ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

アインシュタイン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

一生に一度くらいは人様の役に立てるか(笑)

今朝の記事で、私は、人は他者のためにしか本当に神に祈らないと書いた。
そういえば、出典が明らかでないが、武内直子さんの有名な漫画『美少女戦士セーラームーン』で、武内さんが「メシア(救世主)の1人」と述べたことがあるセーラーサターンこと土萠ほたる(ともえほたる)が、
「人は自分以外のもののために生きられるようになって はじめて生のスタートをきる」
と言い、これがアルベルト・アインシュタインの言葉だと述べる場面がある。
まあ、ほたるも大好きだったらしいW.B.イェイツはペシミスト(悲観論者)で、
「人生が悲劇だと認識した時にはじめて、人間は本当に生きるようになる」
と言ったことは、武内さんもご存じかもしれないが(笑)。

福音書には、イエスが「私には出来ない。だが、神に出来ないことはない」と言ったと述べられており、ここから、
「神に出来ないことは何もない」
「神に難しいことは何1つない」
といったアファーメーションが、多くの成功者に使われてきた。
だがこれも、自分のために唱えても、あまり意味はないかもしれない。

最近、私はここで、プロボクシング世界ヘビー級王者だったジョージ・フォアマンが、
「痛みに耐える理由があれば、人間は痛みに耐えられるんだ」
「そして、アリには耐える理由があった」
と言ったと書いたが、アリがフォアマンの殺人パンチに耐え続けた理由は、おそらくだが、権力と戦う者として屈するわけにはいかなかったのだろう。
アリは徴兵を拒否したため、王座とライセンスを取り上げられ、長いブランクの後に再起し、32歳になってフォアマンに挑戦した。
圧倒的に不利と言われても、権力に虐げられている者達(主に黒人)のために負けるわけにはいかなったのだろう。

別に、それほどのことでなくて良いが、何か人のためになることをするのは良いことだ。
映画『幽幻道士』で、キョンシー(吸血鬼の一種)に襲われる警察署長を見て、あの親方は警察署長に恨みはあったが、
「ここで逃げたら人間じゃない。一生に一度くらいは人様の役に立つんだ」
と思ってキョンシーに立ち向かい・・・キョンシーに噛まれてキョンシーになってしまうというストーリーはちょっとどうかと思うが(笑)、親方のその心構えは立派で、私も一生に一度は人様の役に立てる機会を伺っている。
その時は、「神に出来ないことは何もない」「神に難しいことは何1つない」と唱えるかもしれない。
そうすれば・・・キョンシーに噛まれることもないかもしれない(笑)。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)美少女戦士セーラームーン オールカラー完全版(1)(武内直子)
(2)新約聖書 福音書(塚本虎二)
(3)幽幻道士 キョンシーズ(吹替版) ※Amazon Prime Video
(4)成功への秘密の扉(フローレンス・スコーヴェル・シン)

風に溶ける
AIアート1010
「風に溶ける」
Kay

想定の法則を超える

映画『マトリックス』の中で、おそらく、モービアスがネオにだろうが、
「速く動こうとするな。速く動けると知れ」
みたいなことを言ったらしい。
これは、神田昌典さんのどれかの本に書かれていたことだ。
これについて、おそらく神田さんは、あまり分かり易くは説明出来なかったのだと思う。

これは、バッティング能力を向上させたい野球選手であれば、
「ヒットを打とうとするな。ヒットを打てると知れ」
だし、セールスマンであれば、
「売ろうとするな。売れると知れ」
である。
一般的な話をすると、それをどのようにやるのかというと、セールスの世界ではかなり昔から、鏡に自分の顔を映して、
「売れるぞ。お前は偉大なセールスマンだ。今日も必ず売れる」
とか言う方法が使われ、成果も出ていたようだし、今でも行っている会社があるかもしれない。
一般的には、アファーメーションとして、
「私は偉大なセールスマンだ。私は今月も新記録を達成する」
みたいなことを言うのだろう。
野球のバッターなら、
「私は偉大なバッターだ。私は3割3分打てる」
みたいなアファーメーションをすることが考えられる。

しかし、そのような自己暗示じみたアファーメーションは、うまくいく場合もあればうまくいかない場合もあり、どちらかというと駄目な場合が多いのだと思う。
だから、ほとんどの場合は、「私はヒットが打てる」と念じるのではなく、やはり、ヒットを打とうと普通に努力するのだろう。
ただ、やはり、アファーメーションとか、肯定的口ぐせを勧める人は必ずいる。

では、アインシュタインは、時空の秘密をどうやって解き明かしたのだろうか?
おそらく、あまり真面目に「時空の秘密を解いてやろう」と思ったのではないし、「時空の秘密を解けると知っている」わけでもなかった。
アインシュタインが何を考えたかなんて分かるわけがない・・・と思うだろうが、分かっているのだ。
アインシュタインは、「光と一緒に飛んだら、どんな感じだろう?」と思ったのだ。
これを正確に言うと、アインシュタインは自分の脳に、「光と一緒に飛んだら、どんな感じだろう?」と質問したのだ。
脳というのは、真剣に尋ねられたことには答を出そうとするのである。
そして、脳というのは非常に優秀で、その構造の大半は実際は不明だ。
さらに、脳は単体で存在するのではなく、潜在意識にアクセスして答を探そうとし、潜在意識は宇宙全体の意識と通じていて、結局、脳が見つけられない答はないし、さらには、宇宙意識は全知全能で、どんなことでも起こせる。

つまり、「速く動く」ためには、「速く動いたらどんな感じだろう?」と自分に尋ねれば良いのだ。
「思うようにヒットが打てたらどんな感じだろう?」
それは想像は出来るかもしれないが、その想像は、おそらく、当たっていない。
脳は、質問されたら答を出すという意味で、昨日も書いたが、
「何で私はお金がどんどん入って来るのだろう?」
と脳に尋ねたら、脳は答を出すべく、最終的には宇宙を動かし、お金がどんどん入って来るようにしてしまう。
その中で、「気分」の重要性に注目し、
「お金がどんどん入って来たら、どんな気分だろう?」
と質問をするのが、ネヴィル・ゴダードの「想定の法則」だ。
だが、偉大なるネヴィル・ゴダードの欠点は、「どんな気分だろう?」を自分で想像させるところだ。
「十億円の預金があったら、どんな気分だろう?」と想像するのが、想定の法則の方法だが、自分で想像しても、正しい想像が出来ない。
そこで、脳に、「十億円の預金があったら、どんな気分だろう?」と質問するだけにすれば、脳はその気分を「本当に」味あわせてくれる。

これは、「想定の法則ネオ」とでも言うもので、想定の法則を超える。
使えるなら、凄い精度で世界を動かせる。
使い方は実際は簡単だが、子供のようなセンス(感覚)が必要である。
実は、このことで、私はエマーソンも超えたのだが、少しずつ書いていこうと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)アインシュタイン回顧録(アルベルト・アインシュタイン)
(2)アインシュタイン―大人の科学伝記 天才物理学者の見たこと、考えたこと、話したこと
(3)非常識な成功法則(神田昌典)
(4)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード)

体温
AIアート985
「体温」
Kay

あなたがうまくいかない根本原因

よく「潜在意識を書き換える」なんてことを言う者がいるが、潜在意識など書き換えることなど出来ない。
また、「潜在意識が汚れている」とか「潜在意識に記憶が溜まる」などといったことを言う者もいるが、汚れたり記憶が溜まるのは潜在意識ではなく、心の深い部分であると思う。
潜在意識は巨大なエネルギーを持った精神的システムであると思うが、まだまだ人間にとって謎の存在であると思う。
偏見とか固定観念といったものは、潜在意識ではなく、心の深い部分にあるものだ。
偏見も固定観念も同じと思うが、明らかに悪いものを偏見と言い、必ずしも悪とは言えないものを固定観念と言っているように思う。しかし、やはりそれらは同じものであると思う。
それで、両者を偏見と一言でまとめる。
誰の心の中にも偏見はある。
アインシュタインは18歳までに(要はかなり若い頃までに)作ってしまった偏見に苦しみ、それを自分ではどうすることも出来なかったと言っていた。
それは(若い時に偏見を持ったことは)誰もがそうなのだが、アインシュタインは強い自覚があったところが特別だったと思う。
アインシュタインは「神はサイコロを振らない」という有名な言葉を提示し、神が偶然にまかせるようなことはないと主張したが、これは彼の偏見から来ていた。だから彼は、量子力学の元を築きながら量子力学を否定する(あるいは理解出来なかった)ということをやってしまった。
アインシュタインは欲がない純粋で善良な人間だと言われるが、独善的で怒りっぽかったとも言われている。
しかし、アインシュタインが実際にどんな人間だったかは全く分からないと思う。世間で知られている彼の情報なんて、非常に限られたものでしかないと思うからだ。
だが、かなりの欠点がある人間であったことは確かと思う。

ただ、アインシュタインが自分の偏見に自覚があったところは素晴らしく、それが彼の天才であった所以かもしれないと思う。
普通の人は自分の偏見にあまり気が付かないのだ。
自分の偏見に気付きたければ、親(育ての親)の心の傾向性を見れば、かなり見当がつくのではないかと思う。
結局、自分の心の傾向性は親の心の傾向性とそっくりだと分かると思う。良いか悪いかの問題ではなく、ほとんどそうだし、それを否定する者ほどそうであるようにも思う。
ただ、偏見は、消すことは出来なくても、不活性化させることは出来ると思う。
たとえば、人種差別の偏見を実際には持っていても、理性でそれを抑えることは出来る。
だが、偏見は刺激されるとたちまち活発化し、多くの場合、その暴走とも言える働きを止められない。
そして、最も偏見を刺激する存在は、同じ偏見を持つ親だから、つくづく親とはさっさと縁を切り、離れた方が良い。
大昔は、男も女も、遅くとも15歳までには家を出、それが今生の別れとなったが、それが最も良いと思う。一時的な寂しさはあっても、3日もすればお互いのことは忘れる。元々、そんなふうに出来ているのだと思う。
ところが、今や、親べったり、子べったりの者が多く、そのせいで偏見で動く人間が多いし、学校やマスコミによって同じ国家的な偏見を叩き込まれている者が多いことが、実は国を一番弱くしているのかもしれない。

偏見の影響を免れることについては、ニーチェあたりが非常に難しいことを言っており、その論は大したものかもしれないが、あんなものに付き合っていたら一生を棒に振りかねないと思う。
偏見の影響を免れ、潜在力を発揮するには、思考を消すことが1番で、実際は2番はないように思う。
簡単なことで言えば、ほとんどの国民は、自分は貧乏であるという偏見があるので、思考を消さない限り豊かにはなれず、一時的に豊かになっても、結局は貧しくなる。
あなたが成功出来なかったり、金持ちになれない理由は、親から与えられた偏見である場合が非常に多いのだと思う。
それで、今のところ、私が最上と思う思考を消す方法が今今メソッドで、この、今この瞬間を意識するというだけのメソッドが最も簡単で楽しく幸福をもたらすと思う。

清々しい朝
AIアート865
「清々しい朝」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)人間の建設(岡潔、小林秀雄対談)
(2)共同幻想論(吉本隆明)
(3)天才の通信簿(ゲルハルト・プラウゼ)
(4)エミール(上)(ルソー)
(5)ダイアネティックス~心の健康のための現代科学~(L.ロン.ハバード)

我流こそ本物の学び

「我流」と言ったら、どこかヤクザな(粗末でつまらない)印象があるかもしれないが、本物の実力者は皆我流だ。
あまりの上手さに悪魔と契約していたのではと言われたヴァイオリンの名手バガニーニの演奏技術は我流だったし、アインシュタインは大学生時代、大学の講義には一度も出席せず独学で勉強したが、これも我流と言える。

ところが、現代人は、子供の時から、教わった通りにやる、教わった通りにしか出来ない者が多い。
最悪なのは受験で、日本の受験は闇の勢力が日本人の若者の頭を悪くするために作った制度ではないかと疑いたくなるほどだ。
私は、ある一流中学の理科の受験問題を解いたことがあるが、いきなりやったら、理系の大学生でも解けないような問題だった。
では、これを解ける小学生の頭がそれほど良いのかというと、受験生は小学3~4年生くらいから、膨大な時間をかけて受験問題を解くためだけの訓練をするのであるが、それは、ひたすら教えられたパターンを憶えるだけで、ある程度の地頭は必要かもしれないが、それは頭が良くなる訓練ではなく、ひょっとしたらというか、おそらく悪くなると思う。
なんという時間とエネルギーの無駄と個人的には呆れる(本音ではただの馬鹿の所業と思うが、こんな意見は個人的見解と言わないといけないらしい)。
アインシュタインは学校では劣等生で、大学受験に合格出来ず、制度を利用して無試験で大学に入ったのだ。

笹沢佐保の時代劇小説『木枯らし紋次郎』では、紋次郎は貧しい農家の出身で、10歳で家を出て、流れ者の渡世人(博打打)になった。
そんな紋次郎は、いくら剣の腕が立つとはいえ、正式に剣を習ったことなどあるはずもなく、勘と度胸の喧嘩剣法だった。
そんな紋次郎は、そこそこまでの武士になら勝ったが、本物の達人相手には、まともに戦っては勝ち目がなかった。
だが、剣の達人相手との決闘は、見所になっており、何度も描かれている。
そして、最後に勝つのは紋次郎である。勝負というのは、総合的なものであり、剣技で劣るなら別のことで工夫をすれば良いのである。
つまり、紋次郎は剣の達人ではなくても決闘の達人、喧嘩の達人なのであり、それは紋次郎の我流である。

私のコンピュータプログラミングも我流だが、普通のプログラマーよりは上手いと思う。
私は、プログラミングを学校で教えてもらおうとする者とは、ちょっと付き合いたくない。
もちろん、我流であっても、優れた能力者に学ぶのは疑いなく良いことだが、手取り足取り教えてもらおうとする者に見込みはない。
しかし、今の落ちぶれた日本では、手取り足取り教えるというスタイルが浸透し、実は、それこそが日本を駄目にしたのかもしれない。
優れた能力者の技術・手法・コツは見て憶えるものであり、それは教わるものではない。
日本では昔から、あらゆる分野で、師匠の技は盗むものであり、それは、見て憶えるものだと言われてきた。
その良さがなくなっており、師匠も金儲けのために親切丁寧に教えることが多くなっている。
昨日も書いたが、佐川幸義は自分の四股を見せさえせず、ごく一部を教えることで後は弟子に工夫させたが、それこそが最も良いものを修得出来る方法である。

朝日
AIアート438
「朝日」
Kay


腕振り運動も佐川幸義流四股も、基本は同じで、リラックスすること、なるべく長時間やること、そして、静かにやることだと思う。
後は、名人のやることを、見たり、読んだりしながら、自分で工夫してこそ、本当に良いやり方が分かる。
引き寄せなども全くそうだろう。
誰かのやる通りにやろうとし、そのようにしてうまくいかないのは当たり前である。
しかし、教えられた通りにやって楽に得をしようという、岡本太郎流に言えば卑しい者が多いのである。
我流だと、初めは失敗することも多く、ものによっては何年も無駄な努力をする羽目になる。
だが、無駄な努力ほど尊いものはない(受験はそうではないと思うが、ある意味ではそうかもしれない)。
深呼吸は、最も重要なものでありながら、自分流が最も似合うものだと思う。








私が一番恥ずかしいと感じる言葉

「愛こそ全て」なんて言うやつにロクなやつはいない(笑)。
私が、これほど恥ずかしいと感じる言葉は、まあない。
アインシュタインが娘への遺言的な手紙に「愛が一番強力な力だ」と書いたという話があるが、それは日本語の「愛」とはニュアンスが違うのではないかと思う。
荘子流に言えば、「愛は愛という言葉にした時に愛でなくなる」であり、イェイツ(アイルランドの詩人)は「愛は神の領域。人間には分からない」と言うが、その通りと思う。

だが、アインシュタインが良いヒントもくれている。
アインシュタインが「愛」をどんな意味で言ったのかは分からないが、愛なるものが宇宙最強の力だと言うなら、アインシュタインが言う愛とは、間違いなく「静寂」であると私は思う。
「沈黙」と言っても別に構わない。
そして、真の静寂、あるいは、真の沈黙とは、心の静寂、心の沈黙である。
つまり、いかなる思考もないことが、最強である真の静寂であり、それが、アインシュタインやイェイツが言う愛なのだろう。
私はそう確信する。

真の愛という意味なら、確かに「愛こそ全て」であるが、そんな意味で「愛こそ全て」と言う者や歌う者はいない。

ソロモンの花
AIアート419
「ソロモンの花」
Kay


どうすれば心が静寂になるか、つまり、思考が消えるのかと言うと、もちろん、深呼吸によってである。
それを補助するには、こんな言葉を利用するのも良いかもしれない。
「私は魂(神、内なる神、潜在意識、無意識など好きな言葉で言い換えても良い)に全てまかせ、私は何も考えない」
「現状肯定。過去オール善(現状を完全に肯定する。過去は全て最善であった)」
これらの言葉を受け入れるなら、何も考える必要はないからだ。
魂は脳の一億の一億の一億倍ほども、あるいは、それよりもっともっと賢い。
自分が何を考える必要があろうか?








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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