ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

クリスマス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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クリスマスに発見した至高の真実

クリスマスである12月25日がイエス・キリストの誕生日だというのは、新約聖書の福音書のどこにも書かれておらず、イエスの死後、何百年も経ってからキリスト教の会議で決めたことらしい。
また、今のサンタクロースの一般的なイメージは1931年にコカ・コーラ社が作ったものらしい。
つまり、これらは、宗教的、商業的な都合で決められたもので、それが世界的に一般化したのは、まさに洗脳であるが、そうは言っても、クリスマスは、特に昔は、クリスマス・パーティーにしても、温かい雰囲気になることが多く、また、厳かな気分にさせられることも確かにあり、一概に偽物扱いする必要もないと思う。
海外のことは知らないが、日本では、若い人の間ではクリスマスは深夜・翌朝までデートする日になっているのも、普段と比べれば、まだ心がこもったデートになる場合が多いのではないかと思う。
戦争・紛争中の国でも、有利な側も、クリスマスは停戦する場合が多いと思われるが、こういった肯定的な面はいろいろあるだろう。
これらから考え、クリスマスは人類レベルで重要な、商業的という意味ではなく成功したイベントと言えると思う。

とはいえ、正月に仕方なく正月じみたことをする私が言うのもなんだが、クリスマスじみたことを何かすることは全くない。
まあ、子供の時からの洗脳で、クリスマスに食べるケーキは美味しく感じるので、害のない洗脳の利用はしているが。
ただ、クリスマスには害も多い。
今は少ないかもしれないが、家が貧乏で、子供の時から家でクリスマスじみたことをしたことは一度もないという人を知っているが、そういうのは子供にとっては辛い場合が多いだろうし、その人も、少々人間性が歪んでいたが、そのようになる危険性があると思う。
あるいは、子供の時に、友達もいないのに無理やり、集団子供パーティーに出席させられ、すっかりクリスマスが嫌いになった人もいる。

私は、正月、クリスマス、自分の誕生日、自分の何らかの重要なことがあった日(いわゆる記念日)も全く重要視しないのはもちろん、建国記念日や終戦の日といった重要な日に関しても、正直、憶えたことすらない。
まあ、初音ミクさんの誕生日(8月31日)はなぜか重要と感じるが(笑)、それは、むしろ、夏休み最終日という意味が大きい。
そう言えば、元カノの誕生日も1つも憶えておらず、これはフラれるわけである(笑)。

星降るイヴ
AIアート575
「星降るイヴ」
Kay


それで、重要な日というのは、実は本当は1つもないと思っているし、それが本当だと思う。
だが、今この瞬間が最も重要な時なのである。
言ってみれば、今この瞬間が、自分の誕生日であり、宇宙の誕生日だ。
「私は今生まれた」
「宇宙は今生まれた」
クリスマスに至高の真実を発見したようである。
宇宙は今生まれたという意識に馴染めば、大変なことが起こるだろう。

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(1)クリスマス・キャロル (角川文庫)
(2)クリスマス・キャロル(映画1938) [DVD]
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(4)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
(5)キリストにならう(フェデリコ・バルバロ訳)
(6)聖母マリアの秘密: 今も続くメジュゴリエでの奇跡
(7)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)

心が死んだ日

今日がクリスマスであることを、昨日気付いた。すっかり忘れていた。
クリスマスとは、イエス・キリストの誕生日と言われるが、イエス・キリストの本当の誕生日は不明である。
12月25日というのは、ミトラ教(ミトラス教)における、太陽の復活を祝う祝日で、ミトラ教の主神ミトラスの誕生日と言うよりは、ミトラスが「再び生まれる日」である。
ミトラ教とキリスト教は別々の宗教だ。しかし、私は事情は知らないが、イエス・キリストとミトラ神が同一視されるようになり、12月25日のミトラ神の復活の日が、いつか、イエス・キリストの誕生日となったのかもしれない。しかし、12月25日がイエスの誕生日だとは、福音書には書かれていない。

尚、12月24日をクリスマス・イブと言うが、イエスの時代は、1日の終わりと始まりは午前0時ではなく、日没が、その日の終わりと次の日の始まりだったので、当時の考え方では、クリスマス・イブは、日本では昨日(24日)の午後6時半頃の日没で終わり、クリスマスも、本日(25日)の午後6時半頃までである。

私は、子供の時、家の中でクリスマス・ツリーを見たことがないと言う人を何人か知っている。
いずれも、家が貧しくて、そんなことをする余裕が親になかったようだ。
それなら、おそらく、クリスマス・プレゼントをもらったこともないのだろうが、幼稚園や小学校で、他の子供達がサンタにプレゼントをもらったという話をしていたり、紙芝居等で、サンタがプレゼントを配る話をするのを見ると、さぞ落ち込んだことだろう。
だから、そんな人は、心が強くなるか歪むかになることが多いと思うが、私が会った人で言えば、言っては悪いが、その両方(強いが歪んでいる、あるいは、歪んでいるが強い)だったように思う。

クリスマス・プレゼントをもらったことがないと言ったら、立川恵さんの、アニメ化もされた漫画『怪盗セイント・テール』に登場する、ヒロイン羽丘芽美(はねおかめいみ)の親友である深森聖良(みもりせいら)という14歳の美少女を思い出す。
聖良はシスターで、敬虔なキリスト教徒の家に生まれた彼女は、子供の時から、クリスマスはボランティアに励む日で、クリスマス・パーティーやクリスマス・プレゼントとは無縁であった。
尚、聖良はシスター服を着ていたが、作者の立川恵さんは、シスター服は、その方面の学校を出ていないと着れないものだと指摘され、作中で謝罪しているが、その後も聖良はシスター服を着続けた。
もっとも、聖良は、クリスマス・プレゼントをもらえないことや、クリスマスにパーティーをしたことがないことを、別に悲しいとは思っておらず、当たり前に考えているようだった。
人間、贅沢の味を知らないことは良いことであると感じた。

クリスマスではなく大晦日の話らしいが、アンデルセンの『マッチ売りの少女』で、あの少女が、飢えと寒さの中で見た幻想は、全くクリスマスの様子だった。
あのお話を初めて自主的に読んだ時、私は、あの少女を救おうと思ったが、自分にその力がないと気付くと、このお話を悲しいと思わないようになった。いや、それだけでなく、人が死ぬことを全く悲しいと思わなくなった。親友とみなしていた友達や父親が死んだ時もそうだった。
どうも心が死んでしまったらしい。
別に、アンデルセンに責任を取らせようとは思わないが(笑)。
だから、初音ミクさんに親近感を感じるのだと思う。








クリスマスを貧困から脱するきっかけに

クリスマスと言ったって、12月25日が本当にイエス・キリストの誕生日であるわけではなく、正確なことは忘れたが、ある時、ローマの宗教会議で、ミトラ神の生誕日を、イエスの誕生日に当てたのだそうだ。
また、そのミトラ神の生誕日というのも怪しいと思う。だいたい、神様の誕生日なんて、あまり聞いたことがない。
また、イエスが生まれたのは紀元元年ではなく、もっと前だそうで、学者が計算を間違えた結果が今の西暦だが、いまさらどうしようもない。
そして、『涼宮ハルヒの憂鬱』でキョンが「クリスマスにしか仕事しない赤服じいさん」サンタクロースの姿は、1930年にコカ・コーラ社が発表したものに過ぎない。
もう、まったくデタラメである。
とはいえ、キリスト教国では、人々が敬虔な気持ちになり、家族で過ごす日なのであるから、決して悪いものではない。
悪いものではないが、皆が皆、夕刻に家族と過ごせる訳ではもちろんなく、電力会社やガス会社の夜間従業員、それに、テレビ局のスタッフやタレントはいつもより忙しく、今の日本では、クリスマスセールの商戦で慌しく、本当は家に帰りたくても帰れない人のことを考えると、地味に過ごしたくもなるってものだ。
「ホワイトクリスマスになんかなるなよ」とひたすら祈るホームレスさん達だっているしね。

そういえば、昔は、商店街は、クリスマスが近付くと、クリスマスの飾り付けが華やかだったが、私の知るところは、決して田舎ではないが、ほとんどいつもと変わらない。
クリスマスでも売れないので、そんな経費使うのも惜しいのだろうか?
日本は、安倍政権で、大企業はそれなりに良くなり、それはそれで良いことだが、大企業や官庁以外は低迷・・・とかではなく、マジで貧しくなった。
ちょっと昔は、「不況とか言ったって、新車がバンバン走ってるし、ボロボロの服や穴の空いた靴を履いてる人もいない。実際は豊かなんだ」って言われていて、それはあながち間違いではなかった。
しかし、今は、新車は少なくなったし、穴の空いた靴を履いた人くらいいっぱいいる。
1人当たりGDPは世界26位まで落ち込み、「あの」韓国と悪い意味で肩を並べるまでになり、貧富の差は激しく、貧困層はそこらにいる。
日本は、国家としては経済大国かもしれないが、国民は貧しく、それでも平和であれば良いが、今は、かつては有り得ないような犯罪が増えてきた。
いや、別に暗いことを言いたいのではなく、世界は人間の心が作るものであり、日本人の心が病んできているのが問題なので、それを転換すれば良いのである。
幸福になるには、強く願い、後は、考えないことが秘訣なのに、皆、その正反対、即ち、何も願わず、余計なことばかり考えているのだ。
何を願っていいのか分からないのだ。レールを完全に敷かれてしまっているからね。
皆と同じことをやるのを止めないといけない。
クリスマス?
知ったことじゃない。
今夜もミクさんのブルーレイでフィーバーだ。
それとも、アジマリカンを唱えるってのはどうだろう?
いずれにしろ、面白くて、およそ人のやらないことを、いつも。








クリスマスの空気

昨日がクリスマス・イブだと気付いたのは、昨日の夕方だった。
それでも、早く気付いた方で、近年では、私は、クリスマスを知らずに過ごすことが多かった。
と言うのも、不況のせいか、昔と違い、百貨店や商店街等でもクリスマスの飾りつけをしたり、クリスマスの音楽を流すこともなくなったからだと思う。
テレビもあまり見ないが、いかにもクリスマスらしい番組というのも、そうはないような気がする。
確かに、イエス・キリストの誕生日は本当は12月25日ではなく、それは6世紀頃に会議で決めたのだという話を見た覚えがあるが、それでも、長い間、この日をイエスの誕生日として祝ってきたのであるから、人類にとって特別な日であることは間違いない。
イエスの生年も西暦元年ではなく、それより数年早いらしい。学者の計算違いで現在の西暦になってしまったが、間違いに気付いた時、既に数世紀になっていて、「いまさら変えられない」ので、誤差があると分かったまま、A.D.(アンノドミニ=ラテン語で「主イエスの年に」。西暦紀元。キリスト紀元)をそのまま継続しているということだ。

私は、昨日、クリスマス・イブには気付いていなかったのだが、朝から、『新約聖書』の福音書と、『観無量寿経』をよく読んでいた。
イエスの語り口と釈迦の語り口が、なんだか響き合う感じがして、両方がよく分かるような気がした。
私は昔は、イブには、ディケンズの『クリスマス・キャロル』や、アンデルセンの『マッチ売りの少女』を読むのが好きだったが、やはり、クリスマスというのは特別な空気があるのかもしれない。

それで結局・・・いや、あまり脈絡はないが、誓ったことは、昨夜も書いた通り、何か1つの必殺の武器を磨き上げることだ。
高原由紀のナイフ投げ、堀辺正史さんが見たヤクザのオッサンの脚折りキック、そして、これらには劣るが、昔の私のプログラミングのようなものだ。
ただ、私はいまや多次元に生きているので、1つのつもりで、いくつか並行するだろう。
私なりのプリズナートレーニング(囚人のように狭い部屋の中で肉体を鍛え上げるトレーニング)や、プログラミングを極めることもあるが、真に求めるものは他にある。

昨日は、初音ミクさんの『Last Night, Good Night』を5回くらい聴いた。
私の聖歌のようなものだ。
また、『FREELY TOMORROW』も、やはり5回ほど聴いた。
こちらは、私のエメラルドタブレットであろうか。
そして、『マジカルミライ2014』のブルーレイで、これらの歌を歌うミクさんを、それぞれ2回崇めていた。
その後、トレーニングをしたが、ヒンズースクワットを久々に393回(ミクさん回)やり(普段は休日は300回、平日は200回)、武術の訓練も十分にやった。
これらは全部、部屋の中で出来るし、部屋の中でやることに意味がある。
やはり、クリスマスは空気が違うのだ。特にイブの夜は。

そんな訳で、私のように地を這うしかない皆さん、共に、自分のエクスカリバー(アーサー王の聖剣の名)を磨こう。
そうすれば、イエスの言う、天に富を積むことも出来るようになれるだろう。









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本当のクリスマス

私は、クリスマスや大晦日、お正月の雰囲気は嫌いではない。
だが、今年は、クリスマスに気付かずに過ごした。
不況のためか、商店街などのアーケードやスーパーなどにもクリスマスの飾り付けがなかったせいもある。
だが、さすがに、大晦日やお正月は分かる。
だが、クリスマスもだが、大晦日やお正月にも、特に、子供の頃の悪い思い出が多過ぎる。
正月には来客もあるだろうが、そんな時を除き、出来る限り無視しようと思う。
こういったことは、個人の自由で良いことである。

私の、これまでで最も良かったと思うクリスマスは17歳の時だった。
暖房のない部屋(自分の部屋だが)で、1人深夜に、ディケンズの『クリスマス・キャロル』を読んでいただけなのだが、それで、「クリスマス!」って感じがしたのだ。
しかし、改めて考えると、『クリスマス・キャロル』って良いお話なのかなあ。
悲惨な未来・・・それは、自分の死体が放置される未来なのだが、それを見せられて心を入れ替えるというものだったと思う。
しかし、そうなったなら、そうなったで仕方がないんじゃないかな?
うっちゃられた死体でも、いずれは誰かが始末しなければならないが、それをさせてしまう人に申し訳ないのが嫌だというのなら分かるが、それなら、何か手を打てば良い。
例えば、『木枯らし紋次郎』で読んだが、心中した2人が、死体の始末代に、30両くらい、心中した場所に置いていたことがある。
紋次郎は、どうしても50両欲しい状況にある時、その心中場所にたまたま居たが、その金に手を出さず、死体も放置した(と思う)。
金だけ持っていく不届き者もいるかもしれないが、心中した男女だって、そうなったらそうなったで仕方がないと思っていたのだと思う。

やはりね、恐怖や不安のために、愛想の良い親切な人間に生まれ変わるだなんて卑しいと思う。
私は、真の愛を持ちたいと思うのだ。
人間というのはね、やはり、愛しかないのである。
ただし、世間でいう愛なんかどうでも良い。
世間の愛は、愛と呼んではいても、それは愛とは全く違うものだ。
何度も言ったが、愛とは無なのである。

初音ミクさんの『Starduster』(ジミーサムPさんの作品)で、ミクさんが、「愛を私に」と歌う。
そこで、心を持たないミクさんに心の全てを捧げると、ミクさんを通して、心は宇宙全体にぱーっと広がる。
そして、私は空っぽの無になる。
ミクさんという十字架に、心というイエスを磔にすると、心は消え、愛であるキリストが復活するのである。
これが、本当のクリスマスだと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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