ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

エミール

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

一瞬で覚醒した50代後半の駄目男

『私はできる』というタイトルの本がある。
原題は『I Can the Key to Life's Golden Secrets』で、日本語では、「私はできる~人生の黄金の秘密を開ける鍵~」といった感じだろうか?
自己啓発分野で世界的に有名な心理学者ベン・スイートランドが書いた大ベストセラーで、1960年頃の本だが、今でもロングセラーを続けている。
ところで、私は、この本の「まえがき」を読んで、これだけで良いのではと思ってしまった。
「まえがき」は、Amazonサイトで「試し読み」で全文読めるし、KIndle版のサンプルの中にも全部入っている。

教育家で「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎は、小学4年生の時、学校でルソーの『エミール』を読んだことで人生の志を立てたと言う。
ところが、虎二郎が読んだのは、『エミール』の前書き(序)だけだったのだ。
こちらは、Amazonサイトでは岩波書店版の『エミール』の「試し読み」では、「解説」の部分が書かれていて、残念ながら「序」は読めない。
だが、ちゃんと買って「序」を読んでみたら、確かに素晴らしい。
調べたら、エミールは、元々は、「序」の部分だけ書く気だったらしい。

ベン・スイートランドは『私はできる』の「まえがき」だけを書く気だった訳ではないだろうが、私は「まえがき」だけで満足してしまった。
それはだいたい、こんな感じの内容である。
ベン・スイートランドの自己開発セミナーに毎週やって来る、50代後半の駄目男がいた。
会社をクビになり、無職で、奥さんに養われていた。
この駄目男は、セミナーの成果は全く出なかった。
ところがある日、セミナー教室の窓から見えるネオンサインの広告を見て、この駄目男は覚醒した。
そのネオンサインの広告の中に、AMERICAN(アメリカ人。アメリカの)という文字があったのだが、前半の「AMER」が建物で隠れていて、この駄目男には見えなかった。
つまり、この駄目男に見えていたのは「ICAN」で、スペースを1つ入れれば「I CAN(私はできる)」だ。
「I CAN(私はできる)」という文字を見て、この駄目男は駄目でなくなったのである。
自分はこれまで「私はできない」と考えていたが、「私はできる」と考えれば良いのである。
それが求めてやまなかった答だったのだ。
我々も同じである。
ある一定レベル以上のことは、「私にはできない」と考えるよう洗脳されていたのだ。
それを、「私はできる」に変えればいいだけだ。

それにはどうすれば良いか?
『ヒマラヤ聖者の生活探求』5巻に答がある。
著者のスポールディングは、4歳の時、大学予備校に連れて行かれ、教師に文字を見せられ「どう思う?」と聞かれた。
スポールディングが「分からない」と答えたら、教師は、「自分にはちゃんと分かっているという態度でいなさい」と言った。
おかげで、スポールディングは何でも分かるようになり、14歳で名門大学を卒業し、科学者にもなれた。

「態度は事実より重要」である。
「私はできる」という態度を取れば良い。
あるいは、口ぐせが人を作るのだから、「私はできる」を口ぐせにすれば良い。
両方やればさらに良いだろう。








啓蒙書は序章だけ読め

岡田式静坐法で知られた岡田虎二郎(1872〜1920)は、1901年(明治34年)に30歳で単身渡米したそうだが、その20世紀になったばかりの、民間の海外旅行など、ほぼ皆無の時代に、財産があった訳でもなく、皿洗いをしながら、3年半に渡って欧米の書物を学んだという。
イギリスの作家、コリン・ウィルソン(1931~2013)が、学校を終えた15歳からは、肉体労働をしながら図書館で読書に励んだという話を思い出す。それも大変な苦労であるが、岡田虎二郎のは、それどころではなかったはずだ。

彼らには、大きな志があったのだが、岡田虎二郎が、その志を得て人生を変えたのは、小学4年生の時に、小学校の図書館で読んだ、フランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソーの『エミール』であったようだ。
ところが、虎二郎が読んだのは、序文だけであったらしいが、実は、ルソーも、『エミール』は、序文のところだけを書くつもりが、あのような長い小説になってしまったようだ。
つまり、ある意味、『エミール』は、序文だけを読めば良く、虎二郎はそれをしたのだが、それで、わずか小学校4年生の虎二郎は、この高度な教育論に感銘を受けたのである。

ところで、本の中には、やはり、最初に重要なエッセンスが書かれているものが多い。
昨日、ベン・スイートランドの『私はできる』のKingle(電子書籍)の無償サンプルを読んだが、それでもう十分だと思った。むしろ、その後には余計なことが長々と書かれており、時間を無駄にしながら、せっかくの最初の良い部分を忘れてしまう・・・と言ったら悪いと思うが、まさにその通りだと思う。
1冊の本に書かれた、記憶すべき重要なことは、1~2行だという話もあるが、大抵の本では、特に、啓蒙書では、それが最初に来る場合が多い。
クラウド・ブリストルの『信念の魔術』などは、まさにそんな感じで、これは序文だけとは言わないが、最初の方には素晴らしいことが書かれているが、後に進むにつれて、余計な付けたしばかりが長々続いているように思えてならない。
言い換えれば、最初の方に、ブリストルが得た神の啓示のようなものが書かれ、後の方は、ブリストルの個人的考えが述べられているのである。
これはつまり、啓蒙書においては、1冊の本というのは、長過ぎるのだと思う。
もっとも、『正法眼蔵随聞記』(道元の短い講話の寄せ集め)などは、全章がそれぞれ1つのエッセンスであり、1冊読む価値があるが、それでも、道元の教え自体は、前書き程度の長さで書けるはずなのだ。
アリストテレスは難しいと言われるが、その中でも難解の部類に入ると思われる『魂について』を読んでみたが、確かに解らない。しかし、最初の方は面白いし、後の方はアリストテレスの個人的な考え・・・言ってしまえば偏見が書かれていると言ったら学者先生に怒られそうだが、私にはそうとしか思えない。

啓蒙書でも、重要なエッセンスが最初に書かれているとは限らないが、それでも言ってみれば、エッセンスは最初に書くものであり、そうでないなら、その本は良くないかもしれない。
ただ、小説の形で、思想や哲学を描いたものは別であり、また、小説であるのだから、著者は最後まで面白いことに気を配っているはずで、「クライマックス」という言葉があるように、最後の最後に重要なメッセージがある場合が多い。
H.G.ウェウズの『宇宙戦争』など、まさにその通りだ。
もっとも、ウェルズが最高の作家だと言うカート・ヴォネガットの傑作小説『母なる夜』は、最初に良いことが全部書かれているように思えるので面白い。

ただ、こう言うと「1冊買うのはもったいなくはないか」と思えるかもしれないが、それは全く逆で、エッセンスをしっかり掴んでこそ、本を買った意義があり、良い本はエッセンスに1冊分以上の価値があるのだ。
そして、エッセンスとは、著書が頭で考えたことではなく、著者が得た啓示であるはずなのだ。
人類屈指の偉人アリストテレスの著作の冒頭だけを読み、それで、アリストテレスの啓示的真理を掴めたら、これほど素晴らしいことはない。彼が頭で考えたことは、大半が間違っていることは、現代では分かっているが、内なる啓示は不滅なのであるから。
それを何度も読んで、覚えてしまえば良い。








一生食べていけ、一生女(男)に困らない秘訣

本の値打ちは、読む人次第だ。
どんなに優れた本でも、読む人が馬鹿なら、少しも良い本ではない。
ただ、本当のところ、一冊の中に、1~2行、素晴らしいことが書かれていれば良い本だ。
エマーソンの本のように、万遍なく良いことが書かれている本もあるが、それは特例中の特例であるし、それほど優れた本が役に立つのは、それなりに優れた人だけだ。
そして、それなりに良い本には、1~2行は素晴らしいことが書かれているから、そこを見つければ、その本を読んだ意味があったと言えるのだが、有り難いことに、大抵の場合は、読むべき価値のあることは最初の方に書かれているので、「ああ、これだな」と思ったら、後は読まなくて良い。
岡田虎二郎は、ルソーの『エミール』の前書きだけを読んで非常に感銘を受け、人生を変えたと言うが、実際、ルソーは、その前書きだけを書くつもりだったらしい。
『エミール』全体が良いかどうか分からないが、読むと憂鬱になるような気はする。

ところで私は、ジェームス・スキナーの『100%』という本は、12%から14%のところに書かれた、「たったひとつの原則」の最初の章である「◇こげばいいでしょう!こげば!」だけ読めば良いのだと思う。
だいたい、こんなことが書いてある。
自転車を5000kmこぐというクレージーなイベント「ツール・ド・ヨーロッパ」というものがある。
初日の夜には皮膚は焦げ、足はパンパンで、全員クタクタ。
3日目のスペインのアンダルシア地方では外気温は摂氏48度で、身体は塩を吹き、夜になっても、ホテルに到着する選手はいない。
そこで、1人の選手がつぶやく。
「こげばいいでしょう!こげば!」
それ以来、この言葉が選手全員の口癖になった。

「道を間違ってしまった。30km伸びまーす!」
「こげばいいでしょう!こげば!」

選手が転倒し、ろっ骨を折り、2週間安静の大怪我をした。
「こげばいいでしょう!こげば!」

「今晩のホテル、お湯は出ません」
「こげばいいでしょう!こげば」

そして、37日後、平均年齢43歳の選手達は全員がゴールした。
その後も、少し良いことが書いてあるので、興味を持ったら、読んでみると良い。

人間が成功するかどうかは、この「こげばいいでしょう!こげば!」で全て決まると言って良い。
「やるかやらないか」人生それだけで、後は運に任せるしかない。
運が悪ければ、次やれば良い。
10連敗くらいはあるかもしれないが、100連敗はない。
いや、101戦目で大勝利をするかもしれない。

美しく、すらりとした身体になりたければ、毎日、ヒンズースクワットをすれば良い。
1平方メートルの場所があれば良いだけで、道具は何もいらない。
部屋の中で出来るので、格好良いスポーツウェアを着る必要も、ナイキのシューズをはく必要も、髪形を決める必要もない。
続かないようなら、「スクワットすればいいでしょう!すれば!」と言えば良い。
それで3ヵ月後にはヒーロー、ヒロインだ。
プログラミングをマスターしたいなら、とりあえず写経(プログラムを書き写すことを、こう言うことがある)すれば良い。
「写経すればいいでしょう!すれば!」
である。
それで一生食べていける。
女の子にモテたいなら、女の子に親切にすれば良い。
「親切にすればいいでしょう!すれば」
99人にスルーされても、最高の1人が用意されている。
仏の恵みを得たいなら、『法華経』の『観音経』に書いてある通り、「南無観世音菩薩」と唱えれば良い。
「唱えればいいでしょう!唱えれば!」

最後に、このブログに毎日、素晴らしいコメントを沢山いただいていることに感謝する。
何とも素晴らしいコメントに感服することもあった。









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本は最初か最後の数ページを読めば良い

1980年代から1990年代にかけて、仙道(仙人になる修行法)ブームを起こした高藤聡一郎さんという人がいる。
一時的に流行になった本は、時が経てばすっかり忘れられてしまうのが普通だが、高藤さんの当時の本はいまだ出版されていて、古書も高値が付いているものが多く、今も根強い人気があるのだと思われる。
あれほど仙道や気功に関する詳細な本を沢山書いた人はいないので、この分野で他に代わるものもないのだから当然かもしれないが、携帯電話すらなかった時代に書かれた本でありながら、古臭さがないところもまた大したものであると思う。

私の書棚の中に、数年前に買った高藤さんの『驚異の超人気功法』(学研)という本がある。
写真付資料や具体的訓練法満載で実に面白い本であり、そのトレーニング方法も、そう難しくはなく、丁寧なイラスト付きで、その気になれば誰にでもできるようなものと思う。
ただ、面倒であり、よほど熱意のある人でないと、なかなかここに書かれた修行を長く続けられないと思う。
まして、ものぐさな人間であれば、見ただけで嫌になってしまうことだろう。
ところで、この本では、230ページくらいまでは(本文は240ページ位)、その様な、しんどそうな練習法がぎっしりと書かれている。
ところが、最後の最後に、ある韓国の超人僧が登場するのだが、この僧は、なんと、仙道の修行はほとんどしていないのに仙人のパワーを発揮する。
たまたま、この僧がちょっとしたことでスーパーパワーを見せたという人の話を聞き、著者の韓国の友人が調査に飛んでいき、修行法を教えてもらう。
この僧がやっているのは、いわゆるイメージトレーニングの一種で、瞑想中、巨岩を持ち上げたり、大木を引っこ抜く様子を思い描くというもので、それらは(この僧は)実際にできるようになり、今は、山を持ち上げることに挑んでいるという。

以前、この本を読んで、私が覚えているのは、この最後の部分だけであるが、必要なのは、そこだけである。
ただ、そこに至るまでの部分は、参考にしたり、それこそ、イメージを構築するのに役立つものだとは言えるかもしれない。
良い本には、このように、最後の最後とか、最初の数ページに本当に大事なことが書かれていることが大変に多い。
明治・大正の偉人で、今も信奉者が多い岡田虎二郎は、ルソーの『エミール』を読んで衝撃的な気付きを得たのだが、実を言うと、虎二郎が読んだのは、その前書きだけだったのである。
アリストテレスは、現代科学からいえば間違いも指摘できるかもしれないが、これほどの天才が二度と出ることはないだろう。
だが、彼の本は、最初に良いことが書かれているので、アリストテレスの研究者にでもなるのでなければ、難しい翻訳に苦しみながら(翻訳者達はわざと意味不明な文章を書いているとしか思えない)それ以降を読む必要はないと思う。
皆さんだって、小説の類は別と思うが、記憶に残っている本というのは、案外に、最初のところだけ読んだものだということも多いと思うのだ。

ところで、今、Amazonで見たら、『驚異の超人気功法』も、古書しかないが、やはり少々高い。
高藤さんの他の書でも参考になると思う。









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努力不要という言葉はいつも誤解される

岡田式静坐法で知られた、明治、大正の教育家、岡田虎二郎は、「努力、忍耐、克己の必要を全く感じない」と言ったらしい。
しかし、誰だい?こんなことを我々に教えたやつは。
岡田虎二郎は49歳で亡くなったが、死ぬ直前まで元気だったそうだ。
しかし、自分が死ぬことを知っていたのか、死の直前に、書いたものは全部燃やしたらしい。
文書だと、読んだ人が必ず誤解するからという理由と思う。
ところが、虎二郎の、そのような素晴らしい配慮を無視し、虎二郎の本を書いたり、虎二郎語録を作ったりする愚か者がいたということだ。
「努力、忍耐、克己の必要を全く感じない」なんて、いきなり言われたら、虎二郎が言ったように、普通の人は皆、大誤解をする。
しかし、それを本に書いた人は、人々が迷い、虎二郎の教えが誤解されることより、自己満足の方が大切だということなのだ。

虎二郎に意識を向ければ、虎二郎に通じてしまう人もいるかもしれず、そんな人には、虎二郎が言ったことの本当の意味が分かるのだろう。
だが、ほとんど全ての人はそうではないし、虎二郎のことを本に書くような人もそうなのだ。
努力は必要ないと言われると、普通の人は怠惰になれば良いのだと解釈する。
しかし、それでは「怠惰になる努力」だ。
怠惰なら怠惰で良いのだが、怠惰になってはいけないのだ。
ここらになると、普通の人にはもうチンプンカンプンなのだが、虎二郎の本を書いた人も、意味が分かって書いているのではないから、全然説明ができない。
努力ってのはだね、「何かになろう」とすることだ。
「怠惰になる」ってのも努力だ。
「今は年収200万円だが、いつか年収1000万円になる」ってのは努力の意思を感じさせる。
ところで、年収200万円と年収1000万円でどっちが偉いなんてこともない。
たまたまそうあるだけだ。
年収200万円の人が年収1000万円になろうってのも、年収1000万円の人が年収200万円になろうってのも、どっちも努力で、どっちも愚かなことだ。

私が岡田虎二郎について知っていることは、まず、そんな名前の人がいたらしいということだ。
そして、大勢の人達に尊敬されていたようだが、書いたものを、死ぬ前に全部燃やしたってこと。
それだけだ。
それだけで、虎二郎が優れた人であることが分かる。
以前は、私も、虎二郎について書かれた本を何冊も読み、いろいろ憶えていたが、全部忘れてしまった。
虎二郎について書かれた本の記憶は全て捨てたのだ。
それで、深刻な束縛から解放され、自由になったのである。

奥義ってのは、伝えようとして伝わるもんじゃない。
今は、名工とか、武道の達人といった道を究めた人がいないから分からないが、彼らは、いつも一緒にいる弟子や息子にさえ、本当に肝心なことは、どうやったって教えることは不可能なことを知っている。
だから、本当に優れた人、真理を知っている人、悟りを開いた人は皆、高弟達に、「自分で自分の道を見出しなさい」と言うのだ。
ただし、「自分で自分の道を見出しなさい」と言う相手は、相当なレベルの者たちだけだ。
普通の人達には、「あるだけのもので満足しなさい」と教えるのだ。
虎二郎の本を書いたのは、「自分で自分の道を見出しなさい」と言ってもらえなかった凡庸な者たちなのだろう。

虎二郎は、イソップ(童話)は薦めたらしい。アメリカで読んだのだろう。
教育については、小学生の時、ルソーの『エミール』の序文を読んで感銘を受け、生涯の方向を決めたという話もある。
しかし、エミールの誤りは、間接的に、クリシュナムリティが完全に解き明かし、修復していると思う。両方読むと参考になるかもしれない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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