バート・レイノルズというアメリカの大俳優がまだ駆け出しだった頃、既に大俳優だったクリント・イーストウッドに、「成功するまで何をしていたか?」と尋ねると、イーストウッドは「成功した時の準備をしていた」と答え、それを聞いてレイノルズは何かを悟って、成功への階段を駆け上った。
こんな話が、チン・ニンチュウの『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる』という本に書かれていたが、この本にも、この話の真意は書かれていなかった。
つまり、単に、「成功した時の準備をすることが大切だ」みたいなことしか書かれていなかったと思う。
私が知っていた、まるで駄目な男が、社長になりたいだの、素敵な彼女が欲しいだのと言っていたが、それを聞いて片腹痛く思ったのは、この駄目な男は、社長になった時の準備も、素晴らしい彼女が出来た時の準備も、全く出来ていないからだ。
そんなやつはよくいる。
また、マーク・フィッシャーの『成功の掟』という本に、ミリオネア(百万長者)を名乗る富豪が、成功を目指す主人公に、来年稼ぐ金額の目標を紙に書かせる場面があったが、主人公は今の日本の貨幣価値で500万円程度を書いたのかもしれない。すると、ミリオネアは「本当は5000万円と書いて欲しかったところだが・・・」みたいなことを言う。
それで、この本、駄目だと思うのだ。
問題は、この主人公に、年5000万円稼ぐ準備が出来ているかどうかだ。
では、成功した時、目標を達成した時の準備とは何だろう?
まさか、俳優の場合、サインの練習をするとか、インタビューのシミュレーションとかではあるまい(まあ、それらも必要だが)。
それは、「掟」だと思いつく人もいるかもしれない。
それはそれで正解だ。
「成功したら、これだけは絶対にする」
「成功したら、これだけは絶対にしない」
という掟・・・自分に対する約束、自己制約である。
大きな目標を達成する者で、掟を持っていない者はいない。
たとえサイコパスでデタラメな人間でも、大きな成功を収め、それを維持する者は、確固とした掟を持っている。
何の掟も持ちもせずに、社長になるだの素敵な彼女が欲しいだの言っている者を見ると、滑稽に見えるのである。
だが、掟は結果だ。
大切なものは、掟の元になる哲学だ。
それは自分で見つけるしかない。
『君たちはどう生きるか』って映画や『これからの「正義」の話をしよう』という本があるが、そんな、安易に答を教えてくれそうなものを相手にしてはならない。
『即死チートが最強すぎて異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。』というふざけたタイトルのアニメを見たが、なかなか面白かった。
主人公の男子は、子供の時から、世界を滅ぼすことも出来るほどの力を持っていた。
ところが、主人公が子供の時に、なりゆきで彼の教師になった若い平凡な女性が、主人公に言う。
「その力を好きに使えばいい。でも、誰かが言う、いかにも合理的なルールにだけは従ってはならない」
つまり、これも、自分の哲学を持てってことだ。
「弱い者いじめをしない」でも立派な哲学だ。いや、これ以上の哲学は、そうはない。
「言い訳をしない」もだ。
「言い訳をしない」について、少し述べる。
経済学者の成田悠輔氏が少し前「65歳以上は集団自決すればいい」と発言して炎上し、海外のメディアでも非難された。
しかし、彼は一切の言い訳をしなかった(問われたら説明はした)。
一方、日本保守党党首の百田尚樹氏は「30歳以上(の女性)は子宮摘出だ」と発言し、これも炎上して、同じように海外のメディアでも非難されたが、百田氏は言い訳をしまくった。
私は、どちらかというと、成田悠輔氏は嫌いだが、百田氏に比べると、立派で高潔に感じてしまった。
2人の発言は、「切り抜き」と言うならそうである。
だが、言い訳出来るような発言ではない。
おそらく、成田氏は、「65歳以上は集団自決すればいいと思っていますか?」と聞かれたら、否定はしないだろう。
それが最低限の器量と言うものだ。
だが、百田氏は「30歳以上は子宮摘出しなければならないか?」と聞かれたら、「いや、そんなことはない。あれはSFやと言ったやろ」とみっともなく言い訳をしまくるだろう。もしそうなら、最低の器量もないのだ。
よほどの馬鹿でない限り、成田氏の発言も百田氏の発言も、なんらかの条件がついた発言だということは想像出来るはずである。
だが、それを分かっている上で非難しているのである。
話が少し逸れたが、成田氏は哲学があるが、百田氏にはないという話だ。
おそらく、百田氏の方がいい人である気はするが、とてもではないが、政治家の器ではない。
哲学があるかどうかは、自分を信頼しているかどうかの問題でもある。
エマーソンは子供の時、「僕が悪魔なら、悪魔になりきる」と言ったらしい。これは、自分を信頼していなければ言えない言葉だ。
少し説明すると、エマーソンの考えは、世間で言う正しいこととは外れているように見え、それを牧師に指摘されたが、エマーソンは自分の考えが正しいように思えた。もし、その考え方が悪魔のものであるなら、自分は悪魔に徹するという意味だ。
まあ、人の哲学も、従わないまでも参考にすると良いだろう。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる(チン・ニンチュウ)
(2)自己信頼(ラルフ・ウォルドー・エマソン)
(3)パンセI (中公クラシックス)(パスカル)
(4)即死チートが最強すぎて 異世界の奴らがまるで相手にならないんですが。※Amazon Prime Video
AIアート1354
「疑わない」
Kay
こんな話が、チン・ニンチュウの『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる』という本に書かれていたが、この本にも、この話の真意は書かれていなかった。
つまり、単に、「成功した時の準備をすることが大切だ」みたいなことしか書かれていなかったと思う。
私が知っていた、まるで駄目な男が、社長になりたいだの、素敵な彼女が欲しいだのと言っていたが、それを聞いて片腹痛く思ったのは、この駄目な男は、社長になった時の準備も、素晴らしい彼女が出来た時の準備も、全く出来ていないからだ。
そんなやつはよくいる。
また、マーク・フィッシャーの『成功の掟』という本に、ミリオネア(百万長者)を名乗る富豪が、成功を目指す主人公に、来年稼ぐ金額の目標を紙に書かせる場面があったが、主人公は今の日本の貨幣価値で500万円程度を書いたのかもしれない。すると、ミリオネアは「本当は5000万円と書いて欲しかったところだが・・・」みたいなことを言う。
それで、この本、駄目だと思うのだ。
問題は、この主人公に、年5000万円稼ぐ準備が出来ているかどうかだ。
では、成功した時、目標を達成した時の準備とは何だろう?
まさか、俳優の場合、サインの練習をするとか、インタビューのシミュレーションとかではあるまい(まあ、それらも必要だが)。
それは、「掟」だと思いつく人もいるかもしれない。
それはそれで正解だ。
「成功したら、これだけは絶対にする」
「成功したら、これだけは絶対にしない」
という掟・・・自分に対する約束、自己制約である。
大きな目標を達成する者で、掟を持っていない者はいない。
たとえサイコパスでデタラメな人間でも、大きな成功を収め、それを維持する者は、確固とした掟を持っている。
何の掟も持ちもせずに、社長になるだの素敵な彼女が欲しいだの言っている者を見ると、滑稽に見えるのである。
だが、掟は結果だ。
大切なものは、掟の元になる哲学だ。
それは自分で見つけるしかない。
『君たちはどう生きるか』って映画や『これからの「正義」の話をしよう』という本があるが、そんな、安易に答を教えてくれそうなものを相手にしてはならない。
『即死チートが最強すぎて異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。』というふざけたタイトルのアニメを見たが、なかなか面白かった。
主人公の男子は、子供の時から、世界を滅ぼすことも出来るほどの力を持っていた。
ところが、主人公が子供の時に、なりゆきで彼の教師になった若い平凡な女性が、主人公に言う。
「その力を好きに使えばいい。でも、誰かが言う、いかにも合理的なルールにだけは従ってはならない」
つまり、これも、自分の哲学を持てってことだ。
「弱い者いじめをしない」でも立派な哲学だ。いや、これ以上の哲学は、そうはない。
「言い訳をしない」もだ。
「言い訳をしない」について、少し述べる。
経済学者の成田悠輔氏が少し前「65歳以上は集団自決すればいい」と発言して炎上し、海外のメディアでも非難された。
しかし、彼は一切の言い訳をしなかった(問われたら説明はした)。
一方、日本保守党党首の百田尚樹氏は「30歳以上(の女性)は子宮摘出だ」と発言し、これも炎上して、同じように海外のメディアでも非難されたが、百田氏は言い訳をしまくった。
私は、どちらかというと、成田悠輔氏は嫌いだが、百田氏に比べると、立派で高潔に感じてしまった。
2人の発言は、「切り抜き」と言うならそうである。
だが、言い訳出来るような発言ではない。
おそらく、成田氏は、「65歳以上は集団自決すればいいと思っていますか?」と聞かれたら、否定はしないだろう。
それが最低限の器量と言うものだ。
だが、百田氏は「30歳以上は子宮摘出しなければならないか?」と聞かれたら、「いや、そんなことはない。あれはSFやと言ったやろ」とみっともなく言い訳をしまくるだろう。もしそうなら、最低の器量もないのだ。
よほどの馬鹿でない限り、成田氏の発言も百田氏の発言も、なんらかの条件がついた発言だということは想像出来るはずである。
だが、それを分かっている上で非難しているのである。
話が少し逸れたが、成田氏は哲学があるが、百田氏にはないという話だ。
おそらく、百田氏の方がいい人である気はするが、とてもではないが、政治家の器ではない。
哲学があるかどうかは、自分を信頼しているかどうかの問題でもある。
エマーソンは子供の時、「僕が悪魔なら、悪魔になりきる」と言ったらしい。これは、自分を信頼していなければ言えない言葉だ。
少し説明すると、エマーソンの考えは、世間で言う正しいこととは外れているように見え、それを牧師に指摘されたが、エマーソンは自分の考えが正しいように思えた。もし、その考え方が悪魔のものであるなら、自分は悪魔に徹するという意味だ。
まあ、人の哲学も、従わないまでも参考にすると良いだろう。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる(チン・ニンチュウ)
(2)自己信頼(ラルフ・ウォルドー・エマソン)
(3)パンセI (中公クラシックス)(パスカル)
(4)即死チートが最強すぎて 異世界の奴らがまるで相手にならないんですが。※Amazon Prime Video
AIアート1354
「疑わない」
Kay