ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

オリンピック

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

ウイルスが教えてくれている

新型コロナウイルスの感染者数は、確認されているだけで国内で600人超で、この数は、他のことであれば「誤差の範囲」、つまり、「実質いない」と扱われるほどの数であるが、今や、他人が「感染している」「感染していない」で、半々、いや、それ以上に感じてしまっている人が多いかもしれない。
しかし、非常事態と言われながらも、社会生活は驚くほど変わらず、コンビニやスーパーには、普段と全く変わらず商品はふんだんにあるし、Amazonに注文すれば翌日に届く。

ほとんどの学校が休校になる中、予備校や塾は授業こそやっていなくても、生徒相談や自習室の利用は出来るところが多いようだが、生徒同士が2メートル離れるようにする等が行われているらしい。
また、多くのイベントが中止になる中、講演会など、やはり2メートル離れていられるようなものは行われている。
個人的なことで、今の状況では不謹慎と思われるかもしれないが、私は、他人と2メートル離れていられる環境というのは天国に感じる。
多くの人間が、まるで自分をスターかお姫様のように貴く思っていて、他人に無遠慮にくっついても迷惑と思われるとは夢にも思っていないように感じるのである。
あるいは、自分の声やくしゃみまでもが良いもので、平気で無分別に他人にそれを聞かせている。
だが、ウイルスのおかげで、今や、それがやり難くなっている。
まるで、ウイルスに礼儀を教えてもらったかのようだ。
いや・・・実は、ウイルスは人類を指導・・・というよりは、矯正するために現れたようにすら感じるのだ。

初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ」に行くと、いつも思うのだが、隣が小柄な女性だと、男性の中には、平気でその女性の場所にはみ出し、女性を圧迫して全く平気な者がいる。
2018年のインテックス大阪公演では、180センチ以上で100キロは軽く超えていそうな巨漢の男性が、隣の小学3年生くらいの女の子の場所をほとんど占領しているのを見て、私はせっかくのミクさんのライブの楽しさがかなり無くなってしまった。
だが、そういった行為が間違いであることを、ウイルスによって強制的に「教育」されているのである。
極端かもしれないが、私は、ミクさんのコンサートの時は、ダイエットをして、176センチで60キロ以下にしていくのである(まあ、ミクさんの前ではすらりとしていたいという想いが強いのであるが)。

私は、ウイルスが我々を矯正(あるいは教育)しようとしていることを理解し、それに対応すれば、ウイルスは去るのだと思うのである。もちろん、こんなことを言えば、馬鹿と思われるだろうが、私は実際に馬鹿だから言うのである。
高校野球甲子園大会は中止になり、選手の皆さんの無念は大変なものであろうが、敢えて言えば、私は、甲子園大会は、元々あってはならないものだと思っている。
もちろん、野球も含め、スポーツは良いものであるが、「うなるほどの利益」を貪る者たちの欲望によって、すっかり醜く歪んだものになってしまっているのを、感じない方がおかしいだろう。
野球も、全ての競技も、公平に謙虚に行ってこそスポーツ・・・特に学生スポーツである。
それを忘れてはならず、少なくとも、結果的にはウイルスはそれを教えてくれたのである。
そこから帰結すれば、当然、オリンピックの開催も不可能になる。
少なくとも、現代のオリンピックは、あってはならないものだし、それは、ヒットラーがオリンピックを政治利用した時よりもずっと悪いとすら思えるのである。
我々は今や、スポーツの本来の意味を思い出さねばならない。そのために、今のオリンピックは害悪でしかなく、残念ながら、あってはならないものではないだろうか?

政府、あるいは、厚労省は、ウイルスに対し、ビタミンCやビタミンDの有効性を事実上否定しているようだが、これは有り難いことである。
「それならやはり有効だ」と思えるからである。
そもそも、ビタミンCやDは安価であり(高価なものもあるが、それは私は使わない)、また、少々多量に摂取しても害はないのだから、個人的に多大な信頼を持っていると表明しても、そう悪いことではあるまい(ただし、ビタミンD(D3)を多量に摂取する場合はビタミンK(K2)を同時に摂った方が良いという説はある)。
そもそも、ビタミンCやDの抗ウイルス効果に関しては、エビデンス(証拠)はいくらでもあるように思う。
私は、個人的には、ビタミンCで免疫力を高められると確信し、それにより、新型コロナウイルスを含め、全く不安はない。
そして、ウイルス発生の意味を冷静に考えれば良いのだと、全く個人的に考えているのである。








オリンピックから外されることはむしろ実に良いことだ

オリンピック競技からレスリングが無くなるという話には、私も驚いた。
しかし、別にレスリング自体がなくなるわけじゃない。
野球がオリンピックから除外された時は、私は良いことだと思った。私がそう思った理由は、IOCが野球を除外した理由とは違うだろうが、高年棒のプロ選手ばかりを揃え、選手達は高級ホテルに宿泊して選手村に入らず、利害のためにやるなら、オリンピックを利用すべきでないと感じるからだ。
レスリングが外される理由の1つに、レスリング界がルール改定の要望に応じなかったというものもあるらしい。これに対し、柔道界は真面目に対応したらしい。レスリングが無くなるのに柔道が残るというのも凄い話だと思うが、こんな努力もあったということだ。しかし、そのために柔道に柔道らしさが無くなったという面もあるのではないだろうか?、もし、レスリングがレスリングらしさを失わないためにルール改定に応じなかったのだとしたら、オリンピックから外されることも止む無しではないだろうか?
何をオリンピックにこだわる必要があるだろうか?

先日、日本の有名な女子レスリング選手が、レスリングのオリンピックからの除外に意を唱えるための会見をした中で、「女子小学生から、自分も金メダルを取りたいという手紙をもらった。こんな子供達の夢を奪ってはならない」といったようなことを述べておられた。私は、その子供には、もっと良い夢を持っていただく良い機会と思った。スポーツは金メダルのためにやるんじゃない。いくら子供でも、根本的な発想が間違っている。
今は、ちやほやされたいとか、良い思いをしたいといった理由でスポーツをやりたい者が多過ぎるのではないか?

ルー・テーズという、史上最高とも言われるプロレスラーは、子供の頃、吃音もあって引っ込み思案な少年だった。だが、レスリングに出会い、身体を鍛え、熱心に練習する中で素質もあったので強くなって自信がつき、性格的な弱点を克服した。
しかし、彼には障害があった。家が貧しく、高校に進学できないので、レスリングを続けられなかったのだ。
だが、なんとか高校のレスリング部の練習にだけは参加させてもらったらしい。試合に出ることも出来ないのに、純粋にレスリングが好きだったのでそうしたのだ。
すると、ジョージ・トラゴスという名レスラーが、テーズの指導を申し出た。トラゴスは、弟子を潰してしまうという悪評があったが、テーズを実に可愛がり、熱心に教えた。考えてみれば、トラゴスは、選手になることも出来ない靴職人(テーズの当時の職業)を指導していたのである。トラゴスが真剣にテーズを指導したのは、テーズが本当にレスリングを愛し、レスリング自体を、そして、トラゴスのような本物のレスラーをリスペクト(尊敬)していたからだ。
トラゴスは、レスリングへのリスペクトを持たない者を許さなかった。アマレスの全米学生王者になったほどのレスラーでも、レスリングをなめていると思えば、必殺のダブルリストロックで肩を砕いてしまったこともあった。テーズは、その時の光景を一生、生々しく記憶に持つことになった。そして、彼自身は、トラゴスから譲り受けたそのダブルリストロックで、相手の肩を砕く「1センチ手前」まで絞り上げたことは数百回あったが、実際に砕いたことは一度もなかった。彼は、バランスという点で師を超えていたのだ。それは、レスリングへの愛において、テーズは、オリンピックにも出場したトラゴスを超えていたからだと思う。
テーズのライバル達の多くが、アマレス全米王者、その他の国の王者、学生王者、そして、オリンピック出場という輝かしいアマレスの経歴を持っていた。アマレスの試合経験のないテーズの不利は実際は大きかったはずだが、彼が負けなかったのは、誰よりもレスリングをリスペクトし、愛しいていたことが、大きな原動力になったのだと思う。
そして、決してきれいなところばかりではないプロレスという世界で、70歳を過ぎてもただの真面目なレスラーとしてリングに上がり続けた彼こそ、本物のレスラーだったと言えるだろう。
オリンピックに出ることと、本物のスポーツマンであることは何の関係もない。
何のためにスポーツをするのか?それを真剣に考え直すべきだろう。
オリンピックから外されて何の不都合があるだろう。
私は、オリンピック自体を廃止すべきと思っている。今のオリンピックは、国家や権威ある団体、そして、あらゆる個人の自己中心主義の原因になることが圧倒的であり、世界に平和をもたらしなどはしないだろう。それどころか、世界の不和の原因になっているのではないだろうかと思えてならない。
オリンピックを招致するなら、他に解決すべき足元の問題が、国にも、我々個人にもいくらでもある。それに真剣に取り組もうではないか?









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

問題はスポーツエリートが英雄であるという幻想だ

高校のバスケットボール部員を自殺に追い込んだ顧問教師の体罰や、柔道全日本監督の暴力の被害にあった選手達が同監督をJOCに告発するなど、スポーツ界の腐敗振りが表に現れた。
これらもごく一部であろうが、真実が白日の下に晒されたこと自体は良かったのだ。

では、何が本当の問題なのだろう。
それをすり替えようとする者に騙されてはならない。
特に重い責任は、国家、大企業、マスコミの3者にある。
これらが、オリンピックメダリストらを英雄に仕立て上げ、そんな馬鹿げた観念を国民に与え続けているのだ。
我々が、スポーツの成功者を偉大な人間であると思い込むという愚かな幻想を捨てない限り、全く何も変わらない。

スポーツで立派な実績を上げること自体は大したことである。しかし、それだけのことに過ぎない。
それを、そんなスポーツ選手達がまるで理想的な人間のように宣伝し、そう思わないような人間を蔑み、奇人変人のように思わせることが行われ続けてきた。
スポーツで実績があるだけの者を議員に当選させるという異常なことも当たり前になってしまっている。
スポーツで勝利するのは、あくまで自分のための努力である。それには良い面はもちろんあるが、自分のためにそこまで努力できることは、彼らが、欲深いという業も背負っているということであり、それを煽るのは重い罪でもあるのだ。

我々は、真に偉大な人間とは何かという正しい認識を持たなければならない。
大企業の宣伝や国家のスローガンに騙されてはならない。
そのためには、我々自身が、良心を大切にしなければならない。
我々が良心を守り、それを忘れずに考え、行動すれば、大企業や国家の宣伝の、あまりの卑しさ、安っぽさに必ず気付くのである。
もちろん、オリンピックでは、祖国の選手を応援し、良い結果を得れば喜び、賞賛すれば良い。
しかし、試合が終れば、選手達は普通の人に戻り、我々も、彼らを憶えているなら憶えていればいいし、忘れるなら忘れればいい。無理に憶えておくことも、逆に、無理に忘れることもない。
そんな当たり前のことが出来ないから、悲惨なことが起こるのである。

先に解決しなければならないことが沢山あるのに、オリンピックなど招致する必要は全く無い。
はじめに述べた事柄でも、日本がオリンピックを開くべき国でないことは世界に分かってしまったはずだ。
オリンピックなどより、足元のことをきちんとしなければならないのだ。
日本で起こったことなのであるから、私にも、日本人の誰にも責任がある。
そうであれば、我々は、良心という大切なものを忘れてしまったことを強く自覚し、それを心のガラクタの中から救い出さねばならない。
良心を取り戻す以外に、解決の道はないだろう。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

オリンピックの真の利用法

オリンピックで普通にあることだが、1つのミス、アクシデント、あるいは、誤審で、あるチームや選手がメダル獲得を逃すことがある。
それを、マスコミが強調し、選手や国民が悲しんだり、怒ったり、泣いたりしながら、「あれさえなければ・・・」と言う。
しかし、起こったことは全て運命であり、決して避けられなかったことだ。
ある選手がミスをすることは、その選手が生まれた時に、あるいは、それ以前に決まっていたことだ。
ある審判の誤審も同様である。起こると決まっていることは、地上のどんな力にも変えることは出来ない。
シドニー五輪サッカー競技の日本対アメリカ戦は、同点で時間終了し、PK(ペナルティマークからのキック)戦となった。そして、日本の4番目のキッカーであった中田英寿が失敗し、日本が負けたのも運命であり、中田がどうしようと避けられないことだった。
釈迦の言う通りだとすれば、中田英寿というキッカーは存在しなかったのであり、中田英寿という者には何の責任もない。
日韓ワールドカップの韓国対イタリア戦で、イタリアのトッティーが2枚目のイエローカードを受けて退場となったのは、エクアドルの審判バイロン・モレノの誤審らしく、イタリアでは、彼は重罪に値する罪人だが、韓国では英雄だ。
しかし、いずれにしろ、モレノの誤審も、トッティーがそれで退場となったのも、運命であり、決して避けられなかったことだ。
騒動になり、多くの人々が嘆いたり歓喜するのも運命であるが、それをいつまでも覚えていて感情を起こすのは、運命ではなく、自我の愚かな活動である。そして、それは人間の不幸の唯一の原因である。

あまり、ありそうな話ではないが、宇宙人が侵略しに来たとして、地球を奪われるかどうかも運命であり、既に決まっていることだ。
L.ロン.ハバートの『バトルフィールド・アース』という小説(ジョン・トラボルタが映画化した)で、サイクロ星人の侵略を受けた30世紀の地球の軍隊は9分しかもたず、人類は滅ぼされる。仮にそんなことがあったとしても、それも神の意思である。
(L.ロン.ハバートは、ジョン・トラボルタやトム・クルーズらが熱心に信仰する宗教団体サイエントロジーの創始者)
宇宙人が侵略に来なくても、外国からの侵略はあり得る。
私は今朝の夢で、ある国に日本が侵略される様子を克明に見たが、まさにそれは起こり得ることと感じた。だが、実際に起こるかどうかは神の御心次第だ。
日本の政治家は、人間の性質を全く知らず、自分達の言動が、どんな結果を引き起こすか、まるで分かっていない。
第2次世界大戦の原因は、特定の何かというのではなく、様々なことの連鎖が引き起こしたのであるが、つまるところは、海外のリーダー達の頭脳のプログラミング(生まれつきの性質と、生きてきた中での条件付け)によるのだ。特定の原因を拡大解釈するのは知恵の無い者の特徴である。
特に日本の政治家は、無知で知恵がなく、中でも、大袈裟なパフォーマンスで人気を取って目立っている政治家ほどそうなのである。
知名度や人気ではなく、本当の知恵と力のある者を、国民の下僕(先生ではなく下僕である)たる政治家に選ばないといけないのだが、それが出来ないのも運命である。そうであるなら、日本が侵略されることも、特に嘆くことではない。

いかに人生が苦しかろうと、それも運命である。そもそも人生とは辛いものであり、楽しい人生を送っている者は一人もいない。
富と名誉のある者ほど、実際は惨めなものだ。オリンピックの金メダリストがちやほやされて楽しいのは一瞬であり、その後に、惨めな長く辛い人生が続くのは、彼らが一番知っていることだ。「○○オリンピックの金メダリストの××さん」と言われたところで、誰も英雄視しない単なる人寄せパンダだし、現役選手の引き立て役、企業やマスコミの下僕でしかないのだ。プライドの高い彼らは内心では実に苦しいのであるが、それを現役選手に教える訳にもいかないのである。
不運と思っていることで金メダルを取れなかった者の方が、本当は幸運なのである。それは絶対的事実と言って差し支えない。
オリンピックとは、そういったことを確認し、人間や人生、そして、世界に対する洞察を深める機会である。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

ミクがオリンピックに巻き込まれなくて良かった

オリンピックには全く関心は無いのだが、 THE TOP TENS(世界的な電子投票サイト)の投票結果の影響で、オリンピックの開会セレモニーに初音ミクが登場するかもしれないという期待で、一応、開会式を見ていた。
これについては、国産コンピュータOS、TRONの開発者である尊敬すべき坂村健教授も、よくご存知だったほどである。

◆時代の風:「初音ミク」と「ステマ」 東京大教授・坂村健
◆Music Artists You'd Like to Perform at the 2012 London Olympics Opening Ceremonies

オリンピック開会セレモニーでは、予定通り、70歳のポール・マッカートニーの熱唱はあったが、ミクが登場することはなかった。
しかし、私はほっとした。それで良かったのだ。
あそこは、ミクが居るべき場所ではない。
オリンピック会場を支配していたのは悪魔かもしれない。私はそう感じている。
あらゆるエリート達が集まるオリンピックで、その代表格のIOC会長が、世俗の王の顔で美辞麗句を並べ立てた挨拶をどう感じただろうか?
『老子』18章には、「道徳や人格や愛がことさらに言われるのは、既にそれらが失われている証拠だ」とある。
我が国の天皇陛下が、いつも人々の平和と健康のことだけ言われるのは、自ら徳に満ちているだけでなく、広く徳を満たそうとされているからである。
オリンピックに良いところが無い訳ではない。しかし、いまや弊害が大き過ぎる。
オリンピックとミクのどちらが世界を幸福にしているだろう?

日本では、ボールのことをマリと言う。マリは丸いものだ。
ところで、日本で、古事記や日本書紀が書かれたよりも昔、そして、それよりも前のホツマツタヱが書かれたよりもさらに昔、日本では、マリは粒子のことを指し、粒子は丸いものだと考えられていた。
そして、ミクマリは、一切の和合を表す丸い形とされていたのである。
ミクのミは実のミで、木に対する実でもあり、イザナキ、イザナミでも分かるように、キが男で、ミは女を指す。また、ミは、実質という意味でもある。
クは、自由に発生するという意味だが、才能がありながら、音楽の創造活動をすることが出来なかった人達が、ミクに歌ってもらうことで、世界に通用する素晴らしい歌を創っているのである。そして、その中は、従来は決して無かった、神がかったような作品も多いのである。
また、縄文時代以前の、日本の古代文明の英知が中国に渡り、老子は、その影響を色濃く受けているという説もあるのであるが、そんな気もするのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼

最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
タグクラウド
QRコード
QRコード