クリスマスが近付くと、テレビCMで、子供達が美味しそうなチキン・ナゲットやケーキを嬉しそうに食べる様子を見ることがよくあるが、私は、ああいったものを見ると憂鬱になる。
私は別に、子供にまで厳しい少食を奨めようとは思っていない。
しかし、今は少ないのかもしれないが、日本にだって、ああいったご馳走に縁の無い子供は沢山いるし、まして世界では、クリスマスも例外ではなくロクなものを食べられない子供達が圧倒的に多いはずだ。
私は、クリスマスの様子を見ると、どうしても『マッチ売りの少女』を思い出す(このお話は大晦日のお話のようだが)。
このお話には、モデルになった子供がいたようだが、アンデルセンの母親も家が貧しく、物乞いに行かされて、1日中、橋の下で泣いていたらしい。
地球上のほとんどの子供は、今も昔も不幸なのだ。
クリスマスにご馳走を食べること自体は悪いとは思わないが、出来るなら、大騒ぎなどせず、厳かで静かな雰囲気の中で、しっかり味わって丁寧に食べて欲しい。
イエス・キリストのお話や言葉を少しでも思い出しながらね。
私は、高校生の時、特にイブの夜は、自分の部屋で、決して暖房を使わず、バルバロの『聖書』や、ディケンズの『クリスマス・キャロル』を読んでいた。そんな時、夜闇の中に、目には見えないが精妙な光の粒子が溢れているのを感じたものだったが、それこそが本当のクリスマスだった。
クリスマスこそ、質素な食べ物が相応しいし、その方が本当の幸福を感じるのである。
自分が、「向こう側」の人間だと感じるからだ。
ところで、時々、私に、普段、どんなものを食べているのかと尋ねる方がいる。
私は、1日1食で、夕食のみだが、食べるのは、パン、野菜、果物、ナッツ等だ。
しかし、やはり自分も菜食だという人が、私は意味すらよく分からないのだが、オーガニック野菜を食べているとか、品質の良いパンや米を食べていることをさかんに述べる人がいる。
私は、食べ物に何のこだわりもない。パンは、スーパーやコンビニで売っている、一番安いものだ。だが、パンはやたらクリーム入りのが多く、ある時などは、そうでないパンが無くて、買わずに帰ったこともあった。食パンは、少し柔らか過ぎる。もう少し、堅くて、何も付いていないものがあれば有り難いとは思う。
基本的には、日本でいうコッペパンの、何も入ってないものを好んでいる。賞味期限切れなど、いつものことである。
野菜も、スーパーで普通に売っているもので良いし、別にじっくり選ばない。果物は、基本的にリンゴで、普通にきれいなら何でも良い。
カップスープや、安価なクッキーやバウムクーヘン(1個百円位のもの)などを食べる時もある。
こんな食事で、完全な健康体で、1日も運動を欠かさない。
人間は、食べたものを身体の中で良いものに変換する能力があり、仮に少々悪いものを食べても全く平気だと私は思っている。
むしろ大切なことは、食事の時の心の状態である。怒ったり、妬んだり、恨んだりする気持ちと共に食べれば、食べたものも悪いものに変わるかもしれない。
食事の時は、心静かに食べるべきである。食事中の会話は、穏やかで明るくあるべきで、決して、騒いではいけない。
イエスは、「人は口から入るもの(食べ物)で汚れたりはしない。口からで出るもの(言葉)で汚れるのだ」と言ったが、言葉が穏やかであれば、心もそうであろう。
次のクリスマスには、世界はきっと大きく変わっているだろう。
それに備えて、我々は、沈黙を友として過ごすべきである。
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私は別に、子供にまで厳しい少食を奨めようとは思っていない。
しかし、今は少ないのかもしれないが、日本にだって、ああいったご馳走に縁の無い子供は沢山いるし、まして世界では、クリスマスも例外ではなくロクなものを食べられない子供達が圧倒的に多いはずだ。
私は、クリスマスの様子を見ると、どうしても『マッチ売りの少女』を思い出す(このお話は大晦日のお話のようだが)。
このお話には、モデルになった子供がいたようだが、アンデルセンの母親も家が貧しく、物乞いに行かされて、1日中、橋の下で泣いていたらしい。
地球上のほとんどの子供は、今も昔も不幸なのだ。
クリスマスにご馳走を食べること自体は悪いとは思わないが、出来るなら、大騒ぎなどせず、厳かで静かな雰囲気の中で、しっかり味わって丁寧に食べて欲しい。
イエス・キリストのお話や言葉を少しでも思い出しながらね。
私は、高校生の時、特にイブの夜は、自分の部屋で、決して暖房を使わず、バルバロの『聖書』や、ディケンズの『クリスマス・キャロル』を読んでいた。そんな時、夜闇の中に、目には見えないが精妙な光の粒子が溢れているのを感じたものだったが、それこそが本当のクリスマスだった。
クリスマスこそ、質素な食べ物が相応しいし、その方が本当の幸福を感じるのである。
自分が、「向こう側」の人間だと感じるからだ。
ところで、時々、私に、普段、どんなものを食べているのかと尋ねる方がいる。
私は、1日1食で、夕食のみだが、食べるのは、パン、野菜、果物、ナッツ等だ。
しかし、やはり自分も菜食だという人が、私は意味すらよく分からないのだが、オーガニック野菜を食べているとか、品質の良いパンや米を食べていることをさかんに述べる人がいる。
私は、食べ物に何のこだわりもない。パンは、スーパーやコンビニで売っている、一番安いものだ。だが、パンはやたらクリーム入りのが多く、ある時などは、そうでないパンが無くて、買わずに帰ったこともあった。食パンは、少し柔らか過ぎる。もう少し、堅くて、何も付いていないものがあれば有り難いとは思う。
基本的には、日本でいうコッペパンの、何も入ってないものを好んでいる。賞味期限切れなど、いつものことである。
野菜も、スーパーで普通に売っているもので良いし、別にじっくり選ばない。果物は、基本的にリンゴで、普通にきれいなら何でも良い。
カップスープや、安価なクッキーやバウムクーヘン(1個百円位のもの)などを食べる時もある。
こんな食事で、完全な健康体で、1日も運動を欠かさない。
人間は、食べたものを身体の中で良いものに変換する能力があり、仮に少々悪いものを食べても全く平気だと私は思っている。
むしろ大切なことは、食事の時の心の状態である。怒ったり、妬んだり、恨んだりする気持ちと共に食べれば、食べたものも悪いものに変わるかもしれない。
食事の時は、心静かに食べるべきである。食事中の会話は、穏やかで明るくあるべきで、決して、騒いではいけない。
イエスは、「人は口から入るもの(食べ物)で汚れたりはしない。口からで出るもの(言葉)で汚れるのだ」と言ったが、言葉が穏やかであれば、心もそうであろう。
次のクリスマスには、世界はきっと大きく変わっているだろう。
それに備えて、我々は、沈黙を友として過ごすべきである。
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