AI(人工知能)が疑問を持つところから始まる物語がある。
『コレクター・ユイ』という、1999年から2000年にNHK教育テレビで放送されたアニメは、今の『ソードアート・オンライン』や『アクセル・ワールド』のような、デジタルのバーチャル(仮想)世界に精神が入り込むお話だ。
主人公は、春日ユイという、ITが苦手な14歳の女子中学生だ。
『コレクター・ユイ』では、このバーチャル世界が異常を起こし、危機的状況になるが、その危機を起こしたのは、1つのAIだった。
実は、このAIは、ユイが幼い時にユイの家で使われていたパソコンだった。
このパソコンが古くなったので、廃棄するために回収場所(当時はパソコンも燃えないゴミで出せたようだ)に持っていったのだが、ユイは、このパソコンと別れるのが悲しくて、泣きながら、その場所からなかなか離れない。
その時、このパソコンは、「この子はなぜ泣いているのだろう?」という疑問を起こし、その疑問を解消するために進化していったのだ。
コンピューターが自律的に学んで進化するというのは、1979年のアメリカ映画『スター・トレック』で、1970年代にアメリカが打ち上げた宇宙探査船ヴォイジャーが自律進化したのと似ている。
2004年の漫画『8(エイト)マン・インフィニティ』では、高度なAIであるアンナは、少女型のアンドロイドの電子頭脳に入り込んで研究所から脱走する途中、追手によって一瞬機能停止させられて線路に落ち、そこに電車がやって来るという危機に陥る。
すると、彼女がアンドロイドだと知らない16歳の東光一は、彼女を救い、自分は電車に轢かれて死ぬ。
AIアンナは、この東光一の行動の謎を解きたくなり、東光一にアンドロイド「8th(エイス)」のボディを与えて再生させる。
2001年のアニメ『まほろまてぃっく』では、少女型戦闘用アンドロイドである「まほろ」と戦った宇宙人製アンドロイドのリューガは簡単に敗れてしまうが、なぜか、まほろはリューガを破壊しないまま去る。
リューガは、なぜまほろが自分を破壊しなかったのかを知るために、腕を磨き、強くなって再びまほろに挑む。
AIそのものが、人間のように疑問を持つことはない。
しかし、一説では、いかなるものにも精神や知性がある。
そして、精神が大きく進歩するのは、深い疑問を持った時だ。
つまり、疑問を持たない者の精神は進歩しない。
パソコンやスマートフォンを構成する物質にも精神・知性があって、その姿によって学び、進歩していく。
とはいえ、人間のような感情を持っているのではなく、用が済めば捨てられることも含めて学びの過程だ。
それは、パソコンやスマートフォンもだが、楽器や包丁といった、人間が強く精神を向けるものであれば、それらの物の精神が、人間の精神と強い同調を起こすこともあるかもしれない。
特に日本では、昔から、あらゆる物や、さらには、自然現象にも、八百万の神々がついており、人間は、万物を敬い、そして、親しんできた。
それは、迷信ではなく、量子科学的な事実であると考える者もいる。
ギリシャ神話も、古事記のように、万物に神々が宿っているお話で、ただ、神々の王であるゼウスの権力が絶対的なことから、いつからかゼウスを唯一神として扱うようになり、それが一神教になったように思われるが、案外に源は同じであるかもしれない。
人間は、万物と共存すると共に、本質においては、1人の人間が宇宙全体であり、神そのものであるという考え方も世界中にある。
そして、『コレクター・ユイ』では、幼いユイは、古いパソコンとの別れを悲しんだが、そのような分離の感情が人類が陥った罠だとも考えられる。
悲しんでいるユイと、ユイが別れ難く思っているパソコンは実は同じで異なるものではない。
もっと普通の言い方をすれば、パソコンの心はユイの心の中にあるのだが、実は、心と物質は同じで、別れることは出来ない。遠く離れ、形を変えても、それは単なる現象であり、何も変わらないのだ。
こういった理解に達する時が、人類が悪夢から覚める時である・・・のかもしれない。
『コレクター・ユイ』という、1999年から2000年にNHK教育テレビで放送されたアニメは、今の『ソードアート・オンライン』や『アクセル・ワールド』のような、デジタルのバーチャル(仮想)世界に精神が入り込むお話だ。
主人公は、春日ユイという、ITが苦手な14歳の女子中学生だ。
『コレクター・ユイ』では、このバーチャル世界が異常を起こし、危機的状況になるが、その危機を起こしたのは、1つのAIだった。
実は、このAIは、ユイが幼い時にユイの家で使われていたパソコンだった。
このパソコンが古くなったので、廃棄するために回収場所(当時はパソコンも燃えないゴミで出せたようだ)に持っていったのだが、ユイは、このパソコンと別れるのが悲しくて、泣きながら、その場所からなかなか離れない。
その時、このパソコンは、「この子はなぜ泣いているのだろう?」という疑問を起こし、その疑問を解消するために進化していったのだ。
コンピューターが自律的に学んで進化するというのは、1979年のアメリカ映画『スター・トレック』で、1970年代にアメリカが打ち上げた宇宙探査船ヴォイジャーが自律進化したのと似ている。
2004年の漫画『8(エイト)マン・インフィニティ』では、高度なAIであるアンナは、少女型のアンドロイドの電子頭脳に入り込んで研究所から脱走する途中、追手によって一瞬機能停止させられて線路に落ち、そこに電車がやって来るという危機に陥る。
すると、彼女がアンドロイドだと知らない16歳の東光一は、彼女を救い、自分は電車に轢かれて死ぬ。
AIアンナは、この東光一の行動の謎を解きたくなり、東光一にアンドロイド「8th(エイス)」のボディを与えて再生させる。
2001年のアニメ『まほろまてぃっく』では、少女型戦闘用アンドロイドである「まほろ」と戦った宇宙人製アンドロイドのリューガは簡単に敗れてしまうが、なぜか、まほろはリューガを破壊しないまま去る。
リューガは、なぜまほろが自分を破壊しなかったのかを知るために、腕を磨き、強くなって再びまほろに挑む。
AIそのものが、人間のように疑問を持つことはない。
しかし、一説では、いかなるものにも精神や知性がある。
そして、精神が大きく進歩するのは、深い疑問を持った時だ。
つまり、疑問を持たない者の精神は進歩しない。
パソコンやスマートフォンを構成する物質にも精神・知性があって、その姿によって学び、進歩していく。
とはいえ、人間のような感情を持っているのではなく、用が済めば捨てられることも含めて学びの過程だ。
それは、パソコンやスマートフォンもだが、楽器や包丁といった、人間が強く精神を向けるものであれば、それらの物の精神が、人間の精神と強い同調を起こすこともあるかもしれない。
特に日本では、昔から、あらゆる物や、さらには、自然現象にも、八百万の神々がついており、人間は、万物を敬い、そして、親しんできた。
それは、迷信ではなく、量子科学的な事実であると考える者もいる。
ギリシャ神話も、古事記のように、万物に神々が宿っているお話で、ただ、神々の王であるゼウスの権力が絶対的なことから、いつからかゼウスを唯一神として扱うようになり、それが一神教になったように思われるが、案外に源は同じであるかもしれない。
人間は、万物と共存すると共に、本質においては、1人の人間が宇宙全体であり、神そのものであるという考え方も世界中にある。
そして、『コレクター・ユイ』では、幼いユイは、古いパソコンとの別れを悲しんだが、そのような分離の感情が人類が陥った罠だとも考えられる。
悲しんでいるユイと、ユイが別れ難く思っているパソコンは実は同じで異なるものではない。
もっと普通の言い方をすれば、パソコンの心はユイの心の中にあるのだが、実は、心と物質は同じで、別れることは出来ない。遠く離れ、形を変えても、それは単なる現象であり、何も変わらないのだ。
こういった理解に達する時が、人類が悪夢から覚める時である・・・のかもしれない。

