ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

アムリタ

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最強の4文字真言

いかなる問題も真言を唱えれば解決し、救われる。
そう岡田虎二郎が言い、親鸞も和讃の中で根本的な意味でそう述べているが、私もそう思っている。
しかし、長い真言を覚えるのは億劫だと言う人もいるかもしれない。
それなら、極めつけの真言でありながら、わずか4文字というものが2つある。
1つは、「サムハラ」で、もう1つは「アムリタ」だ。

◆サムハラ
大阪にサムハラ神社があるが、それを建立した田中富三郎(たなかとみさぶろう)が、サムハラ大神を信仰していたことから、その名称になったのだが、「サムハラ」は、造化三神である、天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の総称であるとも言われている。
それなら、実に豪華な名前である。
あるいは、「サムハラ」が仏教のサンスクリット語の「シャンバラ」から来ているという説もあり、シャンバラとは、理想の仏教国のことである。

「サムハラ」を文字で書く時は、漢字ではなく、神字という特別な文字で書かれる。
サムハラの神字は、東大寺や各地のお寺で、お守りに使われているようだ。
サムハラの神字を書いたお守りの強い効果は有名で、昔は、兵隊として戦争に行っても、サムハラの文字が書かれたお守りを持っていると、必ず生きて帰ってこれたという話がある。
歴史上の人物(加藤清正等の武将その他)が、サムハラのお守りに救われた話は多いし、現代でも、サムハラのお守りで霊験があったという話は後を絶たない。
物理学者の保江邦夫氏の『神様につながった電話』の本文を「サムハラ」で検索すると、何と、135もマッチするが、そのように、保江氏は、サムハラに関する霊験等をいろいろ書かれていた。
その中で、私が憶えているのは、保江氏の外車のトランクが壊れ、ディーラーでは、修理しないと絶対に開かないと言うが、サムハラのお守りを持っていた保江氏が明けると簡単に開いたという話があった。
ところで、サムハラ神社で販売されていたサムハラの文字が入った指輪の霊験が凄く、これを求める人が多くなり過ぎ、今は販売していないという話もある(正確なところは分からないが)。
お守りだけではなく、「サムハラ」という言葉に、真言として強力な力があると言われている。
サムハラのお守りや真言の霊験は、歴史的に重々しいものがあり、また、私も、いくらか調べた結果、信用して良いと思われる。
尚、サムハラのお守りである、サムハラカードは、雑誌『大成功を呼ぶ「最強の開運神社」』の付録に付いていて、サムハラに関する詳しい説明も載っている(下に紹介した)。

◆アムリタ
今朝も書いたが、「アムリタ」は、阿弥陀如来の根本真言の中で10回繰り返される言葉で、書籍『密教の聖なる呪文: 諸尊・真言・印・種字』には、これを「古来、もっとも霊験あらたかな真言」と記している。
ところで、アニメ映画『劇場版 ツバサ・クロニクル 鳥カゴの国の姫君』の主題歌『アムリタ』のCD(歌唱は牧野由衣さん)の歌詞カードに、「アムリタ」について、こう注釈されている。

アムリタとはインドの神話に出てくる不老長寿の聖水のこと。
神々さえもが望む甘い露。アムリタ、その甘い響きを聞くだけで、唱えるだけで幸せが満ちると言われています。

「アムリタ」は、「甘露」あるいは「不死不滅」を意味するサンスクリット語のようだ。
阿弥陀如来の真言は、中国語版では、
オン、アミリタ、テイセイ、カラウン(あるいは、オン、アミリタ、テイゼイ、カラウン)
で、サンスクリット語では、
オーン、アムリタ、テージェ、ハラ、フーン
である。
いずれを唱えても良いが、これらが長いと思う人は、根本真言である「アムリタ(あるいは、アミリタ)」を唱えても良いと思う。
私も、「アムリタ」は非常に強い力のある、霊験あらたかな真言であると思う。
また、言葉の響きがとても美しいので唱えていて楽しく、阿弥陀如来の根本真言であるから万能とは思うが、特に、健康や病気の治癒、平和や愛情、恋愛に効きそうであると感じる。








最も霊験あらたかな真言

念仏の不思議な話を少しする。
江戸末期から昭和初期にかけ、農民や職人、商人などの間に、妙好人(みょうこうじん)と呼ばれる不思議な人々が現れた。
いや、とりあえず妙好人と呼んでいるだけで、本当に、そのまま「妙に好ましい人」くらいの意味しかない。
実際、妙好人は、ごく普通のただの庶民で、それどころか、まさに、「ど庶民」なのだが、実は、並の人間ではなかった。
悟りを開いた仏陀のような人々なのだが、なぜ、彼らがそうなったのかというと、おそらく、ただ念仏を唱えたのだ。
ほとんどの場合、妙好人は、ただの人間として生き、ただの人間として死ぬが、時として、人々の尊い模範となったり、騒乱が起こった時等には聖者の本性を見せることもあった。
彼らは、本当に仏陀だった。
そして、彼らはただ、念仏を唱えることによって、そうなったとしか思えない。
念仏には、そんな力が確かにあるのである。

ところで、念仏の「南無阿弥陀仏」というのは、純粋な日本語ではない。
「南無」は、ナーマスというサンスクリット語の音写(音だけ真似ること)で、「阿弥陀仏」は、やはりサンスクリット語のアミターバの音写だ。
「南無」は「なむ」と言ったり「なも」と言ったりするが、元々は「ナーマス」なのだから、どちらでも良い。
「南無阿弥陀仏」は、「阿弥陀如来(アミターバ)に帰依する(ナーマス)」という意味だが、帰依とは、「頼みとして、その力にすがる」という意味で、早い話が、全面的な信頼を意味する。
この意味だけで、念仏は最高最上の真言なのだと思われ、これを唱えて悪くなるはずがない。
イエスだって、神を全面的に信用しろと教えたのだし、江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠も、「まること」の教えといって、神様にまるごと全部まかせろと言ったのである。
ただ、イエスや黒住宗忠は、念仏のように、それを簡単に収める言葉を示さなかったのである。

ところが、念仏は、葬式に使われるようになり、何だか葬式のイメージになってしまった。
それもあって、私は、どちらかというと、阿弥陀如来の真言である「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」を唱えているが、これも本当は念仏と全く同じである。
そして、この真言が、私にとって、昔から霊験あらたか・・・と言ったら笑われることもあるかもしれないが、全く霊験あらたかで、いつもうまくいっていたのである。
「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」は、「オン、アミリタ、テイゼイ、カラウン」と「テイゼイ」のところで濁っても良い・・・と言うより、正確なサンスクリット語では「テージェ」であり、それで言えば「テイゼイ」の方が近いが、どちらでも同じである。
さっきも言ったが、私は、念仏も阿弥陀如来真言も全く同じだと思っている。

ところで、阿弥陀如来の根本真言というものがあり、古来、これこそ、最も霊験あらたかと言われてきた。
どんな真言かというと、「アムリタ」という言葉を十回繰り返すもので「十甘露陀羅尼(じゅううかんろだらに)」と言う。
アムリタとは、「甘露(文字通り、甘い露)」という意味で、陀羅尼は真言のことである。
阿弥陀如来真言の「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」の「アミリタ」が、正確なサンスクリット語で「アムリタ」なのであり、「アムリタ」という真言もまた「アミリタ」でも構わない。
ところで、アニメ『ツバサクロニクル』の映画である『劇場版ツバサ・クロニクル 鳥カゴの国の姫君』という、わずか35分だが、素晴らしい映画があるのだが、この映画の主題歌が『アムリタ』で、まさに、阿弥陀如来の根本真言と思える素晴らしい曲である。
芸術的音楽家である、かの香織さんが作詞作曲した名曲で、本当にただならぬ聖歌のような歌で、「アムリタ」の意味を完全に表現している。
「アムリタ」を真言とし、十回と言わず、数多く何度でも繰り返し唱えると、かならずや霊験があると思う。
さっきも言ったが、古来から、唱えれば幸せになれると考えられてきた、最も霊験あらたかな真言なのである。
私も、念仏、阿弥陀如来真言と共に、この十甘露陀羅尼「アムリタ」を愛用している。
阿弥陀如来の真言、偉大なりきである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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