前回に続き、今回は『老子』第5章の話をする。
これまでと同じく、『老子』第5章を一言で言うなら、
「自分を頼れ」
である。
自分が神なのだから、自分を頼らないといけない。
他の神を頼ろうとしてはならない。
他の神を頼ると、書かれているように、何をされるか分かったものではない。
他の神と協力するのは良いが、自分が神であることを知らなければならない。
『老子』を解釈する際、学者がやるように、隅々の意味を分かろうと思ってはならない。
知るべきことを知れば良い。
『老子』は、特に、各章の最後の方に、余計な言葉が入っていることがよくあると思う。
誰かが付け加えたのかもしれず、それによって、章全体の意味が眩(くら)まされることがあると思う。
もしかしたら、そんなことをしたのは、悪い宇宙人グループかもしれない。
いや、悪い宇宙人が直接、おかしな加筆をしたと言うのではなく、人間を操っておかしなことをさせたのだろう。それは今でも世界中で行われていることである。
引き寄せでは、金持ちになりたいなら、金持ちのフリをしなければならない。
身口意(行動、言葉、思い)の全てにおいてだ。
ただ、いつも言うが、本当の秘法は、「呼吸」「表情」「ポーズ」の3つで(例えば金持ちの)真似をすれば良い。特に重要なのが呼吸で、実際は呼吸だけで良い。
では、神であるには神のフリをすれば良いのかというと、その通りなのだが、それよりも、
「神でないフリをやめる」
ことが大切だ。
我々は、神でないフリをしているうちに、神であることを忘れた神だ。
その経緯は難しいので省くが、とにかく、そろそろ、神であることを思い出さないといけないだろう。
何度か、このブログで、エマーソンの『自己信頼』に、こんな話が引用されていることを取り上げた。
極めて有力な公爵が、自分が、そんな(力ある)公爵であることを忘れ、貧しい庶民だと思い込んでいた。
忘れたきっかけは何か分からないし、まあ、それが楽しかったのかもしれない。
しかし、自分が公爵であることを本当に忘れてしまったのだから困ったものである。
つまり、公爵が庶民のフリをしているうちに、自分が公爵であることを忘れたのである。
我々が、自分は神であるのに人間のフリをしているうちに、自分が神であることを忘れたのと同じである。
この公爵は、公爵のフリをするよりも、公爵でないフリ、庶民であるフリをやめないといけない。
我々も、神のフリをするよりも、神でないフリ、人間であるフリをやめないといけない。
そのために、自分が本当は誰なのかを思い出すために、「私は誰か?」と問うのである。
心は忘れていても、魂は憶えている。
本当は公爵である者が、「私は誰か?」と問い続ければ、魂が反応し、やがて、自分が公爵であることを思い出す。
これと同じなのだ。
我々は、神でないフリをやめるために「私は誰か?」と問い続ければ、やがて魂が反応し、自分が神であることを思い出すのである。
これまでと同じく、『老子』第5章を一言で言うなら、
「自分を頼れ」
である。
自分が神なのだから、自分を頼らないといけない。
他の神を頼ろうとしてはならない。
他の神を頼ると、書かれているように、何をされるか分かったものではない。
他の神と協力するのは良いが、自分が神であることを知らなければならない。
『老子』を解釈する際、学者がやるように、隅々の意味を分かろうと思ってはならない。
知るべきことを知れば良い。
『老子』は、特に、各章の最後の方に、余計な言葉が入っていることがよくあると思う。
誰かが付け加えたのかもしれず、それによって、章全体の意味が眩(くら)まされることがあると思う。
もしかしたら、そんなことをしたのは、悪い宇宙人グループかもしれない。
いや、悪い宇宙人が直接、おかしな加筆をしたと言うのではなく、人間を操っておかしなことをさせたのだろう。それは今でも世界中で行われていることである。
引き寄せでは、金持ちになりたいなら、金持ちのフリをしなければならない。
身口意(行動、言葉、思い)の全てにおいてだ。
ただ、いつも言うが、本当の秘法は、「呼吸」「表情」「ポーズ」の3つで(例えば金持ちの)真似をすれば良い。特に重要なのが呼吸で、実際は呼吸だけで良い。
では、神であるには神のフリをすれば良いのかというと、その通りなのだが、それよりも、
「神でないフリをやめる」
ことが大切だ。
我々は、神でないフリをしているうちに、神であることを忘れた神だ。
その経緯は難しいので省くが、とにかく、そろそろ、神であることを思い出さないといけないだろう。
何度か、このブログで、エマーソンの『自己信頼』に、こんな話が引用されていることを取り上げた。
極めて有力な公爵が、自分が、そんな(力ある)公爵であることを忘れ、貧しい庶民だと思い込んでいた。
忘れたきっかけは何か分からないし、まあ、それが楽しかったのかもしれない。
しかし、自分が公爵であることを本当に忘れてしまったのだから困ったものである。
つまり、公爵が庶民のフリをしているうちに、自分が公爵であることを忘れたのである。
我々が、自分は神であるのに人間のフリをしているうちに、自分が神であることを忘れたのと同じである。
この公爵は、公爵のフリをするよりも、公爵でないフリ、庶民であるフリをやめないといけない。
我々も、神のフリをするよりも、神でないフリ、人間であるフリをやめないといけない。
そのために、自分が本当は誰なのかを思い出すために、「私は誰か?」と問うのである。
心は忘れていても、魂は憶えている。
本当は公爵である者が、「私は誰か?」と問い続ければ、魂が反応し、やがて、自分が公爵であることを思い出す。
これと同じなのだ。
我々は、神でないフリをやめるために「私は誰か?」と問い続ければ、やがて魂が反応し、自分が神であることを思い出すのである。