「芸術家は生きているうちは評価されない」と言われることもあるが、別にそんなことはない。ただ、そんな者もいるということである。
ゴッホのように、現代ではその作品の価値は天井なしと言われながら、生前は1枚も売れなかった(予約は1枚あったようだ)という特異な例があるので、それがまるで一般論となるほどインパクトがあるのだろう。
しかし、ピカソやウォーホールやダリは富豪だった。
ゴッホと同じ37歳で死んだ宮沢賢治も、生前は作品が知られることはほとんどなかった。受け取った唯一の原稿料は、『雪渡り』という短い童話による5円だけで、それは、せいぜいが今日の5万円位であったと思われる(小学校教師の初任給が15円位の時代であった)。
ところで、私は、ゴッホも宮沢賢治も、円満な人格者であったとは思っていない。
ひょっとしたら、身近にいる人にとっては、扱い難い嫌な人間であった可能性もあると思う。
その驚くべき才能とは関係なく、あまり幸福でなかった生涯というのは、彼等自身が創ったのかもしれない。
豊かで平安な人生が送れるかどうかというのは、才能や能力や努力や働いた量とはあまり関係がない。
アンデルセンは、いかに著作権収入がなかった時代とはいえ、あれほどの有名人で、死んだら国葬にされるほど尊敬されていながら、豊かではなかった。
宮沢賢治もアンデルセンもゴッホも、あるいは、ニュートンやルイス・キャロルも、生涯、結婚することはなく、純粋な人間としての友人も恋人もいなかった。それは、彼らの人間的な欠点と言っても良いのだろうが、彼らは心に深い影を持っていたのだ。
しかし、本当は彼らだって、幸福になれたと思うのだ。
ゴッホはピストル自殺をして、息を引き取る直前に真理に目覚めて満足して死んだと思われることもあるが、もっと早く気付いて、気楽で楽しい生涯を送っても良かった。それで画家としての才能が発揮されない訳ではなかったと思う。
宮沢賢治は、実家が豊かな古着屋だったので、物質的に何不自由のない生活を送れたが、その家業をどうしようもなく嫌っていた。また、法華経を読んで深く感激したのは良いが、父親にまで浄土系宗派から日蓮宗への改宗を迫ったのは、やり過ぎというか、心の狭さや歪みと言うしかないかもしれない。
上に名を挙げた、アンデルセンやニュートンらも、やはり、人間的な問題はあったのだが、彼らは、幼い頃や若い時の経験により、人を深く憎んでいた部分は確かにあったのだろうと思う。
つまり、そこに人生の幸不幸の原因がある。
そうは言っても、憎い人を許せとか、まして、愛せよなどと言う気はない。
イエスはそんなことを一応言ったが、それは、当時の人々の慣習や宗教を考えれば、そう言うしかなかったのではないかと思う。
ただ、こう考えれば良いのである。
アンデルセンは、子供の頃、他の子供達に酷い目に遭わされたし、ニュートンも同じだったと思う。
宮沢賢治は、家業が嫌いと言うよりは、父親を嫌っていたのかもしれない。ゴッホも社会をすねていたし、同じ売れない画家であった、セザンヌやモネ達に無視されて辛い目に遭ったこともある。
だからと言って、恨んではいけないのだ。なぜなら、自分を嫌な目に遭わせた連中というのは、そうするより他になかったからだ。
私は、1964年6月25日に放送されたという、アニメ『エイトマン』の第34話『決闘』は、実に素晴らしい名作で、全国民が見ておくべきと思うほどなのである。
私はこれのDVDを保有し、定期的に見ているのである。この第34話は原作にはないお話だが、原作者の素晴らしいSF作家である平井和正さん自身が脚本を書いている。
エイトマンというスーパーロボットは、谷という天才的な日本人(あるいは日系)科学者がアメリカ(アニメではアマルコという架空の国にしているが、明らかにアメリカのこと)の軍事研究所で造ったが、彼は、エイトマンを軍事兵器にしたくなかったので、エイトマンを持ち出し日本に亡命する。アメリカに残された谷博士の妻子はそのために辛い目に遭い、息子ケンは父親に復讐することを誓う。そしてケンは、生体実験に志願してスーパーロボットに生まれ変わり、日本にやってきて、エイトマンと決闘する。
対決が避けられないと悟ったエイトマンは自分が滅びてケンを救おうとするが、谷は迷った末に、エイトマンに戦うことを命じ、ケンは倒れる。
死に行く息子ケンに、谷博士が言う。
「許してくれ息子よ。こうするしかなかったのだ」
すると、虫の息のケンも言う。
「僕もだよ、パパ。こうするしかなかった。苦しかったよ」
平井和正さんは、人間や人生をよく知る作家だ(75歳の現役作家である)。
戦争中に青春時代を過ごし、世界の悲惨や不条理を嫌と言うほど見たようだ。ほんの1つの小さな例でしかないが、彼が中学生の時、クラスメイトの1人の女子が学校に来なくなったと思ったら、ある日、毒々しい化粧をして米兵の腕にぶら下がっているのを見る。もし、彼が、その女子生徒に好意でも持っていたのだとしたら、多感な年頃のことであり、悲劇的と言えることかもしれない。
だが、平井和正さんは、心に影を背負いながらも、愛を出すことができたのだと思う。
彼は、作家として、宮沢賢治や太宰治や、あるいは、三島由紀夫のように、何か、あるいは、誰かを恨み続け、押し潰されることはなかったのだと思う。
我々も、人や出来事を恨んではならないのだ。
あなたを酷い目に遭わせた人は必ずいるはずだ。彼を赦せとか、愛せというつもりは毛頭ない。そんなことは不可能だ。
しかし、彼(あるいは彼女)は、そうするより他になかったのだ。
谷博士とケンの最後の会話をよく味わうべきである。
人は自分の意志で自由に何かをできる訳ではない。ただ神が決めた通りに考え、行為するのである。
すると決まってしまっていることはすることを避けられない。釈迦は言ったのだ。「行為はあっても、行為者はいない」と。
しかし我々の本質は、天(アマ)である吾(ア)なのである。
自分を吾(ア)と呼び、少なくとも、まずは吾(われ)と呼び、「吾は誰か?」と問い続けなければならない。
常に、自分に「吾」と言い続け、自分に帰り続けなければならない。
そうすれば、心は純粋になり、憎むことも恨むことも妬むこともなくなる。後悔も自己嫌悪も無用である。
それができない人を憐れみ、五井昌久という本当に聖者であった宗教家は、「世界平和の祈り」というものを創ったので、それに頼っても良いと思う。
あなたは才能のあるなしに関わらず、悲惨であってはならず、平和でなければならないのだ。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
ゴッホのように、現代ではその作品の価値は天井なしと言われながら、生前は1枚も売れなかった(予約は1枚あったようだ)という特異な例があるので、それがまるで一般論となるほどインパクトがあるのだろう。
しかし、ピカソやウォーホールやダリは富豪だった。
ゴッホと同じ37歳で死んだ宮沢賢治も、生前は作品が知られることはほとんどなかった。受け取った唯一の原稿料は、『雪渡り』という短い童話による5円だけで、それは、せいぜいが今日の5万円位であったと思われる(小学校教師の初任給が15円位の時代であった)。
ところで、私は、ゴッホも宮沢賢治も、円満な人格者であったとは思っていない。
ひょっとしたら、身近にいる人にとっては、扱い難い嫌な人間であった可能性もあると思う。
その驚くべき才能とは関係なく、あまり幸福でなかった生涯というのは、彼等自身が創ったのかもしれない。
豊かで平安な人生が送れるかどうかというのは、才能や能力や努力や働いた量とはあまり関係がない。
アンデルセンは、いかに著作権収入がなかった時代とはいえ、あれほどの有名人で、死んだら国葬にされるほど尊敬されていながら、豊かではなかった。
宮沢賢治もアンデルセンもゴッホも、あるいは、ニュートンやルイス・キャロルも、生涯、結婚することはなく、純粋な人間としての友人も恋人もいなかった。それは、彼らの人間的な欠点と言っても良いのだろうが、彼らは心に深い影を持っていたのだ。
しかし、本当は彼らだって、幸福になれたと思うのだ。
ゴッホはピストル自殺をして、息を引き取る直前に真理に目覚めて満足して死んだと思われることもあるが、もっと早く気付いて、気楽で楽しい生涯を送っても良かった。それで画家としての才能が発揮されない訳ではなかったと思う。
宮沢賢治は、実家が豊かな古着屋だったので、物質的に何不自由のない生活を送れたが、その家業をどうしようもなく嫌っていた。また、法華経を読んで深く感激したのは良いが、父親にまで浄土系宗派から日蓮宗への改宗を迫ったのは、やり過ぎというか、心の狭さや歪みと言うしかないかもしれない。
上に名を挙げた、アンデルセンやニュートンらも、やはり、人間的な問題はあったのだが、彼らは、幼い頃や若い時の経験により、人を深く憎んでいた部分は確かにあったのだろうと思う。
つまり、そこに人生の幸不幸の原因がある。
そうは言っても、憎い人を許せとか、まして、愛せよなどと言う気はない。
イエスはそんなことを一応言ったが、それは、当時の人々の慣習や宗教を考えれば、そう言うしかなかったのではないかと思う。
ただ、こう考えれば良いのである。
アンデルセンは、子供の頃、他の子供達に酷い目に遭わされたし、ニュートンも同じだったと思う。
宮沢賢治は、家業が嫌いと言うよりは、父親を嫌っていたのかもしれない。ゴッホも社会をすねていたし、同じ売れない画家であった、セザンヌやモネ達に無視されて辛い目に遭ったこともある。
だからと言って、恨んではいけないのだ。なぜなら、自分を嫌な目に遭わせた連中というのは、そうするより他になかったからだ。
私は、1964年6月25日に放送されたという、アニメ『エイトマン』の第34話『決闘』は、実に素晴らしい名作で、全国民が見ておくべきと思うほどなのである。
私はこれのDVDを保有し、定期的に見ているのである。この第34話は原作にはないお話だが、原作者の素晴らしいSF作家である平井和正さん自身が脚本を書いている。
エイトマンというスーパーロボットは、谷という天才的な日本人(あるいは日系)科学者がアメリカ(アニメではアマルコという架空の国にしているが、明らかにアメリカのこと)の軍事研究所で造ったが、彼は、エイトマンを軍事兵器にしたくなかったので、エイトマンを持ち出し日本に亡命する。アメリカに残された谷博士の妻子はそのために辛い目に遭い、息子ケンは父親に復讐することを誓う。そしてケンは、生体実験に志願してスーパーロボットに生まれ変わり、日本にやってきて、エイトマンと決闘する。
対決が避けられないと悟ったエイトマンは自分が滅びてケンを救おうとするが、谷は迷った末に、エイトマンに戦うことを命じ、ケンは倒れる。
死に行く息子ケンに、谷博士が言う。
「許してくれ息子よ。こうするしかなかったのだ」
すると、虫の息のケンも言う。
「僕もだよ、パパ。こうするしかなかった。苦しかったよ」
平井和正さんは、人間や人生をよく知る作家だ(75歳の現役作家である)。
戦争中に青春時代を過ごし、世界の悲惨や不条理を嫌と言うほど見たようだ。ほんの1つの小さな例でしかないが、彼が中学生の時、クラスメイトの1人の女子が学校に来なくなったと思ったら、ある日、毒々しい化粧をして米兵の腕にぶら下がっているのを見る。もし、彼が、その女子生徒に好意でも持っていたのだとしたら、多感な年頃のことであり、悲劇的と言えることかもしれない。
だが、平井和正さんは、心に影を背負いながらも、愛を出すことができたのだと思う。
彼は、作家として、宮沢賢治や太宰治や、あるいは、三島由紀夫のように、何か、あるいは、誰かを恨み続け、押し潰されることはなかったのだと思う。
我々も、人や出来事を恨んではならないのだ。
あなたを酷い目に遭わせた人は必ずいるはずだ。彼を赦せとか、愛せというつもりは毛頭ない。そんなことは不可能だ。
しかし、彼(あるいは彼女)は、そうするより他になかったのだ。
谷博士とケンの最後の会話をよく味わうべきである。
人は自分の意志で自由に何かをできる訳ではない。ただ神が決めた通りに考え、行為するのである。
すると決まってしまっていることはすることを避けられない。釈迦は言ったのだ。「行為はあっても、行為者はいない」と。
しかし我々の本質は、天(アマ)である吾(ア)なのである。
自分を吾(ア)と呼び、少なくとも、まずは吾(われ)と呼び、「吾は誰か?」と問い続けなければならない。
常に、自分に「吾」と言い続け、自分に帰り続けなければならない。
そうすれば、心は純粋になり、憎むことも恨むことも妬むこともなくなる。後悔も自己嫌悪も無用である。
それができない人を憐れみ、五井昌久という本当に聖者であった宗教家は、「世界平和の祈り」というものを創ったので、それに頼っても良いと思う。
あなたは才能のあるなしに関わらず、悲惨であってはならず、平和でなければならないのだ。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
