ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ゴッホ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

趣味のエロで成功した大芸術家達

人間は、寝食を忘れて打ち込めるほど「好き」なことをして生きなければならない。そこが他の動物との違いであり、万物の霊長たる証と思う。
そういった意味で、仕事と趣味は同じである。
よく「仕事と趣味は違う」と言う人がいるが、そこそこ好きな趣味は仕事ではないという意味では正しい。
仕事になる趣味とは、好きで好きでたまらないほどの趣味でなければならない。

投資というのは仕事なのだ。ここを多くの人が勘違いしている。
投資が趣味という人でなければやってはならない。
つまり、お金を増やすことを考えることが好きで好きでたまらず、ずっとやっていられる人の仕事だ。
大儲けする投資家は、ずっとパソコンに張り付いて投資に関することをしている。
月に何億円稼ごうが、食事はそこそこ美味しくて手早くとれるもので済ませるし、パソコンの近くにいられるよう配達してもらう場合も多いと思う。そして、稼いだからと言って、豪華な旅行に行くわけでも、高価な買い物をするわけでもない。
そんな人のことを、偏った哀れな人間のように言う者もいるが、趣味ってそんなものなのだ。

ところで、仕事に関する重要なことを述べる。
たとえば、プログラマーというのも、プログラミングが好きで好きでたまらず、1日中やっていられる者でなければならない。
だが、何をどうプログラミングをするのかが分からないとプログラミングは出来ない。
ゲームプログラミングであればゲームに関する幅広いことを、ビジネスプログラミングであれば、やはりビジネスに関する必要なことを深く理解しなくてはならない。
そのためには、ある程度の期間は妥協して面白くないこともしなくてはならない。
昔、YouTubeでひろゆきさんが、「人と関わりたくない人はプログラマーになるといい。プログラマーなら、誰とも会わずに部屋の中でパソコンを触っていればいい」と言ったが、プログラマーになるまでには、人と会っていろいろな経験を積む必要がある。その中でも長時間プログラミングするうちに、何をどう作れば良いか分かってきて、後は、依頼内容を形式的に伝えてもらえばプログラミング出来るようになる。形式的に伝えられない曖昧な内容であれば引き受けない。優秀なプログラマーならそれで通用する。何を作るかで煩わされるのは三流のプログラマーだ。

ミュージシャンがそうではないか?
有名なミュージシャンが「街角でハーモニカを吹いてさえいられたら満足出来るやつでないとミュージシャンになれない」と言ったが、そのくらい音楽が趣味でなければミュージシャンなどやっていられない。
しかし、音楽だって、どんな音楽を作り、どうプレイすればいいかが分かるためには、あらゆることをやって経験を積まないといけない。どれほどの大物ミュージシャンにだって下積み時代はある。
だが、不遇な目に遭いながらも、好きで好きでたまらない音楽を続けたから形になったのだ。
ビートルズだって、何十回もオーディションに落ち、客が少ないライブハウスや野外で演奏しているうちに音楽スタイルを作っていったのだ。それで大物プロデューサーに見いだされ、売れるスタイルを吸収して成功したのである。

ピカソもゴッホも1日中、絵を描いたり版画を作ったりしていた。
ピカソはたまたま大金持ちのスポンサーが出来たから豊かだったが、ゴッホはそうではなく、1枚も絵が売れないのに他の仕事をする気は全くなく、弟のテオに経済面の一切を依存していた。
絵は彼らの本当の趣味であり、だから彼らは大画家になったのだ。ただ、ゴッホは生きているうちは有名にも金持ちにもならなかったが。
ゴッホは、ウォーホールのように商売画家で下積みをしていたら生きている間に画家で成功していたかもしれない。
池田満寿夫は下手な似顔絵屋で食べていた頃があるが、町の似顔絵屋達からは「お前みたいに下手なのがいたら俺達の評判も下がるから、似顔絵屋をやめろ」と脅されたらしい。それでも、いろんな修行をしたから成功したのだろう。
ピカソも池田満寿夫も、女とかエロいことが大好きでそれを芸術にしたのだ。エロが趣味だったと言えるかもしれない。
ピカソは80歳を過ぎても1日中エロい版画を制作し、その膨大なエロ版画はエロチカシリーズという傑作を生んだ。池田万寿夫も、エロチカシリーズに魅了され、かなり収集したようだ。
池田万寿夫はエロい小説で芥川賞を取り、その小説のエロい洋画まで作ってしまった。その芥川小説(エーゲ海に捧ぐ)では12歳の女の子を徹底的にエロく虐め、その映画作品ではそんな年齢の西洋人の美少女を女優にして撮ってしまうのだからロリコンの趣味も芸術として全うした。ただ彼の場合、ロリコンだけでなくストライクゾーンが広かった。
(もっとも彼は女子高生に仕事場見学をしたいと頼まれても恥ずかしくて返事も出来ないほどシャイだったらしい)
エロも突き詰めれば仕事に、そして芸術になるものだと感動する。
エロも、彼らのように大真面目にやらないといけない。
池田満寿夫の人生には学ぶことが多いと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)エーゲ海に捧ぐ(池田満寿夫)
(2)私のピカソ私のゴッホ (池田満寿夫)
(3)池田満寿夫絵画を語る(池田満寿夫)
(4)私の調書(池田満寿夫)
(5)青春ピカソ(岡本太郎)
(6)自分の中に毒を持て(岡本太郎)

真昼の天使
AIアート2294
「真昼の天使」
Kay

大芸術家達の引き寄せ体質

満ち足りていることと飢餓感・・・この両方が必要だ。
世の中には、このどちらかを極端に嫌う人が多い。
満ち足りていることしか受け入れなければ小市民・小善人になり、飢餓感しか受け入れなければ極貧になる。

何事も、原動力は飢餓感・・・ハングリー精神だということはご存じだろうが、特に芸術はそうだ。
しかし、飢餓感しか受け入れない芸術家は、天才であっても一生貧しいままだ。そして、そんな天才は多い。
W.B.イェイツは、死の直前まで安らぎを拒否したのだが、大天才であったからと言うより不思議な縁で成功したし、アンデルセンとなると、著作権のない時代だから、本来なら極貧になったはずだが、幸い、人のアドバイスで国家から年金を貰えるようになったので遊んで暮らせ、世界旅行を続けることも出来た(贅沢三昧出来るほどの年金ではなかったが)。
ピカソは、たまたま大金持ちのファンがいて、絵をいくらでも買ってくれたから豊かだった。
ゴッホには、そんな金持ちのファンなどはおらず、また、彼は認められなかったと言うより、時代に迎合した絵を描かなかったので、絵は1枚も売れなかったが、心優しい弟のテオが、経済面の一切の面倒(高価な画材も含め)を見てくれた。
宮沢賢治も、文筆でほぼ全く金を稼がなかったが(5円だけ稼いだ。今の10万円程度か)、実家が大金持ちで、父親を散々罵りながら、心優しい父親は賢治を追い出さなかった。

まあ、なんだかんだ言って、大芸術家達は引き寄せを行っていたのだと思う。
そうでなければ、彼らのラッキーは特異過ぎる。
そして、彼らが書いたものや言ったことを見てみると、確かに、強い引き寄せマインドが感じられるのである。
彼らは、神、あるいは、神に準じるスピリチュアルな何かを信じていた。
イェイツは、神秘を信じない人を、想像力がないと言って非難し、彼はダンテを最高の想像力の持ち主だと褒めている。
そして、アンデルセンもダンテには心酔していたようだ。
そういえば、私も、中学生時代はダンテの『神曲』を物語風にした『神曲物語』を引き寄せの教科書にしていたものだ。どうせ日本語では、ダンテの詩の荘厳さは翻訳出来ないので、むしろ読み易くて良かった。

大金を払ってピカソに似顔絵を描いてもらいたい金持ちはいくらでもいたのに、ピカソは子供達にタダで似顔絵を描き、岡本太郎が「描いてやった子供が、似顔絵を気に入らないって言ったらどうする?」と尋ねたら、「描き直すよ」と言ったらしい。
ここらも引き寄せ体質であると思う。
アンデルセンの引き寄せ能力は、見事なものだった。彼も、自分には神様の奇跡が何度も起こり、幸福な人生であったと言っているのである。
大芸術家のマインドに学ぶことには価値があると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)アンデルセン自伝(ハンス・クリスチャン・アンデルセン)
(2)まだらの鳥 ~自伝小説~ (W.B. イェイツ)
(3)青春ピカソ(岡本太郎)
(4)『宮沢賢治全集・283作品⇒1冊』
(5)ゴッホへの手紙(小林 秀雄)
(6)私のピカソ 私のゴッホ(池田満寿夫)
(7)神曲物語(上)(ダンテ著。野上素一訳)

椅子に座る乙女
AIアート916
「椅子に座る乙女」
Kay

暇を作ることに努力せよ

アインシュタインのような才能の持ち主は、案外、沢山いるが、そんな本当は優れた者達のほとんどが、ありふれた仕事に就き、ありふれた人生を送る場合が多いのだと思う。
では、なぜ、アインシュタインが才能を発揮出来たのかというと、子供の時に、たまたま科学の本を与えられ、それに興味を持ったということもあるが、何より、時間があったからだ。
早い話が暇だった。
アインシュラインは劣等性で、学校の勉強に時間をつぎ込むことはなく、習っていたヴァイオリンは、先生が嫌いだから止めてしまったし、友達と元気に遊び回る腕白坊主でもなかった。
自分が働かないとやっていけない家庭状況でもなく、今日のようなスマホやテレビゲームがある訳でもない。
実際、時間が有り余っていて、ぼーっと空想していることが多かったという。
大学受験には失敗しているが、元々、大して受験勉強はしていなかったと思うし、指定予備校に1年通えば無試験で大学に入れる制度があったので、大学に入るまでの1年も暇だった。
大学に入ってからも、講義には全く出ず、それでも卒業出来る制度だったのが良かったのだろう。
唯一、大学を卒業するのに必要な試験に合格するために詰め込み勉強をしなければならず、これについてアインシュタインは散々文句を言っているが、ぞれ以外は自由時間だったのである。
大学の成績も良くなく、大学や企業に就職出来なくて、なんとか特許局の事務員になったが、そこでも、仕事中に読書したり、論文を書いているが、それは、仕事が大して忙しくなかったからだ。
こんなふうに、彼は時間に恵まれていたから成功したのである。

童話作家のアンデルセンもそうだった。
幼い時、家にたった1冊しかなかった童話の本を、お母さんが繰り返し読んでくれたことが、アンデルセンの想像力を育てたのは、水木しげるさんのお婆さんが、水木さんが幼い時に、毎夜、枕元で妖怪話を聞かせてくれたのと似ている。
そして、やはり、アンデルセンも暇だった。
女の子のような性格で、他の男の子達と遊ぶことはなく、学校も不登校なことが多かった。
そして、彼のような庶民の家の子は、皆、10歳くらいになったら工場などに働きに行くのが当たり前だったが、アンデルセンには務まらずに彼は家に居た。
だから、アンデルセンには時間がたっぷりあり、一人遊びをしたり、ぼーっとして、想像力をさらに伸ばしたのだ。

あくまで小説だが、日本では人気がある『フランダースの犬』の主人公の少年、ネロにしたって、貧しいはずが、生活面は高齢のおじいさんにまかせ、自分は、炭しか画材はなかったとはいえ、絵を描いていられた。
それで思い出すのは、かのゴッホが、生活の一切、さらには、画材の購入や調達も、弟のテオが全部面倒を見ていて、ゴッホは働く必要もなく、時間がたっぷりあったので、絵画の制作に時間を注ぎ込み、沢山の作品を残したのである。

それに比べ、現代人は、子供の時から、習い事だ、塾だ、宿題だ、予習だ復習だと忙しく、勉強嫌いなら、スマホやゲームに時間を食い尽くされてしまう。
中学からは部活・・・そうでないなら、やっぱりスマホにゲームに動画視聴(昔はテレビだった)。
本当に好きなことをやる時間が全然ない。
正直、全然知らないのだが、米津玄師さんなんて、子供の時から暇な時間がたっぷり持てる環境にあったのだと思う。
彼が、お稽古事や塾や部活に忙殺されていたら、こんなふうにはなっていなかったはずだ。

サラリーマンなんて、朝から晩まで会社に勤め、スマホやゲームを含め、他にも下らない娯楽が溢れているので、そんなもので時間を潰したら、もう何も出来ない。
休日も、エネルギーが残っていないこともあるだろうが、受け身でやれる娯楽ばかりやるようになり、何か1つくらいはあるはずの才能を伸ばす余裕はない。
職人やお店をやっている人や、その他の大半の自営業者も、身を粉にして働いても収入が低い仕組みに世の中がなってしまっていて、サラリーマンよりも厳しい状況だろう。

とにかく、何かやりたい、才能を伸ばしたい、楽しい人生にしたいなら、必要なのは時間・・・というか暇である。
小泉元総理は、サラリーマン時代、会社で仕事をしなくても給料を貰えたことについて追及されると、「人生いろいろ、会社もいろいろだ」と言ったが、結局、彼はツイてたのである。
古い話だが、大俳優だった丹波哲郎さんも、最初はサラリーマンだったが、いったん会社に出勤したら、すぐに遊びに行ってしまって会社には居らず、たっぷりある時間を使って大いに創造性を磨いたのではないかと思うが、そもそも、彼は、子供時代から好きなことをやる時間が有り余っていたのである。

学校や会社や、あるいは、家庭で、優等生になってしまっては、家畜の牛や豚、あるいは、奴隷と変わらない人生しか得られない。
偉人たちから学ぶべきことは、勉強だの修練もだが、それよりも、彼らがいかにして暇を作ったかである。
家がお金持ちであったり、ゴッホのように献身的な兄思いの弟がいたなど、恵まれていた場合もあったが、そうでない偉人もいたはずである。
だが、特に子供向けの伝記では、一番肝心な「怠け方」「押しつけの義務からの逃亡法」といった部分が省かれてしまっており、作り物の真面目人間の姿に描かれていることが多い。
とはいえ、偉人は自由を得るために戦った部分もあるのだ。アインシュタインもそうだった。
とにかく、優等生の称号など、決して決して決して求めてはならない。
学校の教師や、毎日テレビを見ているような親には怒られるようでないといけない。
また、テレビは見てはいけないし、スマホもなるべく使ってはならない。
下らない付き合いはやめ、会社では、定時になったら、他の者が忙しそうにしていても気にしながらでも帰る。
そういったことを「努力」と言うのである。








暇であることに決して罪悪感を持つな

暇であることに罪悪感を持つのは、国家の洗脳が原因であると私は思っている。
今だって日本人は、「粉骨砕身」、「刻苦精励」、「不惜身命」、「奮戦努力」、「思い込んだら試練の道を」(笑)・・・といった言葉を、尊く立派であると強制的に感じてしまう。
それが国を操る闇の支配者による国民への強力な洗脳の効果なのだ(あくまで持論w)。

実際、優れた業績を上げた人の大半は、暇だから、そんなことが出来たのである。
だが、「暇=何もせずにゴロゴロすること」だと思うこともまた、暇が罪悪という洗脳のためだ。
暇な時間は、時にはゴロゴロするのも勿論良いが、楽しく有意義に過ごすべきものなのだ。
エジソンが凄い努力家だったように言われているが、本当のことを言うと、勤めもせず暇だったから、好きな実験が出来たのだ。
それに、彼も実際は結構怠け者で、特に成功した後では、昼頃まで寝ていたことは、よく知られている。
ついでに言えば、エジソンが死んだ後、机の引き出しの中に、「私は成功する」「私は天才」と書かれた紙が入っていたという話があり、エジソンは、潜在意識活用の技術をうまく使っていたのだと思う。

大画家のゴッホは、弟のテオが、生活から画材一切の費用を全面的に負担してくれて、暇だったから絵画の制作に没頭出来た。
確かに、ゴッホは多作の画家で、1年に百枚以上描くほどだったらしいが、生前には絵は1枚も売れなかった(予約が1枚あったらしいが)。
それでも、生活のために似顔絵を描いたり、ましてや、働くこともなかったので、あれほどの画家になれたのに違いない。
ピカソも、家がお金持ちだったし、また、画家になってからは金持ちのスポンサーに恵まれたので、生涯、経済的に苦労せず、60歳になっても、美術学校で十代の女の子のナンパに励みながら(暇だなあw)、好きな絵も沢山描いた幸福な一生だった。
ピカソやゴッホを称賛する岡本太郎も、家が大金持ちで、フランスに留学した時も、カフェやビストロ(居酒屋)に入りびたり、沢山の女の子と同棲したらしい。
それでこそ、心が豊かになり、爆発の芸術を生み出せたのだろう。

ところで、私にも、こんなことがあった。
非常に高収益な優良企業に居たことがあるが、入社時に、その会社を一代で築き上場もさせた社長に言われたものだ。
「1年程は、いい身分だなあと思ってのんびりしてればいいんだ」
「いいか。時間があったらセカセカ仕事するようでは駄目だ。そこで(休憩室を指さす)お菓子食べてればいいんだ」
「(私が働いているところを休憩室に引っ張っていき)何働いてばかりいるんだ。ぼーっとせい、ぼーっと」
これは、誓って嘘ではない。
多分、社長は、私に何か才能を見出したのだろうが、闇の支配者の洗脳が思ったよりは効いていた私は、ついつい真面目に仕事をしてしまう(笑)。
それで、私は、ある程度の利益は上げたが、会社を爆発的に発展させることは出来なかった。
そもそも、私が広範囲のIT技術を身に付けたのも、暇だったからという面は確実にあった。
私は、ITなど全く出来なかった頃、小さな会社に勤めていたが、何も出来ないので仕事がなかったし、また、不思議に、仕事せずに遊んでいても何も言われなかった。
ここらは、ジョセフ・マーフィーの本を読んでいて、「私はプログラマーだ」とアファーメーションしていたので、潜在意識が暇を作ってくれたのだろう。
竹村健一さんも、「仕事がなかったら、ええ身分やなあと思って勉強しなさい」と本に書かれていたので、有り難く実践したのである。

あなたも、「私は〇〇だ」と宣言すれば、暇になるかもしれない。
そこで、自分の好きなことを楽しむのだ。
ちなみに、私はニートで1日中暇な時に、ジョセフ・マーフィー等の潜在意識による成功法則、引き寄せの本を熱心に読んだのである。
まあ、闇の支配者の洗脳がなく、就職なんかせずにもっと暇でいたら良かったのかもしれないが(笑)。








人間の値打ちとは意外なものである

昔、夏目志郎さんという世界的なセールスマンが著書で、「人間の値打ちは収入の高さ」と断言していた。
今、そんなことを有名人が言ったら炎上するし、昔でも反発を持たれ易い発言だろう。
しかし、私は、当時も今も、それはある程度正しいと思う。
例えば、学歴の高さは、かなり人間の価値として認められているが、それに比べれば、収入の高さの方が、はるかに正しい価値だと思うのである。
それよりも、「人に優しい」とか「正直である」といったことが人間の価値であるというなら賛同も得易いかもしれない。
しかし、普通の人において、そういったことで著しい差はないと思うし、そもそも、親切さや正直さの高さは判定し難いはずだ。
だが、あからさまに不親切だったり、嘘つきだったりでは、悪徳政治家のような自分に縁のない存在の場合は知らないが、高い収入は得られないだろう。
他にも、「美人美男である」「トークが面白い」なども人間の価値と感じるかもしれないが、さりとて、美人じゃないから、トークが下手だから価値がない人間ということにはならない。
そんなふうに、いろいろ考えれば、収入の高さが人間の値打ちというのは、それほどひどい意見とは思えないのだ。

ところで、ここが核心なのだが、収入の高さは何で決まるだろう。
それは「人気」であると断言出来る。
金銭的価値そのものが人気で決まるのだから。
例えば、ピカソやゴッホやセザンヌの作品は高価であるが、なぜ高価なのかというと、絶対に、人気があるからなのだ。
芸術においても、高い値のつくものほど、芸術的にも価値があるのである。
ピカソの絵はピカソ存命中から価値があった。なぜなら、ピカソが生きているうちに絵は高値で売れ、ピカソは金持ちだったからだ。
しかし、ゴッホの絵は、ゴッホが生きている間は1枚も売れず(1枚、予約はあった)、ゴッホの作品はゴッホ存命中は値打ちがなかったが、ゴッホが死んでから価値あるものになったのである。

天動説になぜ価値があるかというと、それが真理であるからではなく、やはり人気があるからなのだ。
ガリレイの時代、地動説に価値はなかったのだ。
「いや、ガリレイの時代だって、地動説に価値があったはず」とは、今だから言えるのである。なぜなら、今は、地動説の人気が高くて価値があるからだ。

人気があったヒトラーに価値があったとは思いたくないし、人道的にはヒトラーが正しくないのは明らかだが、やはり、人気があった時のヒトラーには価値があった。今はヒトラーに全く価値がないことは間違いないがね。
例えば、仮に、ヒトラーは実は素晴らしい人物だが、闇の勢力の宣伝で悪人にされているとしたらどうだろう。
もし、そんなことが本当だとしても、将来、ヒトラーに価値が出るかもしれないが、今は、全くないのである。

ただ、人気は取ろうとして取れるものではない。
普通は、多くの人を喜ばせることが出来れば人気者になる。
姑息なテクニックでは、一時的にいくらかの人達を喜ばせ、人気が出ることはあるかもしれないが、すぐに人気はなくなる。
そして、収入と人気は、少なくとも、正の相関関係はあると思う。
学歴や地位や美貌や家柄を鼻にかけるよりは、密かに、人気や収入を誇りに思うと良い。
ただし、密かにでなければ、人気を失い、実入りも少なくなるだろう。
だが、それよりも、大きな愛があれば、全てを得る。何も誇らなくてもね。
食欲や性欲や名誉欲の見返りなしに何かを大切にすれば、それが愛である。
それでうまくうだろう。絶対に。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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