国を問わず、誰でも子供の頃に、魔物のイメージに苦しめられることがある。
それが比較的経度な場合もあるが、中には、深刻な子もいて、毎晩、夢で悪魔に苦しめられたり、日中でも、不意に恐いものが浮かんでくるようなことがある。
そんな時、神話に親しむと治ってしまうようなことが多い。
時には、さほど重症でない場合が多いのだが、大人になっても、子供の頃から背負い続けている得体の知れない暗い影に怯えていることもある。それは、純粋に子供時代の生活環境による場合もあるのだが、その場合ですら、神話によって癒されるものなのである。
神話は、世界中で共通するテーマが多く、その理由について、いろいろに推察されてはいる。例えば、交易による文化の交流といったものであるが、いずれの説も、一応それらしいというだけで、実際は無理があると思う。
人間は無意識の深いところで全て繋がっているという説があり、しかも、臨床的にも、かなり確たる証拠も挙げられるらしいが、それを認めない心理学者も少なくはない。いや、世間的にまともな学者であれば、本来は認める訳にはいかないはずのことだ。どうやったって証明など出来ないのだから。
しかし、その中で、集合意識が学説の1つにまでなるのだから、実際には、無視できるようなことではない。
集合意識の存在に最も強硬な反対論を唱えるのは、おそらく、フロイトであろうが、フロイトこそが、最も集合意識が存在することを示しているような気すらするのである。例えば、彼は、個人同様、民族を精神分析することが出来ると述べたが、それは、現象的に明らかと思えるからそう言ったのであるはずだ。そして、民族といった集団を精神分析できるというなら、そこに、1つのまとまった精神というものの存在を前提にしなければならないだろう。そうでないなら、ひどく複雑で滑稽な「こじつけ」が必要になってしまう。
直感的に明らかなこととして、人類全体は、意識の深いとことで繋がっている。
無意識は広大で複雑なものであるので、それほど単純な形ではないが、神話が世界中で共通点を持つことも自然なことである。
ただ、やはり、無意識は広大で複雑なのであり、ギリシャ神話のここと古事記のどこが対応しているといった簡単な話にはならない。
しかし、この2つを、論理的にはではなく、単に楽しむように読めば、どんな作用か説明は難しいのだが、精神が安定し、人格にも良い影響が起こるのである。
ソクラテスもギリシャ神話に通じていただけでなく、『ソクラテスの弁明』で、自分が神を信じ、崇拝していたと述べたというのは、単に裁判所での陪審員達の印象を良くするための詭弁という訳でもないと思う。彼も、無意識の中の神話を大切にし、それで、「神の声」とも言えるダイモーン(ダイモニア)と親しく意思を通わせることが出来たのだ。
もちろん、我々日本人は、最も親しみのあるはずの『古事記』を読むことで、精神の安らぎを得たり、宇宙の活力のようなものに触れることが出来るのだが、世界が複雑になり過ぎたり、また、歴史の中で様々な文化が我々の無意識に入り込んでいるので、いくつかの方向から無意識に親しむことに有効性があるのかもしれない。
世界中で、3という数字を神聖視するのも、無意識の中にある重要な英知の影響である。
このことを、ギリシャ神話、古事記、あるいは、旧約聖書を通して感じることが出来れば、あるいは、それを深く考察した結果でもある、アリストテレスやダンテの著作を読めば、輝く叡智に触れることが出来る可能性がある。
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それが比較的経度な場合もあるが、中には、深刻な子もいて、毎晩、夢で悪魔に苦しめられたり、日中でも、不意に恐いものが浮かんでくるようなことがある。
そんな時、神話に親しむと治ってしまうようなことが多い。
時には、さほど重症でない場合が多いのだが、大人になっても、子供の頃から背負い続けている得体の知れない暗い影に怯えていることもある。それは、純粋に子供時代の生活環境による場合もあるのだが、その場合ですら、神話によって癒されるものなのである。
神話は、世界中で共通するテーマが多く、その理由について、いろいろに推察されてはいる。例えば、交易による文化の交流といったものであるが、いずれの説も、一応それらしいというだけで、実際は無理があると思う。
人間は無意識の深いところで全て繋がっているという説があり、しかも、臨床的にも、かなり確たる証拠も挙げられるらしいが、それを認めない心理学者も少なくはない。いや、世間的にまともな学者であれば、本来は認める訳にはいかないはずのことだ。どうやったって証明など出来ないのだから。
しかし、その中で、集合意識が学説の1つにまでなるのだから、実際には、無視できるようなことではない。
集合意識の存在に最も強硬な反対論を唱えるのは、おそらく、フロイトであろうが、フロイトこそが、最も集合意識が存在することを示しているような気すらするのである。例えば、彼は、個人同様、民族を精神分析することが出来ると述べたが、それは、現象的に明らかと思えるからそう言ったのであるはずだ。そして、民族といった集団を精神分析できるというなら、そこに、1つのまとまった精神というものの存在を前提にしなければならないだろう。そうでないなら、ひどく複雑で滑稽な「こじつけ」が必要になってしまう。
直感的に明らかなこととして、人類全体は、意識の深いとことで繋がっている。
無意識は広大で複雑なものであるので、それほど単純な形ではないが、神話が世界中で共通点を持つことも自然なことである。
ただ、やはり、無意識は広大で複雑なのであり、ギリシャ神話のここと古事記のどこが対応しているといった簡単な話にはならない。
しかし、この2つを、論理的にはではなく、単に楽しむように読めば、どんな作用か説明は難しいのだが、精神が安定し、人格にも良い影響が起こるのである。
ソクラテスもギリシャ神話に通じていただけでなく、『ソクラテスの弁明』で、自分が神を信じ、崇拝していたと述べたというのは、単に裁判所での陪審員達の印象を良くするための詭弁という訳でもないと思う。彼も、無意識の中の神話を大切にし、それで、「神の声」とも言えるダイモーン(ダイモニア)と親しく意思を通わせることが出来たのだ。
もちろん、我々日本人は、最も親しみのあるはずの『古事記』を読むことで、精神の安らぎを得たり、宇宙の活力のようなものに触れることが出来るのだが、世界が複雑になり過ぎたり、また、歴史の中で様々な文化が我々の無意識に入り込んでいるので、いくつかの方向から無意識に親しむことに有効性があるのかもしれない。
世界中で、3という数字を神聖視するのも、無意識の中にある重要な英知の影響である。
このことを、ギリシャ神話、古事記、あるいは、旧約聖書を通して感じることが出来れば、あるいは、それを深く考察した結果でもある、アリストテレスやダンテの著作を読めば、輝く叡智に触れることが出来る可能性がある。
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