きく欠けたところのある選手だったら、選手寿命はとっくに尽きていたが、別の部分で、もっと突出した選手になっていたと思う。

野球のイチローも完璧な選手のように思われているかもしれないが、彼は欠点が大きいと思う。
「ホームランは狙って打てる」と言うが、彼は狙わない。
オールスター戦前のホームラン競争への出場を断ったのは、松井秀喜さんの「自分には分不相応」というのとは違い、理由がはっきりしなかったが、コンディションを落とす可能性があるからだと思われる。
イチローは、打てるとしてもホームランを狙えないのだ。
また、彼は、チームの勝利より、個人としての活躍を優先・・・とまでは言わないが、かなり重視する選手であることは確かだと思う。
全盛期に、3番を打診されても、可能な限り断り、打席数を稼げる一番に執着し、チームの勝利のために四球を選ぶこともなかった。
結局は、あまりに素晴らしい案打数のために評価されてしまっているが、彼が長打を狙い、3番に入っていれば、チームはもっと勝っていたかもしれない。
彼だって、チームの優勝やWシリーズ制覇は願っていただろうが、自分の活躍はもっと大事だと思っていたとしても、あれほどの選手だから罪はない。
第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、監督を務めて優勝した王貞治さんが、不思議なほど積極的に参加したイチローに対し、「彼はもっと個人主義かと思っていた」と言ったのが印象的だ。
本当は、王さんが思われた通りなのだ。そして、王さんも、実はかなりの個人主義なのではないかと思う。
イチローも、力が衰えてからは、ヤンキースやマーリンズで盛り上げ役をやるようになったが、それは、彼の鋭さを鈍らせることになってしまったと思う。
彼があくまで、大きな欠点のある孤高の打者でいれば、とっくに引退し、これほどの大記録は打ち立てなかったと思う。
まあ、どちらが良いかは分からないが。

芸術家だって、ピカソもゴッホも欠点だらけだ。
ピカソは「60代が芸術家の青春」と言って10代や20代も初めの若い女性ばかり求めたのは、単なる精神的未熟に過ぎないが、それが彼を大芸術家にしたのだ。
ゴッホは、一生、弟のテオに経済面の一切を依存した、単なるニートだった。精神異常もあり、精神病院にも入院した。
そんな救いようのない欠点が、やはり彼を偉大な画家にしたのだと思う。
そもそも、天才にまともな人間なんて、本当はいないのではないかと思う。
岡本太郎は、豪快で爽快なことを沢山言ったが、それは、つまるところ、「欠点なんか気にするな。それを治そうとするなど卑しい」ということなのだ。
彼のロングセラー『自分の中に毒を持て』なんてタイトル自体がそのことを示唆しているが、もっとど単純に、『欠点を持て』として欲しかったところだ。

学校では、欠点を矯正しようとする。
それで、良くいえば、見かけはバランスの取れた人間になるかもしれないが、そんな人間は爪のない鷹、牙のない狼だ。
人々は学校で、最初から終わった人間にされてしまい、世の中で何も出来ないのだ。
私は、元々引きこもりで、コミュニケーション能力はゼロだったが、セールスの仕事をしたことをきっかけに、その能力を少し持ってしまった。
それは、1つには、徹底したコミュニケーション能力の無さのせいで、学校で、かなり辛い目に遭っていたという理由もあるだろう。
それで、偽りのコミュニケーション能力を身につけたおかげで、底辺にしかいられない。確かに、「底辺にはいられる」という見方も出来るが、ストレスも多い。
まあ、協調性の方は、相変わらず1パーセントもないが、そのおかげで、少しは良い思いをしているのである。
国際的事業家で、特にセキュリティーの分野で、日米の政府機関にも関与する、斉藤ウィリアム浩幸氏は、「日本人にはチーム力がない」と指摘し、その改善を強く薦めるが、大きなお世話だ。
日本人だって、チーム力のあるやつはあり、ないやつはないというだけのことだ。
チーム力があることは良いことだが、ないやつは、その欠点が武器なのである。
なけなしの牙を抜かれた者がどれだけ惨めかは、彼のような超優秀なやつには分からない。

哭(な)いていた 唯 哭いていた
他人眼(ひとめ)につかない世界で
其(そ)して恥を知り 惨めになれば
全てが廻りだしてゆく
~『心臓デモクラシー』(作詞、作曲、編曲:みきとP、歌:初音ミク)より~

これは私の聖歌である。
我々凡人・・・いや、それ以下の不良星人は、欠点を大切に抱え、恥を知り、惨めにならなければならない。
それで、全てが廻りだすのである。









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お金を稼ぐ芸術家達

芸術的絵画とイラスト画は何が違うのだろう?
絵としては何も変わらない。
違いはただ1つで、値段がつくかどうか・・・早い話が、金のために描いたかどうかだけの違いだ。

ゴッホは生前、絵が1枚も売れなかったし、宮沢賢治も短編の童話に対して1回だけ僅かな原稿料をもらった以外は、文章でお金を稼いだことはない。
それを知ると、随分、この2人が気の毒に思えるのだが、しかし、それが当たり前なのだ。
彼らは、芸術家として作品を創ったのだから。
芸術家でも、ピカソやウォーホールは金持ちだったが、ピカソはたまたま、金が有り余ったパトロンがいただけだし、ウォーホールが金を稼いだのは、あくまで、商業デザインによってだ。

音楽においても、冨田勲さんは、アニメ音楽や映画音楽を一生懸命創ったのだし、坂本龍一さんもポップミュージックで成功したから金持ちなのだ。
芸術そのものが金になった人は、やはり、ピカソのような特殊な例外と見るべきだ。
ビートたけしさんなんて、実は世界的画家なんだが、本人は絵を売る気はさらさらないらしい。そんな気があったら、作品なんて創れないと本人も分かっているのだ。
一方、絵を描いてはいても、生涯、絵で1円ももらうつもりがなければ、堂々、芸術家を名乗れば良いと思う。

もちろん、芸術家が貧乏でいなければならない訳ではない。
それどころか、本物の芸術家ならお金儲けも出来るはずなのだ。
ウォーホールや横尾忠則さんらのように、商業デザインやイラストができるなら、そんな仕事を、芸術としてではなく、ビジネスとして取り組まなければならない。
冨田勲さんのように(あるいはそこまででなくても)、優れた作曲能力があるなら、商業音楽で成功できる可能性もあるだろう。
しかし、芸術家であることにこだわったら、お金は稼げない。
そんな芸術家は沢山いると思う。

我々は、芸術や、あるいは、宗教を、自己の内面の力を引き出すために使うべきなのである。
どんな天才といえども、その能力とは内的衝動なのだ。
それを起こせるのは、芸術と宗教以外にはない。
芸術というのは、宗教の下僕として生まれたという話もあるが、それはある程度正しいだろう。
例えば、宗教儀式に必要な音楽、装飾が芸術になったようなものだ。
宗教と芸術は近いところにあり、いずれも、正しく取り組めば、力を得ることができる。
つまり、芸術や宗教は、人を深いに意識に導き、誰の内部にも在る、より強い、より賢い自己と一致させるのである。
しかし、権威化、形骸化した伝統的な宗教や芸術に、そんな力はない。

ところが、芸術というものは、本当は、単に自己主張に過ぎないのだ。
本当の自己主張を持ち、それを伝えることができれば、それが芸術である。
「俺の芸術は高度だから凡人には分からない」
と言うなら、それでも良いし、実際、そうなのかもしれない。
しかし、本当は、高度な芸術ほど分かり易いのである。
だから、一番良い絵は、線一本で、永遠や神や宇宙を描いたようなものなのである。
線一本で自己主張できる芸術家は、信じられないほど多くの線をつないだ者なのだ。
ビートたけしさんも、お笑いを磨く中で、強烈な自己主張を持ったのだと思う。
我々も、何かを熱心にやれば、やがて優れた自己主張を持つが、続けるには好きなことでなければならない。
ビートたけしさんだって、お笑いが好きだったのだろう。
我々も、好きなことをしなければならないのであるが、そのための工夫は自分でしなければならないし、やはり、根気も必要なのだろう。
だが、心配無用だ。
それもまた、微かな心の声の呪文で速やかに得られるのである。
微かな心の声の呪文によって出てくるものは、自らもまた現れることを望んでいる。そのための加護は当然与えられるだろう。









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お金持ちになる本当の方法

サラリーマンをやったことがある社長と、そうでない社長がいる。
だが、両者の違いは、お金をもらう相手が、会社かお客さんかの違いだけだ。
ただ、会社は必ずお金をくれるが、お客さんは払うべき時だけ払うという違いがあり、この差が物凄く大きいのである。
サラリーマンだって、作ったモノや行ったサービスの代償としてお金をもらっているという意識があれば、プチ(小さい)経営者であると言える。
そんなサラリーマンは、作るモノや行うサービスがどんどん向上していくので、お金を払ってくれる会社は多くなるし、高く払ってくれるようになる。
ところが、多くのサラリーマンは、拘束されることの代償としてお金をもらうという意識が強いのだと思う。
そんなサラリーマンは、与えるモノもサービスも向上しないので、お金を払ってくれる会社は少ないし、少ししか払ってもらえない。

経営者もサラリーマンも、モノやサービスを提供する目的のかなりの部分がお金であるが、芸術家の場合は、その部分(お金をもらう目的)が非常に小さい場合がある。
それで、芸術家は、誰も払ってくれないということが、よくある。
ゴッホは生前は1枚も絵が売れなかったし(予約は1枚あったらしいが)、宮沢賢治が原稿料をもらったのは1回だけで、その金額は5円(小学教師の給料が60円くらいの時代)だった。
だから、芸術家は基本的には、芸術は仕事ではなく、芸術を成り立たせている技能を利用して(画家がイラストレーターとして等)、経営者として、モノやサービスを提供して客からお金をもらうか、自分の芸術とは全く関係のないこと・・・例えば、音楽家が皿洗いをしてお金をもらって生活するしかない。

セールスマンというのはちょっと特殊で、純粋なセールスマンというのは、自分が作ったのではないモノを売って、その売上金の一部を手数料としてもらうのである。
だが、この売るという行為は、モノを提供してくれる者と、それを買ってくれる客の両方に対するサービスである。
しかし、セールスが客に対するサービスだというところは理解され難い。
だから、騙してでも売るのがセールスマンだと誤解される。
ところが、保険のテレビCMを見ると、表向きはお客さんに対するサービスだと見せて、実際は、騙して売ると言えば怒られるが、儲けるためだけに売ろうとしていることを強く感じるのである。客に対して、メリットだけ言い、デメリットを隠すことは、サービスではないからである。

お金というのは、モノかサービスの代償としてもらうものである。
サラリーマンの場合、それをあまり理解していない者が多いが、それよりも、ほとんど理解できないのが派遣社員の仕事である。
派遣社員を見ていると、まさに、拘束の代償としてお金をもらうだけという感覚の者が圧倒的に多いように思えるのである。
だから、サービスを向上させようという意識が全く見られない。
人間が、何のために働くのかというと、お金をもらうことそのものが目的であると共に、お金をもらうことを通して、作るモノや行うサービスを向上させることである。
より良いモノを作ったり、より優れたサービスができるようになることで、人間的に成長するのである。
学校で学んだり、本を読むことは、そのための基礎であり、それだけでは成長しない。
だから、ニートは悪いというのではないが、大変に損なのである。
また、派遣で働くことも、かなり損なことである。
だが、何をしても、作るモノや行うサービスの代償としてお金をもらうという意識を強く持っていれば、望ましい成長ができ、結局、お金持ちになれる可能性が高くなる。
お金持ちになる本当の方法は、実際は、これしかないのである。
他の方法で得たお金はすぐに失われ、しかも、自分も破滅するのである。









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目先の快楽を追わないことが人生を実りのあるものにする

スターバックスという会社は、本物のコーヒーの味に魅せられた人達が、コーヒーの伝道師になった気で事業を始めたのであるらしい。
本に書かれているところではそうなっている。
それを見ると、「コーヒー中毒者を増やして儲けただけじゃないのか」という思いも出てくるが、やはり、彼らを疑うべきじゃないだろう。
しかし、信じてもいけないのだ。

クリシュナムルティは、「私は何も信じない」と言ったが、「疑いもしない」と付け加えれば良かった。
クリシュナムルティのファンは彼を信じているのだろうが、やっぱり信じちゃいけない。
ただ、疑わないだけで十分である。

スターバックスに戻るが、本物のコーヒーの香り、味わいは、心に憩いを与え、それが、人生を豊かにすると言う。
さらに、スターバックスの事業に関して言うなら、「無理に儲ける気はない。しかし、本物を届けようとする誠意が、結局は幸運をもたらす」といったことも本に書かれていたと思う。
私はここで、「なら、クラシック音楽や絵画はもっと心を豊かにするのではないか?」と言うつもりはない。
だが、「なんて美しい言葉、理念だ」と、ただ感動するつもりもない。

ゴッホやピカソは、別に人々に憩いを与えたり、人々の人生を豊かにするために絵を描いた訳ではないだろう。
とはいえ、ピカソはたまたま金持ちになったが、両方とも、儲けるつもりで描いたのでもないと思う。
池田満寿夫さんによれば、ゴッホは、自分の絵が、人々の家の居間に飾られることを望んでいたのだと言う。
横尾忠則さんは、天国の美を地上に現すために制作するのだという。
しかし、誰が言ったことも、疑う必要はないが、無闇に信じてもいけない。
だから、もし、芸術家にしろ、スターバックスのような事業の事業家にしろ、彼らが、「私の言うことを信じろ」と言うなら、無視して良い。
「私を信じろ」なんて言う者は、ロクなものではないのだから。
宗教ってのは、大抵がそうかもしれない(この言い分自体、信じるな)。
宗教には、信じる以外のことはない。
しかし、「別に信じなくていいよ」という宗教家がいれば、彼は善い宗教家かもしれない。

音楽家の渋谷慶一郎さんは、自分が作曲した、初音ミクが歌う『イニシエーション』のWebサイトで、「中毒になるまで聴いて欲しい」と述べておられたと思うが、それは、要望としては悪くなく、非常に正直で清々しいとすら思う。
権威的な美術批評家グローマン博士が、池田満寿夫さんに手紙で、「君の版画が私の部屋に飾ってある。毎日、君の絵を見るのが私の楽しみだ」と書いて送ったようだが、別にグローマンでなくても、これが作品に対する最高の誉め言葉だろう。
あるいは、元大リーガーの長谷川滋利さんが、エンゼルス時代だったと思うが、先発から中継ぎに転向させられた際、監督は、「お前は先発で通用しないから、中継ぎをやれ」とは言わず、「俺は毎日、お前のピッチングを見たい」と言ったことを、長谷川さん自身が明かしていたが、長谷川さんはテレビの視聴者を楽しませるために言った部分もあるにしろ、この監督は本気で言ったと私は思いたいのだ。
そして、それが本気だったというのは、結果として現れている。
長谷川さんは大選手になり、オールスターにも出て、良い形で現役を終えることができたのだ。
グローマン博士は毎日、池田満寿夫さんの版画を見たかったのだし、エンゼルスの監督は、毎日、長谷川さんのピッチングを見たかったのだ。
渋谷慶一郎さんは、逆の立場で、「俺の曲を毎日聴いて」と言っているように思え、非常にピュア(純粋)で、ある意味、可愛いと思う。
ゴッホも、池田さんの言う通りなら、同じことなのだろうが、芸術家というのは、そんなものかもしれない。
私は、『イニシエーション』も好きだが、同じ曲から創られた、『声と言葉のアリア』が好きで、こちらは毎日聴いている。
この2つは、詩は違うが、別に、東浩紀さんの『イニシエーション』の詩が悪いのではなく、この詩は実に良い(ちょっと硬いとは思うが、それは意図的なものだろう)。
余談だが、私は初音ミクをエロティックに扱うのは大嫌いだが、エロスの王様の池田満寿夫さんなら、初音ミクをどうアレンジするかは見たいと思うのだ。
もちろん、池田さんはミクが生まれる10年以上前に亡くなっている。

つまるところ、本当に熱心にやれることを見つけられた人が幸いなのだろう。
ただし、上に挙げた、「熱心に励む」人達だって、最初から、そんなものがあった訳じゃない。
何でもやってみた結果、そこに行き着いたのだ。
ピカソは、生まれつき才能があったし、豊かな家庭にも恵まれた有利さはあったが、初めは写実画を熱心に勉強し、描いていて、後で抽象画に取り組んだのだ。
スターバックスの伝説のCEO、ハワード・シュルツは、貧しい家庭に育ち、フットボールや商社の仕事に夢中になりながら、コーヒーに行きついた。
平凡ではあるが、適当な快楽、快感を追わず、暫定的でも良いので、本気になれそうなものを見つけるのが、結局は、本当の人生の楽しみを見出せるということなのだろう。
つまらない人生というのは、何もしなかったのではなく、つまらないことばかりやった結果なのだ。
そして、早く本物を見つけるためには、誰も、あるいは、何も信じてはならないが、さりとて、疑ってもならない。









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運を無駄遣いせず貯めておけば安泰である

人が持つ一生の運の量は決まっているという話がある。
その通りだ。
アメリカの自己開発プログラムの分野で有名なある人は、自分が開発したそのプログラムは、人生のあらゆる分野で成功するためのものだと言っていたが、それは無理だ。
彼は金持ちで、成功した面もあるが、その彼が離婚している。
彼は敬虔なクリスチャンだというが、それなら離婚は重罪のはずである。
しかし、なぜか彼のそんな単純な誤魔化しを、彼の信奉者は無視してしまうのだ。

金持ちになる方法で名を知られるウォレス・ワトルズは、金持ちは実生活では普通の人以上に惨めだと述べている。
その彼は、金持ちになり、それなりに後世に名を残し、家庭にも恵まれていたが、彼はずっと病気持ちで、50歳そこそこで亡くなっているのである。
やはり、運の収支はプラスマイナスが合うのである。
ゴッホは、画家として全く評価されず、生前は絵が1枚も売れなかった。そして、37歳の若さで自殺することになり、悲劇の画家と言われているが、一生働かず、生活や、芸術のためのお金は全部、弟のテオが面倒を見てくれた。特に絵画に関しては、高価な画材であっても、テオに要求するだけで用意してもらえた。
それで、好きな絵を好きなだけ描けたのだ(実際、凄い制作数であった)。
ゴッホが悲運だなんて、とんでもない話で、これほど幸運な画家がどこにいるだろう?

宮沢賢治も、ずっと病気がちで、結婚どころかガールフレンドの一人もできなかった。
生前に作品が認められることはなかったし、ゴッホと同じ37歳で若死にしているので、どこか悲運の芸術家のイメージがあるかもしれない。
しかし、実家が金持ちで、経済的な苦労は全くなく、思う存分、小説や詩を書き、さらに、楽器や外国語を本格的に勉強できたばかりでなく、一時は菜食で粗食であったが、後にはかなりのグルメも楽しんでいた。
いったい、どこが不幸であろう?

小説の『木枯し紋次郎』を読むと、紋次郎と言うか、著者の笹沢左保さんは、上に書いたようなことを分かっていたのだと思う。
紋次郎は、あらゆる「いい思い」を避けているように見えるが、その分、重要な場面では強運を発揮している。
そして、ラッキーな思いをしたら、それを確実に返して、結果として、運を減らさないのだ。
誰かに情けをかけてもらったら、異常なまでの律儀さで、その借りを必ず返した。
賭場で儲けたら、その一部は胴元への礼として返すのは、暗黙のしきたりのようなものだが、紋次郎は12両儲けたら5両も返し、残り7両のうち6両は結局、貧しい女に恵んでしまったりする。
人生をよく知っている作家が書いた『木枯し紋次郎』は、そんなところでも非常に有益な作品である。

人間は、自我の欲望のために運を使い果たし、惨めな思いをしてしまうのである。
だから、快楽や自尊心という人間の弱点を克服すれば、一生安泰なのである。
具体的には、食を慎み、性的快楽をなるべく抑え、謙虚になれば、それが一番安全なのである。
不遇なくらいで丁度良く、大勢に影響がないなら、多少アンラッキーなことがあった方が良い。
いつも良い思いをしていたら、肝心な時にうまくいかず、大事なものを失うかもしれないのである。
せめて電車の中での席取りは失敗すべきだし、宝くじは外すべきだろう。
そうやって運を貯金すべきである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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