アメリカ合衆国が、イギリス植民地から国家として独立したのは1776年で、実に新しい若い国家であるのだが、国民は、ユダヤ教徒やキリスト教徒として、旧約聖書にある古い神話を自分達のものとして受け入れている。
そこへいくと、日本はそれなりに歴史のある国とはいえ、我が国の神話である『古事記』が成立したのは天武天皇(てんむてんのう。西暦631-686年)の時代である。日本にだってキリスト教徒もいるが、敬虔な信者であれば、旧約聖書を自分の歴史的なものとして受け入れている可能性は十分にあると思う。それが不似合いであると言うのではないが、我々のDNAには、それによるよりも、もっと楽に宇宙の真理に至る機能があるのかもしれない。
世界各地の神話である、ギリシャ神話、エジプト神話、ケルト神話、中国の神話などは、いずれも、紀元数百年以前の古い歴史がある。
しかし、『古事記』は、それまでに日本にあった神話をまとめたようなもので、我が国の神話自体はもっと古くからあったと思われる。
そして、我が国にも、『古事記』や『日本書紀』以前からあったと言われる、『ホツマツタヱ』や『上記(うえつふみ)』等があるが、これらは現代では本物であると見なされないことが多い。
また、物理学者の楢崎皐月が発見し、苦難の末解読したという、1万年以上も昔の日本の文献である『カタカムナ』というものがあるが、これは世間的には全く認められていないと言って良いと思う。
それらは、偽書であるということなのであるが、そうであるなら、何とも壮大な偽書である。そもそも、偽書でない神話など存在しないような気もするのである。
私は、『ホツマツタヱ』も『カタカムナ』も、どんな意味でも本物であり、少なくとも『古事記』に劣らず、重視すべきものと思うが、それは、それぞれで真摯に読めば嫌でも分かるのではないだろうか?

神話を持たない国は滅びるといったことを聞いたことがあるが、滅びるかどうかはともなく、神話と国民との関係が調和していないと、やはり国家や国民のありかたは危ういものになるのだと思うし、国民に弱い部分があるのだと思う。
もちろん、あまりに強く根付いた神話による表面的な強さは硬直したものになる。つまり、神話との距離感というものも必要かもしれない。
しかし、我が国の神話の歴史が浅い上、あまりに、日本では神話が顧みられていないように思えるのである。
日本人には、『古事記』を読んだことすらないという人が多いと思う。
私は、ある有名な予備校の日本史や国語の講師が、『古事記』を読んだことがないと平然と言うのを実際に聞いて呆れたことがある。

『古事記』の上巻(世界の始まりから神武天皇の誕生まで)だけでも、表面的に読んでは分からない深い意味がある。我々日本人は、『古事記』を真摯に読むことによって、そこに隠されたそれらの意味を自分の内に復活させ、世界のどの国のものとも異なる神人に生まれ変わることができる。そして、そこに至るまでに、『ホツマツタヱ』や『カタカムナ』を役立てるようにもできるだろう。だが、我々は孤立すべき民族でもなく、インド、ギリシャ、中国、ケルトの英知の助けを借りることもできるのである。
だが、主体は我が国に古くから伝わる英知を中心とすべきである。
国家による教育は、こういったことを決してサポートすらしないだろう。我々は国家の教育からはある程度離れ、自主的に真の英知を求めるべきであると思う。









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