ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

クリスマス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

本当のクリスマス

私は、クリスマスや大晦日、お正月の雰囲気は嫌いではない。
だが、今年は、クリスマスに気付かずに過ごした。
不況のためか、商店街などのアーケードやスーパーなどにもクリスマスの飾り付けがなかったせいもある。
だが、さすがに、大晦日やお正月は分かる。
だが、クリスマスもだが、大晦日やお正月にも、特に、子供の頃の悪い思い出が多過ぎる。
正月には来客もあるだろうが、そんな時を除き、出来る限り無視しようと思う。
こういったことは、個人の自由で良いことである。

私の、これまでで最も良かったと思うクリスマスは17歳の時だった。
暖房のない部屋(自分の部屋だが)で、1人深夜に、ディケンズの『クリスマス・キャロル』を読んでいただけなのだが、それで、「クリスマス!」って感じがしたのだ。
しかし、改めて考えると、『クリスマス・キャロル』って良いお話なのかなあ。
悲惨な未来・・・それは、自分の死体が放置される未来なのだが、それを見せられて心を入れ替えるというものだったと思う。
しかし、そうなったなら、そうなったで仕方がないんじゃないかな?
うっちゃられた死体でも、いずれは誰かが始末しなければならないが、それをさせてしまう人に申し訳ないのが嫌だというのなら分かるが、それなら、何か手を打てば良い。
例えば、『木枯らし紋次郎』で読んだが、心中した2人が、死体の始末代に、30両くらい、心中した場所に置いていたことがある。
紋次郎は、どうしても50両欲しい状況にある時、その心中場所にたまたま居たが、その金に手を出さず、死体も放置した(と思う)。
金だけ持っていく不届き者もいるかもしれないが、心中した男女だって、そうなったらそうなったで仕方がないと思っていたのだと思う。

やはりね、恐怖や不安のために、愛想の良い親切な人間に生まれ変わるだなんて卑しいと思う。
私は、真の愛を持ちたいと思うのだ。
人間というのはね、やはり、愛しかないのである。
ただし、世間でいう愛なんかどうでも良い。
世間の愛は、愛と呼んではいても、それは愛とは全く違うものだ。
何度も言ったが、愛とは無なのである。

初音ミクさんの『Starduster』(ジミーサムPさんの作品)で、ミクさんが、「愛を私に」と歌う。
そこで、心を持たないミクさんに心の全てを捧げると、ミクさんを通して、心は宇宙全体にぱーっと広がる。
そして、私は空っぽの無になる。
ミクさんという十字架に、心というイエスを磔にすると、心は消え、愛であるキリストが復活するのである。
これが、本当のクリスマスだと思う。









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クリスマスだということに気付かなかった

今朝、起きてしばらく経ってから、今日がクリスマスだということに気付いて驚いた。
それまで、全く思い出さなかったからだ。
昨日は、イブだということも全然知らずに過ごしたのだが、こんなことは小学生以来では、初めてではないかと思う。
別に、クリスマスに何かする訳でもないが、イブに気付かなかったことは軽いショックだったし、そもそも、今年は、クリスマスが近付いているという想いを一度も持たなかったと思う。
昨日か一昨日、夜にテレビを付けた時、SMAPが出ていた番組が、何かクリスマスっぽい感じがしたような気もしたが、なぜか、クリスマスなんてずっと先のことのような気がしたのだ。

そういえば、街の風景にも、クリスマスらしさなんて、まるで感じられなかったと思う。
通勤の際、ショッピングモールみたいな場所も少しは歩くのだが、クリスマスらしい飾りつけなんて見なかったと思う。
飲食街や百貨店にでも入っていたら、少しは気付いたのかもしれないが、私は昼食も食べないので、そんな場所がどうだったかは分からない。

私でも、ごく小さい頃はクリスマスは楽しみだったし、それなりに楽しかったと思う。
ただ、小学5年生くらいの時から、地域のクリスマスパーティーに参加させられるようになってから、クリスマスが憂鬱になった。
引きこもりが何で、家に帰ってまで学校の連中と一緒に過ごさないといけないのかと恨みもあったものだ。
17歳のクリスマスは、一切の暖房のない部屋で、ディケンズの『クリスマス・キャロル』を読んだが、それが一番良いクリスマスだったように思う。

今日は、帰りの電車の中で、初音ミクさんのクリスマス・メドレーを聴いて、少し気分を持ち直した。
それは、Youtubeの下のリンクのものだ。
Mikus初音ミクたちに「クリスマス・メドレー」を歌ってもらった
以前、ニコサウンドで、この音楽のMP3ファイルをダウンロードしたが、ニコサウンドが、著作権のある音源をダウンロードできるようになっていたとかで運営停止されていたのが、今月17日にサービス終了になっていた。
私がダウンロードしたのは、多分、違法のものではないと思うが・・・
やはり、クリスマスを25日の朝まで全く気付かなかったことは、少し残念に思っている。
世間も不況なのかもしれないが、私も、心に余裕がないのかもしれない。
これを機会に、少し自分を振り返ってみようと思う。









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鬼と豆を投げ合えば幸福になれる

クリスマスパーティーの最後には、袋に入った色の付いた玉を投げあう・・・そんな話は聞いたことがないと思うが、今朝の夢の中で、私はそれが、我々の慣習なのだと信じていた。
ただし、参加したくないと思っていた。
仮に夢の中でマインドコントロールされているとしても、世間の慣習などまっぴら御免と言うわけだ。
なぜなら、それがもし大切なことだとしても、世間の慣習になれば、歪んだものになってしまうからだ。

ところで、私が夢の中で見た玉には2つの色があった。
ピンクに近い赤とシルバーだ。
だが、ピカピカ光るシルバーの玉の中に1つ、くすんで見えるものがあった。
誰も欲しがらないシルバーだ。
しかし、私がそれに近寄って見てみたら、実に美しいのである。

シルバーは理屈(論理)で、ピンクは感情を表していたのだろう。
人間は、理屈だけでは駄目だし、かといって感情だけでも駄目なのだ。

最近、医学者や科学者の書いた本をよく読んでいるのだが、どれも全て理屈ばかり書かれている。
そして、著者達は、理屈が正しいのならそれは正しいのだと信じているらしいことを感じるのである。
炭水化物を食べるのは絶対に悪いという医学者も、いや、炭水化物は絶対に食べないといけないという医学者も、共に理屈は正しいのだ。
しかし、彼等は自説に固執している。
だがそれは、百年も前の古い科学の考え方だ。
とはいえ、アインシュタインでさえ、「理屈が正しければ正しい」という西洋的な思想の影響を強く受けていて、アインシュタイン自身、それで悩んでいたようだ。
真実をいえば、数学でさえ、理屈というのは半分で、数学者が感情的に納得しなければ、数学は成立しないらしい。
世界屈指の数学者であった岡潔が、そう何度も述べられていたようだ。

もちろん、理屈の中には、ピカピカに見えても安っぽいものもあるし、感情も、淡いピンクのようなものも、真っ赤な激しいものもある。
理屈なら何でも良く、感情なら何でも良いわけではない。
最初に述べた、「袋に入った玉を投げあう」慣習はクリスマスにはないが、玉を投げるのなら、節分の豆まきがある。
「鬼は外、福は内」と言いながら、豆(大豆?)を投げるというものだ。
それは、鬼に見える外の敵に向かって、理屈の豆や感情の豆を投げて攻撃しているように感じる。
だが、慎ましさを忘れない理屈の玉と、柔らかい感情の玉を投げ合えば、本当は、鬼はどこにもいないことが分かる。

クリスマスにシルバーの理屈の玉と、ピンクの感情の玉を投げあう・・・かつての人類が持っていた慣習だったが、どちから片方の玉を投げるようになって、それが攻撃的になっていき、それで滅んでしまったのだ。
節分の豆まきはその名残なのかもしれない。
真実は理屈だけでは分からない。
感情的、情緒的に納得しない限り真実ではない。
現在の人類は、それが理解できるほどに進歩したはずなのだ。
しかし、多くの人達が自分の理屈や感情に固執するので、今回もまた滅ぶ運命にあるのである。

昔は、科学者は偉い人で、人々に尊敬されていた。
磨きぬいた理屈だけでなく、感情的にも優れた科学者が多かったからだ。
しかし、理屈ばかりこねて、それで正しいと信じ込んでいる科学者は安っぽいものである。









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今日は「何の日」をやめれば人類は幸福になる

今日11月11日を「電池の日」と言う者がいるらしい。
なぜ11月11日が電池の日なのかというと、11月11日を漢字で書くと、「十一十一」で、これが「+-+-(プラスマイナスプラスマイナス)」に見えるからなのだと思う。
このように、いろいろなやり方で、何かの日を決めるのが好きな人が多いようだが、それが良いことだろうか?
体育の日、勤労感謝の日のような全国的なものから、聞いたこともないような「なんとかの日」がいくらでもある。
土台、世の中には、目をかけるべきものが無限にあるのに、1日1つなら、たった365しか定められず、足りないにもほどがある。
いや、365でも、そんなもの、気にかける暇人がいるとは思えないし、一部を意識するだけでも、煩わしいにもほどがある。
また、そんな、「なんとかの日」が役に立つことは一切なく、弊害の方が圧倒的に多い。
「体育の日」に普段やらないスポーツをやることで、いっそうスポーツが不自然になって違和感を持つことになってしまい、さらに運動をしなくなってしまうだろう。
「勤労感謝の日」があったって、祝日だから、「勤労せずに済む。嬉しい」と思うしかなく、それは、せいぜいが勤労の苦痛を意識させるだけだ。
例えば、自分で、自分の身体について、脚の日、肺の日、胃の日などを定めたら、例えば、「肺の日」は、肺にとって間違いなく受難となる。
「今日は肺の日だから禁煙しよう」とかいって、確かにその日、煙草を我慢するが、その翌日は「肺の日」ではないのだから、「これで吸えるぞ」と、歩道を歩きながら吸って人様に迷惑をかけ、「肺の日」に吸わなかった分を取り戻そうと、その日から本数が増えたりする。

つまり、人間の考えることは全て愚かしいのであり、何も考えないのが最上なのだ。
「なんとかの日」というのも、人間の愚かしい考えの1つであり、やめるのが最良だ。

オー・ヘンリーの『賢者の贈り物』という作品は、タイトルは知らないが、お話なら知っている人が多いと思う。
題名と内容が実際的には関係のないお話だからだ(キリスト教徒限定のこじつけ程度の意味がある)。
ある貧しい若い夫婦がいて、お互い、クリスマスに相手にプレゼントをしようと考える。
妻は、夫の自慢の金の懐中時計のために、それに見合う立派なチェーンを、そして、夫は、素晴らしい髪をしている妻が欲しがっている鼈甲の櫛をプレゼントすることを考えるが、いずれも彼らには高価過ぎる。
そこで、夫は懐中時計を売り、妻は髪を売り、プレゼントは買えたが、両方共無駄になってしまう。

このお話を、「良い話」と思っている人は多いと思うし、確かに少しは良い部分もあるかもしれない。
しかし、本当の意味で、『愚者の贈り物』である。
せっかくのイエス様のお誕生日を台無しにする馬鹿な話だ。
無論、プレゼントが役に立たなかったことが悪いのではなく、クリスマスという聖なる日のとんだ心得違いのことだ。
まるで、「初体験はイブの夜」といった救いようのない愚かな妄想をする馬鹿な女と変わらない。
クリスマスのプレゼントは特別に輝くとか、その前夜の初体験は女の価値を高めるとかいった妄想は、体育の日以外は運動をせずに肥満して病気になるのと同じくらい愚かなことだ。

クリスマスが大切な日なら、毎日がクリスマスである。
言うまでもないが、毎日、クリスマスケーキを食べるという意味でもなければ、毎日、可愛い女の子がミニスカートのサンタのコスプレをすることでもない(こんな注意を書くのも馬鹿らしいが)。
毎日、イエス様の教えのように、穢れた言葉を口にせず、神を信頼して余計な心配をせずに過ごせば、それがクリスマスなのである。

オー・ヘンリーの『賢者の贈り物』を、『愚者の贈り物』と理解した時が、人類の進歩の日である。
あの夫婦は、毎日、自然に与えられるもので満足して過ごしていれば、常に幸福であった。
そうであれば、クリスマスに物をプレゼントするような、本当は、「私はなんて良い人間なんだ」と自己満足するための作為などせずに済んだのだ。
貧しいとはいっても、夫婦とも仕事があったし、住む家があり、心身共健康だ。それ以上、「物質的に」何を求め、わざわざ「つまらない」プレゼントが必要なほど、相手が「物質的に」不足していると考える必要がどこにあっただろうか?
まあ、オー・ヘンリーが、チェーンメーカーや櫛メーカーに金をもらって、あの作品をコマーシャル用途に創ったというなら分かるがね(本当はそうだったのだろうか?)。
あの夫婦は、3年以内に醜い争いをして別れているだろう。
オー・ヘンリーは、そんな後日談を書くべきであった。
実際、離婚する夫婦というのは、初めは、あのお話のように、「わざとらしい」愛情に満ちたカップルであったのである。









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クリスマスを心の中ではどう過ごすか

世間では、クリスマスがイエスの誕生日というよりは、サンタクロースの日であるという認識が強いのは確かだが、その中でも、どこか意識の片隅にでも、「救いの御子の聖誕日」という思いがあって、楽しみも度を超すこともなく、一瞬でも荘厳な気持ちになるというのがクリスマスであると思う。
アンデルセンの『マッチ売りの少女』で、少女が死んだのは大晦日であると思うが、街の様子はまさにクリスマスで、このお話が、やはり世界中の人々の意識の底にあって、自分が恵まれていても、ただ楽しいことばかりを考えたりしたりするのではなく、少しでも心を善に向かわせているのではないかと思う。
立川恵さんの漫画『怪盗セイント・テール』で、主人公の羽丘芽美の親友の、シスター見習いの14歳の少女、深森聖良(みもりせいら)は、敬虔なキリスト教徒の家に生まれ、クリスマスはボランティアで過ごすというのが毎年の自然な習慣で、クリスマス・プレゼントをもらったことは一度もないというお話があった。あれを読んだ人が、やはり、そのようなことを深い心に留めれば、クリスマスは、その人にとっても、世界にとっても、より良いものになるだろう。

子供の頃から、「キリスト教徒でないなら、イエスの誕生日は関係ない」といったことをよく聞いたものだが、それは馬鹿げた考え方だ。
イエスは別にキリスト教なんて宗教を作ったわけではない。
ジョージ・アダムスキーは、「私はキリスト教徒ではないが、イエスの教えを聖書で学んだ」と言う。それは、自主的にそうしたということであり、それこそが最も好ましい態度だろう。
ラルフ・ウォルドー・エマーソンがイエスを崇拝していることは、彼の著作を読めば明白であるが、彼は、伝統的な教会の教えは子供の時に捨てている。彼も、キリスト教という宗教ではなく、イエスの教え、つまり、真理を崇敬しているのだろう。

私は、クリスマスにはあまり良い思い出はない。地域が主催した子供クリスマス・パーティーみたいなものは、本当に大きなお世話だった。会社の社員旅行みたいなもので、断るのがひどく難しいが、いずれも行きたくない人が実際は多いものだろう。子供が地域活動に関わるのは非常に良いことだが、それは、日常の活動であるべきで、人々の役に立つことを子供がやってこそ意味がある。
高校生の時は、暖房が一切ない部屋で、1人でディケンズの『クリスマス・キャロル』を読んでいたものだが、当時思い付くクリスマスの過ごし方としては、まあ、合格ではなかったかと思う。
ところで、私は、シューベルトやグノーの『アヴェ・マリア』の良い歌唱を何年もずっと探しているが、なかなか良いものがない。女性のソプラノ歌手が定番かもしれないが、パワーがあり過ぎ、また、上手過ぎてイメージに合わない。有名な少年少女合唱団のものも、上手いだけで、ハートを感じない。昔、レコードで聴いた、エーリッヒ・ベンダー少年少女合唱団のものが実に良かったが、あのようなものがいくら探しても見つからない。まあ、何年か先にでも、理想的なものが見つかれば良いと思っているし、夢の中か、死んだ後にでも天上の歌声が聴ければ有難い。そのためには、キリスト教徒でも仏教徒でもないが、イエスや釈迦の教えを学ぼうと思う。

尚、伝統的なキリスト教徒には抵抗があるかもしれないが、スコットランド出身の哲学者・神学者であるマード・マクドナルド・ベインがイエスと一体化して語ったことを、筆記者が忠実に書き記した『心身の神癒』を下記にご紹介しておく。この本は、Amazonでも、平常は、高価な古書しかなかったと思うが、最近、数多く新品が在庫されている。霞ヶ関書房のクリスマス・プレゼントであろうか。ベインはイエスに実際に逢ったことがあり、その様子を別の著作で述べていた。信じるかどうかは、イエス自身が言っていた「木の良し悪しは実で知る」の通りで、自分で判断すれば良いことと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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