ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ウェルズ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

竹島問題と、『マグマ大使』のアースとゴアの地球の所有権争い

日本と韓国が竹島を、日本と中国が尖閣諸島の領有権を主張し合っている。
ところで、手塚治虫さんの『マグマ大使』という、1965年に連載開始された作品の中に、これらの問題と似た印象深いお話がある。

『マグマ大使』というのは、簡単に説明すると、次のようなお話だ。
太古の昔、アースという名の神のような存在が地球を造った。そして、アースは地球の守護者として、2人のロケット人間の夫婦を創った。夫のマグマと妻のモルである。ロケット人間とは、ロケットと人間の両方の機能を持つ者で、普通は人間の姿をしているが、ロケットに変身して宇宙空間も飛べる。特にマグマは多くの戦闘能力を持っている。
ところが、マグマとモルは、マモルという名の人間の少年を見て非常に好きになり、自分達も子供が欲しいとアースにねだる。そこで、アースはマモルによく似た、ガムという名の子供のロケット人間を創り、マモルとガムは親しくなる。
だが、アースと同等の存在であるゴアという名の、やはり神のような者が、美しい地球を見て、どうしても欲しくなり、力ずくで奪おうとして策略を巡らし、マグマはゴアの配下の宇宙怪獣と戦う等、果てしない争いが繰り広げられる。
その中で、ついに、アースはゴアにこんな申し出をする。
「地球が誰のものか、カオス様に決めてもらおうじゃないか」
ゴアはぎくりとする。カオスとは、宇宙創造神であり、アースやゴアとも比較にならない存在である絶対神であったからだ。
しかし、ゴアはアースの申し出を受けた。
そして、いよいよ、カオスの前にアースとゴアが並ぶ。
アースは、自分が地球を造り、大切に育んだこと。それをゴアが謀略によって強奪しようとしていることをカオスに訴えた。
「ゴアよ、お前に言い分はあるか?」
とカオスに尋ねられたゴアは、
「大ありです。私とて、アースが地球を造ったことくらい知っています。しかし、だからといって、地球はアースのものでしょうか?」
と疑問を提示し、アースを慌てさせる。
そして、ゴアはたとえ話をする。
「二人の子供が砂場で遊んでいて、一人の子供が砂の城を作ったとします。作った子供は、『この城は僕のものだ』と主張します。しかし砂はみんなのものではないのですか?地球だってアース一人のものじゃありません」

カオスが出した結論は面白いものだった。
「ゴアが正しい。地球はアースのものではない」
文句を言うアースに対し、カオスは、「宇宙にある原子は全て私のものではないのか?」と言い、アースは黙るしかない。
喜ぶゴアにも、カオスは、「だが、地球はお前のものでもないぞ」と戒める。
なおも争うアースとゴアに、カオスは、「こんなちっぽけな星のことでいつまでも争うなら、地球を無に帰してやる」と言うと、二人は慌て、「それだけはご勘弁を」とカオスに乞うた。二人とも地球を愛することでは同じだった。
そこでカオスは、「では、力で決めよ。アースの配下のマグマと、ゴアの配下のガロンが戦って、勝った方が地球を治めよ」と言い渡した。

日本と韓国の竹島問題のようではないかと思う。
日本政府は、「竹島は日本固有の領土であり、それを主張していく」と言うが、竹島が日本の領土であるという根拠を示すことはない。それは韓国政府も同じだ。
私も少し調べたが、竹島が日本の領土であると断言する理由は、おそらく無い。だからといって、韓国の領土であるというのはかなり無理がある。
カオスは、アースとゴアに「力で決めよ」と言ったが、二人が直接戦えとは言わなかった。
では、日本と韓国も、お互い得意なサッカーの試合ででも決めたらどうだろう?正しい方に、神が味方してくれるさ。(無論、冗談であるが)
H.G.ウェルズが述べたように、世界政府というものでも出来ない限り、こんな問題は解決がとても難しい。いや、世界政府が出来たところで難しいほどだ。
そもそも、地球のいかなる場所も、誰のものでもない。
だから、その地の人間や生物、自然、環境などに対し、より多くの貢献をした者を一応の統治者とするしかない。
例えば、日本が、アメリカのフロリダ州を日本の領土だと主張するのも勝手ではあると思うが、フロリダ州に対しては、日本政府よりアメリカ政府の方がはるかに多くの良いことをしているのだから、この場合の日本の主張は退けられるだろう。
では、福島に対してはどうだろう?もし、他の国が、日本政府以上に、福島の人々や動植物を健やかに、幸福にし、その地の自然を浄化し豊かにするなら、それをした国が統治をすれば良い。無論、日本政府は、これまで、福島に対し、良いこともしただろうが、原発事故や、その原因となった大震災の対応で、必ずしも統治者としての責任を果たしているとは言えないことから、他国がやれるなら、日本国に所有を主張する権利はないだろう。
これらも1つの考え方でしかないが、現在の、日本、韓国、中国の主張では、問題はいつまでたっても解決しないであろう。









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天才と超人の秘密は共に「加速」である

アインシュタインの脳の大きさは標準的であったらしい。そして、彼の脳は今日に至るも研究が続けられているらしいが、脳そのものに天才の秘密は見出せないらしい。
ところが、時々、「彼の脳はこんなところが普通の人と違っており、これこそが彼を天才にした」などという報道があるが、それらはただのこじつけだろう。研究成果を発表した研究者の方も、マスコミの断定的なものの言い方に呆気にとられているといったところなのだ。
ちょっと似たようなことに、こんなことがある。
プロレスで史上最強と言われたルー・テーズというレスラーがいるが、彼について、「彼の筋肉は非常に柔らかいが、ひとたび力を入れると鋼鉄のごとく堅くなり・・・」などと言う者がおり、あたかもそこにテーズの強さの秘密があるような言い方であるので、それを聞く者も「なるほど!」と納得する。しかし、力を入れたら筋肉が堅くなるのは当たり前だ。
福島原発事故報告書の中に、戒める意味があるのだろうが、「人間は見たくないものは見えない」と警告されているそうだが、裏を返せば「人間は見たいものだけ見る」ということだ。
アインシュタインがなぜ天才か、ルー・テーズがなぜ最強かといったことにも、自分の狭い了見の中で納得したがるものなのである。

アインシュタインは、もちろん、英才教育を受けたような人ではない。
そして、アインシュタインが天才であった理由は、「決して英才教育を受けなかった」ことだ。
物理学とプロレスなんて全然違うようだが、アインシュタインとルー・テーズの能力の秘密は、共に意識の拡大なのであるが、分かりやすく言うなら「加速」だ。
アインシュタインは普通の人にとっての1秒の間に数千秒考えることが出来たし、テーズは相手の動きがゆっくり見えたのだ。
彼らは共に、子供の頃は吃音症(きつおんしょう)だった。つまり、言葉が流暢に出てこなかった。そもそも、言葉を話し始める時期が共に遅く、両親を心配させた。
吃音症は、声帯の問題よりは精神的なものである。
頭の中で言語を組み立てるのが苦手なのだが、別の方法で考えているのだ。その方法では思考スピードが速過ぎ、言葉がついてこれないのだ。
内面的思考と外部世界との折り合いを付けられれば、吃音は自然に治る。
それには、話すのとは異なることをしなければならない。
学校では、「この計算問題を10分でやること」などと指示されて、子供達は罰や叱責、他の子供達の前で恥辱を与えられることを恐れて必死でやるが、これが、頭を悪くする最大の原因なのである。
それは、言葉で話す程度の速さに思考を固定化してしまうという、愚かな調教である。
エジソンもアインシュタインも、そんな勉強は大の苦手で、対応しようとなどしなかった。
エジソンは「1たす1は1になるかもしれない(2つのものがくっつけば1つだ)」と考えたし、アインシュタインは、「磁石は北を指す」と言われても、それを試験の答として覚えるよりも、「なぜそうなる」の方に興味があった。
テーズは子供の頃から始めたレスリングで、ふと相手の動きが鮮明に見える瞬間があることに気付き、のめり込んでしまう。彼は加速を覚えたのだ。
後にテーズは「私の唯一の才能は反射神経だ」と述べたが、加速能力という言葉は一般的でないので、そのような言い方をしたのだろう。
そして、アインシュタインは学校の勉強はなおざりだったが、光と一緒に飛ぶといった思考実験をしていた。大変な加速訓練だった。

ラマナ・マハルシは16歳で悟りを開いた後、3年にも渡って沈黙の行をした。
彼は、あまり熱心でなかったとはいえ、それまで西洋式の教育を受け、その影響で頭が悪くなっていたので、そんなことをする必要があったのだろう。
医者でシャーマンであるドン・ミゲル・ルイスも述べているが、力を解放する鍵は、頭の中のおしゃべりをやめることだ。
仙道家の高藤聡一郎氏も同じことを著書に書かれていたのを覚えている。
そして、自主的に口を閉ざせば、頭の中も静かになるものだ。(強制的な沈黙はそうでない場合が多い)
イエスもこのことを象徴的に、「人は口から入るもので汚れない。口から出るもの(言葉)で汚れる」と言ったのだ。

とっておきの加速方法を教えよう。
速読というものがある。どの速読法でも、視線の動きが教えられるが、それがことごとに異なる。
ある流派では、視線を上下左右に素早く動かせと述べるし、別の流派では、本が縦に細く見えるような視線を・・・とか奇妙なことを指示する。
全部嘘である。
単に、読まなければいいのである。
普通に見ればいいのだ。ただし、音読するように頭の中で読むなということなのだ。
それだけだ。
本のページを見ると、我々はつい、頭の中で音読を始める。
それがいけない。
そうではなく、絵でも眺めるように、風景を見るように、美少女の美しさに魅せられるように、ただ見ればいいのだ。
読んではならない。
そのためには、さっさとページをめくることに専念することだ。
本を傷めるほど乱暴にページをめくるような者は論外である。能力以前の問題だ。
丁寧に素早くページをめくる訓練のつもりでやればいい。
ちょっと難しい本が良いかもしれない(易しい本は読めてしまう)。
気が付けば、あなたは数千倍の加速者である。
加速という言葉を多様したが、良ければ、川原礫さんの小説『アクセル・ワールド』の1巻だけでいいから読むことをお奨めする。加速について、うまく説明している。「萌えは嫌いです」などと言っていると、一生、加速者になれない。
そして、H.G.ウェルズの『新加速剤』を読めば、さらに良いだろう。









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加速すれば天使にも逢える

昨日から、ライトノベル(表紙画や挿絵が漫画的な小説という程度の意味)の『アクセル・ワールド』を読み始めたのだが、思わず、自分が書いたのではないかと思った。それほど、私がよく考えたり、やっていることが書かれている。
もっとも、ラルフ・ウォルドー・エマーソン(アメリカの偉大な哲学者、詩人)が、本を読む時は自分が著者であることを知れと言い、シェイクスピアを読んでいる子供をよく観察すると、シェイクスピアそのものなのだと述べている通り、特に私に限ったことでもないだろう。
この作品の主なテーマとして、加速世界というものがあり、通常の世界の数千倍の速さで進行する世界なのだが、我々にとっては、浦島太郎のお話で馴染みのある概念でもあるだろう。
だが、いきなりおかしな・・・つまり、通常の概念に合わないことを言うなら、時間というものは本当は無いのであり、ただの観念なのであるから、浦島太郎にしろ、アクセル・ワールドにしろ、別段、荒唐無稽なお話でもない。
時間の観念に関しては、アインシュタインが相対性原理を発見してから格段の変化があった。しかし、この極大な世界を扱う理論を極微な世界の理論である量子力学と結び付けることに四苦八苦している状況が長く続いている。
英国の数学者・物理学者で、あのスティーブン・ホーキングと決別してしまったロジャー・ペンローズが、その2つを結び合わせる鍵は脳にあると思うと述べていたが、古代の人達はとおにそれを知っていたのだと思う。
我々も、それが分かれば、アクセル・ワールドと馴染みになるだろう。
ただ、その世界を何と呼ぶかはこだわらないことだ。
一般的には、「異世界」とでもいう世界は、そこかしこにあり、象徴的な言い方をするなら、その入り口もまた、そこかしこにある。
中国の仙道から漏れ出た教えには、そんな異世界に入り込む方法がいくらかある。
異世界のことを言った言葉としては、桃源郷、ザナドゥ、シャンバラなどが昔からよく知られ、仙境、次元界というものもある。
それらは、想像といえば想像であるし、現実であるといえば現実である。
ただ、エマーソンも強調したように、想像と空想は異なるものだ。
宇宙を創造するものは意識なのであり、現実を創るのは想像なのだ。
H.G.ウェルズの『堀についたドア』という短編小説には、実に美しい、誰にとっても永遠の憧れとなる異世界のことが書かれている。ウェルズが、どうやってあの世界のことを知ったのかは分からないが、あれが現実でなくて何だろう?あれが純粋な想像でなくて何だろう?

速読とか速聴といったものを御存知の人は多いと思う。
ただし、あまりうまくいった人はいないと思う(いったと思い込んでいる人ならいるかもしれない)。
失敗も経験のうちなので、やってみることは悪いことではないかもしれないが、さあどうだろう?
うまくいったところで、せいぜいが、2~4倍程度の加速だ。時速20キロに制限された自動車に乗って何が嬉しいのかというようなものである。
私は、政木和三さんに、少なくとも数万倍の加速についてよく教わったが、それでもまだまだ初歩的なのだ。
ただ、政木さんは、色々な理由から、このことはあまり話さなかったように思う。
1つ教えておくと、加速のポイントは速度を下げることだ。
この言い方が、昔から普通の人を混乱させてきたが、分かり易く説明しよう。
上で速読や速聴のことを書いたが、「速く読もう」「この速い音声を理解しよう」と思うほど、それが出来ないのだ。
つまり、心が速度を上げようとするほど、我々の実際の速度は低下するのだ。
これについて、コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』では、これ以上はない愚かな誤解された表現がされていた。「右脳は遅いので、左脳が速度を落とさないと右脳が協力できない」といったものだ。これほど馬鹿なことはない。右脳は、左脳の数万倍の速さがあるのであり、左脳が邪魔をしさえしなければいいのだ。ただ、ウィルソンは、「それでは左脳の価値は?」と思ったのかもしれない。それは、「心の価値は?」「自我の価値は?」と言うのと同じだ。確かに難しい問題だ。
だが、それについては、こう考えるべきなのだ。「知らん。しかし、あるものは仕方がない」と。
ギリシャのデルフォイにあるアポロン神殿にこう書かれている。「身の程を知れ」。神がそう決めたのだから、それで良いのである。その意図を知ろうなどとは、身の程をわきまえねばならない。
天使というものも、加速世界の住人だ。加速すれば逢える。つまり、逆説的に、減速すれば逢えるのだ。
中国で仙境と呼ぶ世界に入れば、アクセル・ワールドの黒雪姫(スノー・ブラック)のような美しい仙女にも逢える。ただ、時間の観念が希薄な世界なので、楽しんでばかりいると、あっという間に現界でいう百年やそこらは経ってしまう。それを描いたのが浦島太郎のお話という訳だ。あれも、一種の仙境のお話である。
具体的にどうやるかというと、ヒマラヤの聖者が、『バガヴァッド・ギーター』の一章、あるいは、一行を、一日かけて読む意味を考えればいい。
限りなく速度を落とすことが、限りなく加速することだ。
何、やってみれば分かることである。









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想像力ある者は「加速」に憧れる

人間の能力とは、時間感覚に因るのである。
よく知られる言葉で言えば「反射神経」だ。
分かり易い話をするなら、ボクシングの素人が、プロボクサーとボクシングの試合をして勝てるはずがないのであるが、もし、普通の人間の数十倍の反射神経を持っているなら、楽々勝てる。
つまり、プロボクサーの動きが、スローモーション映像のように見えるので、本当は猛スピードであるそのパンチを悠々とかわし、ガードの空いた部分を簡単に見付けて、そこにパンチを叩き込むといったことをやれば、多少非力な攻撃であっても、数打てばそれなりにダメージを与え、勝利するだろう。
このように、普通の人が1秒と感じる時間を数十秒に感じる感覚があれば、およそいかなることであっても、天才的な能力者となるはずだ。
石森章太郎(後に石ノ森章太郎に改名)の代表作の1つ『サイボーグ009』で、加速装置を持った009(ジョー)は、そんな能力を持てるようにサイボーグ化されていたから最強であったことがよく分かるように描かれていた。ただ、あまりに強過ぎるのも面白くないので、加速装置には使える時間とか回数に制限があったり、敵のサイボーグも加速装置を持っていたりといった設定にしていたが、いずれにしろ、時間感覚の力の大きさが分かるのである。
史上最高のSF作家と言われる、『宇宙戦争』や『タイムマシン』の著者H.G.ウェルズも、時間感覚の威力に気付いていて、『新加速剤』という、時間感覚を拡大させる薬品が登場する作品を書いているが、私の推測では、石森章太郎さんは、ウェルズのこの作品から、加速装置のアイディアを思いついたのだろうと思う。

プロレス史上最強のレスラーと言われるルー・テーズは、「私は才能があったとは思わない。それほど身体は大きくないし、力が並外れている訳でもない。ただ、唯一、人に優っていたのは反射神経だった」と、実は、最大の才能の持ち主であったことを無自覚に話していたのが面白い。

時間感覚が拡大すれば能力が高まることに気付いた人はいて、それで、普通に本を音読した音声を高速再生して聞くことにより、時間感覚を拡大させようといったことをやった人もいた。
また、そんなことをしなくても、頭の中で高速で数を数えることで、時間感覚を拡大させることが出来ることを教えた人もいた。普通の人が、頭の中で百を数えることの出来る時間で千まで数えられるようになれば、時間感覚は十倍という訳だ。
これらの訓練に効果があるどうかは知らないが、私の予想では、成果を上げた人は多分、全くいないだろう。「上がったような気がする」だけのことだと思う。
仮に、それで多少、時間感覚が拡大しても(しないと思うが)、その程度では何の役にも立たないだろう。

では、我々が、時間感覚を大きく拡大することが出来るのだろうか?
当然できる。
政木和三さんは、つまるところ、そのことを教えていたのだ。
彼は、発明は1秒で出来ると言っていたが、実にその1秒は数万倍に拡大された1秒なのである。
彼は、回転蓋で密閉された薬びんの中に指輪のようなものを瞬間移動させることが出来たが、どうやってやるのかというと、単に手で蓋を開けてその中に指輪を入れ、再び蓋をするのであるが、それを1万分の1秒の速さでやるので、普通の人には瞬間移動にしか見えないのだ。
では、どうすれば、そのようなことが出来る能力が得られるかというと、政木さんはよく、脳波をシータ波に下げることだと言われていたが、そのためには、欲望を捨てなければならない。眠っている時であれば、脳波はシータ波や、もっと低いデルタ波になる。しかし、成人では、覚醒時にそれらの脳波が現れることはほとんどない。
幼児であれば、目が覚めていても、脳波がシータやデルタ波であるのは普通だし、多くはないが、中学生の中にも、覚醒状態で、脳波がシータ波やデルタ波が見られる者もいるらしい。また、将棋の名人には、対局中の脳波がシータ波になる人がいるという話もある。
目が覚めているのに脳波がシータ波になるためには、欲望を捨てなければならない。
イエスが、「幼子のようにならなければ、天国に入れない」と言ったことは、まさにこのことを示している。

どうすれば、欲望を捨て、脳波をシータ波に出来るかというと、そんなことは、どこにでも書かれている。
このブログでも書いているつもりだが、「どうすれば脳波をシータ波に出来ますか?」といった質問をしてくる人もいる。
福島原発の報告書にもあったが、「人は見たくないものは見えない」ということである。
欲望を叶えるために脳波をシータ波にしたい人が、欲望を捨てる方法が「見えない」のは当然のことだろうし、とんだジョークである。
欲望を消す方法を、最もシンプルに書いているのは、おそらく、『荘子』だ。
『バガヴァッド・ギーター』では、至高神クリシュナが、我々と同様に愚かなアルジュナ王子に、それを懇切丁寧に教えている。
『古事記』では、表面的な心を相手にせずに、深い心に直接に語りかけてくるのである。だからこそ、古事記は我が国の偉大な宝典なのである。









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諦観と受容の違い

面白い質問があったので、それについて書きたくなった。

諦観(ていかん)と受容の違いだ。
これはとても重要なことで、我々がこれからも長く苦しむか、すみやかに平和を得られるかの違いになるかもしれない。

諦観とは、「本質を見極めること」という意味と「諦め、悟ること」という意味だ。
受容とは、「受け入れて取り込むこと」と辞書にある。

一見似ているが、実はかなり異なり、しかも、その違いは重要だ。

諦観には、やはり、諦める、断念するの意味がある。「諦めて観れば、ものごとの本質が分かり、そして悟れる」ということなのだろう。
ところが、受容というのは、いかなる思慮や意志も含まれない。

私は、受容は良いが、諦観はしてはならないと思う。
いや、実際は、誰も諦観など出来ないに違いない。
確かに、本当に諦めることができれば、真実が分かり、悟りが開けるかもしれない。
しかし、あなた、諦めることが出来ますか?
欲を捨てられますか?

例えば、あなたが若い男で、素晴らしい美少女がいて、ものすごく好きになったとする。
しかし、とんでもないライバルが登場する。そのライバルは凄いイケメンでスタイル抜群で、家は大金持ちで、彼自身、才能豊かで前途洋々たる若者だ。そして、その美少女の存在がなければ、好きになってしまいそうな好漢でもある。
方や、自分は、顔もスタイルも平凡以下で、親も自分も中小企業の安サラリーマンで、先は知れている。人間性が悪いのか、友達も少ない。
こんな状況で、諦観して、身を引くことが出来るだろうか?
そんなことは出来はしないはずだ。
出来もしないことをしようとしてはならない。

人間は、「諦めようとしても諦めきれない」のだ。
演歌ってのは、そんな心情を歌ったものだ。若い間は自惚れが強く、諦める必要がないと思っているから、あまり演歌が好きでないが、少し歳を取り、現実が分かってくると、本当は諦観した方が良いとは思うが、やはり諦め切れないので、そんな心情を込めた演歌が好きになるのだ。
しみったれた歌だと思いつつ、酒が入ると歌わずにはいられない。
だが、演歌が流行らなくなったのは、多分、いい歳をした人々までが自惚れが強くなっているのだろう。

では、上の、美少女を巡る強力なライバル(相手はライバルとも思っていないかもしれないが)との関係で、受容するとはどういうことだろうか?
諦めない気持ち、断念できない気持ちはそのままで良い。良くなくても、彼女を得たいという思いを放棄できない。
ただ、結果を自分でコントロールできないということを認めるのだ。
実際、我々は、状況に対し、いかなる支配力も及ぼせない。
イエスは、「あなたは1本の髪すら、黒くも白くもできない」と言ったが、その通りである。
だが、イエスは意地悪なことも言っている。「山に向かって海に入れと言い、その通りになると信じて疑わないならそうなる」と。その通りかもしれない。しかし、あなたは、決してそんなことは信じられない。
我々は、奇跡的な勝利を得るかもしれない。思いがけない成果を得るかもしれない。
しかし、何が起こるかは全く分からないのだ。
その事実を受け入れることを受容と言うのである。

金持ちになりたいが、自分には特技も人脈もなく、資金のあてもない。
そこで、過ぎた望みは持たないことにしようと思い、諦めたつもりになって悟り済ました顔をすることを諦観と言うのだろうか?
しかし、そんな者の心には不満や、上手くいっている者に対する妬みが生まれやすいものだ。
一方、諦めるつもりはなく、実際に、目標に向かって大変な努力をしていても、結果がどうなるかは神のみぞ知るということを、はっきりと受け入れていることを受容という。

ただし、諦観しようが、受容しようが、あるいは、どちらでもなく、「俺は絶対に夢を叶えるという積極思考でがんばるぞ」と決意したとしても、結果は何も変わらない。
実際、「諦めた時に状況が変わり、奇跡的に夢が叶った。なるほど、欲を捨てた時に叶うのだ」と思い、それを本に書いた人もいる。
しかし、諦めようが、諦めまいが、彼は成功したのだ。最初から成功する宿命にあったのだ。

H.G.ウェルズ原作の1953年の映画、『宇宙戦争』では、火星人は地球侵略を行うが、その圧倒的な科学技術力の差により、地球人類は全く太刀打ちできない。
しかし、火星人は地球のウイルスに感染して滅んだ。
映画の最後で、「万策尽きた時、奇跡が起こった。賢い神の創った小さな生命が地球を救った」とナレーションがある。
「賢い神の」の言葉に乗せられ、「万策を尽くしたから奇跡が起こったのだ。何事もそうやってこそ素晴らしい成果を得るのだ」と言う者がいるだろう(実は、私が旧ブログでそう書いていた)。
しかし、よく考えたら、地球人は必死で抵抗しなくても、のんびり待っていたって、火星人はウイルスでやられたはずだということが分かる。

もし、「賢い神」を信じるなら、全てを神に任せるしかない。
イエスは、雀一羽、神の意思によらずして落ちることはないと言った。
それを完全に受容するしかない。
我々が、神に祈ろうが、奮闘しようが、犠牲を捧げようが、健気で美しい決意をしようが、結果は何も変わらない。

アンデルセンは、「人はどんな高いところでも登ることができる。しかし、それには決意と自信がなけばならぬ」と言ったらしい。
美しい言葉だ。
しかし、アンデルセンは、決意も自信も、神の意思によらずして起こることはないことまでは教えてくれなかった。彼も知らなかったのだろう。
アンデルセンが成功したのは、それが神の意思であったからだ。なぜ神がそんな意思を持ったかは誰にも分からない。だから、我々の感覚からいえば、たまたま、あるいは、偶然なのである。しかし、実際は、やはり神の意思だったのだ。

ところで、諦観と受容は、どちらが難しいだろう?
答はこうだ。
諦観が出来る可能性はゼロだ。
だが、受容は、神の意思があれば出来る。
自我は決して諦めることはない。諦めないのだ自我の機能だ。
我々が「諦めた」と言う時は、既に目標が消えているのだ。
あなたは、土星に行こうとはあまり思わないだろう。それをしないことを諦めるとは言わないのだ。
親が子供に、「東大を諦めるな」と言ったところで、子供の方は東大に入りたいなどと全く思っていないかもしれない。すると変なことになるのだが、学校というのは、大体がそんなところなのだ。
受容とは、単に、「分からない」と認めることだ。
コインを投げ、「表よ出ろ」と念じ、思い通りにならないことを嫌と言うほど思い知ればいいだろう。つまり、表が出るか裏が出るかは、全く「分からない」のだ。
そして、諦めることの出来ない自我も、同時に認め、受け入れる(受容する)のだ。
きっと、最強の呪文は、God knowsだろう。別に、日本語で「神のみぞ知る」で良い。
言い換えれば、「なりゆきにまかせろ」「自分には何もコントロールできない」「あるがまま」だ。
ある者は、神の意図が知りたくて、神を探しに行った。そうしたら…神になって帰ってきたのだ。ただし、それが神の意思だったからだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
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◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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