ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ゴッホ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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暇を作ることに努力せよ

アインシュタインのような才能の持ち主は、案外、沢山いるが、そんな本当は優れた者達のほとんどが、ありふれた仕事に就き、ありふれた人生を送る場合が多いのだと思う。
では、なぜ、アインシュタインが才能を発揮出来たのかというと、子供の時に、たまたま科学の本を与えられ、それに興味を持ったということもあるが、何より、時間があったからだ。
早い話が暇だった。
アインシュラインは劣等性で、学校の勉強に時間をつぎ込むことはなく、習っていたヴァイオリンは、先生が嫌いだから止めてしまったし、友達と元気に遊び回る腕白坊主でもなかった。
自分が働かないとやっていけない家庭状況でもなく、今日のようなスマホやテレビゲームがある訳でもない。
実際、時間が有り余っていて、ぼーっと空想していることが多かったという。
大学受験には失敗しているが、元々、大して受験勉強はしていなかったと思うし、指定予備校に1年通えば無試験で大学に入れる制度があったので、大学に入るまでの1年も暇だった。
大学に入ってからも、講義には全く出ず、それでも卒業出来る制度だったのが良かったのだろう。
唯一、大学を卒業するのに必要な試験に合格するために詰め込み勉強をしなければならず、これについてアインシュタインは散々文句を言っているが、ぞれ以外は自由時間だったのである。
大学の成績も良くなく、大学や企業に就職出来なくて、なんとか特許局の事務員になったが、そこでも、仕事中に読書したり、論文を書いているが、それは、仕事が大して忙しくなかったからだ。
こんなふうに、彼は時間に恵まれていたから成功したのである。

童話作家のアンデルセンもそうだった。
幼い時、家にたった1冊しかなかった童話の本を、お母さんが繰り返し読んでくれたことが、アンデルセンの想像力を育てたのは、水木しげるさんのお婆さんが、水木さんが幼い時に、毎夜、枕元で妖怪話を聞かせてくれたのと似ている。
そして、やはり、アンデルセンも暇だった。
女の子のような性格で、他の男の子達と遊ぶことはなく、学校も不登校なことが多かった。
そして、彼のような庶民の家の子は、皆、10歳くらいになったら工場などに働きに行くのが当たり前だったが、アンデルセンには務まらずに彼は家に居た。
だから、アンデルセンには時間がたっぷりあり、一人遊びをしたり、ぼーっとして、想像力をさらに伸ばしたのだ。

あくまで小説だが、日本では人気がある『フランダースの犬』の主人公の少年、ネロにしたって、貧しいはずが、生活面は高齢のおじいさんにまかせ、自分は、炭しか画材はなかったとはいえ、絵を描いていられた。
それで思い出すのは、かのゴッホが、生活の一切、さらには、画材の購入や調達も、弟のテオが全部面倒を見ていて、ゴッホは働く必要もなく、時間がたっぷりあったので、絵画の制作に時間を注ぎ込み、沢山の作品を残したのである。

それに比べ、現代人は、子供の時から、習い事だ、塾だ、宿題だ、予習だ復習だと忙しく、勉強嫌いなら、スマホやゲームに時間を食い尽くされてしまう。
中学からは部活・・・そうでないなら、やっぱりスマホにゲームに動画視聴(昔はテレビだった)。
本当に好きなことをやる時間が全然ない。
正直、全然知らないのだが、米津玄師さんなんて、子供の時から暇な時間がたっぷり持てる環境にあったのだと思う。
彼が、お稽古事や塾や部活に忙殺されていたら、こんなふうにはなっていなかったはずだ。

サラリーマンなんて、朝から晩まで会社に勤め、スマホやゲームを含め、他にも下らない娯楽が溢れているので、そんなもので時間を潰したら、もう何も出来ない。
休日も、エネルギーが残っていないこともあるだろうが、受け身でやれる娯楽ばかりやるようになり、何か1つくらいはあるはずの才能を伸ばす余裕はない。
職人やお店をやっている人や、その他の大半の自営業者も、身を粉にして働いても収入が低い仕組みに世の中がなってしまっていて、サラリーマンよりも厳しい状況だろう。

とにかく、何かやりたい、才能を伸ばしたい、楽しい人生にしたいなら、必要なのは時間・・・というか暇である。
小泉元総理は、サラリーマン時代、会社で仕事をしなくても給料を貰えたことについて追及されると、「人生いろいろ、会社もいろいろだ」と言ったが、結局、彼はツイてたのである。
古い話だが、大俳優だった丹波哲郎さんも、最初はサラリーマンだったが、いったん会社に出勤したら、すぐに遊びに行ってしまって会社には居らず、たっぷりある時間を使って大いに創造性を磨いたのではないかと思うが、そもそも、彼は、子供時代から好きなことをやる時間が有り余っていたのである。

学校や会社や、あるいは、家庭で、優等生になってしまっては、家畜の牛や豚、あるいは、奴隷と変わらない人生しか得られない。
偉人たちから学ぶべきことは、勉強だの修練もだが、それよりも、彼らがいかにして暇を作ったかである。
家がお金持ちであったり、ゴッホのように献身的な兄思いの弟がいたなど、恵まれていた場合もあったが、そうでない偉人もいたはずである。
だが、特に子供向けの伝記では、一番肝心な「怠け方」「押しつけの義務からの逃亡法」といった部分が省かれてしまっており、作り物の真面目人間の姿に描かれていることが多い。
とはいえ、偉人は自由を得るために戦った部分もあるのだ。アインシュタインもそうだった。
とにかく、優等生の称号など、決して決して決して求めてはならない。
学校の教師や、毎日テレビを見ているような親には怒られるようでないといけない。
また、テレビは見てはいけないし、スマホもなるべく使ってはならない。
下らない付き合いはやめ、会社では、定時になったら、他の者が忙しそうにしていても気にしながらでも帰る。
そういったことを「努力」と言うのである。








暇であることに決して罪悪感を持つな

暇であることに罪悪感を持つのは、国家の洗脳が原因であると私は思っている。
今だって日本人は、「粉骨砕身」、「刻苦精励」、「不惜身命」、「奮戦努力」、「思い込んだら試練の道を」(笑)・・・といった言葉を、尊く立派であると強制的に感じてしまう。
それが国を操る闇の支配者による国民への強力な洗脳の効果なのだ(あくまで持論w)。

実際、優れた業績を上げた人の大半は、暇だから、そんなことが出来たのである。
だが、「暇=何もせずにゴロゴロすること」だと思うこともまた、暇が罪悪という洗脳のためだ。
暇な時間は、時にはゴロゴロするのも勿論良いが、楽しく有意義に過ごすべきものなのだ。
エジソンが凄い努力家だったように言われているが、本当のことを言うと、勤めもせず暇だったから、好きな実験が出来たのだ。
それに、彼も実際は結構怠け者で、特に成功した後では、昼頃まで寝ていたことは、よく知られている。
ついでに言えば、エジソンが死んだ後、机の引き出しの中に、「私は成功する」「私は天才」と書かれた紙が入っていたという話があり、エジソンは、潜在意識活用の技術をうまく使っていたのだと思う。

大画家のゴッホは、弟のテオが、生活から画材一切の費用を全面的に負担してくれて、暇だったから絵画の制作に没頭出来た。
確かに、ゴッホは多作の画家で、1年に百枚以上描くほどだったらしいが、生前には絵は1枚も売れなかった(予約が1枚あったらしいが)。
それでも、生活のために似顔絵を描いたり、ましてや、働くこともなかったので、あれほどの画家になれたのに違いない。
ピカソも、家がお金持ちだったし、また、画家になってからは金持ちのスポンサーに恵まれたので、生涯、経済的に苦労せず、60歳になっても、美術学校で十代の女の子のナンパに励みながら(暇だなあw)、好きな絵も沢山描いた幸福な一生だった。
ピカソやゴッホを称賛する岡本太郎も、家が大金持ちで、フランスに留学した時も、カフェやビストロ(居酒屋)に入りびたり、沢山の女の子と同棲したらしい。
それでこそ、心が豊かになり、爆発の芸術を生み出せたのだろう。

ところで、私にも、こんなことがあった。
非常に高収益な優良企業に居たことがあるが、入社時に、その会社を一代で築き上場もさせた社長に言われたものだ。
「1年程は、いい身分だなあと思ってのんびりしてればいいんだ」
「いいか。時間があったらセカセカ仕事するようでは駄目だ。そこで(休憩室を指さす)お菓子食べてればいいんだ」
「(私が働いているところを休憩室に引っ張っていき)何働いてばかりいるんだ。ぼーっとせい、ぼーっと」
これは、誓って嘘ではない。
多分、社長は、私に何か才能を見出したのだろうが、闇の支配者の洗脳が思ったよりは効いていた私は、ついつい真面目に仕事をしてしまう(笑)。
それで、私は、ある程度の利益は上げたが、会社を爆発的に発展させることは出来なかった。
そもそも、私が広範囲のIT技術を身に付けたのも、暇だったからという面は確実にあった。
私は、ITなど全く出来なかった頃、小さな会社に勤めていたが、何も出来ないので仕事がなかったし、また、不思議に、仕事せずに遊んでいても何も言われなかった。
ここらは、ジョセフ・マーフィーの本を読んでいて、「私はプログラマーだ」とアファーメーションしていたので、潜在意識が暇を作ってくれたのだろう。
竹村健一さんも、「仕事がなかったら、ええ身分やなあと思って勉強しなさい」と本に書かれていたので、有り難く実践したのである。

あなたも、「私は〇〇だ」と宣言すれば、暇になるかもしれない。
そこで、自分の好きなことを楽しむのだ。
ちなみに、私はニートで1日中暇な時に、ジョセフ・マーフィー等の潜在意識による成功法則、引き寄せの本を熱心に読んだのである。
まあ、闇の支配者の洗脳がなく、就職なんかせずにもっと暇でいたら良かったのかもしれないが(笑)。








人間の値打ちとは意外なものである

昔、夏目志郎さんという世界的なセールスマンが著書で、「人間の値打ちは収入の高さ」と断言していた。
今、そんなことを有名人が言ったら炎上するし、昔でも反発を持たれ易い発言だろう。
しかし、私は、当時も今も、それはある程度正しいと思う。
例えば、学歴の高さは、かなり人間の価値として認められているが、それに比べれば、収入の高さの方が、はるかに正しい価値だと思うのである。
それよりも、「人に優しい」とか「正直である」といったことが人間の価値であるというなら賛同も得易いかもしれない。
しかし、普通の人において、そういったことで著しい差はないと思うし、そもそも、親切さや正直さの高さは判定し難いはずだ。
だが、あからさまに不親切だったり、嘘つきだったりでは、悪徳政治家のような自分に縁のない存在の場合は知らないが、高い収入は得られないだろう。
他にも、「美人美男である」「トークが面白い」なども人間の価値と感じるかもしれないが、さりとて、美人じゃないから、トークが下手だから価値がない人間ということにはならない。
そんなふうに、いろいろ考えれば、収入の高さが人間の値打ちというのは、それほどひどい意見とは思えないのだ。

ところで、ここが核心なのだが、収入の高さは何で決まるだろう。
それは「人気」であると断言出来る。
金銭的価値そのものが人気で決まるのだから。
例えば、ピカソやゴッホやセザンヌの作品は高価であるが、なぜ高価なのかというと、絶対に、人気があるからなのだ。
芸術においても、高い値のつくものほど、芸術的にも価値があるのである。
ピカソの絵はピカソ存命中から価値があった。なぜなら、ピカソが生きているうちに絵は高値で売れ、ピカソは金持ちだったからだ。
しかし、ゴッホの絵は、ゴッホが生きている間は1枚も売れず(1枚、予約はあった)、ゴッホの作品はゴッホ存命中は値打ちがなかったが、ゴッホが死んでから価値あるものになったのである。

天動説になぜ価値があるかというと、それが真理であるからではなく、やはり人気があるからなのだ。
ガリレイの時代、地動説に価値はなかったのだ。
「いや、ガリレイの時代だって、地動説に価値があったはず」とは、今だから言えるのである。なぜなら、今は、地動説の人気が高くて価値があるからだ。

人気があったヒトラーに価値があったとは思いたくないし、人道的にはヒトラーが正しくないのは明らかだが、やはり、人気があった時のヒトラーには価値があった。今はヒトラーに全く価値がないことは間違いないがね。
例えば、仮に、ヒトラーは実は素晴らしい人物だが、闇の勢力の宣伝で悪人にされているとしたらどうだろう。
もし、そんなことが本当だとしても、将来、ヒトラーに価値が出るかもしれないが、今は、全くないのである。

ただ、人気は取ろうとして取れるものではない。
普通は、多くの人を喜ばせることが出来れば人気者になる。
姑息なテクニックでは、一時的にいくらかの人達を喜ばせ、人気が出ることはあるかもしれないが、すぐに人気はなくなる。
そして、収入と人気は、少なくとも、正の相関関係はあると思う。
学歴や地位や美貌や家柄を鼻にかけるよりは、密かに、人気や収入を誇りに思うと良い。
ただし、密かにでなければ、人気を失い、実入りも少なくなるだろう。
だが、それよりも、大きな愛があれば、全てを得る。何も誇らなくてもね。
食欲や性欲や名誉欲の見返りなしに何かを大切にすれば、それが愛である。
それでうまくうだろう。絶対に。








わが友、わが味方、そは暇なり

昨日、「暇」がどれほど良いものであるかを述べた。
ただ、世間のイメージには、「小人閑居(かんきょ)して不善をなす」(つまらない人間は暇だとロクなことをしない)というイメージがある。
しかし、これって、国民を牛馬のごとく働かせるための、国家の思想統制ではないかと思う。
暇だと、酒ばかり飲んだり、色事ばかりにのめり込むやつって、それまで忙し過ぎたり、ストレスがある連中だろうと思う。
だが、芸術家がその典型だが、酒と女に溺れて暇なやつらが大画家、大作家、あるいは、大科学者にもなる。

西村博之(通称ひろゆき)さんの受け売りだが(西村さんも『銃・病原菌・鉄』という本で学んだ)、白人が有色人種を支配出来たのは、食料を生産し、輸送し、保管する技術を発達させるのに都合の良い場所に住んでいたからで、食べるために働く時間が短く、暇だったので、頭を使い、科学技術を発達させ、武器も作ったからだ。
きっと、「もっと暇出来るよう、征服したり、奴隷を作ろう」と考えたのだ。

アインシュタインがなぜ賢かったかというと、やっぱり暇だったからではあるまいか?
アインシュタインは、子供の時、「光と一緒に飛んだらどうなるだろう」と考えたらしいが、なんて暇な子なのだろう(笑)。
暇でなければ、そんな相対性理論のヒントになる考察などしなかった。
ヴァイオリンは、先生が嫌いですぐやめた(後に、「暇だったので」1人で練習した)ので、習い事などせず暇だったのだろう。
学校の勉強もせずに落第生で暇だったし、大学受験に落ちて、予備校で優雅に過ごし、無試験で大学に入った(予備校に1年行けばそう出来た)ようだ。
大学に入ってからも、講義は嫌いで一切出なかったし(卒業試験のための詰め込み勉強はしたが、それは試験直前だけである)、苦学生だった訳でも、ディスコでフィーバー(そんなもん、あるはずないが)していたのでもない。暇で、本を読んだり、大学の実験室を無断借用して趣味の実験をしたりで、伸び伸び知性を伸ばしたのである。
あんまし暇だったので、数学家の女の子を口説いてもいた(後に責任取って結婚した。偉い)。
そして、彼があまりお金を必要としない性格であったことも幸いした。
いつも同じよれよれの服を着、靴下を履かず、美食家でも金のかかる趣味もなく、金を稼ぐために必死で働くこともなく暇だったから、大発見も出来たのだと思う。

大画家となると、もう明らかに暇だ。
ピカソは家が豊かで、芸術の勉強以外は暇だったし、名門美術学校に行ったこともあり、早くに画家として成功し、金があったので、作品作りに没頭出来た。
だが、あんまし暇なので、美術学校の女の子を口説きまくり(まあ、「ボク、ピカソ」の一言で口説けたらしい)、60歳過ぎて二十歳前後の「妻」が何人もいたとか。羨ましい(笑)。
ゴッホは貧乏だったが、なんと、弟のテオが生活や絵画制作のための一切の経済面をまかなってくれて、ゴッホは「描くだけ」の人だったのだ!
ゴッホの絵は、ゴッホが生きている間は1枚も売れなかったが、素晴らしい弟のおかげで、「絵を描く暇なら無限にあった」のである。
宮沢賢治だって、家が大金持ちで、暇だったので、考える時間や創造的趣味に費やせる時間がたっぷりあったから、名作を沢山書けたのではないか。

そして、今の時代、賢く振舞えば、誰でも暇になれるはずなのだ。
しかし、首尾よく暇になれても、創造的な暇人であると良い。
ただ、創造的と言っても、何が創造的かは分からないが。
ゲームばかりやってるのは創造的に見えないが、ゲームばかりやってて、そのおかげで成功した人もいるのだしね。
まあ、全ては自己責任でということで。
以下ご紹介する西村博之さんの本は、本当に有意義かどうかは読む人次第だが、面白いし、賢く応用すれば確かに強力な武器と思う。









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欠点は治すな、決して治すな

サッカーの三浦知良さんが、FIFAワールドカップに一度も出場していない(フットサル除く)のは不思議なことだ。
いろいろなタイミングが合わなかったとはいえ、あれほどの選手が、31歳、35歳、39歳でのW杯の代表を逃したのはなぜだろう?
それは、彼が完璧な選手だったからではないかと思うのだ。
確かに、彼は、心身のトータルで欠点のない選手だから、50歳近い今でも現役でやれるのだと思う。
しかし、彼がもし、何か大きく欠けたところのある選手だったら、選手寿命はとっくに尽きていたが、別の部分で、もっと突出した選手になっていたと思う。

野球のイチローも完璧な選手のように思われているかもしれないが、彼は欠点が大きいと思う。
「ホームランは狙って打てる」と言うが、彼は狙わない。
オールスター戦前のホームラン競争への出場を断ったのは、松井秀喜さんの「自分には分不相応」というのとは違い、理由がはっきりしなかったが、コンディションを落とす可能性があるからだと思われる。
イチローは、打てるとしてもホームランを狙えないのだ。
また、彼は、チームの勝利より、個人としての活躍を優先・・・とまでは言わないが、かなり重視する選手であることは確かだと思う。
全盛期に、3番を打診されても、可能な限り断り、打席数を稼げる一番に執着し、チームの勝利のために四球を選ぶこともなかった。
結局は、あまりに素晴らしい案打数のために評価されてしまっているが、彼が長打を狙い、3番に入っていれば、チームはもっと勝っていたかもしれない。
彼だって、チームの優勝やWシリーズ制覇は願っていただろうが、自分の活躍はもっと大事だと思っていたとしても、あれほどの選手だから罪はない。
第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、監督を務めて優勝した王貞治さんが、不思議なほど積極的に参加したイチローに対し、「彼はもっと個人主義かと思っていた」と言ったのが印象的だ。
本当は、王さんが思われた通りなのだ。そして、王さんも、実はかなりの個人主義なのではないかと思う。
イチローも、力が衰えてからは、ヤンキースやマーリンズで盛り上げ役をやるようになったが、それは、彼の鋭さを鈍らせることになってしまったと思う。
彼があくまで、大きな欠点のある孤高の打者でいれば、とっくに引退し、これほどの大記録は打ち立てなかったと思う。
まあ、どちらが良いかは分からないが。

芸術家だって、ピカソもゴッホも欠点だらけだ。
ピカソは「60代が芸術家の青春」と言って10代や20代も初めの若い女性ばかり求めたのは、単なる精神的未熟に過ぎないが、それが彼を大芸術家にしたのだ。
ゴッホは、一生、弟のテオに経済面の一切を依存した、単なるニートだった。精神異常もあり、精神病院にも入院した。
そんな救いようのない欠点が、やはり彼を偉大な画家にしたのだと思う。
そもそも、天才にまともな人間なんて、本当はいないのではないかと思う。
岡本太郎は、豪快で爽快なことを沢山言ったが、それは、つまるところ、「欠点なんか気にするな。それを治そうとするなど卑しい」ということなのだ。
彼のロングセラー『自分の中に毒を持て』なんてタイトル自体がそのことを示唆しているが、もっとど単純に、『欠点を持て』として欲しかったところだ。

学校では、欠点を矯正しようとする。
それで、良くいえば、見かけはバランスの取れた人間になるかもしれないが、そんな人間は爪のない鷹、牙のない狼だ。
人々は学校で、最初から終わった人間にされてしまい、世の中で何も出来ないのだ。
私は、元々引きこもりで、コミュニケーション能力はゼロだったが、セールスの仕事をしたことをきっかけに、その能力を少し持ってしまった。
それは、1つには、徹底したコミュニケーション能力の無さのせいで、学校で、かなり辛い目に遭っていたという理由もあるだろう。
それで、偽りのコミュニケーション能力を身につけたおかげで、底辺にしかいられない。確かに、「底辺にはいられる」という見方も出来るが、ストレスも多い。
まあ、協調性の方は、相変わらず1パーセントもないが、そのおかげで、少しは良い思いをしているのである。
国際的事業家で、特にセキュリティーの分野で、日米の政府機関にも関与する、斉藤ウィリアム浩幸氏は、「日本人にはチーム力がない」と指摘し、その改善を強く薦めるが、大きなお世話だ。
日本人だって、チーム力のあるやつはあり、ないやつはないというだけのことだ。
チーム力があることは良いことだが、ないやつは、その欠点が武器なのである。
なけなしの牙を抜かれた者がどれだけ惨めかは、彼のような超優秀なやつには分からない。

哭(な)いていた 唯 哭いていた
他人眼(ひとめ)につかない世界で
其(そ)して恥を知り 惨めになれば
全てが廻りだしてゆく
~『心臓デモクラシー』(作詞、作曲、編曲:みきとP、歌:初音ミク)より~

これは私の聖歌である。
我々凡人・・・いや、それ以下の不良星人は、欠点を大切に抱え、恥を知り、惨めにならなければならない。
それで、全てが廻りだすのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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