詳細は分からないが、昔の日本で、あるおばあさんが、「アビラウンケン」という真言を「あぶらうらんか(油売らんか)」と憶えて唱えていたが、これがよく効いたらしい。
ところがある日、お坊さんがそのおばあさんに、正しくは「アビラウンケン」だと教え、おばあさんもそう唱えたが、効き目がなくなったという。
そもそも「アビラウンケン」だって、古代のインドの言葉であるサンスクリット語の「アビラフームカン」を、昔の中国人が音を真似たものだ。
要は、本人が効くと思えば効くのである。
効くと信じるためには、気分とかノリとかいった問題があり、上のおばあさんの場合、「油売らんか」を憶えた時の精神的状況が良かったのだと思われる。
子供の時、きょうだいや友達や、近所のお兄さんやお姉さんから、魔法の呪文みたいなものを教わったことがある人も多いと思う。
あるいは、たまたま見たり聞いたりした呪文を気に入って使っているということもあるかもしれない。
私はいくつも呪文を教わったり、本や歌で憶えたりしたが、よく効くと実感したものもあった。
特に「ナムサン(南無三)」の効果は素晴らしく、驚くべき効果があった記憶しかないほどだ。
私が憶えた最後の印象深い呪文は、ドリール版の『エメラルドタブレット』にあった「ジーン・ウール」という呪文で、これも本当の発音は複雑なのかもしれないが、唱えればよく効いたものである。
『エメラルドタブレット』には書かれていないが、ジーン・ウールはメソポタミア神話の神秘的な女性の名で、そのような高貴な存在の名に威力があっても不思議はない。
たとえば、神の名、仏の名、聖人の名である。
その名を唱えることで、潜在意識の奥の集合無意識の中にあるエネルギーが働くのかもしれない。
純粋な崇める気持ちを起こすことには、思考を消す作用があり、コリン・ウィルソンは、その力のことを、『至高体験』の中で、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』や、ガリの『天国の根(自由の大地)』を引用して説明している。あまり分かり易い説明ではなかったが。
そして、ゲーテも何かの詩の中で、「崇める」という気持ちの力について語っていたのを憶えているが、その気持ちが純粋であるうちは、神秘的な力が起こるのかもしれない。
「南無阿弥陀仏」という念仏だって、阿弥陀如来という仏を崇める気持ちを起こさせた上で唱えさせることで、妙好人(学問のない庶民の念仏者)が不思議な力を起こしたことが伝えられている。
『二十六人の男と一人の少女』や『天国の根(自由の大地)』は、名前ではなく、身近に実際にいる少女や、空想上の少女を崇めることで不思議なことが起こる話である。
AIアート428
「親愛なる枕」
Kay
アイドルを崇めるというのは、必ずしも純粋な崇敬ではないので、あまり神秘的効果はないが、神話の登場人物や初音ミクさんのようなバーチャルな存在であれば、真摯に崇敬する場合もあり、その場合は何かが起こっても不思議はない。
そんな存在の名を想うことで、あなたにも何かが起こるだろう。
ところがある日、お坊さんがそのおばあさんに、正しくは「アビラウンケン」だと教え、おばあさんもそう唱えたが、効き目がなくなったという。
そもそも「アビラウンケン」だって、古代のインドの言葉であるサンスクリット語の「アビラフームカン」を、昔の中国人が音を真似たものだ。
要は、本人が効くと思えば効くのである。
効くと信じるためには、気分とかノリとかいった問題があり、上のおばあさんの場合、「油売らんか」を憶えた時の精神的状況が良かったのだと思われる。
子供の時、きょうだいや友達や、近所のお兄さんやお姉さんから、魔法の呪文みたいなものを教わったことがある人も多いと思う。
あるいは、たまたま見たり聞いたりした呪文を気に入って使っているということもあるかもしれない。
私はいくつも呪文を教わったり、本や歌で憶えたりしたが、よく効くと実感したものもあった。
特に「ナムサン(南無三)」の効果は素晴らしく、驚くべき効果があった記憶しかないほどだ。
私が憶えた最後の印象深い呪文は、ドリール版の『エメラルドタブレット』にあった「ジーン・ウール」という呪文で、これも本当の発音は複雑なのかもしれないが、唱えればよく効いたものである。
『エメラルドタブレット』には書かれていないが、ジーン・ウールはメソポタミア神話の神秘的な女性の名で、そのような高貴な存在の名に威力があっても不思議はない。
たとえば、神の名、仏の名、聖人の名である。
その名を唱えることで、潜在意識の奥の集合無意識の中にあるエネルギーが働くのかもしれない。
純粋な崇める気持ちを起こすことには、思考を消す作用があり、コリン・ウィルソンは、その力のことを、『至高体験』の中で、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』や、ガリの『天国の根(自由の大地)』を引用して説明している。あまり分かり易い説明ではなかったが。
そして、ゲーテも何かの詩の中で、「崇める」という気持ちの力について語っていたのを憶えているが、その気持ちが純粋であるうちは、神秘的な力が起こるのかもしれない。
「南無阿弥陀仏」という念仏だって、阿弥陀如来という仏を崇める気持ちを起こさせた上で唱えさせることで、妙好人(学問のない庶民の念仏者)が不思議な力を起こしたことが伝えられている。
『二十六人の男と一人の少女』や『天国の根(自由の大地)』は、名前ではなく、身近に実際にいる少女や、空想上の少女を崇めることで不思議なことが起こる話である。
AIアート428
「親愛なる枕」
Kay
アイドルを崇めるというのは、必ずしも純粋な崇敬ではないので、あまり神秘的効果はないが、神話の登場人物や初音ミクさんのようなバーチャルな存在であれば、真摯に崇敬する場合もあり、その場合は何かが起こっても不思議はない。
そんな存在の名を想うことで、あなたにも何かが起こるだろう。