ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ギャンブル

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

引き寄せ的ギャンブル必勝法

引き寄せというのは、確率の操作だ。
私が小学生の時、ある天才的に頭が良い子が、一見子供っぽい馬鹿なことを言ったことを憶えている。
校庭に、何かの動物の骨があったのだが、その子は、それが恐竜の骨かもしれないと言う。
それを笑う子達に、その子は、
「確率は、恐竜の骨か、そうでないかの1/2だ」
と言い、他の子達は妙に納得したが、もちろん、論理的に考えるとそうではなく、確率は極めて低いだろう。
だが、確率と言うのではないが、0か1で処理するコンピューターでは、「恐竜の骨である」を1とし、「恐竜の骨ではない」を0とすれば、その意味で「2つに1つ」となる。
そして、引き寄せというのは、決して起こり得ないような1の確率を1/2と考え、さらに、1/2(50%)から1(100%)まで高めることである。

そして、量子コンピューターでは、0であり同時に1であるという扱いをし、引き寄せも同じである。
つまり、その骨は、恐竜の骨であり、同時に、恐竜の骨ではない。
それを、何かの力で恐竜の骨の方に持っていくのである。

普通のコンピューター的には、高根の花のあの子が自分の彼女になる可能性を、自分の彼女であるか、そうでないかで分け、それを1/2と考える。
量子コンピューター的には、彼女は、自分の彼女であると同時でそうではないと考える。
では、どうやれば、確率を1/2以上に上げたり、自分の彼女であると確定出来るのだろう?

1994年から1995に放送されたアニメ『美少女戦士セーラームーンS(スーパー)』の中で、原作にはないが、こんな話があった。
世界の運命が、土萠ほたる(ともえほたる)という少女の選択にかかっていた。
ほたるは、原作によれば小学6年生で11歳の超美少女である。
トランプのババ抜きをしていて、敵が差し出した2枚のカードの1枚がジョーカーで、ほたるがジョーカー以外を引けば、6人のセーラ戦士は助かり、ジョーカーを引けば彼女達は死ぬ。彼女達が死ねことは、ほぼ地球の最後と同じである。
これは純粋に、確率的に勝率は1/2である。
しかし、ジョーカーを引くか、ジョーカー以外を引くかは、引くまで分からない。量子力学的に、両方は同時に存在している。
敵は、素直な性格のほたるを誘導し、ジョーカーを引かせるのは簡単だと思っていた。
それに、大ギャンブラーは、破滅的な選択では、必ず、選択する方が間違うことを知っている。
ほたるに勝ち目はない。
つまり、引き寄せ不可の状態だ。
気が弱いほたるは、重圧に押しつぶされ怯えている。
だが、そこでセーラームーンが、
「どっちでもいいわ」
とほたるに言う。
この時の、セーラームーン役の声優、三石琴乃さんの声が素晴らしかった。
この「どっちでもいい」が、まさに、「どうでもいい」というふうに聞こえたのだ。
特別なマインドの持ち主であるセーラームーンの言葉で、ほたるの思考は消えたのだろう。
そして、ほたるは勝つ。

普通の人は、1億円がかかったギャンブルで自分が賭ければ、必ず負ける。
しかし、「どうでもいい」と思うことが出来れば勝負は逆転する。

引き寄せも、気楽になり、叶うかどうかを「どうでもいい」と本当に思えば叶うのである。
そんなことから、「ケ‐セラ‐セラ」(スペイン語で「なるようになるさ」の意味)という言葉が流行ったのだ。
それが、私がいつも言う究極の真言の人間版「私はなるようになるだろう」(神版が「私は常に生成する者である」)で、このように唱えれば、ほたるのように勝てるのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)賭ける魂(植島啓司)
(2)偶然のチカラ (植島啓司)
(3)運は実力を超える(植島啓司)
(4)運とつきあう(マックス・ギュンター)
(5)美少女戦士セーラームーンS (第3期) 全38話 [Blu-ray](輸入版)

気楽さ
AIアート1472
「気楽さ」
Kay

選択を間違えない秘密の方法

熟考した末の結論なんて、大抵、ロクでもないものだ。
最近の、KDDIの携帯電話の通信障害に対する補償(全ユーザーに200円)もそうなのだろうが、会議を重ねた結果は常に最低なものになる。
トヨタなんて、難しい問題に対し、瞬時に最良の答を出すことがあるが、それは社長の決断に違いない。
ユダヤでは、大昔から、全員賛成なら即否決で、重要な問題の答を多数決で決めることも、あまりない。
賢い人は、AかBか真剣に考え、「よし、Aだ」と結論が出たらBを取るのだ。

1人の人間でも、散々悩んだ末に出す結論は、あまりに馬鹿げたものであることが圧倒的に多い。
論理的思考の結果、正解になるのは、せいぜいがペーパー試験だ。特に受験のね。あれに上達するのは馬鹿になる訓練と思うことがある。

なぜ、そんなことが言えるのかというと、人間に分かることなんて、ほんのわずかなことだからだ。
可視光線1つとっても、人間が感じる光は、全ての光のほんの一部だ。
また、人類が認識出来るのは、素粒子やそれらから出来たものだが、それは、宇宙全体の4.9%で、後は、実体として認識出来ないダークマター(暗黒物質)やダークエネルギーであるらしい。
しかも、ほとんどの人間にとっては、見えないものの大部分は、もう本当に、全くの謎なのだ。
『星の王子さま』の有名な言葉、「本当に大切なものは目に見えない」というのは、愛だとかの問題もあるが、単なる科学的事実なのだ。

これらから考えると、ギャンブルに勝つ方法も存在することが分かる。
まあ、あらゆるギャンブルについてどうやればいいかなど、私は知らないが、例えば、こんなことがある。
2人の人間が、ギャンブルで勝負をするとする。
どうやれば勝てるだろう?
それはこうだ。
相手に、身の破滅につながるほどの額を賭けさせるのである。
そして、カードにしろ、ルーレットにしろ、相手に選ばせる。
それだけで確実に勝てる。
だって、そんな賭けで、考えずに選べるのは、悟りを開いた聖者くらいのもので、そうでもなければ、誰でも散々考えた末、間違った方を選ぶのだ。
納得いかない?
だが、これは、ある大物ギャンブラーが常に使う手である。もっとも、彼は、滅多にそんな勝負はしないらしいが、とにかく、この勝つ方法を知っているのだ。

あなたの知り合いにもいるのではないだろうか?
いや、知り合いの全員がそうかもしれない。
散々悩んだ末、呆れかえるほど、阿呆な結論を出す人が。
重要な決断は、考えてはいけない。
かといって、好みで決めてもいけない。
巡音ルカさんの有名な曲『Just Be Friends』のように、「最も辛い選択がベスト」という場合もあるが、それが本当にベストなら、考えなくても、それしかないと分かるものだ。

良い決断をするヒントはこうだ。
普段から、「ありがたいなあ」という言葉を口癖のように繰り返していると、選択に迫られた時、ありがたい結果になるような閃きが起こるから、それに従えば良い。
ただ、その閃きは、考えれば考えるほど、損だと思える場合がほとんどであるから、考えたら、もう間違うのである。








ギャンブル必勝法は経験的にも必ずある

ギャンブルで生活することは可能だろうか?
ある大変なキャリアを持つギャンブラーの本を読んだことがあるが、彼がギャンブルを通して得た人生哲学は素晴らしく、感激したのだが、彼ですら、これまでの収支決算をすれば、マイナスなのだという。
ギャンブルをやっていなければ、もっと金持ちになっていたかもしれないが、しかし、ギャンブルをやっていなければつまらない人生になったかもしれないなと思う。

だが、私は、ギャンブルで勝ち続けることは可能ではないかと思う根拠がある。
中学1年生の時だったが、引きこもりの常で、よく家の中で一人遊びをしていたが、ある時、コインを使った単純なゲームを考えた。
ルールはもう忘れたが、あきらかに、勝率は50%、つまり、勝つか負けるかの2通りが、同等の確率で出るものだった。
ところが、私は、その1日、どれほど長時間続けても勝ちっぱなしで、100連勝を超えていたと思う。
だが、そのゲームはやはり偏りはないようで、翌日は勝率は、きっちり50%だったのだ。
翌日は、「連勝記録をもっと伸ばそう」とつまらないことを考えたからであろう。
1日目は、とにかく無心だったのだ。

ドストエフスキーの『賭博者』でも、ギャンブルをやったことのない老婆が、ルーレットでゼロばかりに賭け続け、大金を手にするが、次に同じことをやった時は金を失ってしまった。
2度目は欲があったのだろう。
どうやればギャンブルに勝つかは、テクニックの問題ではない。
無心になれば勝てるのだ。
あるいは、相手がいるなら、その相手を自分よりはるかに無心から遠い精神状態にすれば勝つのである。
これは、プロギャンブラーの兵法だ。しかし、これもまた難しいのだ。
サイコロかコインを持ち歩き、いつも練習することだ。
そして、無心になる修行をすることだ。
人生そのものがギャンブルである。
無心になることで、あなたは確実に勝つのである。









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宗教的魔術としてのギャンブル

私はギャンブルというものは全くしない。
しかし、ギャンブルに秘められたものには大いに魅せられていている。
宗教人類学者である植島啓司さんには、ギャンブルを扱った多くの著書があるが、それらから、哲学書などより人生に関する多くのことを学べた。
植島さんの本の中で見たが、海外で、トランプ賭博をする者が、さりげなくカードをめくるより、心を込めてめくった方が良い札が出ると言うのだが、それは色々な意味で興味深い。
一方、西部劇などでよく見るイカサマ賭博師は、冷めた顔でカードをめくりながら、不正に稼ぐのだ。だが、そんなイカサマにもどこか惹かれるところもある。決してイカサマが良いのではなく、もっと奥深いところでの話だが、「イカサマに奥深いも何もあるか」というなら、それもその通りなのである。
しかし、西部劇の有名な『OK牧場の決斗』の続編である『墓石と決闘』で、ドク・ホリデイは、「俺は腕があるからイカサマをしない」と言うのが面白い。賭け事に腕前など、理論的にはない。しかし、上に挙げた植島さんの本には、不敗のギャンブル王の実際の話があり、それがまた深遠なものを感じさせるのである。
ヘミングウェイはギャンブルが大好きだったらしいし、ドストエフスキーには、『賭博者』という著書がある(彼の著書だから当然傑作だ)。
ギャンブルは、貧しい者達、虐げられた人達の宗教や魔術のようなところが確実にあり、精神の力を知る上で学んでおくのは良いことであると思う。

潜在意識の法則を使ってギャンブルに勝とうなんて馬鹿げたことと思う。
しかし、潜在意識の活用法の世界的な教師であるジョセフ・マーフィーの『自分に奇跡を起こす心の法則』(『マーフィーの超感覚力で成功する』の文庫版)に、ギャンブルで大金を得て家を購入した男の、非常に興味深い話がある。
彼は、マーフィーの『あなたもお金持ちになれる』の熱心な読者で、ほとんど暗記するほど読み込んでいた。
そして、彼は、週末に、奥さんと一緒に10~15ドル程度を競馬に使っていたが、儲ける気などなく、単なる気晴らしだったのだろう。
ところが、ある時、奥さんが「5万ドル当ったらビバリーヒルズに家が買えるわね」と言うのを聞くと、おそらくは自然に、競馬でそれを得られるような気がして、毎晩、5万ドルを換金する場面をイメージしながら寝るようになった(半世紀も前の話である)。
すると、その情景が非常にリアルに感じるようになり、ある日、迷うことなく大金を賭けたら、それで5万ドルを得たのである。
彼は、イメージしたから大金を得たのではない。大金を得ることを予知したのだろう。奥さんが、5万ドルで家をと言ったのも、偶然ではなく、何かの力が彼女にそう言わせたのであると思う。
実は、マーフィーのこの本は、そういった予知を含めた超感覚的知覚を扱った本であり、とても良い本である。
尚、その5万ドルでビバリーヒルズに美しい家を購入した夫婦は、その後、競馬場に足を運んでいないという。
馬鹿な人間なら、その後も足しげく通い、一文無しどころか借金を背負うことになるだろう。
しかし、直感に優れた彼らは、予感もないのにギャンブルをやったりはしないだろうし、気晴らしのギャンブルすら卒業したのだ。

ギャンブルではないが、私も似た経験がある。
以前、いくらか大きな車に乗っていたのだが、私は本当はコンパクトな車が好きだった。しかし、何の不都合もなかったのでその車にずっと乗っていた。
ただ、車が古くなると、販売店のサービスが悪くなったので、別のメーカーの小さな車に換えたいとは思ってはいたが、あまりその気もなかった。
ところがある日、不意に「買おう」と思ったのだが、数日後に、何の予定もなかった金が急に入り、それで購入したのである。
あなたも、儲けようなどと思わず、上の5万ドル得た男のように、まずは、マーフィーの本を熱心繰り返し読むことだ。
マーフィーの『あなたも金持ちになれる』は、私も昔は胡散臭く思ったものだが、現在は、実に美しい、聖書の教えと宇宙の法則を分かり易く説明した屈指の名著と思う。









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運命が決まっているなら、努力は虚しいか

のうさぎさんのご質問にお答えする。

◆質問
kayさま
こんばんは

全てが運命だとしたら
努力が空しく感じられる気がします。

だけど
努力は決して空しいものではないと思うのですが
どう考えたらいいのでしょうか?

◇回答
努力が虚しいと言うなら、その通りだ。
もしそうでないなら、そんな質問は出なかったはずだ。
これがお答えできる全てである。
そして、努力をするのもしないのも運命だ。
懸命に努力する運命であれば、そうするだろう。
しかし、その結果、思ったような成果を得られるかどうかは全く分からない。
僅かなものしか得られなかったり、それどころか、全てを失うかもしれない。
だが、逆に、思いもかけぬ良いものを得るかもしれない。
しかし、それはあなたにコントロールできることではない。

ところで、私はやらないのだが、ギャンブルというのは、間違いなく面白いものだ。
ヘミングウェイもドストエフスキーも大好きだった。
しかし、ギャンブルは、決して、儲かるから面白いのではない。
いかなる経験豊かなギャンブルの名人といえども、トータルで黒字になることは決してない。
ギャンブルは、損をするから面白いのだ。

岡潔という偉大な数学者は、毎朝、木の切り株に石を投げていた。この行為を、岡潔が、石が当たるかどうかで吉凶を占っているのだと思った人がいた。
しかし、違うのだ。
当てようと思って石を投げても当たらないこともあれば、思いがけずに当たることもある。
大抵は、うまく当たらなかった。ギャンブルで言えば、負けが混んでいることになる。
それを見て、岡潔は、自分には、この世のいかなることもコントロールできないという事実を感じていたのである。
もし、何かでうまくいっても、それは自分の力ではなく、ただ運命だったのだと分かるようになる。
だから、岡潔は、いかなる成果を上げてもことさらに誇らず、その成果によりかかることもなかった。
だから、彼は幸福な一生を終えたのである。
私もカードを持ち歩き、時々1枚引いてみる。良いカードの時もあれば、そうでないこともある。
私から見れば、どんなカードが出るかは偶然である。しかし、それですら、本当は、あらかじめ決められた運命だったのである。
その時、不思議な喜びを感じるのである。実に経済的なギャンブルである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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