心の状態は表情に表れる。
逆に、表情によって、ある程度は心をコントロールできることをご存知と思う。
悲しい時に、無理にでも笑えば、少しは気も紛れる。
だが、表情というものが、驚くべき神秘であることに気付いている者は少ない。
人気者の戦国武将、伊達政宗の師であった禅僧、虎哉宗乙(こさいそういつ)が、政宗に、「辛い時に笑えよ。嬉しい時に泣けよ」と教えたのは伊達ではない(洒落ではないが)。
表情は、それに相応した、精緻な波動を発生する。
病気の時に健康な人間の表情をすると、発生した波動が現実を変えて健康になる。
貧乏でも、金持ちの表情をすれば、金持ちの波動を発して、かなりの余計な金を得てしまう(あまり良い結果にはならないかもしれないが)。
出世する人間の表情を真似れば、同じように出世する。
また、嘘でも優しい表情をしていれば、人もネコも寄ってくる。
タイはエビに、ネコはマタタビに、虫は灯りに、イケメンだって女の優しい表情に引き寄せられてしまうのである。
アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』で、こんな有名な場面がある。
綾波レイの無事を知った碇シンジが泣き出すと、レイは、「なんで泣いてるの?」と尋ねる。
マジでそんなことを聴いたこの時のレイに感情はなかった。
しかし、泣いているシンジの表情は、レイにとって不可思議な波動を発生しており、それに当てられたレイは戸惑って、
「ごめんなさい。こんな時、どんな顔すればいいか分からないの」
と言う。
それで、シンジが、「笑えば・・・いいと思うよ」と応えると、レイは花のように微笑む。
シンジ君、なかなかやるじゃないか?
見事、レイの心を支配して、彼女に微妙な感情を引き起こさせたに違いないのだから。
そして、これまで、人生が重荷であったレイが、自分の意志で人生を生きる方法を、ごく自然に教えてしまったのである。
我々も、この歴史的なシーンから学ぶべきかもしれない(別に、難攻不落の美少女の口説き方というつもりではないのであしからず)。
だが、まずは、欲を持たず、無表情に徹してみることだ。
特に、是非好悪の判断を示す表情は一切捨てよ。
これが、荘子の重要な教え、「思慮分別を離れ、是非好悪の判断をするな」につながる。
荘子がこう教えたからには、これで天下無敵なのである。
荘子は無駄なことなんか教えない。
人間は、無、空になれば、不可能はない。
そうなれば、あらゆる奇跡が起こり、想いのままとなる。
ビートルズが『ひとりぼっちのあいつ(Nowhere Man)』で(おそらく、レノンの作品)、「世界は君の意のままなんだよ(The World is at youre command)」と言った通りだ。
そして、当然、無になった人間は無表情だ。
逆に、無表情であれば、人間は最も精妙な波動を広げていき、ミラクルワールドを創り出す。
だが、気を付けて欲しい。
欲望があれば、無の表情を続けられないことを。
だから、いったんは、欲望をぽーんと捨てるのだ。
それは、結果は神に任せるということだ。
神は、決して悪いようにはしない。
無の表情をマスターすれば、やがてアルカイク・スマイル(生命と至福の表情)を得る道が開ける。
これは神の表情である。
京都の広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)こそが、本物のアルカイク・スマイルではないかと思う。西洋でも、そう言う者は多い。
この像からは、本物の神や仏の最高の波動が発せられている。
世界中の人々が、仏教が分からなくても、この弥勒菩薩像に惹き付けられるのは当然のことである。
この弥勒菩薩像のお顔を見れば、仏、あるいは、神の力はあなたと共にある。
弥勒菩薩の思惟とは、無の中の無、空の中の空である。
そんな弥勒菩薩の表情により、我々はまず、無、空に導かれる。
だが、自分でも、余計な表情をしていることに気付いて、それを消し、無駄な考えを捨て去る努力をした方が良い。
それを真摯に続ければ、自ずと良い成果を得られるだろう。
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逆に、表情によって、ある程度は心をコントロールできることをご存知と思う。
悲しい時に、無理にでも笑えば、少しは気も紛れる。
だが、表情というものが、驚くべき神秘であることに気付いている者は少ない。
人気者の戦国武将、伊達政宗の師であった禅僧、虎哉宗乙(こさいそういつ)が、政宗に、「辛い時に笑えよ。嬉しい時に泣けよ」と教えたのは伊達ではない(洒落ではないが)。
表情は、それに相応した、精緻な波動を発生する。
病気の時に健康な人間の表情をすると、発生した波動が現実を変えて健康になる。
貧乏でも、金持ちの表情をすれば、金持ちの波動を発して、かなりの余計な金を得てしまう(あまり良い結果にはならないかもしれないが)。
出世する人間の表情を真似れば、同じように出世する。
また、嘘でも優しい表情をしていれば、人もネコも寄ってくる。
タイはエビに、ネコはマタタビに、虫は灯りに、イケメンだって女の優しい表情に引き寄せられてしまうのである。
アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』で、こんな有名な場面がある。
綾波レイの無事を知った碇シンジが泣き出すと、レイは、「なんで泣いてるの?」と尋ねる。
マジでそんなことを聴いたこの時のレイに感情はなかった。
しかし、泣いているシンジの表情は、レイにとって不可思議な波動を発生しており、それに当てられたレイは戸惑って、
「ごめんなさい。こんな時、どんな顔すればいいか分からないの」
と言う。
それで、シンジが、「笑えば・・・いいと思うよ」と応えると、レイは花のように微笑む。
シンジ君、なかなかやるじゃないか?
見事、レイの心を支配して、彼女に微妙な感情を引き起こさせたに違いないのだから。
そして、これまで、人生が重荷であったレイが、自分の意志で人生を生きる方法を、ごく自然に教えてしまったのである。
我々も、この歴史的なシーンから学ぶべきかもしれない(別に、難攻不落の美少女の口説き方というつもりではないのであしからず)。
だが、まずは、欲を持たず、無表情に徹してみることだ。
特に、是非好悪の判断を示す表情は一切捨てよ。
これが、荘子の重要な教え、「思慮分別を離れ、是非好悪の判断をするな」につながる。
荘子がこう教えたからには、これで天下無敵なのである。
荘子は無駄なことなんか教えない。
人間は、無、空になれば、不可能はない。
そうなれば、あらゆる奇跡が起こり、想いのままとなる。
ビートルズが『ひとりぼっちのあいつ(Nowhere Man)』で(おそらく、レノンの作品)、「世界は君の意のままなんだよ(The World is at youre command)」と言った通りだ。
そして、当然、無になった人間は無表情だ。
逆に、無表情であれば、人間は最も精妙な波動を広げていき、ミラクルワールドを創り出す。
だが、気を付けて欲しい。
欲望があれば、無の表情を続けられないことを。
だから、いったんは、欲望をぽーんと捨てるのだ。
それは、結果は神に任せるということだ。
神は、決して悪いようにはしない。
無の表情をマスターすれば、やがてアルカイク・スマイル(生命と至福の表情)を得る道が開ける。
これは神の表情である。
京都の広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)こそが、本物のアルカイク・スマイルではないかと思う。西洋でも、そう言う者は多い。
この像からは、本物の神や仏の最高の波動が発せられている。
世界中の人々が、仏教が分からなくても、この弥勒菩薩像に惹き付けられるのは当然のことである。
この弥勒菩薩像のお顔を見れば、仏、あるいは、神の力はあなたと共にある。
弥勒菩薩の思惟とは、無の中の無、空の中の空である。
そんな弥勒菩薩の表情により、我々はまず、無、空に導かれる。
だが、自分でも、余計な表情をしていることに気付いて、それを消し、無駄な考えを捨て去る努力をした方が良い。
それを真摯に続ければ、自ずと良い成果を得られるだろう。
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