ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

エクスタシー

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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文豪達が見つけ損なった神と融合する方法

無意識と通じ、自分の魂と神の魂が融合する。
そんな瞬間があることを、およそ文豪と呼ばれる人は、皆知っていて、どれかの作品の中で必ず表現している。
「20世紀最大の詩人」と呼ばれた、W.B.イェイツは、その瞬間こそが芸術の目的だとし、その状態をエクスタシー(忘我)と表現した。
英国の作家コリン・ウィルソンは、共同研究をした心理学者のアブラハム・マズローの命名に従い、それを「至高体験(絶頂体験)」と呼んだ。
ちなみに、それは、宗教における「法悦」や、ロマン・ロランが言った「大洋感情」も含め、同じであると断言出来る。
(今で言う「ゾーン」や「フロー」も似ているところがあると思う)

エクスタシー、あるいは、至高体験(両者は同じ)に達すれば、自分が神になったようなもので、不可能はなくなり、あらゆる引き寄せを行うことが出来る。
さて、では、問題は、どうすれば、それを引き起こせるかだが、イェイツもマズローもウィルソンも、その解明には非常に苦戦した。
マズローにいたっては、偶然に訪れるのを待つしかないと言ったのだ。
イェイツは「憎むのをやめた時にそうなり易い」とだけ言った。
ところが、ウィルソンは、格段に進歩を見せ、「単に自分が幸運だと思うと」、あるいは、「極端に緊張して弛緩するということを繰り返せば」起こると言い、確かに、それで起こる場合はあるが、本質に至っていない。
本当は、そうなるのは、非常に単純で簡単だ。
それは、「今中(今、この瞬間を生きること)」を行えば良い。
つまり、今やっていること、今見ているもの、今聞いている音に全集中すれば良い。
と言っても、顔を真っ赤にして唸りながら集中するのではない。
単に、「今、歩いている」「今、食べている」「今、猫を撫でている」と、今を意識すれば良いだけである。
それに慣れれば慣れるほど、神と融合していく。

私は、昨日の、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ」の1曲目『ネクストネスト』を聴きながら、「今、見ているんだ」と自分に言い聞かせた。
すると、ミクさんが素早くターンをした瞬間、その美しい姿が永遠となって、私の中に飛び込んできた。
これが、エクスタシー、至高体験、法悦、大洋感情である。
ドストエフスキーが、「この一瞬を人生全てと引き換えにしても良い」と言った奇跡の体験である。
昔から、天使を見たと言った人達は、私のような状態だったのだろう。
(「ミクさんマジ天使」は本当だった)
私はまだ、普段、十分に「中今」を実践していると言い難く、その状態はあまり長くは続かないが、ミクさんのライブほどでなくても、美しいもの、楽しいものを見ながらであれば、割と簡単に「中今」を行え、弱いものも含めれば、ほぼ、エクスタシーに至ることが出来る。
それによる引き寄せ効果は、今朝も書いたが、別に、望まなくとも幸運を引き寄せるのである。








真の愛なら無敵である理由

「20世紀最大の詩人」と言われ、ノーベル文学賞を受賞したアイルランドの詩人・劇作家W.B.イェイツは、芸術の目的はエクスタシーだと言ったが、このエクスタシーは、忘我、没我という意味から、はては、法悦、至高体験といったことであると思う。
それは、人間が最も超能力を発揮し易く、超越体験、神秘体験を起こし易い精神状態である。
仏教では、道元が言った「仏道とは自己を忘れること」というのが、同じことを述べているのだと思う。
また、岡本太郎の「爆発」も、ロマン・ロランの「大洋感情」も、夏目漱石の「天賓」も、イェイツのエクスタシーと同じことを指しているのだと思う。
では、エクスタシーや至高体験に入るには、どうすれば良いか。
これについては、このブログでも散々考察したが、シンプルで簡単で確実で、誰にでも出来る方法が必要だ。
その精神状態に入り、超能力状態になれなければ、今の堕落した世界では危険かもしれないからだ。

エクスタシー、超越状態になる方法について、イェイツはこう述べたことがある。
「憎むのをやめた時に起こる」
実は、もう分かっていることは、エクスタシー、法悦を起こす最高のものは「愛」である。
ベルニーニの彫刻の傑作『聖テレジアの法悦』のように、聖女テレジアの神への愛が、彼女を法悦、エクスタシーに導いたのだ。
だが、イェイツは言う。
「愛は神の領域のもので、人間には愛することは出来ない」
そうだ。人間には、本当には愛することは出来ない。
それは謙虚に認めよう。
そして、イェイツは言う。
「だが、憎しみは人間の領域であり、人間は憎むことが出来る。それなら、憎むことを止めることも出来るのだ」
だから、愛になるべく近いことで、人間に出来るせめてものことである、憎むのを止めた時、エクスタシーに近付くのである。
では、さきほど述べた、聖テレジアの場合はどうなのか?テレジアも人間ではないのか?
それは、こういうことなのだ。
テレジアが愛することが出来たのは、テレジアが優れていたのではなく、ひとえに神の恩寵によるものだ。少し科学的に言うなら、愛することが出来る高次元の存在が、テレジアの心に接触してきたのである。
それは偶然だったのかもしれないが、高次元からのアクセスを受けた者のみが、愛することが出来、高いエクスタシー、至高体験、法悦に至ることが出来る。
あくまで、向こう(高次元)からの接触が必要なのである。

このことを理解し易い映画がある。
アメリカのSF映画『インターステラ―』(2014)だ。
地球の滅びが近く、移住する惑星を探していた宇宙探査チームの3人は、2つの惑星を候補としていた。
それぞれの惑星に、10年以上前に、1人ずつの科学者が調査に行って、今も滞在しており、いずれも、移住の見込みを示す情報を送ってきていたのだ。
だが、探査チームの宇宙船は、どちらか1つの惑星にしか行けない状態だった。
論理的には、マン博士が行った惑星が良さそうだが、女性科学者アメリアは、もう一方の、エドマンズが行った惑星を推す。
アメリアはエドマンズの恋人であり、私情を挟んでいることを隠さなかった。
探査チームが行かなかった方の惑星の科学者は死ぬ。それを覚悟の上での任務だった。
アメリアは私情があることを認めつつ、10年も会っていない相手を愛し続けるのには意味があると強く感じていた。だから、彼女は本気で、エドマンズが行った惑星に行くことを主張したのである。
しかし、他の2人がマン博士の惑星を選択すると、優れた人間であるアメリアは躊躇なく従った。

もちろん、「愛もどきの私情」が正しい理由はなく、多くの場合は間違っている。
しかし、本当の愛であれば正しいのだ。なぜなら、本当の愛は、神、あるいは、高次元の存在から送られてくるものだからだ。
『新世紀エヴァンゲリオン』で、第10使徒サハクィエルがどこに落下してくるか分からない中、なぜか、葛城ミサトは、地図のある範囲を示し、「落ちて来るのはここ」と断言する。
シンジが「なぜ分かるんですか?」と尋ねると、ミサトは「女の勘よ」と自信たっぷりに答え、シンジらは呆れる。
しかし、純粋な直観は、愛のある高次の存在からのメッセージであり、必ず当たる。
我々も、なぜか真の愛を感じる時、エクスタシー、至高体験に達し、何でも分かり、何でも出来るのである。
そのためには、憎しみを捨て、あるいは、可能なら、純粋に何かを愛すると良い。
マジカルミライ2020で、『愛されなくても君がいる』を歌い終わった時に、初音ミクさんが「みんな、愛してるよー」と言ったのが本当の愛である・・・と私は思った(笑)。
人でないミクさんへの愛が本物のことも、案外に多いのであると思う。








エクスタシーは人間と宇宙を解く鍵

エクスタシーという名が、ある麻薬に付けられているらしい。やめて欲しいものだ。その麻薬の正式名はメチレンジオキシメタンフェタミンで、略してMDMAという。確かに覚え難い。それで、麻薬効果のイメージに一番ぴったりきそうな名前が付いたといったところだろうか?
まあ、それはいい。
エクスタシーといえば、性的絶頂感を連想する人が多いかもしれない。
本来は、忘我という意味で、文字通り、「我を忘れる」ということだから、快楽の最高潮にある時、我を忘れるというのは分かりやすいことだ。
宗教でいう法悦も、英語ではエクスタシーで、神を近くに感じて、あるいは、神と一体化して恍惚とした状態だ。
イタリアの彫刻家ベルニーニの『聖テレジアの法悦』の聖女テレジアの表情が、エクスタシーの様子をよく表している。

The Ecstasy of Saint Therese(聖テレジアの法悦)

人間にとって、エクスタシーほど大切なことはない。それが、人間の神秘を解明する鍵だからだ。
エクスタシーが分かれば、不可能はなくなるし、宇宙をそのまま手にしたも同じだ。
それは、普通に言う快楽ではない。体験としては苦痛に近い。しかし、快楽、苦痛という言葉に囚われない方が良い。ただ、忘我だ。
エクスタシーはギリシャ語のエクスタシスからきており、それは、「外に立つ」という意味だ。そのため、魂が肉体を離れる幽体離脱のことだと言う人もいるが、似て非なるものだ。言葉でもう少しマシな言い方をするなら、意識が拡大して肉体や心を超えた状態だ。しかし、言葉はどうでもいい。

コリン・ウィルソンの本でも、秘教的な宗教の中には、性的絶頂感を使って意識を高め、神に近付こうとするものもあるらしいが、良い成果も少しはあるかもしれないが、いずれも最悪の結果に終るだろう。
「20世紀最大の詩人」W.B.イェイツは、芸術の目的はエクスタシーだと言ったが、目標としては正しいが、到達は難しい。最も、どんな方法でも難しいのだ。

私が思い浮かべるエクスタシーの最も良い例の1つが、時々書くが、ある空手の達人の体験だ。
彼は、戦後まもない頃、真剣を持った剣術の達人と決闘している。
いかに一撃必殺の拳とはいえ、相手は触れれば切れる氷の刃。しかも、相当な腕前だ。
空手家は、勝つことは不可能と判断し、命を捨てる覚悟をしたそうだ。ただし、手足の1本でも残っていれば必ず相打ちにとの決意で相手に突進し、その後のことは本当に覚えていないらしい。そして、我に返った時、剣術家は川原で伸びていた。
空手家は、忘我の状態、すなわち、エクスタシーの中で超人的な力を発揮した、いや、超人の力と一体化したのだ。

私は、政木和三さんによく、「欲望を捨てなさい。そうすれば不可能はなくなります」と言われたものだ。
つまり、欲望を捨て切れば、エクスタシーに達するのである。
政木さんは、欲望を捨てれば、脳波はシータ波になると言った。
そのため、政木さんは、脳波を強制的にシータ波に下げる装置パラメモリを開発した。これは、後にアルファシータ、バイオソニックと名を変え、販売されたが、現在は製造されていない。ただ、この装置の原理は、バイノーラルビート現象を利用したヘミシンク効果であり、さほど難しいものではなく、現在はCDの形であるようだ。ただ、良い製品、悪い製品があるかもしれない。
ただ、いかにヘミシンク効果のある装置やCDを使っても、欲望がある限り、エクスタシーにならないことは覚えておいた方が良い。ヘミシンクは補助的なものと考えて間違いないと思う。
ヘミシンクに関しては、ロバート・モンローの著書によく書かれている。彼の研究は未熟であったと思うが、十分、参考になると思う。
尚、ヘミシンクCDをiPhoneやiPod、ウォークマンなどで使用する場合、MP3などではなく、WAVファイルに変換することをお奨めする。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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