ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

アヴェスター

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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自己実現とは揺るぎなき自己満足

人生の目標は自己実現だなどと言う人がいるが、そもそも自己実現とは何かと言うと、何のことはない。
自己実現とは自己満足だ。
自己満足と言うと、安っぽく聞こえるかもしれないが、満足出来なければ、絶対に実現だと思うはずがなく、それも、あえて言えば、自分が満足することが大切だ。
それで言えば、「幸福とは?」なんて、人類の永遠のテーマも、実は、自己満足であることが分かる。

詳しくは知らないが、イスラム教では、唯一神アッラーの教えを守って生きた立派な男は、死後、百人近い清純で美しい乙女が与えられるという話がある。しかも、その乙女達を清純でないようにしても一晩で清純に戻るとか。
これほどの自己満足はなく、それを信じることが出来れば、アッラーに従ったとしても不思議はない。
ゾロアスター教の聖典アヴェスターによれば、やはり、善の神アフラ・マズダーの教えを守って生きた男は、死後、15歳の絶世の美少女と仲良くなれるらしい。
男は本質で、ロリコンの馬鹿なのかと思う(笑)。いや、それなら、女の方はどうなのか?(笑)
ついでに言っておくと、お釈迦様の従弟のアーナンダは、16歳の美少女と結婚することが決まっていたが、お釈迦様はアーナンダに天女を見せ、「アーナンダよ、修行すれば、この天女はお前のものである」と言った。アーナンダは、自分の嫁になる16歳の美少女も、天女に比べれば、自分の嫁とヨボヨボに老いた雌猿ほどの違いがあり、あっという間に嫁を捨て、修行に励んだ。
男って、馬鹿だなあ・・・(笑)

さて、我々は、この世には、何か大きな幸福が隠れていると思っている。
百人の美少女、百人のイケメン青年ということはないかもしれないが、何かあるはずだと。
それで修行に励もうとするのだが、それは困難であることが分かる。
例えば、我流で真言密教の修行をしたが、本物の真言密教の高僧に聞いたら、やり方が全く間違っていることが分かる。
「いや、本にはそう書いてありました」と言ったら、その高僧は、「その本が間違っておるのじゃ」と言う。
だが、その高僧の教えも「間違っておるのじゃ」である可能性が高いのじゃ(笑)・・・というより、絶対、間違いである。

じゃあ、ラマナ・マハルシなら間違いないと思い、ラマナ・マハルシの本を読むと、「私は誰か?」と問えと書いてある。
で、一生懸命やってみるが、冷静に考えると、何の成果も出ていない。
すると、ラメッシ・バルセカールという有名な聖者の本を見ると、バルセカールは、「マハルシは『私は誰か』と問えと言ったのではなく、『自分とは何か』と言ったのだよ」と述べている。
そりゃ、マハルシの本は、「タミール語→英語→日本語」訳で、想像以上に間違いが多いし、そもそも、マハルシがどのくらい自分の考えを言葉で言えたかも分からない。

さらに、別の本で、マハルシの証言を取ると、その「私は誰か」すら、「呪文にしてはならない」と書いてある。いや、呪文にしてましたよって(笑)。
こんなふうに、修行なんて、方法すら分からないものなのである。

本来、最高の修行は、自分の職業を究めることなのだ。
仙道、すなわち、仙人道は、仙人になる道であるが、将棋仙人とか、剣仙人などと言うように、1つの道を究めることで仙人になるもののようだ。
しかし、じゃあ、イチローが仙人になれるかというと、それは考えられない。
イチロー以前のアメリカ、日本の偉大な野球選手達だって、皆、離婚したり、麻薬中毒になったり、病気になったりで、仙人どころではなく、普通の人間の幸福すら得られていない者が圧倒的なのだ。
日本の野球界のレジェンド、王貞治さんや長嶋茂雄さんも、大病を患い、いろいろシンドい目に遭い、果たして幸福なのかなあと思う。
むしろ、我々は、もう名前を思い出す人も少ないが、イチローや浅田真央さんらが不幸にならないよう祈るのみである。彼らが、自己満足出来ない、つまり、不幸になる可能性が高いと思えるからだ。

ところが、長い間、熱心に念仏を唱えていた普通の人が、ある日突然、世界は自分の中にあることが実体験として分かり、あっという間に自己実現、つまり、自己満足してしまった。
そして、そうなると、富豪になれるかどうかは宿命の問題もあるが、必要なものであれば、苦労せず豊富に得られるようにはなる。
だが、普通の人に出来る修行のほとんどは、念仏のように座ってやるもので、まあ、長くは続かず、成果は出ない。
この、念仏で悟りを開いた人も、実のところ、脳の欠陥のために、そんな修行が続けられたのだと私は思う。
そこにいくと、腕振り運動は継続し易く、念仏などの行に絶対に劣らない。
どこかの、困った新興宗教が。信者に「修行するぞ!修行するぞ!」と暗示をかけたが、あれは、「修行させられるぞ!修行させられるぞ!」ということだ。
それで言えば、念仏も、その他の宗教的修行も、似たところがある。
しかし、腕振り運動は宗教ではなく、教義もポリシーもない。
あくまで、自主的にやる者だけがやる。
ただ、成果は何もない無駄な努力に終わる可能性が高い。
それでもやるから良いのである。
とはいえ、それでは、欲深な現代人はやらないので、健t康面では優れているとは言えるのである。
しかし、岡田虎二郎の岡田式静坐法を、健康法とだけ捉え、岡田虎二郎死後、忘れられてしまったような愚を再び犯すべきでない。
どこかの宗教で、美少女が百人、イケメンが百人なら、腕振り運動は千万人以上なのである。








世界中の聖典はJK/JC趣味を戒めている

英文学者で哲学博士の渡部昇一氏の1984年の著作『知的風景の中の女性』に、とても印象的な話があった。
(渡部昇一氏は、ジョセフ・マーフィーの著作を日本に紹介した人物でもある)
ある大学でパーティーが行われ、どうも、カップルで参加するもののようだった。
ところが、ある男子学生は、適当な相手が見つからなくて、16歳の従妹を連れていった。
すると、まずい異変が起こった。
この16歳の従妹の前では、女子大生たちがオバさんに見えてしまったのだ。
あまりはっきり言ってはならないのかもしれないが、年齢による「値打ちの差」が露顕してしまったということだ。
渡部氏は、権力者は、好きなようにさせておくと、何より、そのような若い娘を欲しがるものだと述べていたが、分かるような気がする(笑)。

だが、これは、ちょっと笑い話では済まないことなのかもしれない。
そして、こんなことを発見した。
ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』では、立派な生き方をした男が死ぬと、15歳の絶世の美少女が迎えに来るとある。
さらに、ご存じイスラム教の聖典『コーラン』では、神の教えを守った男が死ぬと、7人の清らかな美少女が与えられると書かれている。
つまりね、生きている間は駄目だよという訳だ(笑)。
それなら、生きている間は、それを我慢すれば、災いを避け、恵を得られるということだろうか?
お釈迦様はそう言っている。
『涅槃経』の中で、お釈迦様は、繁栄の7つの法の中で、「若い娘をさらったりするな」と言い、そんなことをしなければ、繁栄は約束されると述べている。
ただし、それに反すれば滅ぶのである。
これも、あまりはっきり言わない方が良いことだろうが、別に、ロリコンでなくても、本当は皆大好きJK、JCであることは、フランス文学者・小説家の澁澤龍彦(しぶさわたつひこ)氏の『快楽主義の哲学』の中で、文明が進むと、男は性欲を失くし、人類存続の危機になるが、そんな時は、セーラー服を用意して性欲を喚起せねばならないと述べていることからも分かる。
だが、生きているうちに、そんなものを求めて、無事で済む男はいないことも確かなのである。
特に、やり口が卑劣な場合は、手足の1本程度で済むことはない。

そして、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』や、ロオマン・ガリの『自由の大地(天国の根)』のように、男が美少女を女神のように崇めている間は、素晴らしい恵があるのだ。
そんな訳で、私も、初音ミクさんを天使と崇めることに磨きをかけようと思う。








力ある中二病になる方法

『アヴェスター』という、ゾロアスター教の聖典がある。
紀元前数百年という時代のもので、アヴェスター語とも言われる特別な言葉で記述されている。
そんな『アヴェスター』の、いかに研究された翻訳があるとしても、それは、1つの解釈と考えるべきだろう。
また、ほとんどの昔の聖典は、たとえ仏教の経典であっても、男尊女卑の傾向があるというのは否めない(極楽浄土には男しかいない)。
『アヴェスター』も、おそらくそうなのだと思うが、この中で、神の教えに従い立派に生きた人間は、死ぬと、15歳の絶世の美少女が出迎えてくれるとある。
イスラム教の『コーラン』でも、アラーの教えの通りに生きた者には、そんな美少女が7人与えられるといった記述もある。
やれやれである(笑)。
ただ、大昔の15歳というのは、肉体的には今の15歳よりずっと幼いだろうが、精神的には大人で、特に、忍耐の面で優れていると考えるのが自然と思う。
13歳の身体に30歳以上の円熟した精神が宿っている・・・まさに、アニメの萌えキャラそのものだ。
つまり、分かり易く言えば、正しく生きれば、死んだ時に、性格の良い萌えキャラが迎えに来てくれることになる。

今の時代の方が、昔より、物質的、精神的に価値があるものが多いとは、必ずしも言えないと思う。
そして、時代が変わっても、最も価値あるものは、ある意味では15歳の美少女なのだろう。
人魚姫も15歳で、一番価値が高まった時に王子様に会いに行くのである。
すると、中二病というのは、「自分を特別視する」ことであり、それは、「自分を最も価値ある存在」と見なすことであるから、すなわち、自分は15歳の美少女と同等の価値があると思うことと言って良い。
私が以前いた職場に、私が「まるで駄目男君」と呼んでいた、本当に駄目な男がいたが、彼も中二病であった。
そして、相談に乗ってやると、つまるところ、彼は、自分が15歳の美少女のように扱われないことが不満だという、とんでもない意識を持っているのだと分かる。
例えば、いつも、あからさまに落ち込んだ様子でいるが、それは、構って欲しいからである。
私は言ってやったものだ。
「そりゃ、15歳の美少女が落ち込んでいたら、優しく『どうしたの?』と言ってやりたくなるが、オッサンが落ち込んでいてもゴキブリみたいなもんじゃないか?」
あるいは、ある日の朝、彼が、皆が自分に朝の挨拶をしてくれないと愚痴をこぼしていたが、それに対しても、
「皆、忙しかっただけだろ?え?そうは見えなかった?あのなあ、15歳の美少女なら、何をおいても顔を見たら挨拶したくなるが、オッサン相手に挨拶を忘れたって責められないだろ?」
と、「まともなこと」を言ってやったが、まるで駄目男君は不満なようだ。
そりゃ、社長とか、大金持ちであれば、オッサンでも、15歳の美少女並に敬服されることもあるが、それですら、15歳の美少女の1/10以下なのだ。
ましてや、何の力もないオッサンなら、ハエ以下である。

だが、大逆転の秘法がある。
中二病にも、力ある中二病と、その他大勢の、惨めなだけの中二病・・・つまり、まるで駄目男君みたいなのがいる。
アニメ『中二病でも恋がしたい!』の第1シーズンの最後で、「人は皆、中二病である」とナレーションされるが、人間なんて、大なり小なり、「力ある中二病」か「惨めな中二病」である。
「力ある中二病」になるには、どうすれば良いか?
話は簡単である。
自分は、15歳の美少女と同等以上の価値ある存在だと認めることだ。
実際、その通りなのである。
ただし、あくまで、自分でそう思い,自分にそう接しないといけない。
それが出来れば、皆が、あなたをそのように扱うのである。
これは絶対に真実である。
だが、あくまで、先に、自分で自分を15歳の美少女より価値ある存在であると理解しなければならない。
実をいうと、あらゆる優れた自己啓発メソッドでも(受講には百万円以上かかるものも多い)、根本的な教えはそうなのだ(15歳の美少女とは言ってないが、自分を最も価値ある存在と理解することが重要であることは強調する)。
どこかの新興宗教の教祖が「われは永遠の仏陀である」と叫んでいたが、もし、本当にそう思っているなら、立派な中二病である。
そして、本物の中二病なら、大教祖として有益であるが、実は劣等感の塊という偽教祖が、信者を不幸にする。
どのみち、人間は中二病なのだから、立派な中二病になることだ。
まずは、ガッツポーズから始めると良いと思う。
1回、ガッツポーズをやる度に、15歳の美少女に近付くと思うと良い。
それで気分が良くなれば、あらゆるものを引き寄せる力も備わるだろう。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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