願いが叶うかというと、本当の願い・・・魂から来た願いであれば叶うのではないかと思う。
しかし、大抵の願いは洗脳から来るものだ。
洗脳から来る願いとは言っても、なかなか激しい場合もある。
絶対、アイドルになりたいとか、プロサッカー選手になりたいとか、なれる可能性などゼロに等しいとしても、なぜか熱狂する。
だが、全ての願いの元は、単にチヤホヤされたいだけなのだ。
そして、イエスは、「お前達は髪の毛1本、白くも黒くも出来ない」と言った。
ラマナ・マハルシは、「働く運命になければ、いくら探しても仕事は見つからない。働く運命にあれば、仕事は避けられない」と言った。
人には何の力もないと言っているようだ。
それなら、引き寄せの法則は何なのだと言う人がいるかもしれない。
どんな願いも叶うのではないかと。
しかし、引き寄せの法則が胡散臭く思われるのは、単にチヤホヤされたいための願いでも叶うように思わせるからだ。
そこで、ニーチェやイェイツの思想が注目される。
本当の願いは現状であるということだ。
今のこの状況は自分が願ったことであるということだ。
安月給で、カボチャババアの妻と出来の悪い子供と家のローンを抱えて鬱々と生きることが自分の願いだったとは、なかなか思いたくはないだろうが、それが真実かもしれない。
ジョージ・ワシントンは、偉い金持ちになってチヤホヤされることが願いで、その願いは非常に強かった。
軍人になったのもそのためで、司令官の地位に就くことも出来た。だが、それは、あくまでチヤホヤされるためだった。
だが、ある時目覚め、アメリカの独立が願いになり、以前とは違う想いで軍の仕事をし、政治家にもなった。
よく、「自分の夢は何かを真剣に考えろ」と言われるが、考えて分かるようなことではない。
好きなことを毎日やっていれば、自然に本当の夢に導かれる。
しかし、好きなことが何か分からない人が多い・・・というか、それが圧倒的かもしれない。
好きなことなら毎日やれると言うが、逆に、毎日やれることが好きなことだ。やれと言われたわけでもないこと、あるいは、やるなと言われたことでも、毎日やってしまうことだ。別に、毎日興奮しながらやるわけではなく、落胆することもあるが、1年365日、ついついやってしまうことだ。
それで芽が出ないとすれば、何か余計なことを考えているのだろう。
我々に希望を与えてくれる言葉はスーフィーの次のものかもしれない。
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
ラクダとは心のことで、心をさ迷わせるな、あるいは、心を暴れさせるなという意味だろう。
早い話が、「泣き言を言うな」「文句を言うな」ということだ。
普通の人は、泣き言や文句を実現させるのだ。
ある賢い親は、子供にたった1つのことを命じた。
「文句を言うな」
だが、心の願い、自我の願いが軽視されるわけではない。
アイドル、サッカー選手、大いに結構である。
だが、イエスが言ったように、
「私の想いではなく、あなた(神)の想いが実現しますように」
を忘れなければ。
真の自分である神、あるいは、魂の想いが実現してこそ、自我である自分も満足する。
それを妨げるものは、自我の想いを魂の想いより上に置くことである。
あくまで、神、魂が上であることを忘れなければ、自我、心の想いも、ある程度実現するものである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)誰がかまうもんか?!(ラメッシ・バルセカール)
(2)誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる(チン・ニンチュウ)
(3)新約聖書(日本聖書協会)
(4)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省翻訳)
AIアート1422
「花の意識」
Kay
しかし、大抵の願いは洗脳から来るものだ。
洗脳から来る願いとは言っても、なかなか激しい場合もある。
絶対、アイドルになりたいとか、プロサッカー選手になりたいとか、なれる可能性などゼロに等しいとしても、なぜか熱狂する。
だが、全ての願いの元は、単にチヤホヤされたいだけなのだ。
そして、イエスは、「お前達は髪の毛1本、白くも黒くも出来ない」と言った。
ラマナ・マハルシは、「働く運命になければ、いくら探しても仕事は見つからない。働く運命にあれば、仕事は避けられない」と言った。
人には何の力もないと言っているようだ。
それなら、引き寄せの法則は何なのだと言う人がいるかもしれない。
どんな願いも叶うのではないかと。
しかし、引き寄せの法則が胡散臭く思われるのは、単にチヤホヤされたいための願いでも叶うように思わせるからだ。
そこで、ニーチェやイェイツの思想が注目される。
本当の願いは現状であるということだ。
今のこの状況は自分が願ったことであるということだ。
安月給で、カボチャババアの妻と出来の悪い子供と家のローンを抱えて鬱々と生きることが自分の願いだったとは、なかなか思いたくはないだろうが、それが真実かもしれない。
ジョージ・ワシントンは、偉い金持ちになってチヤホヤされることが願いで、その願いは非常に強かった。
軍人になったのもそのためで、司令官の地位に就くことも出来た。だが、それは、あくまでチヤホヤされるためだった。
だが、ある時目覚め、アメリカの独立が願いになり、以前とは違う想いで軍の仕事をし、政治家にもなった。
よく、「自分の夢は何かを真剣に考えろ」と言われるが、考えて分かるようなことではない。
好きなことを毎日やっていれば、自然に本当の夢に導かれる。
しかし、好きなことが何か分からない人が多い・・・というか、それが圧倒的かもしれない。
好きなことなら毎日やれると言うが、逆に、毎日やれることが好きなことだ。やれと言われたわけでもないこと、あるいは、やるなと言われたことでも、毎日やってしまうことだ。別に、毎日興奮しながらやるわけではなく、落胆することもあるが、1年365日、ついついやってしまうことだ。
それで芽が出ないとすれば、何か余計なことを考えているのだろう。
我々に希望を与えてくれる言葉はスーフィーの次のものかもしれない。
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
ラクダとは心のことで、心をさ迷わせるな、あるいは、心を暴れさせるなという意味だろう。
早い話が、「泣き言を言うな」「文句を言うな」ということだ。
普通の人は、泣き言や文句を実現させるのだ。
ある賢い親は、子供にたった1つのことを命じた。
「文句を言うな」
だが、心の願い、自我の願いが軽視されるわけではない。
アイドル、サッカー選手、大いに結構である。
だが、イエスが言ったように、
「私の想いではなく、あなた(神)の想いが実現しますように」
を忘れなければ。
真の自分である神、あるいは、魂の想いが実現してこそ、自我である自分も満足する。
それを妨げるものは、自我の想いを魂の想いより上に置くことである。
あくまで、神、魂が上であることを忘れなければ、自我、心の想いも、ある程度実現するものである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)誰がかまうもんか?!(ラメッシ・バルセカール)
(2)誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる(チン・ニンチュウ)
(3)新約聖書(日本聖書協会)
(4)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省翻訳)
AIアート1422
「花の意識」
Kay