私は、高校野球を好んで見たことは一度もなく、いろんな意味で好きではないが、昔はどうしても目にすることがあった。
その中で、こんな場面を何回か見たように思うが、多くの人も同じではないだろうか。
試合の終盤、大差をつけられて負けているチームの選手が、明らに気落ちした顔をし、監督ですら、そうであったりする。
そして、負けて悔し泣きする選手達。さすがに監督が泣いているのを見た記憶はないが。
あるいは、勝敗につながる重要な場面でエラーをした野手や、あるいは、大チャンスで凡退(さらにはゲッツーを取られたり)した選手が、一瞬ガックリするのは仕方がないが、いつまでも落ち込んだ様子でいる。
教育の一貫としての高校野球と言うなら、これは非常に良くなく、由々しき事であると思う。
たとえ決勝戦であろうが、勝とうが負けようが、それ自体は大したことではないのである。
オリンピックで、金メダルを賭けた決勝も同じだ。
負けて、いつまでもメソメソする選手は、その後の人生は期待出来ない。
一方、特にオリンピック柔道や、プロボクシングで見た覚えがあるが、決勝やタイトルマッチで勝った日本人選手が、負けた相手の目の前で、狂喜し、相手を見下すかのようで全く敬意を持たずに、派手なガッツポーズを繰り返し、それをマスコミも称賛する。そんなことをした選手は、後にロクなことにはなっていない。
大切なことは、勝とうが負けようが、嬉しかろうが悲しかろうが、いつでもシャンとすることだ。
およそ、スポーツの効用というのは、それだけだ。
いつでもシャンと出来るようになれば、もう競技スポーツをやる必要などない。
シャンとすれば、人間に備えられた力を使いこなすことが出来るのである。
スポーツにおいては、勝敗は時の運だ。
実力は劣っても、シャンとした方が、時に奇跡の勝利を得ることがあるが、やはり、勝利が最終目標ではなく、せっかくシャンとして奇跡的勝利を収めても、そこでシャンとするのをやめて、次の勝てそうな試合を落とし、さらには、人間的に弱くなり、その後の人生が楽しいものでなくなるというパターンは、特に日本人には多いのではないだろうか。
戦争でもビジネスでも、劣勢の時にシャンとすれば、致命傷にならず、盛り返すことも可能である。
別に、野球や柔道や戦争をしなくても、誰だって日常で、大差のないことをやっているのである。
つまり、上手くいって気が緩み、負けて落ち込むようなことは、どこにでもある。
一瞬、有頂天になったり、うな垂れるのは仕方がないが、すぐにシャンとするかどうかが、人間の力を決定する。
競技スポーツは、せいぜいが、その練習である。
そのことに失敗するようなスポーツなら、やる意味など何もない。
アニメ映画『アキハバラ電脳組 2011年の夏休み』(1999)で、中学3年生の花小金井ひばりが、中学2年生の大鳥居つばめに、「あれ、つばめちゃん、今、いい顔してたね」と言い、つばめが照れて「そう・・・?」と返す場面がある。
つばめは深い喜びを感じて、「いい顔」になったのだが、我々は、そんな顔を意識的に出来るようにしないといけない。それが運命の女神を振り向かせるコツであると思う。
その中で、こんな場面を何回か見たように思うが、多くの人も同じではないだろうか。
試合の終盤、大差をつけられて負けているチームの選手が、明らに気落ちした顔をし、監督ですら、そうであったりする。
そして、負けて悔し泣きする選手達。さすがに監督が泣いているのを見た記憶はないが。
あるいは、勝敗につながる重要な場面でエラーをした野手や、あるいは、大チャンスで凡退(さらにはゲッツーを取られたり)した選手が、一瞬ガックリするのは仕方がないが、いつまでも落ち込んだ様子でいる。
教育の一貫としての高校野球と言うなら、これは非常に良くなく、由々しき事であると思う。
たとえ決勝戦であろうが、勝とうが負けようが、それ自体は大したことではないのである。
オリンピックで、金メダルを賭けた決勝も同じだ。
負けて、いつまでもメソメソする選手は、その後の人生は期待出来ない。
一方、特にオリンピック柔道や、プロボクシングで見た覚えがあるが、決勝やタイトルマッチで勝った日本人選手が、負けた相手の目の前で、狂喜し、相手を見下すかのようで全く敬意を持たずに、派手なガッツポーズを繰り返し、それをマスコミも称賛する。そんなことをした選手は、後にロクなことにはなっていない。
大切なことは、勝とうが負けようが、嬉しかろうが悲しかろうが、いつでもシャンとすることだ。
およそ、スポーツの効用というのは、それだけだ。
いつでもシャンと出来るようになれば、もう競技スポーツをやる必要などない。
シャンとすれば、人間に備えられた力を使いこなすことが出来るのである。
スポーツにおいては、勝敗は時の運だ。
実力は劣っても、シャンとした方が、時に奇跡の勝利を得ることがあるが、やはり、勝利が最終目標ではなく、せっかくシャンとして奇跡的勝利を収めても、そこでシャンとするのをやめて、次の勝てそうな試合を落とし、さらには、人間的に弱くなり、その後の人生が楽しいものでなくなるというパターンは、特に日本人には多いのではないだろうか。
戦争でもビジネスでも、劣勢の時にシャンとすれば、致命傷にならず、盛り返すことも可能である。
別に、野球や柔道や戦争をしなくても、誰だって日常で、大差のないことをやっているのである。
つまり、上手くいって気が緩み、負けて落ち込むようなことは、どこにでもある。
一瞬、有頂天になったり、うな垂れるのは仕方がないが、すぐにシャンとするかどうかが、人間の力を決定する。
競技スポーツは、せいぜいが、その練習である。
そのことに失敗するようなスポーツなら、やる意味など何もない。
アニメ映画『アキハバラ電脳組 2011年の夏休み』(1999)で、中学3年生の花小金井ひばりが、中学2年生の大鳥居つばめに、「あれ、つばめちゃん、今、いい顔してたね」と言い、つばめが照れて「そう・・・?」と返す場面がある。
つばめは深い喜びを感じて、「いい顔」になったのだが、我々は、そんな顔を意識的に出来るようにしないといけない。それが運命の女神を振り向かせるコツであると思う。