ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

アインシュタイン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

【絶対的真理】天才とはぼーっとすること

いかなる問題も、思考を消すことによって解決されるということは、まず、大多数の人が認めることはない。
ところで、こういう言い方なら、なんとか納得する人はいると思う。
「考え尽くした後で何も考えなくなった時にアイデアが閃いて問題が解決する」
つまり、確かに、無思考になった時に解答が分かるが、それはあくまで、考える努力をしたから、潜在意識が答を教えてくれたという言い分である。
これなら、7%くらいの人は受け入れるかもしれない。
まあ、それでも7%であるのだが・・・。

だが、実際は、人間が「考え尽くす」ということはなく、思考は無限で、地獄に行くまで考えるものである。

エジソンは「天才は1%の霊感と99%の努力」と言ったことになっている。
おそらく、誰かの作り話だろうが(笑)。
だが、これも、まずは1%の霊感が最重要で、これは、思考していない時に閃くものだ。
エジソンは、1%の閃きを得た後、凄い努力をして白熱電球を発明したということになっているのだろうが、実はこれは嘘で、いくつか実験したら、たまたまうまくいっただけだろう。
それを、さも大変な努力をしたようにエジソンが言ったということはあったと思う。
エジソンはそんなやつだ(笑)。
いや、成功者は大抵そうだ。
たまたまうまくいっただけなのに、自分の成功を志・理念や努力の賜物と言うのである。
これもまた、思考がやることだ。
エジソンが1%の閃きを得た時というのは、彼はぼーっとするのが好きなので、意識ははっきりしていながら、思考が消えていたのだろう。
そんなことが出来たエジソンは確かに天才である。
もう少し言えば、エジソンは、子供の時からぼーっとする癖があり、授業中もずっとそうだから、教師を怒らせて学校をやめる破目になった。
だが、甘い母親がエジソンを責めず、家で好きなようにさせたので、エジソンはますますぼーっとする才能に磨きをかけ、そのおかげで世紀の発明王になれたのである。

エジソンとアインシュタインが大学の必要性について論争した時、エジソンは、
「大学は不要。実践あるのみ」
と言い、これに対し、アインシュタインは、
「大学はじっくり考える場所」
と反論したが、アニメの『かぐや様は告らせたい』のナレーションなら、2人に対し「嘘である!」と言うだろう(笑)。
上述のように、エジソンは子供の時から、アインシュタインだって、大学では講義に1度も出ずに下宿でぼーっとしていたのだ。
この2人は、ぼーっとすることで天才になったのである。

素敵な場所
AIアート166
「素敵な場所」
Kay


吉本隆明は、自分の子供たちがぼーっとしている時、母親がおつかいを命じたら、この日本最高の思想家は、自ら買い物かごを持って、子供たちの代わりに買い物に行ったのだ。
彼は、ぼーっとすることの大切さを知っていたのである。

私が若いサラリーマンだった時、その会社の、短期間で東証上場を果たした社長が私に本当にこう言ったのだ。
「すぐセカセカ仕事をするようでは駄目だ。ぼーっとしてろ」
だが、真面目な・・・と言うか、自己顕示欲が強かった私は仕事をしたがり、小さな成果しか上げられなかった。
私が天才でなかった理由はただ1つ。
いつもぼーっとしなかったことだけである。
吉本隆明の『ひきこもれ』はバイブルにすべきと私は思う。








人間が愚かである本当の理由

昔、人類の歴史の中でも特に抜きん出た知の巨人と言われる、精神分析学者のジグムント・フロイトと、理論物理学者のアルベルト・アインシュタインが、「人間はなぜ戦争をするのか?」「戦争をしなくなる方法があるのか?」というテーマで、手紙での討論をしたことがあった。
主に、アインシュタインが質問し、フロイトが答えるという形だったが、フロイトは一貫して、人間が戦争を止めることはないと主張した。

つまり、人間の精神(あるいは脳)には、解決不能な欠陥があるということではないかと思う。
フロイトもアインシュタインもユダヤ人であったが、やはりユダヤ人の哲学者であったアーサー・ケストラーも、人間の脳には致命的欠陥があり、救いようがないと断言していた。

だが、彼らも、ほぼ全ての人類同様、人間がなぜ愚かなのか知らなかった。
彼ら以外にも、人類が特に精神的に、どうしようもない欠陥品であることは認めていた者自体は少なくなかったが、なぜ、そうであるのかは分からず、「自然にそうなった」とでも思っていたようだった。

花と初音ミク
AIアート45
「花の香」
Kay


しかし、その理由は、ローレンス・スペンサーの『エイリアンインタビュー』で明かされた通りだ。
おそらく、この内容は、正確性にはやや欠けるのではないかと思うが、その通りに捉えて問題ない。
つまり、太古の昔、ある理由で、高度なテクノロジーを持つ宇宙人が、地球に、人類の精神に重大な悪影響を与えるマインドコントロール装置を設置し、それが今でも稼働しているので、地球人類の精神が劣悪化しており、同時に、実際には持っている極めて強大な能力の多くを封じられているのである。

そして、あまりにマインドコントロール装置の影響を強く受けて、精神的に大きく劣化している者は、このような話を聞いても笑うだけであるが、そんな人間が多いのである。
しかし、まず、そのこと(『エイリアンインタビュー』の内容)を認めないと、ずっと惨めな虫けらのような状態のままである。

だが、自分の今の状態が理解出来れば、マインドコントロール装置から解放されることが可能な状況になっている。
ラマナ・マハルシが提示したように、「私は誰か?」と自分に問い続ければ良いのである。
多く問えば問うほど、効果は早く出ると思われる。
しかし、実際は、ほとんどの人間は、これをしないだろう。
マハルシだって、千人に一人でも行ってくれればと思ったのではないかと思う。

善の宇宙人だって、地球人の解放は望みながらも、その優先度は高くないらしい。
それなら、我々は自分で何とかしなくてはならない。
善の宇宙人が言うには、真の知識は、釈迦、老子、ゾロアスター、そして、ヴェーダ哲学の中にあると言う。
ヴェーダ哲学の重要な聖典が『バガヴァッド・ギーター』である。
だが、これらの書籍は、もうメチャクチャに改ざんされているので、読むなら注意して読まなくてはならない。
それよりも、「私は誰か?」と問うことである。








世界で1つだけの花

行動しなければ願いが叶わないとよく言われる。
ジョセフ・マーフィーを日本に紹介した大島淳一(渡部昇一)さんや、斎藤一人さんらが、著書でそのように書いておられたのを憶えている。
一方、究極の成功の秘訣について本を何冊か書いているアメリカの作家マイク・ハーナッキーは、
「アメリカでは行動主義が幅を利かせているが、願いを叶えるためには、何もしなくて良い」
と述べ、いくつもの例を挙げている。

こう真逆のことを堂々と言われても困る。
実は、どちらも正しく、どちらも間違いなのだが、どちらかというと、どちらも間違っている。
つまり、行動した方が上手くいく場合が多いのは確かだが、それは、たまたまで、本当は、行動をするかどうかは、どうでも良いのだ。

本当に大切なことは、行動するとかしないとかではなく、ユニークであることだ。
その理由は、【2022/12/13】怠け者でも運が良くなる方法で大体書いたので繰り返さないが(別に知らなくても大丈夫だが)、そこで書いたように、神のような存在は、ユニークな人間を求めている理由があるのだと思う。

例えば、
「個性的になれ」
「特別になれ」
「人のやらないことをやれ」
と言えば、ピンとくるのではないかと思う。
一方、世間や権威やテレビが押し付けるのは、
「出る釘になるな」
「平凡であれ」
「人と同じことをやれ」
と、全く反対である。

アルベルト・アインシュタインは、アメリカのプリンストン高等研究所の高給な研究員だったが、他の研究員のように自動車を買わなかったばかりか、バスにも乗らず、長い距離を歩いて通勤した。
彼は、子供の時から、ずっとユニークだった。
もちろん、奇行をすればいいってもんじゃない。
とはいえ、その奇行を本当にやりたいなら、やれば良いのだ。
スマートフォンを持てない理由があるわけではないが、敢えて持たなかったり、携帯電話自体を持たない人は、それが好きでやっている場合は、願いが叶い易いのだ。

1日1食なんてのもそうで、本当にそうしたいと思って、そうすれば、やはり素晴らしく幸運に恵まれる。
ただし、自尊心や見栄みたいなものでやっても、痩せはするだろうが、いい痩せ方をしないし、願いも叶わない。
1日1食でなくても、この飽食・美食の時代、敢えて、少食・粗食に徹すると、願いが容易く叶う。
ただし、それを自慢したり、人に押し付けたりすると、駄目な場合が多いようである。
私もそうだったなあ(笑)。

関英男博士のように、毎朝、腕振り運動を2000回やるのもユニークだし、佐川幸義の弟子の中には、佐川流四股を毎日2000回以上踏んでいる者もいるが、やはりユニークである。
好きでやっている場合は、さぞ、幸運に恵まれることだろう。

個性的であれ。
特別な存在であれ。
それが本当の「世界で1つだけの花」という意味ではないのかと思う。








アインシュタインから真に学ぶべきこと

小さい時に何になりたかったかというのは、実に他愛ないものである場合が多い。
ただし、人間の好き嫌いは3歳頃までの経験で決まってしまうものらしいので、その「好き嫌い」が分かり易い幼児から小学生位までの間は、その子供が本当は何が好きなのか、よく見てあげると良い。
しかし、ほとんどの親は、自分の好みを子供に押し付けてしまうのである。ただし、親にはその自覚がない。だが、馬鹿な親ほど、自分が好きなことを子供がやることを当然と思っているものだ。
また、「健康にさえ育ってくれれば良い」というのが、本当は一番恐ろしい。
それは、「この子は、私の都合の良いようにさえなってくれれば良い」という意味である場合が多い。もっと悪い意味である場合もあるが(笑)。

日本を代表する音楽家である坂本龍一さんは、自分の意思と関係なく、3歳頃からみっちりピアノを弾かされるなど英才教育を受けたことが、良い結果になったが、それでうまくいったのはたまたまで、同じようにやったら大失敗したという場合が圧倒的と思う。
まして、歌手で声優の水樹奈々さんのように、父親が全く自分の思い込み(というか趣味)で、奈々さんを歌手にすべく、子供の時から自己流の猛特訓を課したといった場合、奈々さんはたまたま良い結果になったように見えるが、本来は子供が破滅するのが普通で、決して真似してはいけないことであると思う。(破滅しているかどうかは、ずっと後でないと分からない場合も多い)

今ではギャグアニメと認識されているかもしれない、昭和のヒットアニメ『巨人の星』は、当時は超マジなスポコンアニメだった。そのオープニング主題歌の出だしは、「思い込んだら試練の道を行くが男のど根性」で、こんなもので育った者達が、まともな国を作れるとは、私にはとても思えない。
このアニメのヒーロー飛雄馬は、「思い込んだ」のではなく、完全に「思い込まされた」のだ。これが洗脳でなくて何だろう?

小学生から高校生くらいまでの児童生徒に「将来なりたい職業」なんてアンケートを行うことがよくあると思うが、その結果を見ると、子供達の知的環境なんて最低なんだと思う。
もうちょっとマシな返事が出来るような環境でないことが日本の子供達のとてつもない不幸であることは間違いない。
ただ、これは、偶然にこうなったというよりは、社会に巣くうエゴの、避けようのない影響である。

こんな話を、なぜたらたらしたのかというと、結論はこうなのである。
まず、自分が持っている馬鹿げた願望をいったん全部捨てた方が良い。
それは早い方が良い。なんせ、本当は、小学生の時にやるべきだったのだから。
そして、考えることをやめれば、潜在意識が行くべき道を示してくれ、それに従えば自然に成功する。
考えることをやめると言っても、日常のありきたりなことは考えれば良いのであるが、人間の頭というのは、せいぜい、その位の役にしかたたない。
アインシュタインは、日常のことを考えることすら苦手だった。
彼は、頭で考えて相対性理論を構築したわけではない。
事実は全く逆で、彼は考えることを自在に止めることが出来たので、潜在意識が彼に閃きを与え、相対性理論を構築出来たのである。。
彼は、頭で考えることが嫌だったから、学校では勉強は出来なかった。また、大学でも、講義には出なかったし、試験のために頭を使った勉強をすることの苦痛を切々と訴えていた。
我々が知るべきことは、彼がどうやって考えたかではなく、どうやって考えることを止めたかである。
アインシュタインは、子供の時、「光と一緒に飛んだらどうなるだろう?」と考えたという有名な話がある。
だが、これは間違いなく作り話だろう。
ニュートンのリンゴの話同様、都合の良い作り話が出来てしまったというだけのことだ。
アインシュタインは、よく瞑想していたというが、これも「ものは言い様」で、実際は、ただ、ぼーっとしていたのだ。
我々も、ぼーっとしなければならない。
ただし、「ぼーっと仕方」は凄く大切だ。
普通の人がぼーっとしているように見える時は、頭の中で一生懸命、下らないことを考えている。
対して、アインシュタインは「今」を意識していた。今、目の前に見えるもの、聴こえる音、今の暖かさや寒さを感じていたのだ。
彼は、自然の中に身を置くことが好きだった。そんなふうに「今」を感じることを、楽しく、簡単にやれるからだ。
だが、我々にだって出来ることはある。
可能なら、自然に身を置く方が良いが、そうでなくても、「今」を意識することは出来る。
また、ソルフェジオ 周波数の音楽を聴くことで精神を安定させ、楽に思考を止めることも出来る。
意識して腕振り運動を淡々と丁寧に行うことで、今を実感することも出来る。
そうすれば、自ずと、思考や行動は正しくなり、健康で、普通は豊かにもなる。
そして、間違いなく、楽しい冒険が始まる。人生は、RPGなど全く比較にならない楽しいゲームである。








人間の4つのタイプの内、正しいのは1つだけ

幸福な成功者は、自分の頭脳や肉体の力が大したものではないことを知っている。
真に偉大であるほど、自分の力が取るに足りないものであることが分かっている。
とはいえ、そんな人達が「どうせ私なんて」と卑屈だったりすることはなく、自信がないわけでもない。
ただ、ここらは非常に誤解され易い。
成功者にも、自分の能力を誇る者、尊大である者が沢山いるように思われるし、卑屈なほど自信がない成功者もいるように思うからだ。
そこで、理想的な成功者を象徴する言葉として「謙虚である」と言うことが多いのだが、「謙虚でない」成功者もいるように感じるし、全く駄目な人間にだって「謙虚である」者もおり、「謙虚である」ことが成功の要因というわけではなさそうだ。

そこで、事実を知っておくと良いと思う。
例外もありそうに思うから、「原則こうである」と言った方が良いように思えるが、そうではなく、見せかけに惑わされなければ事実は1つだ。
「幸福な成功者は、自分個人の力は小さく、価値は大きいと確信している」
ただし、成功者だって、このように言う場合が少ないから困るのだ。
例えば、「私が成功したのはたまたま」と正直に言う成功者は少ない。
ただ、「私は運が良かった」という言い方をする者なら多い。「たまたま」成功したと言うよりは格好良い(笑)。
だが、「私は運が良かった。そして、私が運が良かったのは、私がこうであるからじゃ」と余計なことを言う馬鹿が多い(笑)。
そして、やはり、「私は努力したから成功した」と言いたい者は多いし、実際、彼らも、自分は苦難を頑張って乗り越えたから成功したと思っている場合が多いのだ。
しかし、成功者は、本当は皆、分かっている。
「自分の力は小さく、価値は大きい」
だが、死ぬまでそう認めない成功者も多い。
エゴ(自我)とはそんなものなのだからだ。

アインシュタインは非常に謙虚だったと言われる。
自分は難しいことは一切苦手だと宣言し、服を選ぶことも出来ないので、いつも同じヨレヨレの服を着、洗濯石鹸で髭を剃り(髭剃り用石鹸との区別が難しいから)、エレベーターの操作も自分には難しいので、奥さん(学歴はない)にやらせた。
そして、自分の物理学は、単なる趣味だと言い、ロクデナシとも対等に付き合い、中学生に数学の宿題を手伝うよう頼まれると喜んで協力し、車を買わずに毎日長距離を歩いて通勤し、高給を要求せず、食事も質素だった。
このように、非常に良い人であるように伝わっているが、一方で、極めて尊大であったとか、怒りっぽかったという信憑性の高い話も残っている。
おそらく、両方事実である。
我々だって、時には謙虚で時には傲慢だし、生きている限り、誰もが同じはずなのに、我々は、有名人に対し、常に謙虚であることを求めるところがある。

そして、成功者であるかないかの問題ではなく、人間は、
「自分個人の力は小さく、価値は大きい」
のであり、これが分かれば何でも出来るのである。
分かり易く、全てである4つのパターンを提示する。
(1)自分の力は小さく、価値も小さい:不正解。卑屈タイプ。
(2)自分の力は小さく、価値は大きい:正解。極めて少数。
(3)自分の力は大きく、価値は小さい:不正解。最も多いタイプ。
(4)自分の力は大きく、価値も大きい:不正解。サイコパスタイプ。
普通の人間は、コロコロタイプが変わる。しかし、どのタイプになり易いかの傾向性が異なる。
だが、事実は(2)だけであり、ここに固定するほど幸福になるのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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