前回、たまたま、ラマナ・マハルシの30編の詩である『ウパデーシャ・サーラ』の1つ目を取り上げた。
その1つ目と続いていることもあり、とりあえず、2つ目を見てみよう。
想い、言葉、行為は、それに応じた報いをもたらす
想い、言葉、行為、報いは過ぎ去る
人はそれらをいつまでも繰り返し、苦しみ続ける
人は、願ったことが叶わないと苦しむ。
願ったことが叶うと喜ぶが、それで終わらない。
もっと欲しいと願い、さらに苦しむ。
それをずっと繰り返す。
願いが多くなるほど苦しみも増え、願いが少なくなれば苦しみも減る。
だから、賢い人は、ある程度得たら、もう欲張らない。
世界一の投資家に、投資で成功する秘訣を尋ねたら、「欲張らないことだよ」と答えたらしい。
もっと賢い人は、今あるもので満足する。

AIアート42
「ある朝」
Kay
だが、人は欲張ることを決して止めない。
それで、永遠に苦しむ。
ところが、なぜ人は欲張るのかと考えない。
これが不思議だ。
なぜ、こんな重要なことを疑問に思わないのだろう?
ところが、人々は「それが人間だ」という愚かなことを言い、それが暗黙の認識になってしまっている。
だが、事実は、欲張るようマインドコントロールされているのである。
誰に、あるいは、何にマインドコントロールされているかというと、仮の話とするしかないが、太古の昔、超テクノロジーを持った宇宙人が地球に仕掛けたマインドコントロール装置によってである。
それにより、人間は、欲望と苦しみの連鎖(カルマと言われることがある)を繰り返し、地球上に縛り付けられている。
それがもう何万年も続いているが、これからも永遠に続くかもしれない。
そこから逃れる方法はただ1つで、心を消すことである。
従来、心を消すために賢者が教えたのは、心が何の影響も与えない大自然の法則に従うことだった。
心は星の運行に影響を与えない。
心が作り出したもので自然環境を破壊するかもしれないが、その報いを受けることもまた大自然の法則だ。
大自然の法則に従う者は自然環境を破壊しない。
だが、欲深い心が大自然の法則に従うことは難しい。
そこで、ラマナ・マハルシは「私は誰か?」と自分に問うという易しいやり方を教えた。
「私は誰か?」と自分に問えば、心は消え、本当の自分は全知全能の無限の魂(=神)であることが分かる。
そうすれば、苦しみは消えるし、魂は喜びそのものであり、しかも最高の喜びであるから、喜びを求めて何かを望むこともない。
だが、それまでに、何でも出来る何もしない人になる。
何でも出来るフリをする何もしないフリをする人ではなく、何でも出来る何もしない人にである。
その1つ目と続いていることもあり、とりあえず、2つ目を見てみよう。
想い、言葉、行為は、それに応じた報いをもたらす
想い、言葉、行為、報いは過ぎ去る
人はそれらをいつまでも繰り返し、苦しみ続ける
人は、願ったことが叶わないと苦しむ。
願ったことが叶うと喜ぶが、それで終わらない。
もっと欲しいと願い、さらに苦しむ。
それをずっと繰り返す。
願いが多くなるほど苦しみも増え、願いが少なくなれば苦しみも減る。
だから、賢い人は、ある程度得たら、もう欲張らない。
世界一の投資家に、投資で成功する秘訣を尋ねたら、「欲張らないことだよ」と答えたらしい。
もっと賢い人は、今あるもので満足する。

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「ある朝」
Kay
だが、人は欲張ることを決して止めない。
それで、永遠に苦しむ。
ところが、なぜ人は欲張るのかと考えない。
これが不思議だ。
なぜ、こんな重要なことを疑問に思わないのだろう?
ところが、人々は「それが人間だ」という愚かなことを言い、それが暗黙の認識になってしまっている。
だが、事実は、欲張るようマインドコントロールされているのである。
誰に、あるいは、何にマインドコントロールされているかというと、仮の話とするしかないが、太古の昔、超テクノロジーを持った宇宙人が地球に仕掛けたマインドコントロール装置によってである。
それにより、人間は、欲望と苦しみの連鎖(カルマと言われることがある)を繰り返し、地球上に縛り付けられている。
それがもう何万年も続いているが、これからも永遠に続くかもしれない。
そこから逃れる方法はただ1つで、心を消すことである。
従来、心を消すために賢者が教えたのは、心が何の影響も与えない大自然の法則に従うことだった。
心は星の運行に影響を与えない。
心が作り出したもので自然環境を破壊するかもしれないが、その報いを受けることもまた大自然の法則だ。
大自然の法則に従う者は自然環境を破壊しない。
だが、欲深い心が大自然の法則に従うことは難しい。
そこで、ラマナ・マハルシは「私は誰か?」と自分に問うという易しいやり方を教えた。
「私は誰か?」と自分に問えば、心は消え、本当の自分は全知全能の無限の魂(=神)であることが分かる。
そうすれば、苦しみは消えるし、魂は喜びそのものであり、しかも最高の喜びであるから、喜びを求めて何かを望むこともない。
だが、それまでに、何でも出来る何もしない人になる。
何でも出来るフリをする何もしないフリをする人ではなく、何でも出来る何もしない人にである。

