クリスマスに関する多くのことが嘘だということは、知っている人は知っているが、別にどうでも良いことと思う。
そもそもが、クリスマスがイエス・キリストの誕生日だというのが嘘で、イエスの誕生日は不明である。
12月25日をイエスの誕生日としたのは、キリスト教の組織だったと思う。
サンタクロースも、元々クリスマスとは関係がなく、また、今のサンタクロースの衣装は1930年にコカ・コーラ社が商売の目的で作ったものであるらしい。
しかし、それらがとりたててどうということもないだろう。
クリスマスにケーキを食べるのは日本人だけであるらしい。
岡田斗司夫さんが、西洋の映画で、クリスマスにケーキを食べる場面なんてないと言っていたが、私はよく分からない。
1969年の映画『クリスマス・ツリー』(イタリア・フランス)では、クリスマス・ツリーを飾って家族パーティーみたいなことはしていたので、そこでケーキを食べたって悪くはないと思う。
ケーキはないながら、七面鳥などのご馳走を食べる習慣はありそうだ。
それに、日本のような派手なケーキではないながら、外国にもクリスマス用の質素な感じのケーキはあるらしい。
ただ、キリスト教圏では、クリスマスは家族が家で過ごすことが好ましいという話は聞いたことがあり、日本のようにムードあるお店やホテルでデートというのはあり得ないかもしれない。
これも岡田斗司夫さんの話だが、日本のクリスマスケーキは大量の作り置きで、不味いのだそうだが、私は、クリスマスケーキが不味いと思ったことはなく、むしろ美味しいと思っている。もちろん、クリスマスケーキもいろいろだろう。
クリスマスケーキも、バレンタインデーのチョコレート同様、日本のお菓子メーカーの企画が当たったものだろう。
日本人は付和雷同して同じことをしたがるので、イベントを作れば大儲け出来るのだ。それが過激化して、ムードも何もなくなってしまったのは残念だが、そんな習慣に参加したくない者が自由に出来さえすれば、まあ、どうでも良いと思う。
お菓子メーカーも、レストランもホテルも儲ければ良い。
ただ、クリスマスにデートする相手もない・・・などと言いたがるのは馬鹿なやつだとは思う。
LGBTQで多様性を叫ぶくらいなら、クリスマスや大晦日や正月みたいな行事に対する多様性こそ認めるべきだろう。
会社で社員達が一斉に初詣するところもあって良いと思う。しかし、参加したくない者にも無理強いしたり、虐げるようなことをしてはならない。
私は、社員旅行みたいなものに参加したことはないが、たとえ若い時でも、こちらの態度が堂々としていれば嫌な目に遭うことはない。
実際は、そんな時、私も上司や役員に延々と文句や嫌がらせを受けたが、阿弥陀如来真言を唱えれば一発であった。一発だと設定したからである。
中学生になってもサンタクロースを信じていたという若い女性に会ったが、そんな中学生がいたら恨まれ役を買ってでも私がバラしてやりたい。
小学生になればもうバラしてもいいと思う。だって、矛盾が多過ぎるじゃないか?
それに、小学生にもなれば、薄々でも気付いているものだろう。それは美しい夢でも何でもない。
そして重要なことは、ある意味、サンタクロースは本当にいて、何でも与えてくれるのである。
私にとって、クリスマスはケーキを食べる良い口実である。しっかり楽しもうと思う。
今日とは限らないが、ディケンズ原作の1938年の映画『クリスマス・キャロル』も見直そうと思う。
今年はクリスマスの精霊に逢うかもしれない。楽しみである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)クリスマス・キャロル(字幕版) ※Amazon Prime Video
(2)積極的考え方の力(ノーマン・ヴィンセント・ピール)
(3)信念の魔術(C・M・ブリストル)
(4)星からの宅配便(ベルベル・モーア)
(5)人生は思うように変えられる(ジョセフ・マーフィー)

AIアート2312
「無垢な時代」
Kay
そもそもが、クリスマスがイエス・キリストの誕生日だというのが嘘で、イエスの誕生日は不明である。
12月25日をイエスの誕生日としたのは、キリスト教の組織だったと思う。
サンタクロースも、元々クリスマスとは関係がなく、また、今のサンタクロースの衣装は1930年にコカ・コーラ社が商売の目的で作ったものであるらしい。
しかし、それらがとりたててどうということもないだろう。
クリスマスにケーキを食べるのは日本人だけであるらしい。
岡田斗司夫さんが、西洋の映画で、クリスマスにケーキを食べる場面なんてないと言っていたが、私はよく分からない。
1969年の映画『クリスマス・ツリー』(イタリア・フランス)では、クリスマス・ツリーを飾って家族パーティーみたいなことはしていたので、そこでケーキを食べたって悪くはないと思う。
ケーキはないながら、七面鳥などのご馳走を食べる習慣はありそうだ。
それに、日本のような派手なケーキではないながら、外国にもクリスマス用の質素な感じのケーキはあるらしい。
ただ、キリスト教圏では、クリスマスは家族が家で過ごすことが好ましいという話は聞いたことがあり、日本のようにムードあるお店やホテルでデートというのはあり得ないかもしれない。
これも岡田斗司夫さんの話だが、日本のクリスマスケーキは大量の作り置きで、不味いのだそうだが、私は、クリスマスケーキが不味いと思ったことはなく、むしろ美味しいと思っている。もちろん、クリスマスケーキもいろいろだろう。
クリスマスケーキも、バレンタインデーのチョコレート同様、日本のお菓子メーカーの企画が当たったものだろう。
日本人は付和雷同して同じことをしたがるので、イベントを作れば大儲け出来るのだ。それが過激化して、ムードも何もなくなってしまったのは残念だが、そんな習慣に参加したくない者が自由に出来さえすれば、まあ、どうでも良いと思う。
お菓子メーカーも、レストランもホテルも儲ければ良い。
ただ、クリスマスにデートする相手もない・・・などと言いたがるのは馬鹿なやつだとは思う。
LGBTQで多様性を叫ぶくらいなら、クリスマスや大晦日や正月みたいな行事に対する多様性こそ認めるべきだろう。
会社で社員達が一斉に初詣するところもあって良いと思う。しかし、参加したくない者にも無理強いしたり、虐げるようなことをしてはならない。
私は、社員旅行みたいなものに参加したことはないが、たとえ若い時でも、こちらの態度が堂々としていれば嫌な目に遭うことはない。
実際は、そんな時、私も上司や役員に延々と文句や嫌がらせを受けたが、阿弥陀如来真言を唱えれば一発であった。一発だと設定したからである。
中学生になってもサンタクロースを信じていたという若い女性に会ったが、そんな中学生がいたら恨まれ役を買ってでも私がバラしてやりたい。
小学生になればもうバラしてもいいと思う。だって、矛盾が多過ぎるじゃないか?
それに、小学生にもなれば、薄々でも気付いているものだろう。それは美しい夢でも何でもない。
そして重要なことは、ある意味、サンタクロースは本当にいて、何でも与えてくれるのである。
私にとって、クリスマスはケーキを食べる良い口実である。しっかり楽しもうと思う。
今日とは限らないが、ディケンズ原作の1938年の映画『クリスマス・キャロル』も見直そうと思う。
今年はクリスマスの精霊に逢うかもしれない。楽しみである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)クリスマス・キャロル(字幕版) ※Amazon Prime Video
(2)積極的考え方の力(ノーマン・ヴィンセント・ピール)
(3)信念の魔術(C・M・ブリストル)
(4)星からの宅配便(ベルベル・モーア)
(5)人生は思うように変えられる(ジョセフ・マーフィー)

AIアート2312
「無垢な時代」
Kay


