ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

イエス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

「今この瞬間」の最も美しい描写

今今メソッドは、速やかに思考を消して無意識に入る優れた方法だと思う。
無意識に入り、無意識を信頼してまかせれば不可能はない。
無意識に入る方法は他にも沢山あるが、これほど自然に気持ち良くやれるものは、そうはないと思う。
今今メソッドとは、単に、今この瞬間にフォーカスする(焦点を合わせる。注目する)ことで、本来、非常に簡単なのだが、具体的なフォーカスの仕方は案外いろいろある。
一番単純な方法は「今、今、今・・・」とつぶやいたり、心で唱えることである。
呪文のように単調に繰り返すよりは、「今」と唱えるごとに、実際に今を感じるのが良いと思うが、分からなければ、ただ「今」とつぶやいたり唱えても良いだろう。唱えているうちに、今を感じるようになると思う。

私は、いつからやっていたのか分からないが、6つか7つの時には、見えているものの1つにフォーカスし「今見ている、今見ている」と心で唱えていると、一瞬前の記憶が消えるような、何とも奇妙な感じがして、夢中になることがよくあった。
ただ、その意味が分からず、人生の中であまり行わず、何年もやらなかったこともあったと思う。
何とももったいないことだと思う。

今今メソッドに慣れた人が、こんなことを言っていたようだ。
「目の前の空気感や雰囲気を意識します」
私は、「ああこれだ!」と思った。
これほど速やかに無意識に入ることが出来る今今メソッドはないと思うほどだ。
絵画の中には、傑作とか名画と呼ばれるものがあるが、そんな絵と普通の絵との違いは何かというと、もちろんいろいろあるだろうが、何と言っても、空気感や雰囲気が違うのである。
だから、そんな空気感や雰囲気が違う名画を鑑賞する意味は大きいし、名画を鑑賞する本来の目的の1つは空気感や雰囲気といった、五感プラス意識で感じる感覚を磨くためであると思うのである。

空気感や雰囲気と言えば、私には非常に印象的なものがある。
「20世紀最大の詩人」と言われた、ノーベル賞作家でもあるウィリアム・バトラー・イェイツの自伝的小説である『まだらの鳥』にあったものだ。
イェイツが自分を投影した主人公のマイケルが、精霊の少女と出逢う場面である。
精霊の少女は、深いオリーブ色のドレスをまとい、濃いブロンズのような髪をした、美しくて優しい、ほとんど無表情な顔で、海の上2,3インチのところに両足を離して浮かんでいた。
その後の描写が素晴らしいので、そのまま引用する。

好奇心に満ちた彼(マイケルのこと)の目に彼女の細部がはっきり見え、あたかも空気が普通のときよりも澄んでいるかのように、彼女のドレスの襞の一つ一つがくっきりと隅々まで光を一杯に浴びているようであった。

まるで、この精霊の少女が目に浮かぶようであると思った。
これこそが、最上の空気感や雰囲気であり、マイケルは、「今この瞬間」にあったはずだ。
まあ、我々が、このような精霊の少女を見たら、いくら美しくても幽霊のように思って恐れるかもしれない。
新約聖書の福音書の中でも、湖の上を歩くイエスを見て、ペテロらは幽霊だと思って恐れたという記述がある。
だが、イエスが「恐れるな、私だ」と言うと、ペテロは感激し、「私に来いと命じて下さい。あなたが命じれば私にも出来ます」と言い、イエスが「私は命じる。来い」と言うと、ペテロも水の上を歩いた。
この時も、ペテロはまさしく、今この瞬間にあったのであると感じる。
そして、ペテロがこの時に感じていたであろう、空気感や雰囲気を想像すると、今この瞬間というものが明確に分かる気がするのである。

神殿の石段
AIアート855
「神殿の石段」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)まだらの鳥(ウィリアム・バトラー・イェイツ)
(2)新約聖書 福音書(塚本 虎二訳。岩波文庫)
(3)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)

今今メソッドの実例「待つ」

「今、この瞬間に在る」ことを実践する今今メソッドを、最も簡単に実践出来る方法を示すことが重要だと思うようになった。
これまで、様々なメソッドをやっても効果が実感できなくても、今今メソッドがうまくやれれば、即座に「ああ、これでいいんだ」と思えるからだ。
しかし、いろいろな人の今今メソッドの実践法を見ると、抽象的だったり複雑だったりで、なかなかいいものがない。
まあ、最低限の効果であれば、「今、今、今、・・・」と唱えるだけでも無駄ではないし、それをやっているうちに、良いやり方が見つかるかもしれない。

今回は、エックハルト・トールの『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(原題:ザ・パワー・オブ・ナウ)』から1つのやり方を取り上げる。
この本の第5章第2節『「待つこと」の本当の意味』からである。
新約聖書の福音書のイエスの教えを取り上げている。
それは、
「主人の帰りを待つしもべのようでありなさい」
である。
少し説明すると、イエスは、
「主人はいつ帰って来るか分からない。いつ主人が帰って来ても、ちゃんと出迎えるしもべは大事にされる。だが、主人が帰って来た時に眠っていたり、遊んでいたりして、しっかりと出迎えが出来なければ、主人に捨てられる。しもべはいつも主人が帰って来ないかと注意していないといけない」
といったことを教えたのである。
エックハルト・トールは、福音書の翻訳者は、この意味するところが分かっていないので、イエスの意図が伝わらなくなっていると言う。
つまり、主人の帰りを常に注意深く待つような状態が、今に在ること・・・つまり、今今メソッドであるということだ。

これに関連して、私は、コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』に書かれていた話を思い出す。
ある男の妻が、心神喪失状態になったが、彼女を愛する夫は、彼女が意識を取り戻すのを常に見守っていた。
すると、いくらかの期間は要したと思うが、彼は精神に変革を起こし、高度な精神能力を得たのである。
彼にとっては、妻の意識回復を常に待つことが今今メソッドになったのである。

このように、待つ・・・それも、真摯に(まじめに、ひたむきに)待つということが、良い今今メソッドであるということだ。
だから、何か、価値がある待つことがあるなら、それを今今メソッドに出来るし、想像力のある人なら、待つ何かを思いつくことも出来るだろう。
1970年に、リカちゃん人形に、レディー・リカという16歳のリカちゃんが登場したことがあった。
リカちゃん人形を持つ子供にとって、16歳は大人である。
子供の女の子達の大人への憧れを狙い、レディー・リカのこんな歌詞のCMソングが作られた。
「何かが起こる。なんだか胸が震えるの、Ummちょっぴりこわいの。でも私はもう大人」
若い乙女に「何かが起こる」というのは、昔の少女漫画やアイドルソングの定番みたいなものだったと思う。
乙女でなくても、人生は予期せぬことが起こってこそ楽しいのであり、予期せぬ出来事を避けるようになれば老人である。

私の場合、
「世界が今始まった」
「今、この夢の中に入り込んだ」
と思った瞬間が、今を感じ易いと思う。
そして、世界は、常に今始まっている、あるいは、常に、夢に入り込んでいるのである。
慣れてくると、いちいち言葉で「今、世界が始まった」などと思わなくても、それを意識出来るようになる。
それが最上の今今メソッドになるのである。

ゆふぐれ
AIアート852
「ゆふぐれ」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
(2)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(3)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)
(4)左脳さん、右脳さん。(ネドじゅん)

人類最高の3人が言った共通する意外なこと

人間は皆、自分は頭が良いと思っている。
どんな愚か者でもそうだ。
実は、自分の頭が良いと思っている者ほど馬鹿だ。
一方、自分は馬鹿だと本当に知っているなら馬鹿ではない。

私は子供の時、何かの雑誌で、東大生に対する「頭が良いと思う人物を5人あげよ」というアンケートで、歴史上の大天才と並べて自分をあげていた馬鹿が半分いたという記事を読み、「東大生って半分も馬鹿がいるんだなあ」としみじみ思ったものだった。
(あくまで昔の東大生の話である)
東大生は、元々は頭が良いが、東大に入って、冗談にでも、そのように考えるようになったら馬鹿になるのである。

また、似たことだが、自分は有能だと思っている者ほど無能だ。
自分に自信を持つことは大事だという話もあるが、優越感を感じる自信は全て不要である。

聖母マリアの人生を変えた一言をご存じだろうか?
天使が、結婚前のマリアと、マリアの親類の老女であるエリサベツの両方に子供が出来るという、信じられないことを言った後、天使はこう言った。
「神には何一つ出来ないことはない」
(ルカ福音書1章37節)

だが、人類で最も有能な人イエスはこう言った。
「私は自分では何一つすることが出来ない」
(ルカ福音書5章30節)
そういえば、『バガヴァッド・ギーター』で、神クリシュナはアルジュナに対し、「人類で最も優れた者よ」と呼びかけていた。
アルジュナは確かに素晴らしい男であるが、そこでは何も出来ずにいた。
そして、クリシュナとの会話で、アルジュナには何も出来ず、何も知らないことは明らかであった。
人類で最も優れた人であるアルジュナですらそうなのだ。

ソクラテスは、巫女が神託として言った、「ソクラテスが人類の中で最も知恵がある」ことを認めた。
なぜなら、「人類の中で私だけが、自分には知恵がないことを知っている」ことが分かったからであった。

実際、自分の馬鹿さ、無能さを知らない者が馬鹿で無能であり、自分の馬鹿さ、無能さを本当に知っている者が賢く有能である。
例外は決してない。
とはいえ、想定の法則の正しい活用方法を知っていれば、誰でも何でも出来るのだが、やはり正しくは、出来るのではなく起こるのである。

美しい光景
AIアート794
「美しい光景」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
(2)バガヴァッド・ギーター(日本ヴェーダーンタ協会翻訳)
(3)ソクラテスの弁明/クリトン (岩波文庫)
(4)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(5)その思いはすでに実現している! (ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(6)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)※『AT YOUR COMMAND』翻訳書

卑しい「ありがとう」を言わない

私がひねくれているだけかもしれないが、「ありがとう」という言葉を数多く言えば良いことがあるという教えには非常に抵抗がある。
ロンダ・バーンの『THE SECRET(シークレット)』のDVDで、若い男性の話者が、「着ている服があることに『ありがとう』、住む家があることに『ありがとう』と言いましょう」と澄ました顔で言うのを見ると、本当に気色悪く感じるのだ。
この話者が言うには、何かに感謝すれば、それが大きくなって返ってくるらしい。
たとえば、自分のポンコツの車に感謝すれば新車のベンツになって返ってくるみたいな感じである。
そのような「得をするために感謝する」という考え方が卑しく思えてならないのだ。

そもそも、感謝とは、何かをしてくれた人に対し、労(ねぎら)い、敬意、謙譲の気持ちを込めて行うものだ。
それに関しては、私も全く抵抗はなく、自然に行うことが出来ると思う。
しかし、見返りを期待し「ありがとう」を連発し、それと同じような感覚で、自分のために何かしてくれた人に対し「ありがとう」と言ってしまうことがあってはならないと思う。
「何もしてくれなくても感謝しろ」といった教えは、一見、貴いような気はする。
たとえば、社長が授業員に対して、逆に、従業員が社長に対して、あるいは、子供やペットに対し。
いやいやいや、従業員も社長も子供もペットも、自分のために、ものすごくいろいろしてくれているのであり、それに対して感謝するのは良いが、それを、何もしてくれていないと思い違いする愚かさを感じるのである。
それに、そんな従業員や社長や子供やペットに対して想うべきは、感謝と言うより敬意である。
実際、「ありがとう」と言いながら、敬いの気持ちを持たない者が多いような気がするのである。
自分のポンコツの車に「ありがとう」と言いながら、心では「お前みたいなポンコツは早く消えて、新車のベンツになってくれよ」と思うようでは、今持っている車を軽んじているのであり、そんな者は、人に対しても敬意を持たないものであると思う。

志賀一雅博士は、人間の脳の機能的にも、「よかった」と思った後に、その気持ちを表現するために「ありがとう」と思うのだと言い、やみくもに「ありがとう」と言うことには苦言を呈している。
それで、「よかった・ありがとう呼吸」を考案したのである。

イエス・キリストは、あまり感謝しなさいとは言っていないと思う。
福音書の翻訳の際、翻訳者が「感謝」という言葉を当てたところも、どうも違うと思うのだ。
実際には、イエスは「恵まれていることを知りなさい」と言ったのであると思う。
ポンコツでも、乗れる車があるなら、それは恵まれているのである。
ポンコツの車も得られない人は世界中にザラだ。むしろ、地球人口で言えば、動く車を持っている方が稀である。
スマートフォンを持っているなんて、稀の稀だ。そもそも、電話を見たことがない人だって少なくない。

上野千鶴子氏の2019年の有名になった東大の入学式の祝辞で、新入学生に対し、
「あなた達が今ここにいられるのは、あなた達が恵まれていたからだ」
と言ったのは、実に当を得ていたと思う。
もし、そこの学生が、「私は東大に入れて感謝しています」と言ったら、そいつアホかと思う。
「いえ、親や高校や予備校の先生に感謝しているのです」と言うなら、確かに、親や先生はいろいろしてくれたのだから真っ当な部分は当然あるが、それも、感謝というより、自分を助けることが出来る親などに敬意を持つ方が先なのである。
東大に入れたのは、自分の権利でも、自分が頭が良いからでも、自分が努力したからでもない。
そういった部分も確かにあるかもしれないが、最重要なことは、自分が恵まれていたからである。
それが分からないと、恵まれていなかったから、自分のように良い想いが出来ない人のことが分からないのである。
東大に入りたくて入れなかった人の中には、自分よりずっと優秀な人も沢山いるのである。
まあ、今時おかしな言い方だが、自分より優れているのに、向いていない肉体労働者になるしかない人もいるかもしれない。

イエスは、感謝しろと言ったのではなく、「恵みを知れ」「恵みを思え」と言ったのであると私は思う。
それは「ツイてるツイてる」と連呼することではない。
「これがあって良かった」と認識することである。
その結果、自然に感謝の念が起こるのは良いことである。
しかし、わざとらしく「ありがとう」と言うのは、私には馬鹿か卑しいかのどちらかとしか思えないのである。

プライベートルーム
AIアート617
「プライベートルーム」
Kay


「ありがとう」の大安売りをしても引き寄せは起こらない。
恵みを認識することで引き寄せは起こるのである。
それが当たり前の考え方であると私は思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)神さまの周波数とシンクロする方法(志賀一雅)
(2)新約聖書 福音書(塚本虎二)
(3)ジーザス・クライスト=スーパースター(1973) [Blu-ray]
(4)積極的考え方の力(ノーマン・ヴィンセント・ピール)
(5)無限供給の鍵(谷口雅春)

無料の聖なる光線銃

イエス・キリストは、「汝破れたり。退けサタン」と言って、サタンを黙らせたのだが、サタンは思考のことで、心、自我だと言っても良い。
たとえば、男の子が好きな女の子が出来たら、「彼女は僕が好きだろうか?」「彼女は僕を嫌いじゃないだろうか?」「彼女には好きな男の子がいるのではないだろうか?」「彼女に格好良いと思ってもらうにはどうすればいいのか?」など等、いろんな思考が起こる。思考するのは自我であり、心である。
イエスは、こんな思考、あるいは自我、あるいは心を黙らせたのである。
面倒だから、以下、思考、自我、心を、まとめて「思考」と言う。
思考を黙らせればキリストであり、全知全能だ。
そこで、思考を消す光線銃が欲しいものだが、思考は死なない。黙らせても、必ず蘇る。
だから、軽量小型の携帯性の良い光線銃を手に入れ、出てくる度に光線銃で撃って黙らせるしかない。
でも、そうやって何度も光線銃で撃っているうちに、思考は大人しくなってくる。

ラマナ・マハルシは、その光線銃は「私は誰か?」という想いだと言った。
ただ、マハルシのそれは、思考を黙らせると言うより、本当に思考を殺して二度と復活しないことを目的にするものだ。
その目的の達成はハードルが高い。
マハルシの光線銃「私は誰か?」は大型で強力なものと思われる。
だが、大型だけあって、少々操作が難しいかもしれない。
とはいえ、誰でも使えるのだから、時々は使うと良い。

妖精は光に透ける
AIアート595
「妖精は光に透ける」
Kay


そこで、いつでも手軽に使える、対思考用の軽量小型光線銃を手にしよう。
マハルシの大型光線銃に比べれば、パラライザー(麻痺させる武器)みたいなもので、一般に言う麻酔銃のような光線銃だ。
しかし、思考というお化けが出てきたら、とりあえずパラライザーで痺れさせれば安心だ。
そして、お化けも、何度も撃たれていたら、そのうち大人しくなる。その理由は、お化けがパラライザーを恐がるというより、撃てば痺れさせることが出来るというこちらの自信がお化けを威圧するのだ。
その小型軽量のパラライザー効果のある光線銃は、「だから何?」という言葉だ。
「だから何?」「それが何?」「それで?」「だから?」などのバリエーションがある。
英語では So What? だ。
性能が悪い光線銃「知らんよ」「知るもんか」「関係ない」「どうでもいい」だと、お化けはあまり大人しくならない。
だが、「だから何?」と言えば、お化けは確実に痺れて大人しくなる。
心配事や不安、悩み事が出てきたら「だから何?」と言ってやれば、その心配事を構成する思考は痺れて黙る。
そうすれば、心配する必要がない心配だと分かったり、あるいは、本当に必要なことが浮かび、それを何も考えず淡々と実行し、気が付いたら解決している。
そりゃ、思考がない時に浮かぶ解決策は天才の解決策なのだから当然だ。
つまり、思考を消せば、誰でも天才なのだ。
悪い意味で言う「思考停止」は、本当は思考が停止しているのではなく、愚かな思考にとりつかれた状態で、洗脳状態であると言うことが出来る。
この光線銃は、そんな愚かな思考も痺れさせ、黙らせる。
最新の、小型軽量、クールでイカした、それでいて性能抜群、いかなるお化け(思考)も痺れさせる光線銃、
「だから何?」「それが何?」「それで?」「だから?」
ただいま無料である(本当はずっと無料だが)。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシの教え
(2)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻
(3)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
(4)こころの最終講義(河合隼雄)
(5)自我と無意識 (C.G. ユング)
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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