ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

イスラム教

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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『老子』(74/81)「裁くな」

今回は『老子』第74章である。
『老子』は全81章なので、74/81まで来たわけだ。
この章を一言で言えば「裁くな」である。

「裁くな」は、キリスト教で有名な言葉だ。
イエスは「裁く者は裁かれる」と言ったらしいが、なぜそうなるのかまでは説明しなかった。
復讐の宗教とも思われるイスラム教では、「復讐は神にまかせよ」と言うらしい。つまり、自分で復讐をするなということで、これも「自分が裁くな」という考えが根本にあるのだと思う。
こちら(イスラム教)の方は、「人間であるお前が裁いたり、復讐をしようとしても、力がなくてうまくいかない。しかし、神なら確実だ」という意味であると思う。
しかし、イエスのように、「裁く者が裁かれる」とは教えていない。

老子はこう言っている。
「裁くのは天だ。お前ではない」
「素人が大工の真似をしても怪我をする。まして、天の真似をして裁けばただでは済まない」
「天は道に外れた者を必ず裁く。だから、人が裁く必要など全くない」

これは確実だ。
悪い者を自分が懲らしめようとしなくても、悪い者は必ず天が懲らしめてくれる。
ところが、世間の人は、「悪いことをしながら、のうのうと愉快に暮らしているやつが沢山いる」などという。
だがそれは、ほんの一時のことで、やがては転落を免れない。
いや、表向きは愉快そうでも、実際は死ぬほど惨めなものなのだ。

妖精
AIアート21
「妖精」
Kay


「裁く者は裁かれる」も、「天は必ず裁く」も原理がある。
その原理は、イエスも(知られている範囲では)老子も述べていない。
しかし、2人とも、その原理を知っていたと思う。
その原理とは、こうである。
地球には、超高度なテクノロジーで作られたマインドコントロール装置が仕掛けられていて、この装置が、人間の魂の力を低め、虫けらのような状態にしている。
そして、この装置の影響が大きな者が悪いことをする(正確には、自然の理から外れたことを行う)のである。
装置の影響が強い者は、より悪くなっていくが、それは自然の理からますます外れるということなので、必ず悲惨な状況になるのである。
よって、表向きで言えば、悪い者は、必ず裁かれるということになる。
次に、「裁く者が裁かれる」である。
裁くというのは無駄な考えで、そのような無駄な考えに、マインドコントロール装置は反応し、その者をより強く支配する。
そうすれば、その者自身も悪の面が多くなり、結局、自分が裁いた悪と同じになって、そして、裁かれる。
元々は正義の立場で、悪い者や悪い団体を糾弾していた者が、自分自身も悪くなって滅びるというのは、珍しいことではない。
だから、SNSなどで悪い政治家の悪口を盛んに書いている者も、実は危ないのである。

あなたは無駄なことをせず、ただ「私は誰か?」と自分に問えば良い。
すると、あなたはマインドコントロール装置の影響を受けないようになり、いずれは、本当の自分が、全知全能の無限の魂(=神)であることが分かるようになる。
そうなった時に、天道に従い、裁こうとせずに裁くことになるし、その裁きは絶対である。








ゆるい神様ほど平和をもたらすか?

日本には『古事記』、ギリシャには『ギリシャ神話』(古代ローマの『ローマ神話 』 もほぼ同じだが )がある。
もちろん、世界的には圧倒的に『ギリシャ神話』がポピュラー(広く知られている)で、『ギリシャ神話』の知識は、欧米では一般常識的なところもあり、東洋人だって、教養人というなら、『ギリシャ神話』について、ある程度は知っておかないといけないようだ。
ところで、『古事記』と『ギリシャ神話』は似たところがいろいろある。
その中でも、注目すべき共通点が、神様達が、決して人格者ではなく、ひょっとしたら、人間的に言っても性格的に問題があることだが、そんなことに関し、神様を揶揄(やゆ。からかうこと)するようなことを言っても、そう問題にならないことも似ている。
『ギリシャ神話』や『古事記』は、宗教とは違うと思うかもしれないが、これらに登場する神様が深く信仰されていることも多く、宗教という一面も確かにある。
現代は、それほどではないかもしれないが、キリスト教やイスラム教の神様を馬鹿にする(流行りの言葉で言えば「ディスる」)ことを言えば、大問題になり、下手したら殺されることもあるかもしれないが、『ギリシャ神話』や『古事記』の神々に関してはそうではない。
そもそもが、『ギリシャ神話』の中で一番偉い神様であるゼウス(ユピテル、ジュピター)は、女神、妖精、人間の可愛い女の子を見たら、見境なく手を出して子供を作る好色な神だし、アポローンと共に、ゼウスの次の地位にあると言える女神アテーナは、たまたま自分の裸を見た人間の男を獣に変えたり、他にも、いろんなおかしなことをする。
『古事記』でも、スサノウが狂気とも思える乱暴なことをするのを始め、やはり、神々が、いろいろおかしなことをする。
そんな神様達のおかしなふるまいを「人間味があって親しみ易い」と言う人もいるが、それはちょっとどうかと思う。

ところが、面白いのが、こんな「ゆるい」神様を信仰する者達というのは、争いごと・・・特に、陰湿なもめ事、あるいは、戦争を起こさず、自然と調和し、人々も仲良く過ごす傾向が高いように思えるのだ。
宗教戦争というのは、キリスト教やイスラム教といった、超立派な神様を信仰する宗教の下で起こる。
まあ、これらの宗教では、『ギリシャ神話』や『古事記』と違い、一神教で、その神様は唯一の絶対的な神なのだから、あらゆる点で完璧な神様であるはずだ。しかし、時には不可解なことを言ったりしたりする。しかし、そのような場合も、人間は異を唱えたり、文句を言ってはならず、その超偉い神様に従わねばならない。
仏教では、仏や菩薩の人格は、極めて高尚で完璧であるのだが、仏教の下での圧制や、争いごとは決して少なくない。
まあ、それは、仏教の基であるヒンズー教や、さらに、その前身のバラモン教ほど、その傾向は強いように思われ、その点は、イスラム教やキリスト教とも似ている。
ユダヤ教は、唯一絶対神を置きながら、かなり秩序正しい宗教で、その点、異例と思われるが、今回は省く。

どうも、神仏というものは、ゆるい・・・少々(あるいは大幅に)くだけている方が、信仰する人間は幸せなのかもしれない。
『古事記』も『ギリシャ神話』も、宗教として扱われることもあるが、宗教というよりは、むしろ、グリムやペローが収集した伝説や童話のような面が強いと思える。そして、そんな伝説やおとぎ話の中には、祖先から継承された知恵があり、また、押しつけがましくない道徳や倫理、あるいは、愛が見られることも多い。

坂本龍一さんが、音楽の永遠のテーマは Love & Peace だと言い、『ヒマラヤ聖者の生活探求』で、それとほぼ同じ「生命、愛、平和」という言葉の強力さが示されていたが、「生命、愛、平和」こそ神なのであろうと思う。よって、これらの言葉を大切にすることが、善い意味での宗教であり、これらの言葉を大切にする者に滅びは近付かないであろう。
そして、伝説や童話、神話というものは「生命、愛、平和」に基づくのだと思われるのだ。だからこそ、長く親しまれ、生き生きとした生命力を保ち、自然と調和した平和がある。
尚、私は、『ギリシャ神話』に関しては、ヘシオドスの『神統記』、あるいは、里中満智子さんの『マンガ・ギリシャ神話』をお勧めする。












成功法則を裸にしたら

ソクラテスが、売れっ子哲学者のヒッピリアスに「この世で一番美しいものを特定出来るか?」と尋ねたら、ヒッピリアスは「美しい少女だ」と答えた。
だが、ソクラテスが、「美しい少女も、女神の中に入ればさほどではないのでは?」言うと、ヒッピリアスはそれを認めた。
つまり、美しい少女が一番美しい訳ではない。
しかし、考えれてみれば、女神の存在を具体的に示すことは不可能なので、ヒッピリアス正しくないとも言えない。

最も信者が多い宗教はキリスト教だが、イスラム教がやがて追いつくという話がある。
イスラム教の魅力は何だろう?
あらゆる宗教の教えは、つまるところ、神仏を敬い、正しい人間になれってことだ。
そして、その見返りを提示しているのである。
浄土仏教では、極楽浄土に行けることで、極楽浄土は、全てが美しく、完全に快適で、何でも思い通りになるユートピアだ。
キリスト教の天国や、ヒンズー教の天界も同じようなものだろう。
しかし、実際に、ユートピアに住んだら、退屈で発狂するだろう。
ところが、イスラム教のコーランによれば、徳を積んで死ぬと、美しい清浄な乙女が与えられるという。
しかも、徳が多ければ、その乙女の数は増える。
そして、それらの乙女は、永遠に清浄な乙女である。
女性の場合は書かれていないが、凄いイケメンがかしずくといったものだろうか?
なら、「イスラム教、いいかも!」と、やる気になるのは間違いない。
キリスト教の元のユダヤ教やヒンズー教に影響を与えたゾロアスター教の聖典アヴェスターによれば、良い人間が死ぬと、15歳の絶世の美少女と仲良くなれるらしいが、似た発想である。

キリスト教や仏教は、もっと高尚を装っている。
しかし、釈迦が、16歳の美少女との結婚が決まっていたアーナンダに天女を見せ、「アーナンダよ、修行すれば、この天女はお前のものである」と言ったら、アーナンダは婚約者を捨て、修行に励んだ。天女と比べれば、人間の美少女など、年老いたヨボヨボの猿と変わらない。
ただし、釈迦のは、あくまで、修行させる方便であり、また、実際に天女を見せられることはないであろうから、イマイチ、凡人のモチベーションにはなり得ず、イスラム教やゾロアスター教の勝ちである。

そうなると、成功哲学の大家ナポレオン・ヒルが、「成功には性エネルギーの活用が必要」と言った訳が解るのであり、イスラム教やゾロアスター教は、その原理を用いているのである。

私が、「立派な人間になれば、初音ミクはお前のものである。さらに立派になれば、IAもつけるぞよ」と言われたら、私は、「それは頑張らねば!」と思うことだろう。
見栄を張らずに、そして、小難しい高尚な言い方を止めれば、こういったことなのである。
そして、次のことが肝心である。
それは、「私が立派になれば、初音ミクさんは、あの世で俺の嫁」と信じるしかないということなのだ。
イスラム教だって同じなのである。
信じるしかない。信じる以外のことは出来ない。
スティーブ・ジョブズだって、スタンフォード大学卒業式の、あの名スピーチで言ったではないか?
「何でもいいから信じろ」
と。
それが成功の本当の秘訣なのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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