ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

アップル

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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奴隷をやめる本当の方法

今はどうか知らないが、GAFAの1つであるアップルでは、社員証の裏に、11の成功の秘訣が書かれているそうだ。
これが本当に成功の秘訣かというと、見るまでもなく嘘である。
企業が社員に与える規則だの、社訓だの、規律だの、あるいは、そのような成功の秘訣だのは全て、社員を奴隷にするためのものだ。
企業が社員の成功を願うはずがない。
企業が社員に願うことは、ただ1つ。良い奴隷であることだ。
まともなアップル社員でいて成功した者なんて、当然ながら皆無で、その成功の秘訣が何の役にも立たないことが分かる。

社員が楽しくやっていけるルールがあるとすれば「みんな仲良く」だが、そんなルールは押し付けるものではないし、いずれにせよ、絶対に守られない。なら、他の全てのルールは無効である。

白百合の代弁者
AIアート107
「白百合の代弁者」
Kay


成功の秘訣も、楽しくやっていく秘訣も1つであり、他にない。
それは「思考を消す」である。
思考を消す、心を消す、思考を止める、考えることをやめる、頭の中のおしゃべりをやめる、頭の中の独り言をやめる・・・全部同じである。
思考を消せば、心を消せば、何でも出来るし、不幸にならない。
しかし、我々が、考えることが貴く、偉く立派であると思い込んでいるのは、そう思っている者が良い奴隷になるからである。

思考を消す最上の方法は「私は誰か?」と自分に問うことであることは、20世紀初頭にラマナ・マハルシがバラシてしまった。
だが、ほとんど誰もやらなかったし、やらないし、ますます、やらなくなるだろう。
支配者が大衆に押し付けた思想と全く違う・・・いや、真逆だからだ。
それなら、「私は誰か?」と自分に問えば、絶対成功するし、幸福になれると決まったようなものだ。
何と言っても、支配者が大衆にやって欲しくないものなのだから、絶対にやるべきものに決まっている。
まあ、考えたら分からないのだが、考えるのをやめたら分かる。

次善の策として、自分の呼吸を意識するという方法がある。
だが、マハルシは、呼吸の制御は、一時的に心を消せるだけだと言った。
一時的でも心が消せるなら価値がある。
そして、私が今勧めたのは、呼吸の制御ではなく、呼吸を意識することである。
むしろ制御してはならない。
心を観察する・・・つまり、心を意識しろと教える者もいるが、私はお勧めしない。
その理由は、それは悪い方法ではないが、残念ながら非常に難しく、成功するには、少なくとも30年はかかる。
対して、呼吸を意識する方は、多少は皆、すぐに成功する。
支配者の催眠術で「私は誰か?」と問い難いから述べたが、もちろん、本当は「私は誰か?」と問うのが一番である。








Excelは確固たる世界標準

何でも、世界標準とは凄いものだ。
日本人は、スマートフォンでは、アップルのアイフォンを持っている人が多いが、アイフォンは世界で最初のスマートフォンで、アイフォンが出てしばらくは、他にスマートフォンはなかった。
今では考え難いが、当時は、スマートフォンが一般に普及するとは思っていない人が圧倒的だったので、ライバルが出なかったのだ。
当時は、圧倒的なIT企業だったマイクロソフトのトップ・・・ビル・ゲイツや、ゲイツの後継者のスティーブ・バルマーもそうだったので、マイクロソフトはスマートフォンに関わろうとしなかった。
スマートフォンはコンピューターだ。
大衆が、コンピューターを電話として持ち歩くなんて、誰も思わなかったのである。
(スティーブ・ジョブズの先見性は改めて凄いと思う)
ところが、スマートフォンの可能性に気付いたのがグーグルで、グーグルは、アイフォンのOSであるiOSに似たAndrpidという、スマートフォン用OSを作ったが、スマートフォンそのものは自社で作らず、沢山の会社に作ってもらうことにした。一方、アイフォンは、OSもスマートフォンも、アップルしか作れない。
結果、現在、シェアでは、Androidスマートフォンが、アイフォン(iOSスマートフォン)よりはるかに多い。しかし、アイフォンのブランド力は強く、アイフォンのファンの多くは、Androidに乗り換えようとしない。
もし、マイクロソフトのビル・ゲイツやスティーブ・バルマーが、グーグルより先に、スマートフォンの重要さに気付いていたら、マイクロソフトは、パソコンに続き、スマートフォンのOS市場も奪い、マイクロソフトは現在でも時価総額世界一(2021年10月)であるが、もっとはるかに大きな会社になっていたはずだ。
ただ、マイクロソフトはかつて、圧倒的なナンバー1だった時代に、大き過ぎることから分割されそうになったことがあり、同じ苦労をせずに済んだのかもしれない。とはいえ、マイクロソフトも2度目となると、昔と違い、もっとうまくやったに違いない。まあ、これはそれはあくまで「もしも、マイクロソフトがスマートフォン市場を奪っていたら」の話で、あまり意味はないが。
そして、やはりグーグルは、かつてのマイクロソフトのように、市場支配力が大き過ぎるということで、アメリカ政府(正しくはアメリカ司法省だが)に訴えられ、今後、長きに渡って、アメリカ国家を相手に裁判で戦わないといけない。

そんなわけで、スマートフォンの世界標準は、アイフォンとAndroidスマートフォンの2つがある。
これは、たとえて言えば、自動車に、運転方法等がやや異なる2つのタイプがあり、免許証も2種類存在するようなものなのである。
まあ、自動車が空を飛ぶ時代になれば、本当にそんなことが起こるかもしれないが、当分、自動車は空を飛びそうにないし、もし、本当にそうなったら、国際会議で統一を目指すことになると思う。

パソコンでは、1980年代から、マイクロソフトのMS-DOSやWindowsが、事実上、世界標準だ。
ところが、アイフォン同様、アップルだけがハードとOSを作るマッキントッシュというパソコンがあり、シェアは小さいのに、確固たる存在感を保ち続けているのは凄いことだと思う。
グーグルも、Chrome OSという、パソコン用OSを作り、普及を目指しているが、こちらは、いまひとつ流行らない。
ところが、Windowsは圧倒的シェアなのだが、そもそも、大衆が、パソコンの代わりにスマートフォンを使うようになり、パソコン自体の出荷数が伸びないので、いっそう、Windowsの存在感が弱くなっている。
今や、日本でも、新卒の新入社員がパソコンを使えないので研修しないといけないという、ちょっと信じられないことが起こっている。

世界標準と言えるものが少なくなる中で、「これは世界標準」と言い切れるのが、マイクロソフトオフィスというビジネスソフトで、その中でも、ワープロソフトのWord、表計算ソフトのExcelがそうで、特に、Excelを使わない会社は世界中にないと言えるほどである。
Excelの牙城を崩そうと、サイボウズやジャストシステムが、Kintonやジャストユニットを作り、それぞれ優れた製品であるが、企業がExcelを使わなくなることはないだろう。
よって、座って働きたいなら、Excelは絶対に使えるようにならないといけないし、Excelが上手いほど、特に若い間は有利になる。
(その前に、スマートフォンばかり触ってないで、パソコンを使うことだ)
Excelが使え、そして、Excelでマクロが組める(VBA言語でプログラミング出来る)なら、貴重な存在である。
よって、特に専門プログラマーを目指すのでなければ(実際は専門でも有りだが)、Ecxcelでマクロを組めるようになると良い。
尚、私もだが、Accessで大きなシステムが組めるほどなら、Excelは使わないということもある。
そんな人は、さらに貴重なのだが、そこまで出来るようになる人は少ない。








アップルの良さとピカソの良さは似ている

何度も繰り返されてきた問題として、「ピカソの絵の何が良いのか?」というものがある。
これは、ピカソだけでなく、ゴッホやダ・ヴィンチ、その他の芸術的絵画についても同様の問題である。
例えば、モローやレンブラント、あるいは、ドレなどの絵は、一目で「上手い!」と分かるが、本当の良さとなると、やはり難しいのである。

絶対的な結論は、間違いなくこうだと思う。
「ピカソの絵の良さは、言葉で説明できない。以上」
これまで、専門家と言われる者達を含む多くの人達が、ピカソ(あるいは他の芸術絵画)の「何が良いか」を解説をしているが、どの解説も、誰も覚えていない。
これは、解説を見たり聴いたりした側が馬鹿なのではない。
それらの解説全部が、嘘、的外れ、ピント外れなのだ。
では、岡本太郎が『今日の芸術』で書いたピカソやゴッホの良さは嘘かというと、岡本太郎はいろいろ書いているようでいて、結局のところ、「何も言葉で説明出来ない」と、本当のことを述べているのである。
岡本太郎は、今日の芸術は(実際は芸術全ては)、「うまくあってはならない」「きれいであってはならない」「ここちよくあってはならない」と述べているが、「なぜか」は言わないのである。言葉で言えるはずがないからである。

芸術より、もっと身近に、同じようなものがある。
アップル製品である。
ここでは、とりあえず、スマートフォンのiPhoneに、アップル製品を代表させる。
iPhoneが、他のスマートフォンに比べどこが良いかというと、機能的な面においては、どこも優れていないと言って良い。
むしろ、最新のAndroidスマートフォンに比べ、劣っている部分も少なくはない。
では、iPhoneが売れるのは、洗脳的、あるいは、催眠術的なイメージ戦略の威力なのかというと、そういう面も確かにあるが、もちろん、それだけではない。
良いから売れるのであり、アップルが時価総額世界一の企業であり、いまだ信じ難いが、それはマイクロソフトの倍なのである。
一頃は、マイクロソフトが圧倒的に強く、アップルは瀕死の状態で、「アップルを潰さないのは、マイクロソフトが、その方がメリットがあるからである」とまで言われていたのが、スティーブ・ジョブズが戻ってきて、大きく方向転換したら、アップルの大逆襲が始まり、そして、アっプルは勝ったのである。
iPhoneの良さというものは、ピカソの良さに通じるのである。
iPhoneの本当の良さは、言葉では説明出来ない。
iPhoneの良さを言葉で説明した人はいたが、それらの説明を誰も覚えていない。
これらの説明全部が、嘘、的外れ、ピント外れなのだ。
あるいは、アップル製品全体について、昔からよく「作業効率が違います」と言われたが、では、「どう作業効率が違うのか?」と問われたら、「とにかく違うんです」と言うしかなかった。
実際は、具体的、論理的に作業効率が良かったりはしない。
真実を言えば、「使っていて気分が良いので作業効率が良く感じるだけ」である。
しかし、「気分」以上に、作業の能率を上げるものはないのも確かである。

脳科学者の茂木健一郎氏が、アップル製品を絶賛し、マイクロソフト製品を貶し、目の前で聴いていた、元マイクロソフト日本法人社長だった西和彦氏に、恫喝も同然に罵倒されたが(茂木氏は気の毒に、かなりビビっていたと感じた)、あれは茂木氏が悪いと思う。
茂木氏の間違いは、「論理的に」アップル製品が良いような言い方をしたことと、マイクロソフト製品を不当に酷評したことだ。
マイクロソフト製品のどこも悪くはない。論理的には、現時点において最高のはずだ。
単に、「私はアップル製品が好きで、マイクロソフト製品が嫌いなんです」と言えば良いのである。

私は、昔からアップル製品が大嫌いで、アップル製品で購入したことがあるのは、iPod touchが1つだけで、それもやむなき事情で買ったのだった。
そして、iPod touchを使って、ますますアップルが嫌いになった。
茂木氏は、マイクロソフト製品に我慢ならないと言うが、私には、アップル製品に我慢が出来ない。
データの受け渡しに、いちいちパソコンと「同期」させないといけないが、それは、iPod touch等とそっくり同じコンテンツを持つパソコンでしか出来ない。
もし、iPod touch、iPhone、iPadといった製品を複数持っていれば、パソコンが一台なら、全てが同じコンテンツになってしまう。
iPod touchのコンテンツを、「ちょっと」どこかのパソコンで取り出すことも(その逆も)出来ない。
もう呆れてものが言えない。
しかし、ピカソの絵が優れていることを認めるなら、似た理由で、アップル製品が優れていることも確かなのだ。
とはいえ、アップルは「テクノロジにおいては駄目」と言うのではない。
ただ、他社製品と差がないというだけのことだ。
優れた部分もあるが、劣った部分もある。しかし、その差は大したことはなく、少なくとも、実用的には問題にするほどのことではないのだ。それを問題にしたがる者がいるから、ややこしくなるのだが。

そして、これからの世の中では、ピカソやアップル製品が持つ、「非言語的な良さ」が重要になってくる。
もっと当を得た言い方をするなら、ピカソの作品やアップル製品を生み出すような、「非言語的な知性、あるいは、能力」が必要になるのである。
それは言葉では説明できないながら、少なくとも、それが分からないと時代遅れになってしまうのである。
しかし、単に好き嫌いとして分かるだけでも駄目なのである。
だが、言葉では説明出来ない。
古い人間は、「いったいそれは何なんだ?俺に分かるように説明しろ!」と怒鳴りたくなるだろうが、そんなこと、誰もしてくれないし、そもそも、出来ない。
これまでは、「試験の点」という、旧世代の人類に「よく分かる」ことだけで評価が行われ、世界はこんなに駄目になった。
これからは、試験の点よりはるかに重要なことが価値を持ち、「評価される」かどうかは分からないが「認められる」のである。

では、アップル製品を崇拝すれば良いのか?
そうではない。
あれは、やっぱり駄目なところは駄目だ。
まだ未完成なのだ。
アップルとマイクロソフトの融合という、それぞれのファンにとって「虫唾が走る」ことが行われないといけないのである。
でないと、Googleが本当に世界を支配してしまうだろう。それが良いか悪いかは言わないが。
Googleは、当分、アップルやマイクロソフト、あるいは、Amazonを排除しようとし続けるだろう。
(以下、ギャグと思っていただいて良い。書き手はごく真面目だが・・・)
それらを全て包み込める可能性があるのは初音ミクさんだけだ。
それには、ニコニコ動画が海外に進出し、売上を百倍化、千倍化しなければならない。
その可能性はあるが、現状のニコニコ動画では駄目だ。
だが、アニメ『NOIR(ノワール)』で、ソルダの幹部ブレフォールが、ミレイユ・ブーケについて言ったのと同じように、川上量生さんは「やってくれるでしょう」。
私には、ブレフォールの言葉が、鮮やかに蘇っているのである。
すると、夕叢霧香は、チームラボの猪子寿之さんか、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之さんだろうか?
そして、悲劇のクロエは、これから現れるのかもしれない。









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私がアップル製品を使わない理由

個人的には、私は、アップルのiPhoneやiPadが売れる理由が全く分からない。
もし、AndroidのスマートフォンやタブレットPCが存在しなかったとしても、私は、「何て使い難いんだ」と思って、iPhoneやiPadを買わないと思う。

ただ、iTuneストアで、欲しい音楽コンテンツを、すぐに見つけて購入できることは素晴らしいと思った。
しかし、あまりにも買いやすいので、ついつい余計に買ってしまう。
これは麻薬的であり、だんだん恐ろしくなって、ある時、クレジットカード登録を削除し、もう買えないようにした。
ところが、私は、アップル製品の使用をやめたので、PCからiTunesアプリをアンインストールしたのだが、iTuneストアで買った音楽がm4p形式という特殊なものなので、そのままでは他のアプリで再生できない。面倒なので、欲しいものは、CDやAmazonデジタルミュージックで買い直した(本当に欲しいものは、そんなにはないということが分かった)。
また、iTunesアプリにしろ、同じアップルのQuickTimeにしろ、インストールするとWindows起動と同時にメモリにロードするので、PC全体が遅くなり、メモリも圧迫される。
ただ、それは、アップル製品だけでなく、アドビ製品もそうであるが、特にアドビ製品はメモリを大量に消費するので、インストールしても何も良いことがない。しかし、Flash Playerを必要とすることが多いので、やむなくアンインストールせず、Windows起動の際にロードされないよう設定してある。しかし、そんなやり方を知らない人は、PCが遅くなって嫌な思いをしていることだろう。

私が、アップルのタブレットで特に疲れさせられたことは、PCに存在する音楽やビデオを、iTunesアプリで「同期」という形でしか、iPhone等に取り込めないことだった。
iPhoneに入れたい音楽やビデオがあっても、まず、iTunesアプリが入ったPCにそれを取り込み、それから、iTunesアプリに登録し、そして同期して、やっとiPhoneに入る。
Androidなら、エクスプローラーでドラッグアンドドロップ一発なのだから、iTunesのやり方はひどく煩わしく感じる。
また、iPhoneやiPadに音楽やビデオを入れるためのPCが3台あれば、その3台とも、全く同じ形で音楽やビデオをHDにコピーしておき、iTunesも同じ設定にしなければならないが、これはもう、とても考えられない。
一度、PCのフォルダ名を変えたら、iPhoneから消えこそしなかったが、当然、同期不能になった。フォルダ名なんて、普通に変えるのだが。
また、Androidなら、友人のPCにぱっとつないで、そこにある音楽やビデオを引っ張ってこれる。まあ、これをやることが、違法コピーにつながる可能性があるのかもしれないが、まさか、それを防止するために、iTunesアプリは、あんなややこしい操作を強いているのだろうか?(多分そうだとも思う)

操作性やタッチパネルの性能に関しては、アップル製品は素晴らしいという話がよくある。
確かに、安価なAndroidタブレットには、タッチやスワイプの反応、追従性が悪いものがあったと思う。
だが、iPadミニとNexus7を操作し比べたら、明確な差はなかったと思うし、慣れた方が使い易いということで間違いないと思う。
どちらが上にしろ、言うほどの差はないと考えて良いだろう。
そもそも、私は指も含めて乾燥肌ということもあるが、タブレットは使い難い。
文字入力操作が多いのに、どうしてもタブレットである必要があれば、簡単に使い易いキーボードを付けられるWindowsタブレットを使っているが、やはりノートパソコンが良いと思う。
スマートフォンで文字入力をすることは、ほとんどない。

ところで、マイクロソフトの時価総額が、アップルやGoogle(全体の)の半分というのは、時代が変わったものだと思う。
もちろん、利益率では、基本的にソフト会社であるマイクロソフトが高いのだが、マイクロソフトもハードウェア事業に手を出し、また、設備投資を盛んに行っているので、Googleとは差が縮まっているようだ(この点ではアップルはハード主体なので、下がる傾向が強い)。
そして、Google Chrome OSがWindowsに取って変わる可能性も、なきにしもあらずである。とはいえ、あるとしても、やや先のことである。









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「良いことをする」と「悪いことをしない」はどちらが優るか?

昔、中国で、偉いお坊様に、ある男が、「先生、何かお教えを」と乞うと、その偉い僧は、
「良いことをしろ、悪いことをするな」
と応えた。
男が、
「そんなことは7つの子供でも知っています」
と落胆して言うと、僧は、
「だが、実際にやるのは70の老人にも難しい」
と諭した。

ところで、「良いことをする」と「悪いことをしない」は、どっちが良いだろうか?
おかしな質問だろうか?
だが、考えるまでもない。
正しいのは、「悪いことをしない」方だけだ。
人間に良いことなどできないからだ。
良いと思ってしたことが、相手にとって悪いことになったという話はよくある。
だが、実際は、良いと思ってやったことは全部悪いのだ。
「お前のためを思ってやった」ことは、全部、「お前」のためにならないばかりか、必ず、「お前」の害になる。
「お母さんは、お前のためにやったのよ」という行為は、間違いなく、子供を駄目にする。

では、「良い行い」とは何だろう?
それは、自分が行為者であるという自覚なく行うことである。
言い換えれば、無我でやったことである。
老荘(老子、荘子の思想)的には、「無為の為」「無作為の作為」となる。
無我でやったことであれば、世間的には極悪であろうが、最善なのである。
「知らずにやった悪いこと」なんて、全部言い訳であるか、やっぱり、「自分がやっている」という意識があったのだ。

Googleの理念が「悪いことをするな」である。
変わった理念と思う人が多いだろう。
だが、Googleはこれで限りなく発展し、他の会社は「良いことをする」と公言、あるいは、社員に要請し、結果、普通はすぐ、少々うまくいっても30年以内に駄目になるのだ。
Googleなんて、本来は社名が良くない。
アップルやマイクロソフトのように「ア」の母音で始まらず、製品名にも「ア」の母音がつかない。
これは、本来、成功する名前ではない。
アップルであれば、製品名は、「アップル(同社最初のコンピューター名)」「マッキントッシュ」「アイポッド」「アイフォン」「アイパッド」、全部「ア」の母音で始まる。
マイクロソフトは、「オフィス」や「ウインドウ」といった、ごく平凡な名称の頭に「マイクロソフト」をくっつけて(マイクロソフト・エクセル等)、初めて製品名として成立するようにしたのだ。
だから、スティーブ・ジョブズや、ビル・ゲイツといった、名前のどこにも「ア」の母音のつかない彼らが大成功したのだ(もっとも、全く「ア」がつかなければ、かえって「ア」の力を引き出せるのだが)。
ジョブズはインド文明の研究者だし、ゲイツはユダヤ密教(カバラのこと。カバラ自体、「ア」だらけである)を知っていると思うので(彼はユダヤ教徒)、音の重要性を無意識にでも理解しているのだと思う。
だが、Googleに見られるように、理念の力はかくも偉大なのだ。
ただし、正しい(真理に則った)理念の場合だけだ。
それに、ゲイツは、何らかの意味で自分をナポレオンとみなしているし、ジョブズは、子供の頃から「ハングリー」という言葉を大事にしていたのだ。

では、我々も、本日ただいまより、悪いことをやめよう。
作為的な良いことなど決してしないようにしよう。
そして、「ア」の母音で始まる呪文を称えて、なるべく無であることだ。
さらに、自分に「ア」の母音で始まる名前を、いくつでも好きなだけつけると良い。
「あらゆることができる神の子」とか、「可憐なる花」とかね。
ただし、「良い名前をつけるための本ありませんか」とか「名前をつけて下さい」などと決して言わず、自分で考えること。
自分で考えることが何より大切である。
成功しない者は、自分の頭で考えようとしないのだ。

ついでに述べるが、プログラミング言語を選ぶとしたら、JavaかJavaScript、あるいは、PerlやPythonをやると良い。
言うまでもなく、「ア」の母音で始まるからだ(ただ、Pythonは日本ではあまり良くないかもしれない)。
Rubyは現在、人気があるが、正直、これのプログラマーで、あまり良い思いをしている人を知らない。
では、私はどうかというと、マジック・ソフトウェア社のMagicと、マイクロソフトAccessを主に使ったので、能力や労力の少なさと比べ、異常なほど安楽なのである。
それ以前、C言語やVisualBasic、あるいは、COBOLやxBase等のプログラマーだった頃は、確かに、あまり良いことはなかった。
しかし、これはあくまで原則であり、Googleが理念で成功するように、他の要素も十分にある。
だが、意図的に手っ取り早く、確実に成功したいなら、試してみると良い。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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