ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ゲーテ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

『老子』第6章を一言で言えば「気を付けろ」

引き続き『老子』第6章である。
これは、まともな解釈を見たことがない章だ。
いつも通り、一言で言えば、「気を付けろ」だ。
つまり、「油断するな」「隙を見せるな」ということだ。
隙を見せるとつけ込まれるからだ。
つけ込まれたら、悪魔のようなことをするようになる。
誰につけ込まれるのかというと、悪の宇宙人グループだ。
アメリカの大富豪や大政治家達の多くが、つけ込まれてしまった。
ここ(『老子』第6章)に書かれている通り、悪の宇宙人グループ、あるいは、連中の(我々を駄目にする)装置は、いつまでも存続し、働きを止めないからだ。

老子ほどではないが、ゲーテも、悪の宇宙人グループのことは感づいていたと思われる。
『ファウスト』の『天上の序曲』で、神は言う。
「わしは人間に仲間をつけて、刺激したり、働きかけたりして、悪魔として仕事をさせるのだ」
「永久に生きて働く生成の力がおまえたちを縛る」
これも、上と同じだ。
悪の宇宙人グループが、人間につけこみ、悪魔として働かせるのである。
そして、人間を逃れられないようにする装置は、働きを止めない。

あなただって、やってはいけないと分かっているのに、なぜか分からず、やってしまったことがあるだろう。
悪の宇宙人グループはいくらでもおり、別に地球にいなくても、遠隔地から、オンラインゲームのように悪いことを仕掛けて来る。
なぜ、そんなことをするのかを説明するとややこしいので省くが、ある意味、やはりゲームを楽しんでいるのである。

映画『荒野の七人』で、七人のガンマンの1人が、こんな思い出話をする。
「ある男が、裸でサボテンの中に飛び込んだ。後でその男に、『なんであんなことをしたんだ?』と聞いたら、その時はそれでいいと思ったそうだ」
悪の宇宙人グループにつけ込まれた者は、こんな奇妙なことをするものだ。

だが、悪の宇宙人グループも、想念を起こさない者には何も出来ない。
想念を起こさないためには、簡単には、「私」に意識を向ければ良い。
なぜなら、想念とは「私」が起こすものだからだ。
その私をロックすれば想念は起こらない。
だから、常に「私は誰か?」と問うていれば、悪魔として動かされることはない。
なかなかそうはいかなくても、なるべく「私は誰か?」と問うていれば、それ以外の時も、無意識下で、ある程度は「私は誰か?」と問うているので、まあ、安全である。








あなたも本日ただ今より芸術家になれる

ドイツの文豪ゲーテが存命中の話である。
ゲーテに憧れる青年が、ゲーテの邸宅に、当時のことだから、おそらくはアポなしで訪問した。
そして、青年は、運良く、ゲーテに会えた。
その時・・・青年の顔には、明らかに失望の色が浮かんだ。
若い頃は美男子だったゲーテだが、中年過ぎたその頃には肥満し、見栄えは悪く、その時着ていた普段着もダサかったのかもしれない。
とはいえ、ゲーテは70歳を過ぎても、十代の彼女を次々に作っていたのだから、やっぱり芸術力とは素晴らしい(笑)。

人間は中身であるが、やはり、有名で尊敬される人物は、出来る範囲で、少なくともさっぱりとした外見を保っておくべきかもしれない。
しかし、外見ではなく、会ってみたら、内面的な印象が悪くてがっかりするというのは、特に、芸術家など、普段、あまり人前に出ない偉人には、意外に多い。
美しい絵画を描く画家や、感動させる文章を書く作家、絶妙な音階を紡ぐ音楽家が、会ってみたら、鼻持ちならないほど高慢だったり、下種な野郎だったりするというのは、そう不思議なことではない。
私も、直接会ったのではないが、有名な作家や音楽家とネットで対話した時、その作家などに対し、なんと高圧的で、了見の狭いやつだと呆れたことがある。誰とは言わないが、まあ、最近のことではないとだけ言っておく。

それで思い出すのが、ソクラテスが、優れた人物を求めて、評判の人がいたら、片っ端から会いに行ったという話だ。
結果、ソクラテスは、それらの高名な誉れ高い人達が、全く優れた人間でないことが分かった。

つまり、こういうことだ。
優れた作品を作った作家や音楽家が、人間として優れているかどうかは全く関係がなく、むしろ、人々に称賛されている分、尊大になっている場合が多い。それは人間だから、ある程度は仕方がない。
ソクラテスは、そんな人達が優れた仕事をするのは、その人達の内部にいるダイモーンという霊的存在が神の英知を運んでくるからであると考えた。
それを今日的に言えば、潜在意識との交流が出来る人間が偉大な仕事をするのである。
そして、偉人も、普段は、普通の人間と全く変わらないのだ。
ただ、彼らは、潜在意識と交流するための、何等かの方法を知っているのである。
中には、明示的に、神への長時間の祈りを捧げた後、素晴らしい想像力を発揮するという者もいる。
あるいは、坐禅を組んだり、何らかの音楽を聴くことで、スイッチが入る・・・これが潜在意識との交流が開始されるということなのだろう。
方法は様々であるが、とにかく、何らの方法で、いわゆる脳波がアルファー波やシータ波になったり、ゾーンやフローに入る術を心得ているのだろう。
そして、これまでは、高い創造性を発揮したことがない平凡な人間も、潜在意識と交流する術を修得すれば、岡本太郎が言うように「本日、ただ今から芸術家になれる」のである。
実際、岡本太郎のところに取材に来ていた40歳過ぎの記者が、次に岡本太郎に会った時には偉大な画家になっていた。
ロシアでは、ただの労働者が、猛然と絵を描き始め、最初は下手だったが、みるみる上達し、やがて、クレムリン宮殿内に作品が展示されるまでになったという話もある。

引き寄せも全く同じ・・・と言うより、引き寄せも芸術なのである。
潜在意識と交流するには、エゴが弱くなっていないといけない。
芸術家の中には、上にも述べたように、普段はエゴまみれのような人物だが、創作に入れば、エゴが静まり、潜在意識と交流出来る人もいる。
だが、ほとんどの場合、あまりにエゴが強いと、それを静めるのは難しい。
有名な芸術家がエゴにまみれている場合、その芸術家は既に、潜在意識と交流することが出来ず、さっぱり作品を作っていない場合がほとんどで、昔の作品の残光だけでやっているのだろう。
実際、芸術家に限らないが、優れたクリエーターの創造寿命は短いものである。
かつては偉大な音楽家や画家であっても、今はさっぱりという場合が多いものだ。

だから、今朝も書いたように、引き寄せが上手くなりたかったり、あるいは、芸術家になりたい場合は、普段からエゴを大人しくさせるよう取り組んでおくと良い。
そのためには、自慢をしないことで(現在すっかり駄目な元大芸術家は自慢が多い)、そうなるためには、「今今メソッド」がお奨めである。
「今今メソッド」という言い方はしていないが、詳しく知りたい場合は、エックハルト・トールの『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』が最も良い教科書であると思う。








究極的なただ1つの引き寄せの秘訣

断言するが、自慢をする者ほど引き寄せが出来ない。
自慢をするというのは、エゴ(自我)に従うことであるが、エゴはちっぽけな頭と身体の力しか信じておらず、潜在意識の力を信じていないのだから、エゴに従えば、潜在意識の力によって起こる引き寄せが出来るはずがない。
もちろん、全く自慢をしないのは、よほどの人格者だけであるが、そこまでいかなくても、引き寄せをしたければ、なるべく自慢をしないことだ。
現代人は、自慢をし過ぎるので、引き寄せの力が弱い。
しかし、自慢をやめれば、直ちに、大抵の引き寄せは出来る。

宮本武蔵は、若い頃は剣の腕だけでなく、引き寄せの力が大きかった。
いや、実は、剣の方は、噂ほどだったかは疑問だが(剣豪ではなかったと言う研究者すらいる)、引き寄せの力が強かったから、これほどまでに名を上げたのである。
武蔵は、若い頃は、弟子や後援者が沢山いたが、自慢話をしなかった。
何かの精神的規律を持っていたのかもしれないが、それはあまりはっきりしない。
だが、歳を取ってからは、昔の自慢話ばかりするようになり、すっかり引き寄せが出来なくなっていたのだ。
それで、若い頃は、経済面もかなり裕福であったが、歳を取ってからは士官に苦労する羽目になった。

ゲーテは、言っている。
「自慢をするな。でないと、老人の過ちを犯す」
もちろん、若者も自慢をするし、むしろ、若者の方が見栄っ張りで自慢をすると思っている人もいるだろう。
しかし、老人の自慢は、かなり厄介なのだ。
そして、若くても、自慢が過ぎると、老人のような自慢をするようになる。
そして、自慢する老人は、天に見捨てられたような惨めな状態になる。
もちろん、老人でも自慢をやめれば、直ちに天の救済にあずかれるが、老人になってから自慢をやめるのは難しい。

自慢をしないことだ。
勉強が出来たり、仕事が出来たり、美男美女だったり、身体大きかったり、身体が美しかったり、金持ちだったり、家柄が良くても、そんなものがいったい何だろう?
それらは、概ね、若い時の美点であり、すぐに失われるし、そもそも、それらのものは、潜在意識の無限の力に比べれば無に等しい。

卑屈になったり、劣等感が強いのは、実を言うと、傲慢であったり、優越感が強いのと同じなのだ。
それが証拠に、卑屈であったり、劣等感が強い者ほど、自慢をしたがるものだ。
同じ理由で、謙虚であるフリをして、実は、傲慢であることは多い。そんな者は、当然、自慢も多い。
だから、とにかく自慢をしないことである。

引き寄せの秘訣は、ただ1つ、「自慢しないこと」だ。
確かに、長年に渡って大統領以上にアメリカを動かした男、バーナード・バルークの幸運の秘訣「欲張らないこと」も重要だ。
だが、それは自慢を止めてからでも間に合うし、そもそも、自慢しない人間は欲張らない。
しかし、自慢をする者は、それだけで欲張りなのである。
私も本日より自慢をやめ、引き寄せを万全の状態にしておこうと思う。
でないと、今の世界は危ないかもしれない。








子供っぽさの良い面悪い面

「子供っぽい」という言葉には、良い意味と悪い意味がある。
それで、子供っぽいことは、全面的に肯定することも全面的に否定することも出来ない。
子供っぽいことのプラスの面は、純粋であることと、偏見がないことだ。他の美点も、全てこの2つから来る。
特に日本では、昔から、この子供のプラスの面や、そこから来る美点を過度に称賛する傾向がある。
しかし、子供の親であるとか、幼稚園や小学校の先生であるとかで子供に接する機会が多いほど、子供は天使ではないことをよく知っており、ある意味、子供は悪魔であると認識しているはずだ。
著名なコンピューター科学者、プログラマーであり、作家、画家でもあるポール・グレアムは著書『ハッカーと画家』で、子供について鋭く指摘している。
「ニコニコしながらクモの脚を引きちぎってしまうのが子供なのだ」
実際、子供に権力を与えると間違いなく暴君になる。
だから、少しでも賢ければ、親は、自分がいくら偉くても(王様であっても)、子供は、ある意味、悪魔であると心得て躾けるのである。
まあ、少しも賢くない偉い人が多いのだが。

「若々しい」というのも、「子供っぽい」と同じところがある。
そして、子供っぽさを卒業していない若々しさは最悪だ。
子供っぽさを卒業していない若々しさを端的に表す言葉は、例えば、「プライドのお化け」だろう。
子供っぽさとは「無知」である。無知な若者は皆、「プライドのお化け」である。
私は、高校生の時に見たゲーテの詩の中の一文(ひょっとしたら、その一文が1つの詩だったかもしれない)を印象深く憶えてしまっている。
それは、
「自慢するのをやめよ。でないと、君は青年時代の過ちを卒業するかしないうちに老人の過ちを犯す」
だ。
自慢は、子供時代の無知を持ちこしてしまった者の欠点だが、青年時代に無知でなくなることが出来なければ、無知な老人になる。
無知な老人とは、悪い意味での、「子供に帰った老人」であるが、本当は、「子供のまま歳を取った老人」なのだ。

なぜ、こんな話を長々としたのかというと、悪い意味で子供っぽければ、引き寄せは出来ないからだ。
実際は、出来ないというわけではないのだが、本来、人間は100の引き寄せの力を持っていても、人間として無知であれば5以下の引き寄せしか出来ず、そうであれば不満と屈辱に満ちた人生になる。それは丁度、重しを付けられた鳥のようである。

ついでに言っておくと、権力者(実際は、表に現れない真の支配者である黒幕)は、国民を肝心な点で子供っぽいままに留める。
学歴自慢をする者は全部、精神的幼児であり、権力者の狙い通りになってしまっているわけだ。そして、全家庭が、そのような子供の生産に励み、エリートコースから外れたら外れたで、別の子供っぽさ堅持のコースがあるだけだ。

上で述べたが、ゲーテは、
「自慢するのをやめよ。でないと、君は青年時代の過ちを卒業するかしないうちに老人の過ちを犯す」
と言ったが、それよりも、
「自慢するのをやめよ。でないと、引き寄せが出来ないから」
と言った方が良いかもしれない。
このことも、イエスは見事に語っている。
「自分を高くする者は(神によって)低く下げられ、自分を低くする者は(神によって)高く上げられる」
また、イエスは、こんな話もしている。
「2人の人が祈っていた。1人は『私は貧しい者に施し、親を大切にし、寄付をし、浮気もしない。神よ願いを聞き届け給え』と祈った。もう1人は『神よ、罪深い私を憐れみ給え』と祈った。祈りが聞き届けられるのはどちらか?」
一応言っておくと、答は当然後者の方である。

だが、過去、2000年に渡り、人々は「では謙虚であらねば」と思い(これは別に間違いではない)、イエスの教えは謙虚さの美徳を教えるためのものであると大誤解をしてきた。
さらに、教会は、戒律を守ることも強制し、戒律を守らないと謙虚ではないと強調した。
だって、収入の1割を収めよという戒律を守ってくれないと、聖職者は贅沢出来ないからね(笑)。
それで、一見真面目な信仰者は、「私はイエスの教えに従っている」と言い、結局、上の、間違った祈りをするような人間だらけになってしまった。
謙虚を装ったプライドほど厄介なものない。
そのあからさまな例が、スウェーデン映画の傑作『処女の泉』で、レイプされて殺された、まだ半分子供のような少女カレンの父親だ。
カレンの父親は、最愛の娘の無残な遺体を見て言う。
「神よ!あなたは見ていたはずだ。なのに、なぜ見捨てたのだ」
この言葉の裏には、自分は熱烈なキリスト信仰者であるという自負がある。
だが、娘の悲惨を招いたのは、この父親なのだ。

で、いつも言う通り、必要なことは思考を消すことだ。
自分の頭は大したことはないから、考えることを諦めるのだ。
おかしなことに、天才と言われる人間ほど、そう考えるのだが、実は、そう考えるから天才なのだ。
思考を消す実践編は、午後の記事ででも書く。








いつでも、叶えるべき夢はゴマンとある

人間は自分の願いを叶える力があるが、どんな願いでも叶うわけではない。
では、どんな願いなら叶うのかと言うと、所詮は、強い願いである。
強い願いは、奇跡のように、魔法のように叶うことは、私も驚きと共に何度も体験したことを覚えている。
しかし、このように言うと、自分や誰かのことについて、「強く願ったが叶わなかった」と言う人もいるが、それも本当である。
最も明確なことは、人間は何よりも生きることを願うのに、病気で死んでしまうことだ。
いや、人間は歳を取っても生きたいと願うのに、永遠に生きる人はいない。中国の伝説の長寿者である彭祖(ほうそ)や、ヨガの超人ババジだって、たかだか数百年だ(ババジはまだ生きているという話もあるが)。
また、イエスは、「白い髪の毛1本、黒くすることは出来ない」と言い、若返ることは不可能であると言った。
それで思い出すのは、「20世紀最大の詩人」と言われたノーベル賞作家W.B.イェイツが、彼の詩のどれかの中で「老人の願いは、もう一度若くなって、あの娘を抱くことだ」と書いていたが、これは「老人の」と言うよりは、何よりも、老人になった彼自身の願いだったのだろう。
しかし、それは叶わない。
彼は、どこかでエラい美少女に会った際、「君はこんなに美しく、ここに立っているのに、君を愛せないとは残念だ」などと言ったという話がある。とんだエロジジイであるが、正直者ではあるのだろう。
だが、彼には分別と言うよりは、知性があったので、若い子に血道を上げることはなかった。
ゲーテも同じであったらしく、老人になっても十代の若い娘が大好きで・・・いや、誰でも大好きだろうが、彼の場合は、70歳を過ぎても、本当に十代の娘と結婚しようとしたらしい。ここらは阿呆である。
だが、改めて言うと、これらの偉大なエロ爺さんらの願いは叶わなかった。

そして、人間にとって大きな悲劇は、若い時に願えば叶ったかもしれなかったが、諦めたことだ。
45歳でプロボクシング世界ヘビー級王者に返り咲いたジョージ・フォアマンは「やる気があれば40歳を過ぎても夢を叶えられることを見せたかった」などと言ったが、いやいや、彼は、20代前半で怪物と呼ばれた世界ヘビー級王者だったのであり、異常に強かった彼は、残り少なくはなっていたが若さで偉業を達成したのだ。
25歳で、米国の陸上短距離競技のナショナルチームに入った選手がいたが、もちろん、別のスポーツでスプリント力を磨いていたからであり、素人だったわけではない。だが、彼のことを取り上げ、「歳を取ってもやれるんだ」と言う者が居るので、騙されないようにしないといけない。
若いというのは無条件で良いことだが、最も無駄にし易いものである。

プログラマーを、歳を取ってから始めて成功した例では、直接知っているわけではないが、私が知る限りは、やや昔の話だが、45歳で始めた人がいる。そのおかげで彼は、ある大企業の中で異例の、高卒で次長にまでなり、世間からの注目も集めた。
『実録!天才プログラマー』という本には、50歳まで砂金取りをやっていて、プログラマーになって成功した人の話があったと思う(うろ覚えだが)。
では、何歳までプログラマーになれるかというと、おそらく、頭さえ良ければ、いくつでもなれる。ただ、プログラマーの仕事はハードなので、歳を取っていたら、お金を稼ぐことは難しい。とはいえ、もっと頭が良ければ、新しい稼ぐ方法も考えられるだろう。

いくつになっても叶えられる夢はゴマンとあり、決して「ショボい」ものばかりではない。
とはいえ、それは、やはり若い人のものと違い、もし、30歳もとおに過ぎて、スポーツ選手やミュージシャンなどで華々しくデビューすることを夢見ているなら馬鹿であるが、そんなやつが沢山いるんだ(笑)。
別に、世間で言う年齢相応の夢を持てと言うのではない。しかし、浅はかな夢を持ってはならないのも確かだ。
その夢は、誰も想像しないことでなくてはならない。
スポーツ選手やミュージシャンになるなど、誰でも思いつくことだ。
そんなのは、たとえ成功し、瞬間騒がれても、すぐに枯れてしまうことだ。そんな儚いことは、儚いことが専門の若い人にまかせれば良い。
ミュージシャンだって、若くなくなれば、ほとんどが消えるが、残るのは、予想外なことをやった者達だけだ。そんな者達は、彼らが以前そうだったミュージシャンとは全く違う存在だ。
そして、予想外は無意識からしかこない。
無意識の超専門家ミルトン・エリクソンの本を読んだり、腕振り運動で無意識と親しくなれば、予想を裏切る人になるヒントを得られるだろう。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード