『ウルトラマン』は、1966年の初代作品以来、後継シリーズや映画が作り続けられ、日本人で知らない人はいないと思われる。
ところで、男性の中に、ウルトラマンに対し、性的興奮を感じる人がいるらしい。
どうしてそうなったのかと言うとこうだ。
そんな人というのは、子供の時にウルトラマンを初めて見た時、ウルトラマンが全裸だと感じたのだが、男性器が付いていないことから女性だと認識してしまったようだ。
そして、ウルトラマンシリーズの何かの作品で、ウルトラマンが縛られた状態で、鞭のような物で叩かれ、ウルトラマンに表情はないながら、ウルトラマンが声を上げながら身をよじらせるのを見て、SM的なものを感じたようなのだ。
他にも、ウルトラマンが攻撃を受ける姿には、エロい目で見ようと思えば見れなくもないものが結構多いかもしれない。
それでウルトラマンに性的興奮を感じるのだが、それは一種の倒錯とか逸脱で、精神に予想出来ない悪影響を与えている場合があるかもしれない。
これは岡田斗司夫さんの独断かもしれないが、こんな話がある。
彼はある大学の客員教授をしていたのだが、女子学生の中に、女の子が大好きで、かといって自分はレズビアンでもないので悩んでいるという人がやたら多いと言う。
その原因に、2004年から始まるテレビアニメであるプリキュアシリーズの影響があるという論だ。
岡田さんが言うには、特に最初の頃のプリキュア作品だと思うが、表向きには子供向け作品として作られていても、制作スタッフはガチのロリコンで、その美少女に対する情熱みたいなものは隠しきれるものではなく、このアニメを見た幼い女の子達に、性的刺激を与えてしまったというものだ。
それで言えば、『美少女戦士セーラームーン』や『カードキャプターさくら』などは、もっとそんなことがありそうに思う。
世界的画家の横尾忠則さんが、十代の時に好きだったものを大事にしろと言ったのは、若い時や幼い時に心に受けた影響は大きいということだろうが、それは良い場合も悪い場合もあるのだろう。
ひょっとしたら、ウルトラマンで性的興奮を感じたり、プリキュアで少女の美を感じた女性が芸術家になるかもしれない。
ところで私は、プリキュアの初代シリーズ『ふたりはプリキュア』を素晴らしい作品と認識しつつ、このプリキュアが反逆者に思えているのだ。
それは、オープニングアニメの中で、キュアブラックが必死の表情で、倒れたキュアホワイトの手を掴んで起こそうとしているのだが、ホワイトの表情はやや朦朧としていることからきている。
2人はかなりボロボロの様子で、私には、ここから形勢逆転出来る、つまり、この2人が勝利することはとても考えられず、2人がやっと立ち上がった直後、敵の集中砲火を浴びてあっさり戦死というシーンが浮かんでしまう。
そして、そんな目に遭ってしまうのは、ごく少数の反逆者であるというイメージが強い。
また、このシーンでのオープニング曲の軽快で明るい歌声が、何かこの2人を馬鹿にしている感じがして、ますますこの2人が愚かな反逆者だと感じるのである。
さらに、アニメの中でのキュアホワイトこと雪城ほのかは、私には非常に好ましい女性像と感じるので、そのオープニングのシーンの彼女に、悲劇のヒーローのイメージを心の中で確立してしまい、それが度々表に出てきて、精神不安定になるのだ。
あなたにだって、心を不安定にさせてしまう何かが心の中にあるはずであり、それがあなたの人生を歪めてしまっているのである。
それを取り除くと、自分が自分でなくなるという不安があるかもしれないが、やはり取り除かないといけない。
それには、心にある一切は、良いと感じるもの悪いと感じるものも全て幻想で、ある意味、ゴミであると分からなければならない。
ラマナ・マハルシが教えたことも、そんなことであると思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ふたりはプリキュア(1)(上北ふたご、東堂いづみ)
(2)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻
(3)共同幻想論(吉本隆明)
(4)幻想の未来(筒井康隆)
(5)幻想の未来/文化への不満(フロイト)

AIアート2309
「共生」
Kay
ところで、男性の中に、ウルトラマンに対し、性的興奮を感じる人がいるらしい。
どうしてそうなったのかと言うとこうだ。
そんな人というのは、子供の時にウルトラマンを初めて見た時、ウルトラマンが全裸だと感じたのだが、男性器が付いていないことから女性だと認識してしまったようだ。
そして、ウルトラマンシリーズの何かの作品で、ウルトラマンが縛られた状態で、鞭のような物で叩かれ、ウルトラマンに表情はないながら、ウルトラマンが声を上げながら身をよじらせるのを見て、SM的なものを感じたようなのだ。
他にも、ウルトラマンが攻撃を受ける姿には、エロい目で見ようと思えば見れなくもないものが結構多いかもしれない。
それでウルトラマンに性的興奮を感じるのだが、それは一種の倒錯とか逸脱で、精神に予想出来ない悪影響を与えている場合があるかもしれない。
これは岡田斗司夫さんの独断かもしれないが、こんな話がある。
彼はある大学の客員教授をしていたのだが、女子学生の中に、女の子が大好きで、かといって自分はレズビアンでもないので悩んでいるという人がやたら多いと言う。
その原因に、2004年から始まるテレビアニメであるプリキュアシリーズの影響があるという論だ。
岡田さんが言うには、特に最初の頃のプリキュア作品だと思うが、表向きには子供向け作品として作られていても、制作スタッフはガチのロリコンで、その美少女に対する情熱みたいなものは隠しきれるものではなく、このアニメを見た幼い女の子達に、性的刺激を与えてしまったというものだ。
それで言えば、『美少女戦士セーラームーン』や『カードキャプターさくら』などは、もっとそんなことがありそうに思う。
世界的画家の横尾忠則さんが、十代の時に好きだったものを大事にしろと言ったのは、若い時や幼い時に心に受けた影響は大きいということだろうが、それは良い場合も悪い場合もあるのだろう。
ひょっとしたら、ウルトラマンで性的興奮を感じたり、プリキュアで少女の美を感じた女性が芸術家になるかもしれない。
ところで私は、プリキュアの初代シリーズ『ふたりはプリキュア』を素晴らしい作品と認識しつつ、このプリキュアが反逆者に思えているのだ。
それは、オープニングアニメの中で、キュアブラックが必死の表情で、倒れたキュアホワイトの手を掴んで起こそうとしているのだが、ホワイトの表情はやや朦朧としていることからきている。
2人はかなりボロボロの様子で、私には、ここから形勢逆転出来る、つまり、この2人が勝利することはとても考えられず、2人がやっと立ち上がった直後、敵の集中砲火を浴びてあっさり戦死というシーンが浮かんでしまう。
そして、そんな目に遭ってしまうのは、ごく少数の反逆者であるというイメージが強い。
また、このシーンでのオープニング曲の軽快で明るい歌声が、何かこの2人を馬鹿にしている感じがして、ますますこの2人が愚かな反逆者だと感じるのである。
さらに、アニメの中でのキュアホワイトこと雪城ほのかは、私には非常に好ましい女性像と感じるので、そのオープニングのシーンの彼女に、悲劇のヒーローのイメージを心の中で確立してしまい、それが度々表に出てきて、精神不安定になるのだ。
あなたにだって、心を不安定にさせてしまう何かが心の中にあるはずであり、それがあなたの人生を歪めてしまっているのである。
それを取り除くと、自分が自分でなくなるという不安があるかもしれないが、やはり取り除かないといけない。
それには、心にある一切は、良いと感じるもの悪いと感じるものも全て幻想で、ある意味、ゴミであると分からなければならない。
ラマナ・マハルシが教えたことも、そんなことであると思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ふたりはプリキュア(1)(上北ふたご、東堂いづみ)
(2)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻
(3)共同幻想論(吉本隆明)
(4)幻想の未来(筒井康隆)
(5)幻想の未来/文化への不満(フロイト)

AIアート2309
「共生」
Kay


