ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

グレイシー

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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イロモノのヒーローに救われる

身体に良い食事や健康ノウハウ、肉体トレーニングについて書かれた本は膨大と言って良いほど出ているが、それぞれで書いてあることはかなり違う。
昨日も書いたが、「炭水化物は摂ってはならない」というのと、「炭水化物は摂らないといけない」といった、真逆(逆を強調した俗語)のことを書いてあることは珍しくもない。
それは、「他と同じことを書いていては売れない」という出版上の都合もあるのだろう。
そして、どれも、自分の主張は、「科学的」で、「実績豊富」だと言う。
だが、科学の通説なんてしょっちゅうひっくり返っている。
また、実績なんて、10の成功の裏に20の失敗はあるだろうし、相撲に喩えれば、5勝10敗ならマシで、1勝14敗の1勝だけをアピールしているのかもしれない。
「一例を上げれば」と言う時は、一例しかないといったものである。

果物は食べてはならないと書かれている本は多い。
果物は糖分が非常に多く含まれているからというのがその理由である。
ところが、ブラジルのグレイシー柔術で知られるグレイシー一族の食事は果物中心で、しかも、恐ろしい量を食べるらしい。
グレイシー柔術は、ある時期までは無敗を誇り(ヒクソン・グレイシーは無敗)、プロレス等のプロ格闘技のトップ選手達を軽く破ってしまうことで有名だった。
そして、グレイシー一族の男達が健康、強靭であるだけでなく、ファミリーの女性達は皆、いつまでも若くて美人だという。

こうなると、本当に、どれが正しいか分からず、本の読者達は混乱し、迷い続けることになる。
昨日は、「自己判断」以外に方法はないと書いたが、もっと言えば、「自分が良いと思うものが良い」のである。
いわゆる、「信念の魔術」である。
科学的には、どう考えても良いはずのないことをしているのに、健康で長寿というのは珍しくもない。
以前、テレビで見たが、ある民族は、挽いた(粉にした)トウモロコシ以外、一切食べないのだが、皆、健康で、村の若者達が、経験のないクロスカントリーの大会に出たら、専門のアスリート達と競って優勝を争ってしまうほどで、しかも、長寿で、いつまでも若いという。
「炭水化物は身体に悪いから、芋類は食べるな」と断言する、とても偉い医学者もいるが、やはり、ある民族は、1種類の芋しか食べないが、その民族も長寿で知られている。彼らが食べているのは、別段、特殊な芋ではないと思う。

こういったものを見ると思い出すのは、江戸末期の神道家、黒住宗忠が好きで、よく講和の際に話した「梯子仙人」の話だ。
嘘つきの男と、純粋無垢な若者がいて、嘘つきがその若者に、デタラメの仙人になる方法を教えるが、若者が大喜びで感謝しながらその通りにやったら、たちまち仙人になってしまうというものだ。
つまり、「イワシの頭も信心から」であり、信念を持つことが正しいことになってしまうのだ。

問題は、信念を作る方法だ。
合氣道家の藤平光一氏は、毎朝鏡を見て「お前は信念が強くなる」と自分に言うそうだが、まあ、それでうまくいく人は少ないと思う。
藤平氏は、「合氣道」の「氣」の文字にこだわる。決して、「合気道」とは書かない。
しかし、師の植芝盛平や、植芝の別の弟子達はそうではない。
そして、藤平氏の本を見れば分かると思うが、彼は大変な独断家で、それは、彼自身は強い信念を持っていることも示している。
彼の本を有益にしようと思えば、よほど注意深い態度が必要で、普通は有害と思う。

信念なんて、何かに憧れて持つしかないのではないだろうか?
それは、他人から見れば、案外に馬鹿げたものだ。
私は、5年以上前は大変な大食家で、体重は95kgはあったが、『魔法少女リリカルなのは』のヒロインの一人で、金髪の美少女フェイト・テスサロッサがほとんど食べないのを見て、私も、「それが良い」と思って、自然に食べなくなり、あっという間に60kgになってしまった。
つまり、フェイトにメロメロだったという訳だ。
そして、今は、初音ミクと木枯し紋次郎にメロメロなので、そこから何でもできるのである。
ヒーローとは良いものである。
ただし、自分だけのヒーローでなければならない。
初音ミクも木枯し紋次郎も、世間とか大衆から見れば、イロモノ、カウンターカルチャー(対抗文化)、サブカルチャー(反主流、下位文化)である。
つまり、一頃のロックのようなものだ。
そんな中に本物のヒーローがいるのである。









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「試合に勝って、勝負に負けた」という言葉の意味

「試合に勝って、勝負に負けた」
日本最強の柔道家、木村政彦が、ブラジルで、グレイシー柔術の創始者、エリオ・グレイシーとの戦いの後で言ったと云われる言葉だ。
試合は、白熱の攻防の中、木村が柔道の関節技である腕緘(うでがらみ)でエリオを捕らえた(エリオの息子達が有名な柔術家であるため、それぞれを呼ぶ時は、このように名前で呼ぶことが多い)。
この腕緘(うでがらみ)は、木村の得意技で、キムラロックとも呼ばれる木村の必殺技だ。
完全に決まり、エリオに逃れる術はなかったが、エリオは激痛に耐え、ギブアップ(降参)をしなかった。
そして、不気味な音と共に、エリオの腕が折れた。

初めの、木村政彦の言葉は、腕が折られても降参しなかったエリオの不屈の精神力を称えたものと言われるが、私はそうは思わない。
だが、ひょっとしたら、木村自身にも、自分の言った意味が分からなかったかもしれない。

腕緘(うでがらみ)は、プロレスなどでは、ダブルリストロック、あるいは、チキンウィングアームロックと呼ばれるが、プロレス史上最高のレスラーであるルー・テーズが最も大切にしていた関節技である。
この、ルー・テーズにまつわる、ダブルリストロックに関する話を考えれば、木村の言葉の意味が分かるように思うのである。

テーズは、この技を師のジョージ・トラゴスから教わった。トラゴスは伝説的なレスラーであったが、コーチとしては悪評があった。弟子達の身体を壊して、駄目にしてしまうという噂だった。
トラゴスはレスリングを真に愛し、レスリングに対する敬いを持たない者を赦さなかったのだ。
十代のテーズが、トラゴスに弟子入りすることを周囲の者達は止めたが、テーズはあのトラゴスに教えてもらえるチャンスを捨てる気はなかった。
そして、不思議な程、トラゴスはテーズを非常に可愛がり、自分の車で送り迎えするほどだった。
テーズに才能があったからだろうが、それだけではなかったと思う。家が貧しくて高校に進学することも出来なかったが、高校のレスリング部の練習に参加させてもらうほどレスリングを愛するテーズの真摯さや、トラゴスを深く尊敬していた気持ちが伝わったに違いない。
そして、テーズはメキメキ強くなった。
テーズの時代、彼の超一流のライバル達は、大学時代、アマチュアレスリングで全米王者、大学王者、オリンピック出場などの華々しい戦績を残していたが、その中で、高校にも行かなかったテーズが技でも彼らに引けを取らなかったのは、トラゴスのおかげであろう。

そして、テーズが、80歳になっても、昨日のことのように思い出すという事件が起こる。
トラゴスが、ある若いレスラーと対戦した時のことだ。
相手は、アマレスの全米学生王者からプロ入りした有望株で、実力を高く評価されていた。
テーズは、興行主がトラゴスに、「今日ばかりは、あんたも時代の流れを感じるだろうよ」などと言ったことを、とても残念がっていた。プライドの高いトラゴスに、そんなことを言っては絶対にいけないのだ。
トラゴスは、その相手をダブルリストロックで締め上げた。
相手は、頑固にギブアップしなかったのだろう。
そして、ついに、テーズが生涯、耳について離れないという醜怪な音が響き、相手レスラーの肩が砕けた。その前途有望だったレスラーは腕を切断するしかなかったという。
トラゴスはテーズに、「必要なら敵の腕を折らなければならない。それを躊躇してはならない」と教えた。
だが、テーズは、あと1センチ締め上げれば折っていたということは数え切れないが、本当に折ったことは一度もなかった。
アントニオ猪木が、パキスタンの強豪アクラム・ペールワンと真剣勝負で戦い、ベールワンの腕をダブルリストロックで折ったことについて、テーズは、「猪木がわざとやったのではないと信じたい」と述べている。

現代はもちろんだが、テーズやトラゴスの時代も、既に、戦争や決闘の時代ではなかった。
人間が、いかなる理由であれ、他の者の命を奪うことはもちろん、イエスが「聖なる神殿」と言った肉体を傷付けるようなことを絶対にしてはならないのだ。
トラゴスは、レスリングへのリスペクト(尊敬)を持たない者を赦してはならず、そのための制裁として腕を折ることは正しいことだと言った。
だが、断じてそうではない。
レスリングは素晴らしいものだろう。しかし、身体を損なうことを赦せるほどのものであるはずがない。

ジュール・ヴェルヌの『海底2万里』で、アロナックス博士は、不思議にネモ館長に上陸を許可されたある島で、極めて珍しいある左巻きの貝を発見して喜ぶ。
だが、それが原住民により破壊された時、同行のネッドが、その原住民を射殺しようとするが、アロナックスはそれを止める。
「確かに貴重なものではあるが、人の命ほどではない」
いや、アロナックスは、命どころか、その者の腕を折ることでも認めなかったはずである。

上に書いたが、イエスは、肉体を神殿であると言った。
肉体は神の芸術作品であり、今後、科学がどれほど進歩しても、人類が同じものを創ることはない。かなり似ているものは、そう遠くなく創れるかもしれないが、それは似て全く非なるものである。
そして、肉体というものは、その中で、魂(霊、神と言ってもよい)と心が和らぎ、溶け合う場所である。
魂は無限であるのだが、心は形あるものしか分からないので、身体という神殿が必要なのである。
そうであるなら、身体は、自分のものも、他人のものも、等しく大切にし、敬うべきものであるのだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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