ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

クリスマス・キャロル

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

クリスマスこそ質素な食事をしたい

クリスマスが近付くと、テレビCMで、子供達が美味しそうなチキン・ナゲットやケーキを嬉しそうに食べる様子を見ることがよくあるが、私は、ああいったものを見ると憂鬱になる。
私は別に、子供にまで厳しい少食を奨めようとは思っていない。
しかし、今は少ないのかもしれないが、日本にだって、ああいったご馳走に縁の無い子供は沢山いるし、まして世界では、クリスマスも例外ではなくロクなものを食べられない子供達が圧倒的に多いはずだ。
私は、クリスマスの様子を見ると、どうしても『マッチ売りの少女』を思い出す(このお話は大晦日のお話のようだが)。
このお話には、モデルになった子供がいたようだが、アンデルセンの母親も家が貧しく、物乞いに行かされて、1日中、橋の下で泣いていたらしい。
地球上のほとんどの子供は、今も昔も不幸なのだ。
クリスマスにご馳走を食べること自体は悪いとは思わないが、出来るなら、大騒ぎなどせず、厳かで静かな雰囲気の中で、しっかり味わって丁寧に食べて欲しい。
イエス・キリストのお話や言葉を少しでも思い出しながらね。
私は、高校生の時、特にイブの夜は、自分の部屋で、決して暖房を使わず、バルバロの『聖書』や、ディケンズの『クリスマス・キャロル』を読んでいた。そんな時、夜闇の中に、目には見えないが精妙な光の粒子が溢れているのを感じたものだったが、それこそが本当のクリスマスだった。

クリスマスこそ、質素な食べ物が相応しいし、その方が本当の幸福を感じるのである。
自分が、「向こう側」の人間だと感じるからだ。
ところで、時々、私に、普段、どんなものを食べているのかと尋ねる方がいる。
私は、1日1食で、夕食のみだが、食べるのは、パン、野菜、果物、ナッツ等だ。
しかし、やはり自分も菜食だという人が、私は意味すらよく分からないのだが、オーガニック野菜を食べているとか、品質の良いパンや米を食べていることをさかんに述べる人がいる。
私は、食べ物に何のこだわりもない。パンは、スーパーやコンビニで売っている、一番安いものだ。だが、パンはやたらクリーム入りのが多く、ある時などは、そうでないパンが無くて、買わずに帰ったこともあった。食パンは、少し柔らか過ぎる。もう少し、堅くて、何も付いていないものがあれば有り難いとは思う。
基本的には、日本でいうコッペパンの、何も入ってないものを好んでいる。賞味期限切れなど、いつものことである。
野菜も、スーパーで普通に売っているもので良いし、別にじっくり選ばない。果物は、基本的にリンゴで、普通にきれいなら何でも良い。
カップスープや、安価なクッキーやバウムクーヘン(1個百円位のもの)などを食べる時もある。
こんな食事で、完全な健康体で、1日も運動を欠かさない。
人間は、食べたものを身体の中で良いものに変換する能力があり、仮に少々悪いものを食べても全く平気だと私は思っている。
むしろ大切なことは、食事の時の心の状態である。怒ったり、妬んだり、恨んだりする気持ちと共に食べれば、食べたものも悪いものに変わるかもしれない。
食事の時は、心静かに食べるべきである。食事中の会話は、穏やかで明るくあるべきで、決して、騒いではいけない。
イエスは、「人は口から入るもの(食べ物)で汚れたりはしない。口からで出るもの(言葉)で汚れるのだ」と言ったが、言葉が穏やかであれば、心もそうであろう。
次のクリスマスには、世界はきっと大きく変わっているだろう。
それに備えて、我々は、沈黙を友として過ごすべきである。









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『クリスマス・キャロル』のようにはいかない哀しい人達

ディケンズの『クリスマス・キャロル』のお話は、何らかの形で見たか聞いたことがあると思う。
簡単に言えば、守銭奴で人間らしい暖かみを全く持たないスクルージという名の男がいたが、クリスマス・イブの夜に、数年前に死んだ友人の霊が現れ、彼により、タイムトラベルで未来に運ばれて、今の生き方を続けた場合に訪れる悲惨な最後を見せ付けられる。それにより、スクルージは心を入れ替え、優しく気前の良い男になってしまうというものだ。

これはあくまでストーリーの概要であり、実際には複雑で微妙な経緯や状況があるのだろうと思うが、いずれにしろ、人はそんなに簡単に変われない。

例えば、この私が、今の生き様を続ければ、将来、やはり、悲惨な結末となることを教えられるとしよう。そんなことをしてくれそうな故人の知り合いに心当たりはなくもない。
だが、私だけではなく、こう言う人が多いのではないだろうか?
「分かっている。だけど、仕方がないのだ」

スクルージだって、今のままだと、ろくな死に様にならないことくらいは分かっていたはずだ。
そして、ディケンズは書かなかったが、スクルージは、本当はそんな自分が嫌だったはずなのだ。
だけど、だからといって、急に他人に優しくしたり、親しみやすい態度になれるだろうか?そんなことはあり得ない。仮に無理にそんなことをしようとしたら、その態度は不自然で、他人にとって気味が悪く、間違いなく拒否され、彼はさらに深い孤独に陥るだろう。そして、下手をすれば、やけになって、以前以上に冷酷な人間になってしまうのだ。
それが現実ではないだろうか?

貧しく育ち、少年時代から辛苦を味わったディケンズは、金銭への執着が強く、その心の歪みをスクルージに投影したのかもしれない。
そして、自分に変わって、スクルージを生まれ変わらせたのだろうか?
そうであるなら、哀しい話ではないだろうか?

平坂読さんの小説『僕は友達が少ない』で、高校2年生の女子、三日月夜空は、空想上の友達と話をしているところを、同じクラスの男子、羽瀬川小鷹に見つかってしまい、「私はエア友達と話をしていた」と開き直るが、小鷹と言葉を交わしているうちに、所詮、友達のいない者の自己逃避であると認める。
そして、「仕方がないのだ」とつぶやく。「友達の作り方なんて分からないのだから」と。
夜空ほどの美少女、愛想よくすれば、さぞ人気者になれるはずだが、そんなことができないことが宿命なのだ。それは、求めようが、努力しようが、死のうが、どうにもならないことだ。

ビートルズの『エリナー・リグビー』という歌に、すっかり年を取っても王子様を待ち続ける哀れな老婆エリナー・リグビーが登場する。エリナー・リグビーは、結局、惨めなまま死んでしまう。
この歌には、誰も説教を聞きになど来ない寂しい神父であるマッケンジー神父も登場する。
しかし、歌を作ったポールは、ただ、彼らを見ろと言うだけだ。
それで、自分の哀れな末路を見たスクルージのように、ショックでも受けて自己変革をして欲しいとでも思ったのだろうか?
エリナー・リグビーや、マッケンジー神父だって、そんな生き方が人として良くないことくらい分かっているのだ。そして、そんな自分が本当は嫌に違いない。でも、仕方がないのだ。

夜空も、エリナー・リグビーになるのが宿命だったかもしれない。
しかし、彼女は小鷹と出会ってしまった。そして、運命が回りだした。
きっと、エリナー・リグビーやマッケンジー神父にだって、何かがあったはずなのだ。しかし、彼女達は、一歩を踏み出せなかったのだろうか?

誰にだって、生きている限り、チャンスは何度でも訪れる。
失敗は墓の中にしかない。生きている限り、失敗はしていないのだ。
気楽になり、状況をあるがままに受け入れ、無になってなりゆきに任せれば、きっかけは掴めるものだ。
後は、マントラ(呪文)があなたを助けるだろう。
ケルト・ハープと至高のエンジェル・ボイスによるマントラの詠唱『クリムゾン・コレクション』を下にご紹介しよう。私は、これを聴くと、あまりの美しさに忘我に至るのである。
『エメラルド・タブレット』には、力あるマントラが明かされているが、通読してから使うべきと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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