ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

アラビアのロレンス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

おもちゃは生きている

我々は見えていても見ていないし、聴こえていても聴いていない。
催眠術にかかったようにぼうっとしている。
しかし、興味があるものが現れたら、ちゃんと見るし、心地良いと感じる音がしたらちゃんと聴く。
だが、興味があるものが現れず、心地良いと感じる音が聴こえてこない。
それで、眠りこけたような状態になっているのが、ほとんどの人間だ。

ところが、見慣れたものでも、意識して見れば、深みや味わいを感じることが出来る。
これを「新たな目で見る」と言った詩人もいた。

『おもちゃのチャチャチャ』という、作家の野坂昭如が作詞し、作詞家の吉岡治が補作した有名な歌がある。
おもちゃが夜会を開くというのは、野坂昭如の発案らしいが、歌詞の中に「鉛の兵隊」が登場するように、アンデルセンの『鉛の兵隊(しっかり者のスズの兵隊)』との関係がありそうで、野坂昭如も、この童話のことが頭にあったように思う。

おもちゃが夜会を開くという話を聞いた子供は、おもちゃを見て、「こいつ、夜中には動き出すんだ」と思うと、おもちゃに生命を感じる。自分がそうだったことを憶えている人も多いと思う。

それは、絵画や彫刻を見て、想像力が高まって、その絵画や彫刻に生命を感じるのにも似ている。
だが、想像力が起こらなければ、どんな絵画や彫刻も、生命のないただの物体だ。

子供にとっては、世界の全てが生命に満ちている。
しかし、大人になるにつれて、世界は生命を失い、この世は灰色の世界になる。
『アラビアのロレンス』で知られるトーマス・エドワード・ロレンスは、自伝の『知恵の七柱』の中で、疲れた翌朝、目は覚めていても思考が戻ってこない時に見た世界が、圧倒的な意味を持って自分に迫って来るといったことが書いていて、その部分を、コリン・ウィルソンが『右脳の冒険』で、重要なこととして引用している。
ロレンスが見た、「思考のフィルターがかかっていない世界」こそが、子供が感じる世界だ。

自分は今、夢の中にいると見なして、きょろきょろと周囲を見ると、あらゆるものが自分を見ているような生命感を感じると思う。
まるで、本当は生きていると思っておもちゃを見る子供のようだ。
そして、世界は確かに夢なのである。
起きている時の夢は思考のフィルターがかかっていて、嚙み古したガムのように味気ない。
だが、思考のフィルターが外れると、それは驚異の世界だ。

新しい世界を見るには、「周囲のことに気付いていなけれならない」と言う者がいる。
『タフティ・ザ・プリーステス』という本にも、そんなことが書かれている。
ヴァーノン・ハワードの著作は、全てにわたって、そのことを言っている。
だが、それは「思考のフィルターを外す」ということであり、思考を引っ込める、思考を優先させないといったことでもある。
だが、そう言われて分かる人は、特に今の世の中には少ないのではないか?

私は、物心ついた頃でも、ふと思考を消せたので好きなように世界を創り変えることが出来た。
「そうなればいいな」とか「そうなる」と思った後、思考を消すのである。すると、その通りになる。
今は、植物の種子からにょきにょきと芽を出させるようなことは出来ないが(出来るのかもしれないが)、少し時間をかければ出来るのである。
上に書いたことを参考にすれば誰でも出来るが、それよりも、心で常に「私、私、私」と言えば、思考のフィルターが外れ、無双状態になるだろう。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(2)知恵の七柱:アラビアのロレンス回想録(上)(T.E.ロレンス)
(3)アンデルセン作品集1 楠山正雄訳
(4)アメリカひじき・火垂るの墓(野坂昭如)
(5)戦争童話集 完全版(野坂昭如)
(6)スーパーマインド(ヴァーノン・ハワード)

ドール
AIアート2893
「ドール」
Kay

ふざけているように感じるが本当に叶う引き寄せ法

インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジが言うには、目覚めてから思考が戻ってくるまでが純粋な存在の状態なのだそうだ。
この状態は、他の言い方では、純粋意識状態とか超越状態で、スピリチュアル的には、魂が輝き現れている状態、潜在意識が顕れている状態などと言うだろう。
だが、それは、少しの間・・・普通は一瞬のことだ。
だが、「アラビアのロレンス」で知られるT.E.ロレンスの『知恵の七柱』にあるように、疲れていたりで、目覚めてもなかなか思考が戻らず、上のような超越状態が続くことがあり、そんな時に見る世界は驚異の世界である。

引き寄せの教師達は、そんな超越意識状態の時に、願い事をイメージしたり、祈ったりすれば願いが叶うというが、それは難しい。
願い事のことを考えた途端、その現実的欲望により思考が戻ってきてしまうからだ。

また明日
AIアート455
「また明日」
Kay


だが、イギリスのコリン・ウィルソンもだが、極端に緊張することと弛緩することを繰り返すと、超越状態に近い疑似超越状態に入れることを発見し、その時に、なんらかの方法で願望を潜在意識に送れば叶うと言う者もいる。
しかし、そんな方法は普通はない。
そこでこうすると良いというものがあり、だいたい、それでいける。
息を十分に吸い、腹に力を入れることで呼吸を止める。
どんなふうに腹に力を入れても構わないし、なんなら、腹に力が入ったと思うだけでも良い。
少ししたら息を吐く。
そんな深呼吸を数回繰り返せば、息を止めるごとに超越状態に近くなる。
さあ、その後だ。
馬鹿みたいに簡単で拍子抜けする。
それは薄目をする・・・である。
超越状態が続いているフリをするのである。
身体や心を支配する深い心は、そんなフリに騙される。
深呼吸をしなくても、薄目をするだけでも騙されることもある。
武術の達人が戦う時、まるで眠っているように目を閉じていることがあるが、あれは薄目をして、無敵の超越状態にあると深い心を騙しているのだ。
その状態で願い事を思うのだが、あくまで超越状態にあるフリをしながら思うのが良い。
それには、これはかなり凄い呪術師に教えてもらったが、古めかしい言い方で祈ると、深い心は騙されやすい。
少し古文に馴染むとよい。








世界は心の反映

カエサル(シーザー)の『ガリア戦記』は、簡潔に書かれているとはいえ、多くの地名や人物名、部族間の関係性や戦況の流れなどが複雑に絡み合い、とても楽に読めたものではない。
その上を行くのが、「アラビアのロレンス」で知られるT.E.ロレンスの回想録『知恵の七柱』で、その簡略版である『砂漠の反乱』すら、かなり読みごたえがある。
だが、イギリスの作家コリン・ウィルソンは、『知恵の七柱』の中の、非常に重要な部分を『右脳の冒険』に引用している。
どう重要なのかと言うと、精神の無限の力について知り、それを使うためのヒントとしてだ。
実際、それが引き寄せのための素晴らしい気付きを与えてくれる。

ロレンスは砂漠を隊を組んで移動していたが、ある朝、早くに目を覚まし、砂漠を見ると、不意に、その荘厳さに畏敬の念を感じた。
ロレンスにとって、砂漠など見慣れているもののはずだった。
だが、ロレンスは、おそらく、疲れている時、そのようなことが、たまに起こることも知っていた。
それは、言って見れば、「世界の意味」とでもいうものが、魂の中に流れ込んでくるような体験だ。
なぜ、そのようなことが起こるのかというと、こういうわけだ。
疲れなどで、目が覚めてしばらくの間、脳が思考活動をせず、そのため、外界が、思考のフィルターを通さずに、直に心に飛び込んでくるのである。
そうすると、ものごとの真の姿、真の有り様、そして、真の美を感じ取れる。
一方、普段は、思考により、個人のちっぽけな偏った知識や精神性を基に分類され、パターン化され、味気ないものになってしまった、いわば「現実の残りかす」を「現実」として感知しているのである。
我々が思っているより、世界は壮大で美しい。
いや、一輪の花も、一個のリンゴも、思考のフィルターを介さず、直に見れば、陶酔するほど美しいのだ。
そして、その美や荘厳さは、我々の精神の真の姿である。
なぜなら、精神がそうでないなら、外界のそんな美を感じることが出来るはずがないからだ。
そして、そんな精神は「一切を」その内に持つのである。
一切とは、無限の知恵や力である。

外界は心の鏡であり、思考が消え、心が純化した時に感じる真の世界(荘厳さや畏敬に満ちている)は、我々の根本の精神の反映で、それによって、我々の精神の中には、無限の知恵と力があることが分かるのである。
それを感じ、馴染むことが、至高の力と一致する方法である。

そして、ロレンスも、ウィルソンも明確には気付いていないが、思考のフィルターを通さずに感じるのは、実は、「今、この瞬間」なのである。
だから、我々は「今、この瞬間」を感じるようにしさえすれば、人間が持つ、真の偉大な力を手に入れることが出来るのである。
「今、この瞬間」に心を集中するだけで良いのである。
誰でも簡単に出来るが、誰もそれをしようとしない。
分からなければ、「今、この瞬間」を出来るだけ想いながら「今、今、今、・・・」と心で繰り返しても良い。
マイケル・ジャクソンの何の歌だったか憶えていないが、訳詞で「僕には集中することは難しくない」とあった意味は、おそらく、「今、この瞬間に集中する」ということだ。ただ、彼は、外界に煩わされて、それが出来なくなったのだ。
だが、彼ほど大変な状況でない我々には簡単なことだ。








人類の最終訓練

幸福でありたい・・・それ以前に、生き延びたい人が行うべき、魔法力を獲得するための訓練がある。
拍子抜けするほど簡単であるが、重要である。
やり方はいろいろだが、自然にうまくやっていたのが、「われ思う、ゆえにわれあり」で知られるフランスの哲学者、数学者のルネ・デカルト(1596~1650)だ。
まあ、単に、朝、目が覚めても、いつまでも起きて来ず、ベッドの中でぼーっとしていたのであり、これを、良い言い方では「思索していた」と言うのだが。
実際、少なくとも、しばらくの間は、間違いなく、ぼーっとしていたはずである。
目覚めてから、しばらくは、思考がやって来ない。
その「しばらく」こそ、「トワイライト(夕暮れ)ゾーン」に対する「ドーン(夜明け)ゾーン」とも言える、神秘に包まれる時だ。
それを、『アラビアのロレンス』として知られるT.E.ロレンスが、事情伝『知恵の七柱』に書いている。
『知恵の七柱』はちょっと読めたものではないので、コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』から引用する。

世界の物音、香り、彩(いろどり)が、思考の篩(ふるい)を通過せず、思考によって類型化されることなく、まさにそのもの自体として人間を直撃する。あたかもそれ自体で満ち足り、自足して存在しているかのように思われるのだ……
~『右脳の冒険』(コリン・ウィルソン著、中村保男訳。平河出版社)19頁~

こう言われて私が思い出すのは、中学校の夏休みに、ラジオ体操に出かける時だった。
まだ完全に目が覚めておらず、頭がぼーっとしているような時、目にするもの全てが光を放っていた。
そんな時、家々の屋根の上に、天使か魔法少女が座って微笑みかけてくれているのが見えるようだった。

これが、「存在の感覚」である。
朝、目覚めた時だけでなく、いつでも、「私は在る」のみを感じれば、ただちに同じ感覚を得られる。
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは、全ての人に、常に、その感覚にしがみつくことを求めた。
そして、アメリカの事業家にして神秘家ネヴィル・ゴダードは、「私は在る」の感覚が神であると明かした。
その状態であれば、あらゆることが可能で、願いは即座に叶えられる。
最初のうちは、「私は在る」という言葉を使っても良い。口ではなく、心で唱えるのだ。
マハラジも、これこそが最上の真言であると言った。
だが、ゴダードは、言葉ではなく「感じる」ことを求めている。
自分が存在することを感じるのである。
何も考えず、「私は在る」と感じれば、自然に呼吸は微かになり、身体が軽くなり、世界は一変する。
その時、あなたは人間ではなく、神であり、実際、姿が見えない状態にまで達することもある。
心で、「私は在る」と、静かに唱え、その意味について黙想しても良い。
心の中で、出来るだけ微かな声で「私は在る」と唱えると、うまくいくかもしれない。

「私は在る」の感覚を掴む訓練こそが、人類にとって最重要なことであり、あらゆる災害から逃れる鍵であると思う。
ヨガ研究家の藤本憲幸氏の『秘法ヨガ入門』(彼の数百冊の著書の中の最初の本)の最終章に、ほんの少し前まで内気な引きこもりだった二十歳の青年が、威風堂々とした人物となって藤本氏の前に現れて、藤本氏を驚かせることから始まるお話がある。
藤本氏と、この青年の長い対話が興味深い。
その中で、「10kg痩せるにはどうすれば良いか?」という話題があった。
青年は、運動や食事の制限は一切不要で、自分はいま、スラリとやせて美しい身体なのだ、との実感を味わうことで簡単に出来ると言う。
対話の内容から見て、この青年は、存在の自覚に生きている。
当時の藤本氏には、そのことが分からなかったかもしれないが、あえて、この話を最後に持ってきたのは、藤本氏も、その重大さに気付いていたからであると思う。








一瞬、超能力者になる方法

「一切を諦めた時に全てを得る」
「有限全てが無限の対価だ」
などと聞くと、しゃくなことに、これが真実だということは本当は誰にでも分かるが、どうすれば良いか分からない。
これをうまくやれた人ってのは、癌で余命僅かと宣告され、死を受け入れることが出来た人くらいだ。
そんな人は、一切を諦めたのであり、有限全てを差し出したのだから、当然全てを得るので、癌は消滅し、その後は、何を望んでも簡単に実現する。

私は、短い時間なら、一切を諦めた状態になり、超能力者とか仙人みたいなものになることが出来る。
どうやるかというと、先に言葉で言うと、
「存在の感覚にしがみつく」
だ。
「存在の感覚」とは、「私は存在する」という自覚で、他のことは一切考えず、「私は存在する」と思えば、ただちに得られる。
それでも、もう少し分かり易く言うと、
「朝、目が覚めて、まだ日常の思考が働かずにぼーっとしてる状態」
で、現代人は、大抵、その時間は短い。
「アラビアのロレンス」で知られるT.E.ロレンスの、とても読めたものではない著作『知恵の七柱』の中で、ロレンスが、目覚めてから長い間、頭が日常思考を始めなかった時のことを書いているが、その時、ロレンスは、この世界の壮大な意味に圧倒された。
癌から生還した人は、日常の思考が薄くなっている(現実感が弱くなっている)ので、常時、それに近い状態にある。
もっとも、そんな人でも、昔の精神状態に戻れば、また、元の凡人になる。
ロレンスの体験については、コリン・ウィルソンが『右脳の冒険』に、『知恵の七柱』の該当部分を引用してくれている。

だが、とにかく、「私は存在している」ということ以外、一切何も考えない、言い換えれば、「私は存在しているだけ」と思えば、いつでもロレンスになれる。
時間は限定されるかもしれないが。
映画『アラビアのロレンス』は、かなり創作が入っているが、まるっきり嘘でもない。
あの映画を見る時は、自分はロレンスだと思わなければならない。
実際、そうであり、あの映画は自分の物語である。そう見なさなければ、あまり役に立つ映画ではないと思う。
あの映画の冒頭で、ロレンスは芸を見せる。
火のついたマッチの軸を指でつまんで消してみせた。
他の者がやったら、熱くて出来ない。
コツを尋ねられると、ロレンスは「熱いと思わないこと」と言ったが、なんともいい加減な答だ(笑)。
誰だって、火が熱いことは知っているし、しかも、それは強い信念だ。
だが、「私は存在する」とだけ思えば、簡単にそれが出来る。
なぜかと言うと、あらゆる信念の中で「私は存在する」という信念が一番強いからだ。
それに集中してしまえば、他の信念は消える。火は熱いという信念でさえ。
宗派にもよるが、仏教では、自分を腰骨と見なすらしい。
腰骨に出来ることは、存在することだけだ。
また、腰骨というか、仙骨は意外と集中し易い。
武道でも、仙骨を意識しながら戦うものがある。
存在だけになって無意識で戦うのだから、『燃えよドラゴン』の、「考えるな、感じろ」がすぐに出来る。
他にもいろいろやり方があるが、これでもちょっと言い過ぎた。

とにかく、「私は存在する」と思えば、たとえ少しでも超能力者になるし、その感覚に慣れ、長時間持続出来れば、もう人間を超えられる。
人生が切羽詰まってしまい、悟りでも得るしか道はないと思うなら、試してみると良いかもしれない。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼

最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
タグクラウド
QRコード
QRコード