ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ガリレイ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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「マジ?」「ウソ!」「ふーん」一番賢いのは?

ガリレオ・ガリレイの有名な言葉「E pur si muove(エップル・スィ・ムオーヴェ)」は直訳では「それでも動く」で、意訳として「それでも地球は動いている」あるいは「それでも地球は回っている」と訳されている。
この言葉が、地球の自転のことを言っているのか、地球が太陽の周りを回っている公転のことを言っているのかはっきりしないが、公転のことを言っているのだろう。

ガリレイは宗教裁判の時に、裁判では地球は動いていないと認めたが、釈放後に、小さな声でそう言ったのだとされている。
しかし、ガリレイがそう言ったという記録は全くなく、伝記作家の創作であるとも考えられている。

上記の話は、詳細はともかく、ガリレイが「それでも地球は動いている」と言ったという話は、誰もがぼんやりとは知っていると思う。
学校で習ったからかもしれないが、全く学校はロクな教え方をしない(笑)。
学校では、この話を、「ガリレイは死を逃れるためにやむなく教会に従ったが、それでも彼のように、真実とか信念を捨てないことが大切だ」と教え、なんとなく、そんなふうに思っている人が多いだろう。
なんでそんなことになるのか分からないが、ここではそれは置いておこう。
大切なことは、当時は天動説の時代で、ほとんどの人が地球が動いているとは知らなかった中で「地球が動いている」と聞いた時に、どう反応すれば良いかということではないのか?
これは、当時の教会に匹敵するテレビが「ドナルド・トランプは自分勝手なロクデナシ」「ワクチンは愛する人を守る」と言う中で、「トランプは素晴らしい人間で政治家」「ワクチンは殺人兵器」と言う者がいた時、そんなテレビに反する話をどう捉えるかという重要な問題につながる。
こんな大切なことが学校で教えられることはない。

答は「誰の言うことも否定しない」であると思う。
別に、トランプが素晴らしい人間であると信じる必要はないが、否定してはならないのである。
「地球は動く」と信じる必要はないが、否定してもならない。

よくテレビドラマなどで、こんな話がある。
悪いことをしたと言われている生徒がいて、教師も、その生徒が悪いことをしたと信じている。
そして、その生徒が言う。
「先生は、どうしても僕の言うことを信じてくれないのですか?」
すると教師は、
「生徒達や先生方も、お前がやったと言っている。お前がやったんだ」
と言う。
その教師は善良ではあるかもしれないが馬鹿だ。
ついでに言うと、その生徒も馬鹿だ。
その教師はその生徒を信じる必要はないが、自分で疑いようのない証拠を見つけたわけでもないのに、その生徒の言うことを否定してはならないのは、当たり前なのである。

インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは、師に「お前は神だ」と言われた。
マハラジは、その言葉を信じはしなかったが否定もしなかったのだろう。
このことを、マハラジは「師の言葉を憶えていた」というふうに述べたが、否定しなかったので、よく憶えていたということだ。
「俺が神?そんな馬鹿な」と否定していたら、あまりよく憶えていないか忘れたことだろう。
だが、否定しなかったので、マハラジは、やがてそれが事実であることが分かった。
マハラジは「私は師の言葉を憶えていただけで、何の修行もしなかったが悟りを開けた」と言う。

馬鹿ほど、すぐ否定する。
信じられない話を聞いた時、少しは賢い人は「マジ?」と言うが、馬鹿は「ウッソー」と言う。
本当に賢い人は「ふーん」と言うだけだ。

「願いは、願った瞬間に叶っている」
こう言われてどう思うだろう。
否定しなければ、それが真実と分かり、願いは瞬時に叶うようになる。
そう聞いたら、
「ふーん」
「へー、そうなんだー」
と思うと良い。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)新釈 荘子 (PHP文庫)
(2)天狗芸術論・猫の妙術 全訳注 (講談社学術文庫)
(3)星界の報告(ガリレオ・ガリレイ)
(4)天動のシンギュラリティ(1)

同級生
AIアート1161
「同級生」
Kay

それでも地球は動く

世の中を否定的に捉えるのは、自分の心が後ろ向きになってしまっているからだと言われる。
つまり、世界がどのようなものであるかは、自分次第と言うわけである。
しかし、どうも、世の中がおかしくなってしまったと感じている人は多いのではないかと思う。

もし、この世界が悪い世界であるとすれば、その原因は何だろう?
一説では、その根本的な原因は、この世界を裏側で支配する闇の勢力が存在するというもので、これが代表的な「陰謀論」と呼ばれるフィクションとされるものである。
現在、人気がある陰謀論は、次の2つではないかと思う。

1つは、昨年(2020年)のアメリカ大統領選挙は、本当はトランプが勝っていたが、闇の勢力が画策した大規模な不正でバイデンが勝った。
1つは、闇の勢力は、コロナウイルスを利用し、不要な人間を地球上から排除しようとしている。

闇の勢力の主流は、昔はユダヤ人説が有力だったが、現在は、中国共産党説が人気があるようだ。
そして、いずれにしろ、闇の支配者は、マスメディアを支配することで、民衆の言論、そして、思想を統制している・・・というのが、陰謀論の大筋であると思われる。
陰謀論であるから、それを信じるのは、知性のない馬鹿である。

ところが、これらの陰謀論はよく出来ていて、世の中の動きにピタリと合致している。
だが、このように(陰謀論が世の中の動きをうまく説明出来る)言う者は、陰謀論に騙された知性のない馬鹿ということである。
言ってみれば、地動説は天体の動きをうまく説明出来るが、そんなことを言うのは、知性や人間性に甚だしい欠陥があるので、火あぶりにして殺すのが妥当と言うのと同じである。

E pur si muove(エ・プル・スィ・ムオーヴェ)
または、
Eppur si muove(エップル・スィ・ムオーヴェ)

これは「それでも地球は動く」というイタリア語で、1963年にガリレオ・ガリレイが宗教裁判の時につぶやいたとされる言葉だ。
ガリレイが、地動説を放棄することを宣言した後、こうつぶやき、命と引き換えに嘘を言うしかなかった無念さを表した言葉として知られている。
今の陰謀論者も、状況によっては、そう言うしかないことがあるし、いずれ、全ての陰謀論者が、せいぜい、こう言うしかなくなるかもしれない。
陰謀論が本当に愚かな妄言であるかどうかはともかく、言論の自由が消えるわけであり、それが問題なのかもしれない。

「それで地球は動く」
これを一般的に言えば、「事実は事実」、「真実は1つ」ということである。
もし、自分にとっての真実や正義が、世の中で通用しないと思われたら、ひたすら真言を唱えることだ。
念仏でも、「オン、アロリキャ、ソワカ(観世音菩薩真言)」でも、「アマテラスオホミカミ(天照大神)」でも良い。
ただ、昔から、真言を声に出して唱えたため、弾圧された人々は多かったが、真言は、心の中で丁寧に唱えるのが本当なのである。
天の法則を肯定する「それでも地球は動く」もまた真言と言えるだろう。
そして、神や仏の名、あるいは、「神」「仏」という言葉を含む真言をたゆまず唱えれば、必ず偉大な助力を得られる。
よって、世の中がどうであろうと、真言を唱えることさえ知っていれば問題はない。
真言を唱えれば、一切の問題は解決し救われる。
これは、宇宙人の科学が保証する真実であると私は思う。








人間の値打ちとは意外なものである

昔、夏目志郎さんという世界的なセールスマンが著書で、「人間の値打ちは収入の高さ」と断言していた。
今、そんなことを有名人が言ったら炎上するし、昔でも反発を持たれ易い発言だろう。
しかし、私は、当時も今も、それはある程度正しいと思う。
例えば、学歴の高さは、かなり人間の価値として認められているが、それに比べれば、収入の高さの方が、はるかに正しい価値だと思うのである。
それよりも、「人に優しい」とか「正直である」といったことが人間の価値であるというなら賛同も得易いかもしれない。
しかし、普通の人において、そういったことで著しい差はないと思うし、そもそも、親切さや正直さの高さは判定し難いはずだ。
だが、あからさまに不親切だったり、嘘つきだったりでは、悪徳政治家のような自分に縁のない存在の場合は知らないが、高い収入は得られないだろう。
他にも、「美人美男である」「トークが面白い」なども人間の価値と感じるかもしれないが、さりとて、美人じゃないから、トークが下手だから価値がない人間ということにはならない。
そんなふうに、いろいろ考えれば、収入の高さが人間の値打ちというのは、それほどひどい意見とは思えないのだ。

ところで、ここが核心なのだが、収入の高さは何で決まるだろう。
それは「人気」であると断言出来る。
金銭的価値そのものが人気で決まるのだから。
例えば、ピカソやゴッホやセザンヌの作品は高価であるが、なぜ高価なのかというと、絶対に、人気があるからなのだ。
芸術においても、高い値のつくものほど、芸術的にも価値があるのである。
ピカソの絵はピカソ存命中から価値があった。なぜなら、ピカソが生きているうちに絵は高値で売れ、ピカソは金持ちだったからだ。
しかし、ゴッホの絵は、ゴッホが生きている間は1枚も売れず(1枚、予約はあった)、ゴッホの作品はゴッホ存命中は値打ちがなかったが、ゴッホが死んでから価値あるものになったのである。

天動説になぜ価値があるかというと、それが真理であるからではなく、やはり人気があるからなのだ。
ガリレイの時代、地動説に価値はなかったのだ。
「いや、ガリレイの時代だって、地動説に価値があったはず」とは、今だから言えるのである。なぜなら、今は、地動説の人気が高くて価値があるからだ。

人気があったヒトラーに価値があったとは思いたくないし、人道的にはヒトラーが正しくないのは明らかだが、やはり、人気があった時のヒトラーには価値があった。今はヒトラーに全く価値がないことは間違いないがね。
例えば、仮に、ヒトラーは実は素晴らしい人物だが、闇の勢力の宣伝で悪人にされているとしたらどうだろう。
もし、そんなことが本当だとしても、将来、ヒトラーに価値が出るかもしれないが、今は、全くないのである。

ただ、人気は取ろうとして取れるものではない。
普通は、多くの人を喜ばせることが出来れば人気者になる。
姑息なテクニックでは、一時的にいくらかの人達を喜ばせ、人気が出ることはあるかもしれないが、すぐに人気はなくなる。
そして、収入と人気は、少なくとも、正の相関関係はあると思う。
学歴や地位や美貌や家柄を鼻にかけるよりは、密かに、人気や収入を誇りに思うと良い。
ただし、密かにでなければ、人気を失い、実入りも少なくなるだろう。
だが、それよりも、大きな愛があれば、全てを得る。何も誇らなくてもね。
食欲や性欲や名誉欲の見返りなしに何かを大切にすれば、それが愛である。
それでうまくうだろう。絶対に。








ガリレイの気持ちを分かったような気になってはならない

テレビCMやWeb広告を見ていると、知的、道徳的にあまりのレベルの低さに愕然とする。
大人が子供の真似をするように、幼い風を装って笑わせるというのは、緊張を解き、場を和ませるには良いことで、昔から行われてきたが、それらの広告はそんなものではなく、自分の中の良心や善意を完全に殺した者が作った異常なものである。
間違いなく、何者かの、我々の精神を幼稚なものにしようとする意図によって作られているのだろう。
特に、ダイエットや食品関係の広告に顕著である。
そんなものにひっかからないためには、厳しく食を節することであり、食を慎む限り心配はない。しかし、今や、少食、菜食であることに対し、否定的、あるいは、奇異なイメージを与えられるまでになってしまった。それもまた、連中の策略かもしれない。
注意深く精神を目覚めさせていなければ、あっという間に精神を幼児化させられ、肉体的な快楽のみ求める堕落した状態に陥ってしまうことだろう。
事実を言えば、テレビで放送されているCMで、まともなものはただの1つもない。ただの1つもだ。まずは、それに気付くかどうかだ。それに気付かないなら、あなたの精神はもう相当蝕まれていると言えるだろう。

人間はどう生きれば良いかというと、普通は道徳に従うことだ。
道徳とは、伝統としきたりである。
道徳で解決できないことに関しては、良心に従う。
良心は道徳より上位にある。
だが、道徳と良心が対立する事態となることがある。
イエスが言った「我々を試みに遭わせないで下さいと祈れ」と言った試みとはこれである。
ガリレイが地動説を捨てるよう要求されたことが、そのようなものだろう。
我々の立場で言えば、例えば、営業の仕事をしていて、お客様に不利益な商品であっても、売らないと仕事にならないといったものである。言うまでもなく、一生懸命仕事をすることは道徳に適ったことだ。
ただ、そのような場合、一律した答がある訳ではない。
そんな時には、悩むしかない。答はない。
だが、今の人は、学校で、何でも答があると思い込むようにさせられている。これが現代の教育の大きな、そして、救いようのない弊害である。
答は教師が知っていると愚かにも思い込み、その答を憶えるのが優等生がやる唯一のことである。優等生こそ、救いようのない馬鹿である。
優等生に悩みや苦しみはない。悩みや苦しみを避けるのが優等生への道であるのだ。
だが、我々は、道徳と良心の対立の中で、迷いに迷って苦しむ必要があるのだ。
それを避けてはならない。
ガリレイが何を考えたなど、誰も知らないのだ。
ただ、自分がガリレイになることだ。

子供好きな良寛さんは、子供達を集めて遊んでいた。それはそれで楽しかった。
しかし、昨日までいた女の子が、1人、また、1人といなくなる。
家が貧しいので身売りさせられてしまったのだ。身売り先で、幼い彼女達がどんな扱いを受けるかは明白である。
良寛さんは寺に引きこもり、自分の無力さを嘆き、悩みに悩んだ。
そして、『荘子』の中にあった真理が彼の内側から観応し、彼は悟り、苦しみを克服した。
彼に何が起こったのかを言葉で説明することはできない。
いずれにしろ、彼は現実を認めつつ、良心に従うことができたのだ。
彼に起こったことを正確に言うことはできないが、抽象的に言うなら自己否定である。
人生の課題とは自己否定を為せたかどうかである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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