ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

イェイツ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

大芸術家達の引き寄せ体質

満ち足りていることと飢餓感・・・この両方が必要だ。
世の中には、このどちらかを極端に嫌う人が多い。
満ち足りていることしか受け入れなければ小市民・小善人になり、飢餓感しか受け入れなければ極貧になる。

何事も、原動力は飢餓感・・・ハングリー精神だということはご存じだろうが、特に芸術はそうだ。
しかし、飢餓感しか受け入れない芸術家は、天才であっても一生貧しいままだ。そして、そんな天才は多い。
W.B.イェイツは、死の直前まで安らぎを拒否したのだが、大天才であったからと言うより不思議な縁で成功したし、アンデルセンとなると、著作権のない時代だから、本来なら極貧になったはずだが、幸い、人のアドバイスで国家から年金を貰えるようになったので遊んで暮らせ、世界旅行を続けることも出来た(贅沢三昧出来るほどの年金ではなかったが)。
ピカソは、たまたま大金持ちのファンがいて、絵をいくらでも買ってくれたから豊かだった。
ゴッホには、そんな金持ちのファンなどはおらず、また、彼は認められなかったと言うより、時代に迎合した絵を描かなかったので、絵は1枚も売れなかったが、心優しい弟のテオが、経済面の一切の面倒(高価な画材も含め)を見てくれた。
宮沢賢治も、文筆でほぼ全く金を稼がなかったが(5円だけ稼いだ。今の10万円程度か)、実家が大金持ちで、父親を散々罵りながら、心優しい父親は賢治を追い出さなかった。

まあ、なんだかんだ言って、大芸術家達は引き寄せを行っていたのだと思う。
そうでなければ、彼らのラッキーは特異過ぎる。
そして、彼らが書いたものや言ったことを見てみると、確かに、強い引き寄せマインドが感じられるのである。
彼らは、神、あるいは、神に準じるスピリチュアルな何かを信じていた。
イェイツは、神秘を信じない人を、想像力がないと言って非難し、彼はダンテを最高の想像力の持ち主だと褒めている。
そして、アンデルセンもダンテには心酔していたようだ。
そういえば、私も、中学生時代はダンテの『神曲』を物語風にした『神曲物語』を引き寄せの教科書にしていたものだ。どうせ日本語では、ダンテの詩の荘厳さは翻訳出来ないので、むしろ読み易くて良かった。

大金を払ってピカソに似顔絵を描いてもらいたい金持ちはいくらでもいたのに、ピカソは子供達にタダで似顔絵を描き、岡本太郎が「描いてやった子供が、似顔絵を気に入らないって言ったらどうする?」と尋ねたら、「描き直すよ」と言ったらしい。
ここらも引き寄せ体質であると思う。
アンデルセンの引き寄せ能力は、見事なものだった。彼も、自分には神様の奇跡が何度も起こり、幸福な人生であったと言っているのである。
大芸術家のマインドに学ぶことには価値があると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)アンデルセン自伝(ハンス・クリスチャン・アンデルセン)
(2)まだらの鳥 ~自伝小説~ (W.B. イェイツ)
(3)青春ピカソ(岡本太郎)
(4)『宮沢賢治全集・283作品⇒1冊』
(5)ゴッホへの手紙(小林 秀雄)
(6)私のピカソ 私のゴッホ(池田満寿夫)
(7)神曲物語(上)(ダンテ著。野上素一訳)

椅子に座る乙女
AIアート916
「椅子に座る乙女」
Kay

我々はなぜ弱いのか?

私は、日本で成功した電子掲示板である「2ちゃんねる」とか「5ちゃんねる」を見たことはほぼないし、何ごとも試してみるべきという想いで、ごく短期間、投稿をしたこともあるが、それっきりだ。
ところが、それらの電子掲示板の面白いスレッド(話題ごとのメッセージの流れ)を、主に音声読み上げソフト・音声読み上げサービスで音声化したものをYouTubeで投稿することがよく行われており、私もそれらはよく見る。
まあ、投稿者は電子掲示板管理者から許可を取っているとは思えないが、文句を言われることもないように思う。
それで、私はオカルト話を中心に時々見るのだが、感心するほど面白い・・・と言うより高度な話も少なくない。
実在したら涼宮ハルヒが喜びそうな、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者等の話には、実話と謳いながら創作ではあるのだろうが、プロの作家とはまた異なるスタイルで書かれた内容で、非常に素晴らしいものもある。

その中で、レプティリアン(爬虫類型宇宙人)を自称する人物の話に非常に感銘を受けてしまった。
彼は、地球人に紛れ、平凡な人間を装って生活しているらしいが、人間のことは食べ物と心得ており、人間達に気付かれないよう食べているのだが、それは政府も黙認しているらしい。
人間は恐怖を感じると、血液や体液の状態が変化し、とても美味しいらしく、そのような状態にしてから食べると言う。
しかし、それを明かしながらも、掲示板上ではお互い楽しく会話しているのは、もちろん、創作であると認識されているからだろう。
とはいえ、楽しむためには、見ている間はノンフィクションと思わないといけない。
そのように、レプティリアンは人間を食べるし、また、高度なテクノロジーを持つ宇宙人も度々戦争をするし、侵略・征服、その他、力による搾取や支配と思えることも行われている。
そんなことをするレプティリアンなどの宇宙人を利己的、残酷、非道と思うだろうが、そのレプティリアンは、地球人の方がよほど、利己的、残酷、非道ではないかと言う。
その理由は、いまだ、貨幣制度や法律、宗教などを持っているからだ。
これらのものがあるからこそ、一部の支配者が贅沢三昧をし、大多数の庶民が苦しんでいるのだと言う。
支配者も悪いが、庶民も悪いと言う。
どう悪いかというと、どちらも弱いから悪いのである。
どういうことかと言うと、沢山お金を持つことで安全でいたいというのが、どうしようもない弱さだと言う。
貨幣制度や法律、宗教は、自分が高い地位に就くことで富を得、安心を求めるためのものだからだ。

これに関して、私は思い出すことがある。
『幸福な王子』で知られるオスカー・ワイルドが、何かの作品で、イエス・キリストに救われた人々の後日談を書いている。
盲目だったのがイエスによって見えるようになった人、死んでいたのをイエスによって甦らされたラザロ、石打ちで処刑されかけたところを「罪のない者から投げよ」というイエスのとりなしで命を救われた女などである。
それら、イエスに救われた人々は、全員が不幸になっていたのである。それも、どうしようもないほど惨めになっていたのだ。
つまり、イエスがやったことはロクでもないことだったというわけだ。
その話を読んだ「20世紀最大の詩人」と呼ばれたノーベル賞作家W.B.イェイツは感動し、『カルヴァリー』という戯曲を書いた。
十字架に磔にされたイエスが、ローマ兵達に言う。
「私が神に願えば、すぐに助けが来る」
それを聞き、ローマ兵達は、
「それは俺たちの神ではない。俺たちの神はサイコロだ。予期せぬことでさえあれば、どんなことも起こることが最善なのだ」
と言い、イエスは彼らの強さに屈服し、
「父よ、なぜ私を見捨てた」
と言う。
イエスを裏切ったユダもイエスに言う。
「俺はお前が神であることを疑ったことなどない。だが、お前が笛を吹いたら踊らなけばならないことが耐えられなかった」
ユダは、好きなように踊る強い人間でありたかったのだ。たとえそれで殺されても。
お金や宗教を大事にする限り、人間は弱く不幸なのかもしれない。
おそらくだが、『君たちはどう生きるか』などといったタイトルの映画を有り難がって見ている人間も弱いのではないかと思う。

真夜中
AIアート869
「真夜中」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)快楽主義の哲学(澁澤龍彦)
(2)自分の中に毒を持て(岡本太郎)
(3)アラーキー語録 人間、泣かなくちゃ。(荒木経惟)
(4)オンディーヌ(ジロドゥ)
(5)二十六人の男と一人の女(ゴーリキー)

ぞっとするこの世の秘密(劇的内容)

前回の記事で、我々という存在は小説や漫画の登場人物であり、世界は小説や漫画であるという、割とよく聞く話をした。
その小説や漫画の作者が、ある人物が悟りを開くというストーリーにすれば、その人物は最高の人間だし、魔法使いになるというストーリーにすれば、その人物は無敵かもしれない。
まあ、そこまででなくて良いから、自分は引き寄せの達人にして欲しいと作者様にお願いしたいものである(笑)。

ところで、世界は小説や漫画というよりは、劇であると考えた方が納得し易いかもしれない。
というのは、今まさに、自分は世界という舞台の中で、自分の役を演じているからであるが、20世紀最大の詩人と言われたW.B.イェイツも『ラピス・ラズリ(瑠璃)』という詩で、まさに世界とはそのようであることを書いている。

私は、小学4年生の時、誰に教えられたわけでもないが、この世界は劇であることを見抜き、爽快な気分になったことがある。
ところで、劇と言えば、そのストーリー・脚本を文学作品として書いたものを戯曲と言い、人類最高の戯曲家(劇作家)はウィリアム・シェイクスピアであると考えられていることも多いと思う。
ただ、シェイクスピアの作品というのは、どこか地味な印象があるかもしれない。いや、実際に地味なんだと思う。
しかし、だからこそ、作中の登場人物に自分を重ね易く、つまり、登場人物に共感し易いのだと思う。
アメリカを代表する現代作家カート・ヴォネガットは、「シェイクスピアは下手な作家だったが、人間をよく知っている」と述べていたが、この言葉は、シェイクスピアが下手な作家であるというのではなく、人間を本当によく知っている人だと言いたかったのだと思われる。

で、レベルの低い話かもしれないが、我々としては、この世界という劇の作者様に、自分がお金持ちになるストーリー、モテモテになるストーリーをお願いしたいものである(笑)。
そのためには、引き寄せが簡単に出来れば良く、そして、そのためには、至高体験を起こさせてくれれば良いのである。

前回の記事がまさに、どうすれば、我々が生きているこの劇の作者様に、自分に至高体験を起こさせてもらえるかという話であった。
登場人物の分際でそんなことが出来るのかというと、どうも出来そうなのだ(笑)。
その鍵が、イェイツの『ラピス・ラズリ』である。
さすが、イェイツは魔法結社の会員だっただけあり、魔法の秘儀をこの『ラピス・ラズリ』に埋め込んだ。
私は、この詩を、原文(英語)と、少なくとも5種類の訳文を読んだ。
やり方は、後でまとめて述べるから安心して欲しい。

そういえば、『美少女戦士セーラームーン』の作者、武内直子さんもイェイツが好きなようだが、『美少女戦士セーラームーン』もイェイツの影響が大きく、転生後の土萠ほたる(セーラーサターン)によくイェイツの詩を暗唱させ、ほたるがサターンに覚醒するきっかけを与えたのもイェイツの詩だった。
ちなみに、ほたるが暗唱した詩で印象的なものは『再来(再臨)』であった。
この詩も、世界の壮大な仕組みを見事に明かしている。

あまり言われることはないかもしれないが、シェイクスピアの作品は、よくマンデラ・エフェクトを起こすのである。
つまり、人によって、憶えているストーリーが違うのだ。
『ハムレット』や『リア王』の結末が、どうも記憶がぼんやりしている人が多いと思う。
ハムレットとオフィーリアのどちらが死んだのか、両方死んだのか、どんな順番で死んだのか、いろんなバージョンの記憶があり、両方死ななかったというストーリーを憶えている人もいるほどだ。
実のところ、シェイクスピアも迷ったのだ。
そして、作者たるシェイクスピアが迷うことで、沢山のパラレルワールド(並行宇宙)が出来てしまった。
作者が迷った時に、関係する登場人物は至高体験を起こすのである。
そのコツは、実にイェイツが『ラピス・ラズリ』に書いている。
「主役を務めるほどの役者は泣かないものだ」
「ハムレットもリア王も陽気(Gay)なのだ」
本当にぞっとする話である。
これを見たあなたほど幸運な人はおるまい。

夕暮れの薔薇
AIアート733
「夕暮れの薔薇」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ハムレット(新潮文庫)
(2)リア王 ――シェイクスピア全集(5) (ちくま文庫)
(3)イェイツ詩集(対訳) (岩波文庫)
(4)薔薇: イェイツ詩集 (角川文庫)
(5)塔: イェイツ詩集
(6)最後のロマン主義者 イエーツ訳詩集 (加島祥造セレクション1)
(7)W.B.イェイツ全詩集
(8)美少女戦士セーラームーン 完全版(1)

至高体験を起こす方法(6)

前回述べた至高体験の起こし方の鍵は、この現実世界が幻想である・・・現代的な言い方ではVR(仮想世界)であることを見抜く(あるいは感じる)方法だった。
そのためには、薄目で何かを眺め続ければ良いだけであるが、その際、呼吸を利用すると効果的であることが分かっている。
どんな呼吸をするかは、3つ上げられる。
1つは、深呼吸で、普通はこれで十分だ。
2つ目は、単に呼吸を意識するだけで、呼吸をコントロールしないというものだ。これに関しては、これが気持ち良ければ、あるいは、気分転換にやれば良く、これで心を静めやすい人もいる。
また、呼吸を意識することは、精神状態の確認には良いものである。なぜなら、呼吸の状態と精神の状態は一致するからだ。
3つ目は密教の方法で、呼吸していないように見えるほど微かな呼吸をするというものだ。これは、慣れないとうまくいかない。そもそも、密教ではこれ自体が修行である。だが、効果が凄く、進歩すると高次元世界に入ってしまう。
いずれにしても基本的な考え方は1つで、長続きすることをやることで、それには、楽で気持ち良い、あるいは、好きで面白く感じることをやることだ。
そして、この3つをトータルで採用したやり方が、深いゆったりとした呼吸(単に深呼吸だが)をしながら薄目で見ることである。

W.B.イェイツ(20世紀最大の詩人と言われたアイルランドの詩人・劇作家。ノーベル文学賞受賞)は、たびたび至高体験を経験し、詩の中でも表現している。
彼は、至高体験をエクスタシー(日本語では法悦、忘我、没我等)と呼んでいたが、彼もどうすればそれを起こせるのか、はっきり分かっていたわけではなかった。
しかし、彼は、老年になっても、今で言うロックな生き方・・・体制に収まらず、反逆的で、孤独を恐れない生き方をしていた。
少し前に流行った「ちょい悪おやじ」どころではなく、徹底したBAD(ワル)で、不良老人であることを自任していた。
それが出来たのも、至高体験でエネルギーを得ていたからで、このように、生命エネルギーを得る至高体験を岡本太郎が「爆発」と呼んでいたことは明らかだった。
前述の通り、イェイツは、至高体験を起こす方法を明確には分からなかったが、面白いことを述べている。
それは「恨むのをやめた時に起こるようだ」である。
恨む相手が何かはっきり言っていないが、それは、人や運命だろう。
それらを恨むことをやめた時に至高体験が起こる・・・さすがな洞察で全く正しい。
正しいが、恨むことをやめることほど難しいことはない。
だが、そもそも思考を消せば恨むことは出来ない。恨むことは所詮思考だ。
それなら、深呼吸しながら薄目で見れば良いのである。
さらに、楽にやれるならマントラを唱えると良い。
マントラに優劣は一切ない。自分が楽に唱えられるものを唱えれば良く、毎回変わっても全く差し支えない。

美しい小
AIアート715
「美しい子」
Kay


だが、イェイツだって、強烈なやり方も知っていた。
天才的な文豪や芸術家なら誰だって知っているのだ。
芥川龍之介だってそうである。
岡本太郎も好きだったようだ。
そんなことも追々述べる。
尚、イェイツの時代にVRの概念はもちろんなかったが、彼はこの世界が劇のようなものであることには気づいていた。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)至高体験(コリン・ウィルソン)
(2)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(3)フランケンシュタインの城(コリン・ウィルソン)
(4)まだらの鳥(イェイツ)※イェイツの自伝的小説
(5)イェイツ詩集(対訳) (岩波文庫 )
(6)ケルトの薄明(イェイツ)
(7)美の呪力(岡本太郎)
(8)悪霊(上)(ドストエフスキー。江川卓訳。新潮文庫)
(9)悪霊 (1) (ドストエフスキー。亀山郁夫訳。光文社古典新訳文庫)

至高体験を起こす方法(2)

至高体験(Peak experience:絶頂体験)は、プチ悟り、瞬間的な悟りと言って良いと思う。
悟りを開いた人物は人類の歴史の中でも多くはないと思う。私の認識では、釈迦とイエス、それに、黒住宗忠とラマナ・マハルシを入れてもいいかなという程度である。
しかし、パートタイムの悟りである至高体験なら、誰でも起こすことが出来る。長く多く起こせた者が偉大な人物になる。
悟りを開いた人間は全知全能であるが、至高体験を起こすほどそれに近付き、引き寄せ程度であれば自在になる。
必ずしもそうではないが、子供の時は至高体験になることが多く、私ですらあり得ない出来事を数多く起こしたし、物理学者のフレッド・アラン・ウルフもテレポーテーションを体験したことを明かしている。

今回は、かなり強烈な至高体験の例と、その起こし方だ。
なぜこの話にしたのかというと、たまたま思い出したからだ。
ところで、至高体験では、「たまたま」ということがとても重要になる。
悟り自体がたまたまのもので、望んで得られるものではないが、至高体験にも似た性質がある。

今回の話は、アイルランドのノーベル賞作家でもある「20世紀最大の詩人」W.B.イェイツが気に入っていた話で、イェイツ自身が作ったものかどうかはっきりしない。
あるアラブ人の賢者(男性)の話だ。
そのアラブ人は、生涯に3度、最高の歓喜を体験する。イェイツはそう言ってはいないが、それは特に強烈な至高体験と言えると思う。
そもそも、イェイツの時代には至高体験という言葉はなく、イェイツは至高体験と思われることを、普通にエクスタシー(忘我、没我、法悦)と呼び、これ(エクスタシー)を芸術の目的と断じた。
そのアラブ人が最高に歓喜する原因になった出来事は3つ。
1つは家族を皆殺しにされたこと、1つは家を奪われたこと、1つは自分の死を悟ったことだ。
もう滅茶苦茶で、それでなんで歓喜するのかということに、普通はなるだろう。
なぜ歓喜したのかというと、彼はそれらの時、神になった・・・とまでは言えないかもしれないが、それに限りなく近づいたからだ。
そして、重要なことは、彼は、この3つの歓喜の体験によって、間違いなく、いつでも至高体験を起こせるようになったに違いないことだ。
つまりこうである。
家族が殺されたことは不幸な出来事だが、それを起こしたのは神である。
だが、彼は、それを神の思し召しとして受け入れたのではない。
それを自分の意思としたのだ。そうすれば、自分が神ということになる。
そして、いかなる偶然も自分の意思とすれば、いつでも自分は神なのである。
たまたま電車が遅れて遅刻したとしても、それ(電車が遅れたこと、遅刻したこと)を自分の意思とすれば、その出来事は神である自分が起こしたことになる。
好きな女の子にフラれたことも、目の前で黒猫が横切ったことも、何かの会場でたまたま知り合いに出会ったことも、全て自分の意思である・・・そう見なした時、自分は神である。
このように思うようになれば、至高体験が度々起こり、やがて当たり前になる。
まとめて言えば、いかなる出来事も自分の意思であると見なすのである。
風が吹いたことも、猫が鳴いたことも、岸田首相が野田元首相の圧力に屈し「政治資金パーティーはもうやらない」と言ったことも、受験に落ちたことも、ライブコンサートのチケットの抽選が外れたことも、宝くじで1億円当たったことも。

天地開闢
AIアート711
「天地開闢」
Kay


いきなり究極的な方法になってしまった。
だが、これを実行するのはなかなか大変かもしれない。
とはいえ、これこそ、子供なら簡単に出来ることかもしれない。
私など、小学4年生くらいまでは、いつもではないが、この世界は自作自演の劇であると思っていたくらいだ。
家や学校やテレビの洗脳のため、だんだん全知全能から離れていったが、とんでもない場所で好きな女に子にぱったり会った時は、自分でやったことに気付いていたものだ。
偶然を自分の意思であると思うようになるほど、どんな偶然でも起こせるようになるのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)至高体験(コリン・ウィルソン)
(2)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(3)イェイツ(渡辺久義。あぽろん社) ※あまり知られていないが重要な書
(4)幻想録(イェイツ) ※原題はヴィジョン。イェイツ作の聖書のようなもの
(5)イェイツ詩集(対訳) (岩波文庫)
(6)まだらの鳥: 自伝小説(イェイツ) ※自伝小説というより自伝的小説
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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