今回は『老子』第57章である。
この章を一言で言えば「放っておけ」だ。
昔、アメリカで禁酒法が制定され、飲酒や酒の販売が法律で禁止されたことがある。
しかし、それで酒を飲む者がいなくなるはずがない。
そんな法令が出来れば、酒がアンダーグラウンド化し、ギャングに豊富な資金をもたらすことは分かり切ったことだった。
最近の日本では、淫行条例や児童ポルノ禁止法などで表向き子供を守ろうとしているが、十代の少女の性的需要がなくなるはずがなく、これらはアンダーグラウンド化し、余計に悪いことになる。
そんなことは、売春が法律で禁止されると、より不幸な女性が激増した歴史を見れば、火を見るより明らかである。
ナイフ所持を禁じれば、かえってナイフでの凶悪事件が増えるのも同じだ。
禁止されることで少女やナイフの魅力が増すことなど、分かりそうなものだ。
老子はこの章で、「法令が整うほど犯罪者は増える」のは当たり前だと言い、どうすれば国が収まるのかというと、為政者が清浄を好めば良いと言ったのだが、それなら、日本はもう可能性がない。言うまでもなく、清浄な為政者がいないからだ。
また、どこぞの人気経済学者が「60歳になったら集団自決すれば世の中は良くなる」と言ったらしいが、60歳が自決すれば50代が落ちて来るだけだ。
そんなことも分からないのだろうか?

AIアート4
「地球人類の円盤型宇宙船」
Kay
何かをすれば、全て裏目に出て悪い状況になる根本原因は、人間が邪悪になる性質があるからだ。
なぜ、そんなことになるのかは、合理的説明が出来ず、性悪説が出たり、理性が本能を制御出来ない脳の欠陥から来るなど、いろいろ言われた。
そして、そんな程度の低い説を、天才と言われる人が言うのだから困ったものだ。
たとえば、フロイトやアーサー・ケストラーがそうだった。
しかし、田舎の素朴な人間が善良である場合が多いことを見逃している。
要は、余計なことを考えなければ良いのである。
それを、老子は「私が為政者なら何もしないし、何も考えない」と言ったのだ。
君子がそうであれば、人民もそうなるからだ。
日本は、為政者には期待出来ない。
しかし、我々が思考を消せば傷付くことはない。これは、何度も説明したので、詳細は省く。
だが、正しく思考を消す方法を知らず、「良いことを考えなければならない」と思う者ばかりだが、人間に出来ることは「悪いことを考えない」ことだけだ。
だから、W.B.イェイツは「愛は神の領域で、人は愛することは出来ない。だが、憎むのをやめることは出来る」と言い、イエスは「正しい方は神だけだ」と言ったのだ。
思考を消せば、自ずと神(内なる魂)の善が現れる。
そして、正しく思考を消す方法が「私は誰か?」と自分に問うことだ。
「本当の自分は誰か」を探求するために「私は誰か?」と問うのである。
自分が本当は権力ある公爵であることを忘れた乞食が「私は誰か?」と問えば、不意に自分が公爵であることを思い出すようにである。
だが、問わなければ、いつまでも思い出さない。
公爵であることが分かれば、巨大な権能を振るえるように、我々は自分が全知全能の無限の魂(=神)であることが分かれば、神の権能を実際に持つのである。
この章を一言で言えば「放っておけ」だ。
昔、アメリカで禁酒法が制定され、飲酒や酒の販売が法律で禁止されたことがある。
しかし、それで酒を飲む者がいなくなるはずがない。
そんな法令が出来れば、酒がアンダーグラウンド化し、ギャングに豊富な資金をもたらすことは分かり切ったことだった。
最近の日本では、淫行条例や児童ポルノ禁止法などで表向き子供を守ろうとしているが、十代の少女の性的需要がなくなるはずがなく、これらはアンダーグラウンド化し、余計に悪いことになる。
そんなことは、売春が法律で禁止されると、より不幸な女性が激増した歴史を見れば、火を見るより明らかである。
ナイフ所持を禁じれば、かえってナイフでの凶悪事件が増えるのも同じだ。
禁止されることで少女やナイフの魅力が増すことなど、分かりそうなものだ。
老子はこの章で、「法令が整うほど犯罪者は増える」のは当たり前だと言い、どうすれば国が収まるのかというと、為政者が清浄を好めば良いと言ったのだが、それなら、日本はもう可能性がない。言うまでもなく、清浄な為政者がいないからだ。
また、どこぞの人気経済学者が「60歳になったら集団自決すれば世の中は良くなる」と言ったらしいが、60歳が自決すれば50代が落ちて来るだけだ。
そんなことも分からないのだろうか?

AIアート4
「地球人類の円盤型宇宙船」
Kay
何かをすれば、全て裏目に出て悪い状況になる根本原因は、人間が邪悪になる性質があるからだ。
なぜ、そんなことになるのかは、合理的説明が出来ず、性悪説が出たり、理性が本能を制御出来ない脳の欠陥から来るなど、いろいろ言われた。
そして、そんな程度の低い説を、天才と言われる人が言うのだから困ったものだ。
たとえば、フロイトやアーサー・ケストラーがそうだった。
しかし、田舎の素朴な人間が善良である場合が多いことを見逃している。
要は、余計なことを考えなければ良いのである。
それを、老子は「私が為政者なら何もしないし、何も考えない」と言ったのだ。
君子がそうであれば、人民もそうなるからだ。
日本は、為政者には期待出来ない。
しかし、我々が思考を消せば傷付くことはない。これは、何度も説明したので、詳細は省く。
だが、正しく思考を消す方法を知らず、「良いことを考えなければならない」と思う者ばかりだが、人間に出来ることは「悪いことを考えない」ことだけだ。
だから、W.B.イェイツは「愛は神の領域で、人は愛することは出来ない。だが、憎むのをやめることは出来る」と言い、イエスは「正しい方は神だけだ」と言ったのだ。
思考を消せば、自ずと神(内なる魂)の善が現れる。
そして、正しく思考を消す方法が「私は誰か?」と自分に問うことだ。
「本当の自分は誰か」を探求するために「私は誰か?」と問うのである。
自分が本当は権力ある公爵であることを忘れた乞食が「私は誰か?」と問えば、不意に自分が公爵であることを思い出すようにである。
だが、問わなければ、いつまでも思い出さない。
公爵であることが分かれば、巨大な権能を振るえるように、我々は自分が全知全能の無限の魂(=神)であることが分かれば、神の権能を実際に持つのである。