ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

カードキャプターさくら

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

何が2人をくっつけたか

「心身医学の父」と呼ばれるドイツ人医師ゲオルグ(ゲオルク)・グロデック(1866~1934)と、NLP(神経言語プログラミング)の共同開発者リチャード・バンドラー(1950~)が、同じ、ユニークなことを言っている。
それは、「全ての病気は心因性だ」である。
心因性とは何かというと、心が原因ということで、彼らは、病気は例外なく「病は気から」と言っているのである。
グロデックにいたっては、転んで怪我をすることも心因性と断言している。
風邪から癌、さらには、ウイルス感染に関してもね。
もっと細かく言うと、グロデックは、病気になったり、あるいは、治ったりするのは「エス」というものの仕業だと言う。
「エス」は、簡単に言ってしまえば、無意識の活力といったところで、無意識と言ってしまっても良いと思う。
バンドラーは、(病気になったり治ったりは)深層意識によると言うが、これも、無意識と言って良い。
そしてだ。
無意識だって脳の中にあるのだから、全ての病気の原因は脳にある。
これって、斎藤一人さんの論と同じと言って良いと思う。
バンドラーは病気を治すのに、NLPのいろんなテクニックを開発し、グロデックは心理療法とマッサージを使った。
ところが、斎藤一人さんは、直接、脳に、「お前がやってるって知ってるんだぞ」と言えば、治ると言った。おそらく、それが正解だ。

で、上では、病気のことを述べたが、実は、何でも同じなのだ。
上がり症も、気が弱いのも、物忘れするのも、怒りっぽいのも、モテないのも、金がないのも(笑)。
みんな脳がやってるんだから、脳のことを考えながら、「お前がやってるって知ってるんだぞ」と言えば良い。
また、斎藤一人さんによれば、良い方のことについては、「そうならないのはおかしいだろ」と脳に言えば良い。
たとえば、モテないなら、「こんないい女なのに彼氏がいないのはおかしいでしょ」「俺みたいにいい男がモテないなんておかしいだろ」といった感じだ。
客観的にいい女かいい男かは、まあ、どうでも良い(笑)。脳は万能なのだから。それは、バンドラーやグロデックが説明してくれている。
まあ、グロデックに関しては、主に、悪い方のことだが。

エスの力を示す良い例がある。
『カードキャプターさくら』というCLAMPの漫画・アニメの中にある話である。
主人公、木之本桜(きのもとさくら。小学4年生)の母親の撫子(なでしこ)が高校1年生の時、撫子は、巣から落ちた小鳥のヒナを見つけると、運動神経ゼロでありながら、彼女はヒナを持って木に登り、見事、ヒナを巣に返した。
しかし、その直後、撫子は足を滑らせ、乗っていた木の枝から落ちてしまう!
致命的な運動音痴で、か弱い彼女には生命のピンチと言っても過言ではない。
だが、なんとその時、撫子の落下地点をたまたま歩いていた男がおり、撫子はその男の上に落ち、しかも、男はうまい具合に撫子のクッションの役割を果たし、撫子は全く無傷であった。
撫子は慌てて男に謝ると同時に気遣うが、かなり天然でぼんやりした性質のその男は、それなりのダメージがあったに違いないが、平然と微笑みながら「天使が落ちてきたのかと思いましたよ」と、狙ってもなかなか言えない素晴らしい口説き文句を即座に無意識に言う。
男は、撫子が通う高校に赴任してきたばかりの25歳の教師、木之本藤隆(きのもとふじたか)だった。「木之本」の姓が示す通り、後の桜の父親である。
以上、何が起こったのか解き明かそう。
撫子の通学路に、撫子の通学時間に合わせて小鳥のヒナが落ちたのも、撫子がそれを発見し、巣に戻そうとしたのも、そこに藤隆が来て、絶妙のタイミングで撫子が落ちたのも、全部、撫子と藤隆の脳がやったことだ。グロデック流には、エスの仕業である。
斎藤一人さんの真似をするなら、「全部、お前(脳)がやったって知ってるんだぞ」である。
撫子の脳と藤隆の脳がシンクロするなんて、脳には造作もないことだ。脳は量子機関なのだから。
ついでに言えば、藤隆に「天使が落ちてきたのかと思いましたよ」なんて、シラフでは言えないようなセリフも「お前(脳)が言わせたって分かっている」のである。
そして、真面目な青年、藤隆と、清純可憐な乙女、撫子が、すぐに同棲を始めたのも、脳がやらせたことである。
あなたも、「こんないい男の俺に、俺の撫子がいないのはおかしいだろ」と脳に言えば、脳はちゃんと引き寄せてくれる。
ただ、特定の相手を狙わない方が良い。無理ではないが、脳は怠け者なので、面倒な場合は、あなたに諦めさせるように働きかけをすることが考えられる。
しかし「撫子のような」なら、脳にとっては、別に難しいことではない。
1人にこだわるかどうかも、モテるかモテないかの分かれ目なのだ。
良い男は、彼女と別れた時だって、
「おお!神は私に、新しい女性と愛し合う機会を与えて下さった。今度の彼女は、前よりもっと美人に違いない」
と思うのである。
あるいは、脳に、
「彼女と別れたからには、もっと美人の彼女が出来ないとおかしいだろ」
と言えば良いのである。

尚、「エス」について知りたければ、グロデック自身の著作『エスの本』を読むと良い。
2人の優秀な方が手間をかけて訳している。
この偉大な医師が書いた本は、実にエロい(笑)。
女の子には浣腸しなければいけないわけも分かるかもしれない(なんとなく、そんなことが書いてあったような気がするw)。








高品質アファーメーション(2/2)

今朝に続き、特に高品質で、汎用的で、どんな人にも適応性が高いアファーメーション(肯定的確言)の2つ目である。

「予期しないことが起こり、道は開ける」

奇跡の第一の特徴とは何かご存じだろうか?
それは「予期出来ない」ことだ。
「20世紀最大の詩人」と呼ばれ、ノーベル文学賞を受賞しているアイルランドの詩人・劇作家であるウィリアム・バトラー・イェイツの戯曲『カルヴァリー』の舞台は、日本の歌舞伎を参考にしたと言われる。
その『カルヴァリー』の中で、極めて印象深い場面がある。
それは、イエス・キリストとローマ兵との間で交わされる、福音書とは異なる会話の場面だ。
イエスは、神の力の偉大さを説き、自分が、神から、地上の一切の権限を任されていることを宣言した。
ローマ兵達は、イエスの言葉を疑ってはいなかった。
だが、ローマ兵の1人は、イエスに言う。
「それがどうした?お前の神は我々の神ではない。サイコロが我々の神だ。予期せぬことでさえあれば、どんなことでも起こることが最善だ」
イエスは、ローマ兵達の強さに屈服する。

確かに、イェイツは、ニーチェやオスカー・ワイルドらと同様、アンチ(反)キリストだった。
とはいえ、彼らは、決して、イエスをナメているわけでも、低く評価しているわけでもない。
ただ、反発したいのだ。
ニーチェは、『ツァラトゥストラはこう語った』で、ツァラトゥストラに、イエスが高貴な魂の持ち主であると言わせているし、イェイツも、イエスの教えの巧みさを称賛していた。
だが、イェイツは、上の『カルヴァリー』で、イエスを裏切ったイスカリオテのユダに、イエスに向かってこう言わせている。
「俺は、お前が神であることを疑ったことなどない。俺がお前を裏切ったのは、お前が万能に思えたからだ」

ここらは、少し困惑するかもしれない。
だが、何かを感じるのである。
『カードキャプターさくら』でも、魔術師クロウ・リードの生まれ変わりであるエリオルが、聖獣スピネルと、こんな会話をしている。
「この世で一番楽しいことは何か知っているかね?スピネル」
「何ですか?エリオル」
「それは、予想しないことが起きることだよ」

予期しないことを受け入れる者は強いのだ。
予定された、決まったレールの上を行きたがる者は弱い。
分かり易く言えば、強い心の持ち主、勇気ある者は、冒険を恐れず、むしろ、冒険を求める。冒険こそが人生なのだからだ。
そして、奇跡とは、冒険を楽しむ者・・・つまり、予期しないことを待ち望む者に訪れるのである。

神の力は想像を超える。
讃美歌では、神の業のことを、度々「奇し(くすし)」と言う。
「奇し(くすし)」とは、神秘的であるという意味で、人間には不思議なことだ。
神が、人間に予想出来るような、当たり前のことをするはずがない。そんなものは人間にやらせている。
だが、当たり前のことしか起きなければ、大きな発展はない。
山のような大きな問題が解決することもない。
偉大な救い、歓喜する喜びもない。
だから、予期しないこと・・・神の業を受け入れるのである。
そのための言葉が、
「予期しないことが起こり、道は開ける」
なのである。
あなたは今、八方ふさがりかもしれないし、いかに努力しても、厚い壁はビクともしないかもしれない。
しかし、奇跡は起こるのである。
あなたが受け入れさえすれば。
だから、「予期せぬことが起こり、道は開ける」と、常に唱えることにより、神の奇しき業で道は開かれ、あなたは勝利し、歓喜するのである。








凄いヤツにすぐになれる

『カードキャプターさくら』という20年以上人気を保っている漫画・アニメの中に、月城雪兎(つきしろ ゆきと)という、面白い人物がいる。
雪兎は、最初は高校3年生で、主人公である木之本桜(小4)の憧れの人だった。色白で華奢な美男子で眼鏡をかけていて、いつもぼんやりして、天然で、人と話す時はニコニコしていて、不機嫌になることは・・・まあ、ない。
一見、いい人だけの頼りなさそうな男だ。
だが、実は、彼はスーパーマンで、秀才の上、スポーツ万能。普段は部活は何もしていないし、運動をしている様子すらないが、スポーツ部から、試合の時に、たびたび「助っ人」として駆り出されると、必ず大活躍する。
「そんなこと、実際にはあり得ない、やっぱり漫画だ」と思うだろうが、年配の人に聞くと、「ああ、クラスにそんなやつ、いたな」と普通に言う人が案外に多いのである。
プロ野球選手としても監督としても超一流だったある人も、高校の時は野球部に所属せず、助っ人で試合に出ていたという話もある(詳細は忘れたので名は伏せるが、多分落〇さん)が、彼の世代だ。
昔のことだから、家の手伝いが忙しくて、クラブに入ったり練習をしたり出来ないのに、野球やバレーボール、あるいは、水泳や陸上競技などに、いきなり参加し、国体決勝まで行ったとか、そんな話を集めた本もあったようにも思う。
宮沢賢治の『風の又三郎』の、又三郎も、そんな凄いやつをモデルにしたのではないかと勝手に思うのだ。
そして、そんなやつらは実際にいる。

2016年に舞台にもなった、村上龍さんの『コインロッカー・ベイビーズ』(1980)という傑作長編小説がある。
私は正直、読んでいないが、この小説のこんな引用を、印象深く覚えている。
小説の中で、山根という、空手で四人を殺したという少年が、大勢の囚人を威嚇する場面だ。
山根が、厚さ5センチ以上の漆喰塗りの壁を正拳で突くと、それがボロボロに崩れ落ち、囚人たちは顔色を変えて立ち尽くす。
ところが、山根に、「何年くらい修行したら、あんなことが出来るのか?」と尋ねると、山根は「あんなの、誰でも出来る。訓練など要らない」と言う。
コツはこうだ。
「俺の全身全霊の力を拳に乗せると、次の瞬間、拳は板の向こう側にある、板を空気のようにすり抜けて拳は次の瞬間、板の向こう側にある、と自分に言い聞かすんだ」
ついでに言うと、「失敗したら死ぬ覚悟で突く」のだそうだ。
ただ、いきなり板でやると危ないので、ぶら下げた新聞紙でやると良いと、山根は言う。
山根がやると、新聞紙はほとんど揺れず、拳の穴がきれいに空いた。

私は、昔、この新聞紙の正拳穴あけをやったことがあるが、要領を知っていたので、割と簡単に出来た。
私は、名刺での割り箸切りをよくやっていたのだが、それと同じだ。
私は、新聞記者の前で、割り箸が入っていた薄い紙袋を使い、割り箸4本を同時切断したことがある。
ちょっと古いが、1984年の『別冊宝島41 脳力トレーニングの技術』の中で、この新聞紙正拳突きと、名刺による割り箸切りについて、極意はこうだと書かれている。
息を吐き切りながら、肛門を引き締めて集中する(気力を充実させる)。
すると、突く、あるいは、切る瞬間、息を吸うことになる。
ところが、普通の人は、その瞬間、息を吐くからうまくいかないのである。

もう1つというか、最高の方法は「無になる」ことだ。
無になれば不可能はない。
普段から、腕振り運動をしっかりやっていると、無になるコツが自然に分かるので、いざとなると超人力を発揮出来る。
ただし、あくまで、普段から、回数多くやる必要がある。
実際、中国では武術に腕振り運動を取り入れている流派もあるという。
そして、無になる最上の方法は、ナーマスマラナ(神仏の名を心で唱える行。念仏も同じ)だ。
別に、名刺による割り箸切りを人に見せる必要も、何かのパフォーマンスで他人の度肝を抜く必要もないし、そんなことを目的にしていると、全く無になれない。
ただ、普段から、淡々と、神仏の名を心で丁寧に唱え、ついでに、腕振り運動もやっておけば、仙人のようなものになれると思う。








驚異のエス

CLAMPの漫画・アニメ『カードキャプターさくら』に、こんな場面がある。
高校1年生の天宮撫子(あまみやなでしこ)は、巣から落ちた雛を巣に戻そうと木に登るが、運動神経は無いに等しいとまで言われる撫子は、雛を巣に帰すことには成功したが、直後、足を滑らせて落下する。
しかし、撫子は、たまたま下を通りかかった、彼女が通う高校に赴任してきたばかりの男性教師、木之本藤隆(きのもとふじたか)の上に落下し、藤隆がクッションになったおかげで、ほとんど怪我はなかった。
その時、藤隆は、
「天使が落ちてきたのかと思いましたよ」
と、咄嗟に憎い言葉を発するが、おそらく、彼の性格から考えれば、それはごく自然に出た言葉で、妙な意図はなかった。
それから2人は付き合い始め、すぐに同棲に至り、毎朝、手をつないで登校。お弁当は料理が得意な藤隆が作った。
この藤隆と撫子が、主人公、桜(さくら)の両親である。

20年以上前の話とはいえ、本当なら、藤隆は即、懲戒処分だろうが、それは置いておく(笑)。
藤隆と撫子は、大変な偶然で出会ったように見える。
作者のCLAMP(女性4人のチーム)の重要思想が「この世に偶然はない。全て必然」であるから、この出来事も必然なのであろうが、それを、1つの説から話す。
「心身医学の父」と呼ばれたドイツ人医師、ゲオルク・グロデックは、人間の内部には、「エス」というエンティティ(生命体)が存在すると提唱した。
このエスは、後にフロイトが精神分析学に取り入れることで知られるようになるが、グロデックのエスは、フロイトのエスよりはるかに驚異的だ。
そして、藤隆と撫子の出会いは、こう考えられるのである。
この、藤隆と撫子のドラマティックな出会いは、全てエスが仕組んだものだ。
撫子のエスは、撫子を木に登らせ、藤隆のエスは、藤隆をその下を通るようにさせた。
そして、エスは、絶妙のタイミングで撫子の足を滑らせ、藤隆の上に落下させるが、2人のエスは2人の身体を功名に操作し、目立った怪我はさせない。いや、ドラマ性を高めるため、藤隆には、多少の負傷をさせたかもしれない。
さらに、藤隆のエスは、藤隆に、「天使が落ちてきたのかと思いましたよ」と、シビれるセリフを、動転している撫子のハートを撃ち抜く笑顔で言わせ、1万本の薔薇どころでない無敵のプロポーズになってしまった。
雛が巣から落ちたことすら、エスの仕業かもしれない。

「そんなアホな」と思うかもしれないが、グロデックが論文に引用した実話に、こんなものがある。
戦場で、1人の兵士の男が、同じ部隊の男に、自分の膝を指さしながら、
「ここに弾が当たったら、おれは故郷に帰れるのになあ」
と言う。
すると、その直後、流れ弾が飛んで来て、まさに、膝の指を指したところに命中した。
グロデックは、これもエスが行ったことだと推測している。

私は、小さい頃、何度も交通量の多い車道に目をつぶって飛び込んだが、危ない目に遭ったことはない。
これも、私は、無意識に、エスに危険を避けるよう頼んだからだったのかもしれない。
※決して真似しないように。

エスが、どれほどの力を持っているのかは分からない。
グロデックは、いかなる病気でも、罹(かか)るのも治るのもエスが起こしており、どれほどの難病でも、治る時は何もしなくても治ると言う。
簡単なことでは、エスは、女性の手を、好きな男性に前では冷たくさせ、その男性に暖めてもらうよう促すといったこともするらしい。

グロデックもフロイトも、エスは、肉体とか細胞とかではなく、無意識の中に存在すると考えている。
精神そのものが謎であり、エスの実態など、全くの未知と言って良いだろう。
引き寄せの古典で、いまだ引き寄せの最上のテキストである『イット・ワークス』の著者は、人間の内部にある、いかなる願いも叶える力をインマヌエルと呼んでいるが、エスは、その一面であるのかもしれない。








人生という劇のストーリーを決める自己暗示

誰がそうであるかは重要ではないので、あるダンスパフォーマンスで有名なグループにいた元芸能人(元ダンスパフォーマー)とするが、グループを脱退して長く経ち、すっかり肥満していた。
それが、一大決心をして鍛え直し、現役時代並の身体を取り戻した。
これは、なかなか出来ることではないし、本人も、初めはとても無理と思ったらしい。
ところが、結局うまくいった最大の要因は、トレーナーが「絶対、大丈夫」と言い続けてくれたことだった。
「絶対、大丈夫」は、CLAMPの漫画・アニメ『カードキャプターさくら』のヒロイン、木之本桜の最強の呪文である。
さくらの場合は「絶対、大丈夫だよ」であるが、普通は「だよ」まではいらないだろう。
この元ダンスパフォーマーの場合は、トレーナーからの他者暗示ということになるが、暗示療法で世界的に知られるエミール・クーエが言う通り、いかなる暗示も自己暗示なのである。
他者から与えられる暗示も、自分が受け入れなければ効力を発揮しない。
だから、この元ダンスパフォーマーも、トレーナーからの暗示を受け入れ、自己暗示になったから成功したのであり、本来は、最初から自己暗示でやれば良かったのである。
確かに彼は、最初は、自分では成功の自信がなく、他者暗示が必要に思えたかもしれない。
しかし、自信などなくても、自分で「絶対、大丈夫」と唱えていれば、やがて自信を持てるのである。

イエスは、「山に向かって、海に飛び込めと言い、その通りになると信じて疑わないなら、その通りになる」と言ったが、そんな自信は、無理に持とうとして持てるものではない。
人間は、自分の心をコントロール出来ない。
しかし、言葉だけは支配出来る。
その言葉で、「全てうまくいく」と自分に言い続ければ、自然に自信が持て、山は海に飛び込むことになる。
ただ、その呪文、あるいは、自己暗示は、「感情を込めず、静かに、淡々と」唱えなければならない。
感情を込めて唱えると長続きしない。
1日、少なくとも30回、出来るだけ、思い出した時はいつでも、自分のお気に入りのただ1つの呪文を唱えることで、何でも望む通りになる。
呪文は、上記のように「絶対、大丈夫」でも良いし、「全てうまくいく」、あるいは、その組み合わせ「絶対、全てうまくいく」、「大丈夫だ、全てうまくいく」でも良い。
あるいは、全く別の言葉でも良い。
しかし、個々の願い・・・例えば、「ダイエットに成功する」「お金持ちになる」「格好良い彼氏を作る」「可愛い彼女を作る」は入れない方が良い。
これも、エミール・クーエが言ったように、「全てうまくいく」とすれば、「全て」に含まれるからだ。
個々の願いを言葉にすると、欲望にかられて、結果、大抵は失敗する。
そして、やはりイエスが言ったように、神はあなたの必要なものなど、とっくにご存知だ。
言い換えれば、潜在意識は、あなたの願望を、あなた以上に知っている。
さらにいえば、神、あるいは、潜在意識は、あなたの10年先の願望すら知っているのである。
全てを、神、あるいは、潜在意識にまかせることである。

さて、「マジカルミライ2018」が終わってしまうと、全てのことが些事に思え、どうでも良く思えるが、これは悪いことではあるまい。
つまらないことにこだわらず、「マジカルミライ2018」で巡音ルカさんが歌ったジミーサムPさんの『No Logic』のように、気楽にやりたいことをやれば良い。
ある程度は力を抜き「ソフトタッチ」でやることが必要である。
呪文を忘れずにね。
それにしても、私にとって、今や世界は幼稚園のお遊戯だ。
『燃えよドラゴン』で、ブルース・リーも言ってたではないか?
「良い闘いは、少人数でやる劇に似ている」
と。
「20世紀最大の詩人」W.B.イェイツは「良い役者は自分が泣いたりしない」と言った。
ハムレットもリア王も陽気なのだ。
良い役者は、それが劇であることを自覚している。
あるいは、劇でしかないと分かっている。
人生は面白い夢でしかない。
まあ、楽しくやろうってことだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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