私は、普通の人が、なぜ、こんなに遅く歩けるのか理解できない。
私が、人混みの中を、ごく普通に歩くと、周囲の人達は木偶(人形)のようで、その間をすいすい追い抜いていってしまう。
必死な様子で速足で歩いている人も、私は普通に歩いて追い抜くし、小走りの人も同様であることも珍しくない。

あまり道に余裕がない場合、私が追い抜こうとすると、体格の良い男性は不快な様子を見せることも多く、ほとんどの人が、私に道を譲る素振りを全く見せないばかりか、露骨に進路を妨害してくることも、実際はよくある。
道を塞がれると、彼らの遅いペースに合わせて歩かなければならない私は、かなり辛い。
私は単に、「普通に歩きたい」だけなのである。
私は、会社の社員旅行は決して行かないのだが、その理由は、話し相手がいないということもあるが、集団で一緒に歩いて移動する時の、あの「遅さ」に耐えられないというのが決定打なのだと思う。

なぜこれほど、私と他の人の歩行速度が違うのか、よく分からなかった。
私は、身長177cmで、平均よりは少し高いが、それほどでもない。
私と同じくらいの身長の人が私と一緒に歩く場合、私が普通に歩くと、その人は横で走っているのである。

私の脚が長いせいかと思ったこともある。
実は、私はずっと、自分の脚は短めだと思っていたが、私の身長でユニクロの股下85cmのパンツを無修正で履く人はあまりいないように思うことから、最近、多少は脚が長いと気付いた。
確かに一度、若い二人連れの女性の横を風のように追い越した時、彼女達が「コンパスの差ね」と言うのが聴こえたこともある。
しかし、昨日、身長が私より10cm程度も高い感じがする、脚も大変に長い人が、かなり急ぎ足で歩いていたが、やはり、私は普通に歩いて、楽に追い越していったので、脚の長さだけの問題ではないようだ。
また、階段を下りる時のように、脚の長さが有利にならない場合も、私は他の人より速いので、やはり、脚の長さの問題ではないに違いない。

仮説の1つとして、歩いている時の私は、軽いトランス状態になっていて、私に流れている時間は、他の人に流れている時間より速いのかもしれない。
私が軽くでも走ると、他の人が完全に静止するので、私は、さらに深いトランスに入っているのだろう。
それは、『サイボーグ009』で、009が加速装置をオンにした状態、『アクセル・ワールド』で、思考を一千倍に加速するソフトウェア「ブレイン・バースト」をインストールした「バースト・リンカー」という人間が加速した状態、あるいは、H.G.ウェルズの『新加速剤』で、加速剤を飲んだ人間のような状態である。
私自身は、別段、速く動こうとしなくても、「スイッチを入れる」だけでトランスになり、自動的に速く動き、相対的に世界の動きが遅くなるのである。
なぜそんなことが出来るようになったかというと、1つには、長年、呼吸法の訓練をしたからかもしれない。
ただ、呼吸法は、その手の本に書いてある複雑なものではなく、単に、「微かな呼吸をする」だけである。
実は、私も色々な呼吸法をやってみたが、効果があるのは、この「微かな呼吸」だけであった。
もう1つは、これも直観でそう思うだけだが、仏教の経典を読んでいるからだ。
具体的には、『浄土三部経』、すなわち、『無量寿教(大無量寿教)」、『観無量寿教』、『阿弥陀経』や、『法華経』である。
現代語訳で良い。
仏教経典では、同じようなことを何度も何度も繰り返すことが多く、それで、ほとんどの人はうんざりして、苦痛にすら感じるはずだが、実は、そのような書き方こそが、「加速する鍵」なのである。
『アクセル・ワールド』で、中学2年生の神秘な超美少女「黒雪姫」が言った、
「もっと先へ――『加速』したくはないか、少年」
と言った言葉に応えたければ、仏典を読むと良い。
加速すれば、ほとんどのことで負けることはない。
尚、初音ミクさんの曲にも、加速出来る、即ち、トランスに入れるものが多い。
私の場合は、『StargazeR』、『Chaining Intention』、『ストロボナイツ』などに、それを強く感じるが、他にもあると思う。
さらに、「ありがたい」と言えば加速するのも、ほぼ確かと思う。









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