ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

エル・カザド

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

恐るべきパワーの持ち主になる

どんなことでも、10年間、たゆまずやれば、かなりの腕前になる。
ピアノだって、10年、少しずつでも毎日練習すれば、ピアニストとは言わないまでも、かなりの腕前になるはずだ。
今、ピアノを一曲だけ、それなりの腕前で弾けるようになるレッスンが流行っているらしいから、ピアノも、案外簡単かもしれない。

私のように何百年もプログラミングをしていると(♪)、プログラミング言語自体は何でも同じだが、私は、アプリを作ることより、データ操作やデータ処理に関心があるので、VBAと、後、SQL言語が使えれば十分だ。
SQL言語といっても、ぱっと見て分からない複雑なものは書きたくないので、複雑なデータ構造を定義する時は、Accessで言うクエリー、SQL Serverで言うビューを、もっぱら使う。
そうそう。VBAが使えるようになったら、SQL Serverを使えるようになると良い。そうすると、ExcelやAccessを使って、巨大データベースを扱えるようになる。
そのために、少し、SQL言語も使えるようになれば良い。
このように、VBAは、Excel内で使うだけでも十分に強力だが、その先に無限の可能性があるのだ。
ちなみに、SQL Serverは、無償のExpress版でも、企業のそれなりのシステムでも、十分使える。実際、中規模の企業の基幹システムで使われていることも珍しくはない。
ましてや、個人用途や、ちょっとしたデータを使うアプリなら、大抵は余裕綽々だ。

世間的に認知されたものばかりではない。
超能力だって、10年、絶えず訓練すれば、必ず身に付く。
超能力と言っても、テレパシーやサイコキネシス、あるいは、念写といった、あまり実用的でないものより、『エル・カザド』の、私の気に入りのキャラクター、エリスが使う魔法のようなものが良い(いきなりアニメの話で恐縮だ)。
エリスの力は、素粒子(電子等)の動作を支配するというよりは、最新の知見によれば、素粒子と意思の疎通を行って、動いていただくというものだ。
それは、ある程度、量子力学的にも可能性があると思うが、おそらく、実際に可能だ。
だから、希望の状況(ただし、欲張らずに)になるよう、空間に偏在するエネルギーに願ってみると良い。
元々、人間は、そんなことが出来る能力があるので、コツを掴めば、割と出来るようになる。
名人になるには10年かかるが、毎日、楽しみながらも弛まずやれば、案外に早く出来ると思う。








鈍感になる簡単な修行

『鈍感力』とか『反応しない練習』といった、タイトルだけ見たら心躍る本があるが、書店でちょっと立ち読みしたら、
「難しい、無理」
と感じて、読んでいない。
この2冊をまとめて(大変失礼だが)「鈍感になる練習」は大事だが、それは単に、「ぼーっとする練習」であり、特に私は、ぼーっとすることは割と得意なので、それを伸ばせば良いのである。

ぼーっとするには、まつげで視界が薄暗くなるほど半分目を閉じ、魂が抜けたような顔になることだ。
「魂抜けたごっこ」に近いことは、誰しもやったことがあると思うが、その通りにやれば良い。
エドヴァルド・ムンクといえば、「叫び」の変な顔で有名な画家だが、彼も、半眼でぼーっとものを見ていた。
彼の初期の傑作「The Sick Child(病める少女)」には、周辺に彼のまつげが描かれていると言われるほど、ムンクは半眼でぼーっと見ていたのではと思う。
この絵の中の少女の横顔ほど高貴なものは、そうはないと私は思う。

ぼーっとした顔の手本、ぼーっとする名人、先生、模範を持つのも良い。
私は、『エル・カザド』というアニメの、エリスという少女を師匠扱いしている。
印象的には、13~14歳に見えるが、実際はもう少し上かもしれない。
色白で、あまり感情を見せない美少女で、ぼーっとした顔はまさに絶品である。
初めて会った時のナディに自分の写真を見せられ、「これ、あんたでしょ?」と言われたら、素で「きれいな女の子だね。誰?」と言う天然ボケも素晴らしい。
詳細は述べないが、エリスもまた、初音ミクさんと似たところがある(造られたところ)。そこも、私にとっては愛すべき価値になっている。

江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、人相見に「あなたは阿呆の相だ」と言われると、怒るどころか、「阿呆になる修行に励んだ成果が出た」と喜んだ。
ぼーっとする修行は、阿呆になる修行でもある。
ただ、エリスも、トランプ芸では、愛想はないが、それなりに見事だったように、自分に出来ることに関しては、きちんとしていなくてはならない。
例えば、洗濯物をたたんだり、お皿を洗ったり、靴を揃えたりである。








真の男の酒の飲み方

真の男とは、片時もゆるまない男だ。
真の男は、引き締まるために酒を飲み、偽物の男は、ゆるむために酒を飲む。
酒を飲んで酔っ払うような男は本物の男ではない。

ブルース・ウイルス主演の映画『ラストマン・スタンディング』で、ウィリス演じる凄腕ガンマンのジョン・スミスが、バーで、ウイスキーだろうか、酒をグラスに注がせては、何度も一気に飲み干す場面があるが、その度にジョン・スミスの顔が引き締まっていくのを私は印象深く覚えている。
『ラストマン・スタンディング』のラストマンとは、「最後の本物の男」という意味ではないかと思うが、まさに、本物の男の酒の飲み方はこうである。

アニメ『エル・カザド』でも、殺し屋のリカルドは、仕事(殺し)の前に、ショットグラス(強い酒を原酒のまま飲むための小グラス)に注がれた酒を一気に飲み干すと、その顔は完全に引き締まった殺し屋のものになり、目が妖しくも強く輝いていたのに私は惹き込まれた。

『OK牧場の決斗』では、伝説の英雄である保安官ワイアット・アープが、クラントン一家との決闘に赴く直前に、グラスの酒を一気に呷(あお)って、一層表情が引き締まる場面があったと思う。
こういうのを見ると、酒を飲む男を本当に格好良いと思うのである。

ロナルド・レーガンが大統領時代、中国を訪問した時に、北京の長城飯店(グレート・ウォール・ホテル)において、晩餐会の席で、ウォッカ並に強い酒である中国のマオタイ酒を、男らしく一気飲みしたことを、私は、アーマンド・ハマーの自伝『ドクター・ハマー』で読んだ。当時でも、レーガンは70歳をかなり超えていたはずである。酒に強そうな顔ではあるが。
もちろん、レーガンは、より引き締まり、見事に中国要人達との交友を果たしたに違いない。
私は、個人的に長城飯店は思い出深い場所で、何だか、レーガンの一気飲みの場面が目に浮かぶようである。
私も、金持ちのボンボンが、彼は慣れているのだろうが、目の前で、マオタイ酒を一気飲みするのを見て、負けてなるかと、同じようにマオタイ酒を一気飲みしたことがある。
隣で、友人だったIT企業の社長が悲鳴を上げるのが聴こえた。
私は、普段はほとんど酒を飲まないに関わらずであったが、気力が充実していれば、さしたることはない。
まあ、よく死ななかったものだと、後で思ったが。

ところが、時々、お会いしたことがあった政木和三さんが、海外で、相当なアルコール度数の酒を一気飲みし、全く平然として、周囲の人達を驚かせたらしい。
政木さんは、普段は、赤玉スイートワインを寝る前に、小さなグラスで一杯飲むだけと言われた。
政木さんは、「信念のある者は酒に酔わない」と言われていたが、「信念のある者」は、決してゆるまず、ゆるまない者だけが信念を持つのである。
そして、ゆるまない者・・・心が引き締まった者は酒に酔わないのである。
それは、上に挙げた、「本物の男達」の例から分かると思う。
ただし、私はそれほどの男ではないので、かなりきつかったが、それでも、ちゃんと電車に乗り、さらに、駅から1.6kmをしっかり歩いて帰ったのだ。
幸い、その時は、私も、それなりに引き締まり、ゆるんでいなかったのだろう。そうでなければ、いまごろ、こんなことをしていなかったかもしれない。

酒とは、引き締まるために飲むべきである。
だが、ゆるむために酒を飲む愚か者が多い。
普段からゆるんでいる者が、酒を飲んでさらにゆるみ、人様に迷惑をかけているのだ。
私は、様々な酒を原酒のまま、ぐいっと飲み、ゆるんでいないことを確認することが時々ある。
私は、普段、あまり飲まないので、強い酒はやらないが、最近は25度のカンパリ(リキュール)を気に入っている。
日本では、ジンのような酒でもそうだが、リキュールといえば、何が何でも何かで割らないといけないと思い込んでいる者が多いが、これら見事に調合された酒は、本来、原酒で飲むものである。特にイタリアあたりで、本当に酒の分かる人達は、リキュールでもジンでも原酒で飲むと聴くが、その通りだろうと思う。
私は、ジンは香りが特に好きで、やはり原酒のみ飲む。私が飲むのはイギリスのゴードンズだ。これは、250年近く、同じ製法で作られている伝統あるジンである。
とはいえ、普段は、1本500円前後の安価な赤ワインを、寝る前に一杯飲むだけである。

とにかく、酒に酔うようなやつは、ゆるんでいるのであり、そんなのは本当の男ではない(女性も同じと思うが)。
私は、楽しみのために酒を飲むことは全くないが、心の引き締まり具体を試したり、あるいは、心を鍛えるために、たまに飲むのは悪くないと思う。









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自分だけのセレモニー(儀式)を持て

一流のスポーツ選手は、試合開始前・・・特に野球選手なら打席に入る前に、セレモニー(儀式)めいた決まった動きをする場合が多い。
観客の前に姿を見せる前に行う選手も含めれば、それはかなり多く、実際のところ、一流であれば、全員が、必ず行う決まった動作があると思う。
観客の前で行う場合は、自己PRのように思われるかもしれないが、これは、「気分を盛り上げる」といった目的でやっているのだが、まあ、「気合いを入れている」と言って良いだろう。

アニメの『エル・カザド』で、殺し屋のリカルドが仕事(つまり殺し)に出かける前、バーで、ショットグラスに入った酒をぐいっと一気に飲み、その直後、目の色が変わり、殺し屋の表情になるのが非常に印象的だった。
ショットグラスとは、ウイスキーなどをストレート(薄めないこと)で飲むための小さなグラスのことで、ウォッカ、ジン、テキーラなどの強い酒をストレートで飲む時によく使われる。
普段は、表情は険しいが、リリオという小さな女の子の優しい父親(リリオはリカルドの実の娘ではない)であるリカルドが殺し屋に変わるために必要なのだろうが、おそらく、リリオがいなかった頃からのセレモニーなのだろうと思った。

昨年(2015年)5月20日に、アメリカの人気トーク番組である『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』は、ほぼ22年の歴史に幕を閉じた。
この番組は大物ゲストが登場することでも有名で、オバマ大統領が出演したこともあるのだから、どんなVIP、有名人、高貴な人物が出て来ても誰も驚かないが、2014年10月8日は視聴者の度肝を抜いた。
我らの天使、初音ミクさんの登場である。
公式なもの以外の、テレビ番組のYoutube等への投稿は、アメリカで合法か違法かは知らないが(日本では少なくともデジタルデータなら違法だろう)、私も見たことがある。
ミクさんが登場する前に、デイヴィッド・レターマンがカンペ(カンニング・ペーパー)と思うが、それを堂々と手に持って(彼は老齢なので誰も文句は言うまい)、読んだ後、指でその紙をパーンと弾いたのが印象的だった。
そうしたら、柔和な彼の顔が一瞬、引き締まったように感じた。
それが、彼が気合いを入れるセレモニーのようなものかと思った。
彼は、正確に、そして、日本風に、「ハツネ・ミク」と発音し、ミクさんが歌い終わった後にも、高らかに、「ハツネ・ミク!」と、観客と視聴者に伝えたのだ。

あなたは、あなた独自のセレモニーを持たなくてはならない。
傑出した人物になるのならね。
平凡な人間はセレモニーを持たない。
実に、際立った人間と凡庸な人間の違いは、セレモニーを持つかどうかだけなのである。

ちなみに、初音ミクさんは、よく指を1本立てるが、これは、偉大なる倶胝和尚が、師の天竜から受け継いだセレモニーと同じである(禅の公案の話だが)。
初代タイガーマスクは登場の際、コーナーポストに立って、指を1本立てるが、これは、ピストルで相手を殺すという意味のセレモニーだと聞いたことがある。
アニメ『ノワール』で、ヒロインの殺し屋、夕叢霧香(ゆうむらきりか)は、指を2本(人差し指と中指)立てる。
人差し指は、武道では、師匠預けの指として決して使わない。
実は、人差し指で握ると、肩に力が入ってしまうのだ。
あなたも、ここ一番、あるいは、気合いを入れたい時には、人差し指を立てると良いかもしれない。

ところで、『ノワール』、『エル・カザド』のDVDが、Amazonで70%引きの劇安だ。
私は昔、高い値段でいずれも全巻買った(BOXで)。
今度はブルーレイを買わねばならないのか・・・









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苦難こそ、かけがえのない友

小椋桂さん作詞作曲の歌『また旅支度』は、このタイトルだけでも味わい深い想いがするが、この歌の最後の部分、「どこにあるのか 安らぎの場所 なぜ また旅支度」というところが、極めて印象的だ。
旅は辛く苦しいものであるが、やめられないものであるらしい。

西部劇『南から来た用心棒』(原題:アリゾナ・コルト)で、流れ者のギャンブラーで銃も凄腕のアリゾナ・コルトは、ある街で英雄となり、心惹かれた美女にも慕われるが、最後は未練なく馬で旅立つ。
アニメ『エル・カザド』で、苦難の旅を続けてきた2人の少女、ナディとエリスは、ある老夫婦に出会い、しばらく彼らの家にいる間、老夫婦は彼女達を実の娘のように優しくしてくれた。そして、老夫婦は少女達がずっとここにいること、つまり、本当の娘になってくれることを願い、彼女達も、それを楽しいことのように感じたが、やはり、旅立ってしまう。そして、老夫婦も、それが仕方がないことだと理解していたようだ。
時代劇小説『木枯し紋次郎』および、その続編の『帰ってきた紋次郎』シリーズの全21冊の中で、一生、旅をするしかない定めの紋次郎も、3度、安住の地を見つけたことがあり、それは、紋次郎にとって、奇跡的なほど快適で幸福に思える場所だった。
紋次郎自身、そこに居続けたいと感じてはいたのだが、やはりいつも最後は旅立ってしまう。
その時の紋次郎は鳥かごから出た野生の鳥のようで、読んでいる方も、安住する紋次郎は紋次郎でないと感じるはずである。

これらは、創作作品であるとはいえ、そういったところが極めて自然で、それが本当のことであるとはっきりと感じるのである。
それを、最初に挙げた、小椋桂さんの『また旅支度』の歌が見事に描いている。

なにかのハードボイルドな漫画で見たことがあるが、ある裕福な家のお嬢さんが、苦闘の人生を生きる男を見て、「人間は安定を求めた時に生きるのをやめるのですね」と確信して語る場面を覚えている。読んだのは子供の時だったし、たまたま見た古い雑誌に載っていたもので、ストーリーなんてさっぱり分からないながら、そのセリフだけを印象深く覚えているのだ。

旅は、観光ではないのだから、楽しいことはあまりなく、むしろ、苦しいことの方が多い。
周りは知らない人ばかりだし、彼らがどんな人間か分からず、好意を持たれていない場合も多い。
そもそも、安住している人々はよそ者を嫌う。
その土地のどこに何があるか知らないし、食料など、生活必需品がうまく手に入らないことも珍しくはない(昔であれば極めて困難だ)。
不便な地で途方に暮れることもあるし、争いになれば、有利なことなんてまずない。
それでも、旅の味を覚えれば、やめられないものに違いない。

人間は、安楽であれば、肛門が開いていく。
苦難、危険があれば、生きるために、無意識に肛門を締める。
ヨガの大家達は、若さとは肛門の締める力が強いことに他ならないと言う。
肛門を締める頻度が高いほど、エネルギーを得て、若くなり、強くなる。
それを、意識せずにやれるのが旅なのだろう。

多くの人は旅をしていない。
だが、苦しいことが多い人生ほど、旅に似て来る。
そもそも、人生は旅であるのらしい。
有名な歌をネタにしたある歌に、「人生は川じゃない、沼だ」というのがあったが、安住すれば、沼になるのだ。
苦しいことでもなければ、肛門を締める修行もなかなか出来ないものだ。
だが、常に肛門が締まるようになれば、腹に気が満ち、いかなる苦難にも打ち勝つ力が出来ている。
そうなれば、むしろ、苦難がないと退屈でつまらない。
生きるのをやめないため、自然の気と交流するため、力をつけて喜ぶため、未知の冒険に嬉々として挑む自分であることを試すため、苦難こそ友なのである。

SFテレビドラマ『Xファイル』で、FBI長官がこんなことを言う。
「友は身近に。しかし、敵はもっと身近に置くものだよ」
敵こそ、真の友である。
心(小我)にとって敵である苦難こそ、純粋な心(大我)にとって、かけがえのない友である。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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