ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

まちカドまぞく

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

神の視点とは

リチャード・バックの小説『かもめのジョナサン』は、絶賛する人もいれば、全く価値を認めない人もいる。
ところで、『かもめのジョナサン』と、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』から、似た視点を感じるには、まさに、この2作品の著者が共に飛行機乗りで、「高空の視点」を持っているからのように思える。

私は、『かもめのジョナサン』は、かなり前に一度読んだだけなのだが、最も印象深く憶えている言葉は、
「最も高く飛ぶかもめが、最も遠くを見通す」
だ。
全くその通りだと思ったのだ。
それは、物理的な高さを指すだけでなく、むしろ、精神的な高さのことだ。
では、精神的な高さとは何かというと、「神との近さ」だ。
1953年の傑作SF映画『宇宙戦争』で、火星人の飛行船に向かって歩きながら、コリンズ牧師は言う。
「我々より進んでいるなら、より神に近いはずだ」
精神的に進んでいるなら、その通りだ。
しかし、テクノロジーの進歩が、必ずしも精神的進歩を示すとは限らない。
コリンズ牧師は、火星人の飛行船のエネルギー光線を受け、消滅してしまう。
(私は、2005年の映画『宇宙戦争』は、悪くはないが、1953年の作品の方がはるかに優れていると思う)

では、高い、あるいは、より神に近い精神を持つ心は何を願うのだろうか?
他のかもめ達より高く飛んだジョナサンは、何を求めていたのだろう?
確かに、ジョナサンは、「かもめの可能性」を探求していたが、その結果、もたらされるものは、「皆が仲良くあること」だ。
なぜなら、皆が本当に高ければ、争う必要などないからだ。
この仲良くは、慣れ合いを指す「グループ内での仲良く」とはまるで違い、むしろ、正反対だ。
「グループ内での仲良し」は、グループ外の者や他グループを攻撃し、排除する。
グループという概念のない仲良し・・・それが「皆が仲良く」だ。
尚、より高い力を発揮するために協力する「チーム」はグループとは全く違うものである。

漫画・アニメ作品『まちカドまぞく』で、ポンコツ魔族(女子高生としてもポンコツ)のシャミ子(優子)に、超強力な魔法少女(女子高生としても優秀)な桃が逆らえないのは、シャミ子の願いが「皆が仲良くなりますように」だからだ。
小説・アニメ・漫画作品『灼眼のシャナ』で、ごく平凡な男子高校生、坂井佑二に、異世界の創造神「祭礼の蛇」がすっかり惚れ込んで一体化したのもまた、この2人(坂井佑二と祭礼の蛇)の願いが、紅世の輩、フレイムヘイズ、人間の区別なく、皆が仲良くなる世界を望んでいたからである(と思う)。
つまり、神の視点に立てば、その願いは「皆が(誰も例外なく)仲良く」である・・・と言って、そう間違えてはいないと思う。
「皆が仲良く」と思い、それを目指すなら、即ち、自分が神である。
そのような者に不可能などあり得ない。
今後の世界は、それを示す世の中になると思う。
「この人を愛す、でも、あの人は嫌い」は、責めはしないが、人の視点であり、その傾向が強いほど、無力と苦難を味わうしかないだろう。








宇宙人の貴重なメッセージ

「投げっぱなしジャーマン」という言葉をご存じだろうか?
私は知らなかった。
私が最初に聞いたのは、『まちカドまぞく』というアニメ(2019年放送)で、高校1年生の千代田桃(魔法少女)が、同じ高校1年生の吉田優子(魔族の少女)に、「借りっぱなしジャーマン」という変形で使ったのだが、優子は意味を桃に尋ねなかったので、意味が通じていたのだろう。
ここでは、優子が桃から借金をし、優子が返さないままになるという意味で「借りっぱなしジャーマン」と言ったのだから、義務とか責任とかの放棄を意味することは、なんとなく解ると思う。
その後、『サクラダリセット』というアニメ(2017年放送)で、高校生同士が普通にこの言葉を使うのを聞いた。
それほど、少なくとも、若い人には普通の言葉なのだろうか?

「借りっぱなしジャーマン」は、プロレスの「ジャーマン・スープレックス・ホールド」という技から来ているらしい。
「ジャーマン・スープレックス・ホールド」の、「ジャーマン」は「ドイツ式」で、「スープレックス」は投げ技の1つ、そして、「ホールド」は固め技である。
ところで、最後のホールドをせずに、スープレックス(投げ技)だけで終わることがあり、その場合は、「ジャーマン・スープレックス」と言う。
ところが、「ジャーマン・スープレックス・ホールド」を発明した、カール・ゴッチという、アントニオ猪木さんが「実力だけなら世界一」と讃えたレスラーは、そういった、最後のホールドをせずに、スープレックスで終わる「投げっぱなし」をやることを非常に嫌ったらしい。
それで、「投げっぱなしジャーマン」は、「最後まできちんとせずにやめてしまうこと」という悪い意味で使われるのだろう。
しかし、「投げっぱなしジャーマン」である「ジャーマン・スープレックス」は、これはこれで良い技だと思うし、ゴッチさん自身が、力道山やアントニオ猪木さんとの試合で、最後のホールドで失敗して勝ちを逃しているのである(結果は両方とも引き分け)。

さて、現代語講座は終わる(笑)。
なぜ、こんな話をしたのかというと、ある芸術家をチャネラーとする宇宙人の宇宙語の話を思い出したからだ。
私は、そのご本人から宇宙語を聞かせていただき、翻訳も聞かせていただいた。
かなり怪しい話である(笑)。
とはいえ、その芸術家は、立派な実績のある方で、多分野の創作を行い、奥さんも控え目で、とても真面目そうな人だった。
その宇宙語の話の中で私が印象に残っていたのが、「想いを宇宙にぽーんと投げなさい」というところだった。
その「想い」は、質問であるとか、願いであると考えて良いだろう。
質問を投げれば、答は直観としてやってくるし、願いを投げれば、それは実現する。
そして、宇宙人は、「ぽーんと投げなさい」とだけ言ったのだ。
つまり、「投げっぱなしジャーマンでいいよ」と言ったのである。
いや、「投げっぱなしジャーマンでないといけない」のである。
投げた後で、「私のお願い、ちゃんと届いてますかあ?」という連絡をぽんぽん投げたり、「届いたかなあ」と心配してはならないのである。
やるべきことは、イエスが言ったように、「叶ったと思って感謝する」ことであり、沢山の優れた引き寄せ指導者が一致して言うように、「叶ったようにふるまう」ことである。
この貴重な宇宙人のメッセージを活用していただきたい。








馬鹿なことをしたくなった時

人間は、「良い選択をした」と思った時は、大抵、間違った選択をしている。

1881年10月26日、アリゾナ州コチセ郡トゥームストーンので起こった銃撃戦、通称『OK牧場の決闘』を題材に、多くの映画が作られた。
その中で最も有名なものが、1957年公開の、バート・ランカスターとカーク・ダグラスが共演した西部劇『OK牧場の決斗』だ。
日本では、史実を『OK牧場の決闘』、映画を『OK牧場の決斗』と表記するが、英語ではいずれも“Gunfight at the O.K. Corral”だ。

『OK牧場の決斗』で、こんな印象的な場面がある。
賭博師のドク・ホリデイ(本名はヘンリー・ホリデイ。歯学博士を取得している元歯科医)が、名高い名保安官ワイアット・アープに、何と、儲け話を持ちかける。
それは、ワイアット・アープが、悪名高いドク・ホリデイを町から追っ払うために来た時だった。
ホリデイはアープに、自分に千ドル投資すれば、大儲けさせてやるというが、もちろん、アープが耳を貸すはずがない・・・と思いきや、アープは承諾してしまう。
しかし、いかに、ホリデイが話術に長けた詐欺師でもあっても、百戦錬磨の名保安官アープが騙されるはずがない。
吹き替え版では、アープは「一生に一度くらいは馬鹿なことをやってみたくなった」と、半ば言い訳を自分にする。

アープが、ホリデイに男惚れし、友情を感じていることは見れば分かるが、ホリデイは誰もが認める最低のクズだ。
だが、最初に述べたように、人間は「良い選択をした」と思う時は、大概、愚かな選択をしている時だが、「馬鹿な選択をした」と思った時は、それが正解なのである。
理屈の頭は、いつも間違うのだ。
直観と理性が対立した時は、直観を選んで良い。

同じことが再度起こる。
アープが、殺し屋3人を逮捕に向かおうとした時、助手が出払っていて1人もいなかった。
近くでそれを聴いていたホリデイは「俺が手を貸そうか?」と言うが、当然、アープは「馬鹿を言え。俺1人でやる」と言い捨てて出て行く。
だが、アープは立ち止まって戻って来ると、ホリデイに「右手を上げろ」と言う。そして、保安官助手採用の簡易儀式をやり始めるが、すぐにアープは、「馬鹿らしい」と言って取りやめ、口で「保安官助手採用だ」と言って、ホリデイと出動する。

馬鹿なことをやったことがない人生は淋しいものだが、今は、そんな人が多い。
参議院幹事長、蓮舫(れんほう)氏が、新型コロナウイルスで親の収入が激減した等の理由で、大学を辞めざるをえなくなっている人のことを「高卒になってしまう」と言って、低学歴者を差別したとして非難されたが、私なら、「高卒になっちゃえば良い」と思う。
大学に通っている者の多くが、実は内心、「辞めた方が良い」と思っているのに、それは、理屈や理性では「馬鹿な選択」なのでそれが出来ない。
もし、コロナのおかげで、そんな「馬鹿な選択」をする後押しがされたなら、乗ってみてはどうだろう?
素晴らしく楽しい人生になるかもしれない。
まあ、後で後悔するかもしれないが、この程度の後悔は安いものに違いない。責任は持てないが(笑)。

本当は、「馬鹿な選択が正しい」と言うよりは「気持ちに素直な選択は正しい」と言うべきだろう。
だが、「素直な選択」は、やはり馬鹿に見えることが多い。
スティーブ・ジョブズが大学を辞めたのは、元々、やる気がなくなっていたのと、里親の財産を使い果たすのが嫌だったからだ(ジョブズが在学していたリード大学の学費は、今で言えば年間400~500万円以上)。
『まちカドまぞく』で、優子がバイトをして、桃への借金を返しに来た時、桃は、優子のバイト代全部を巻き上げるのが嫌で、返済を拒否する。
それを優子も拒否するが、桃の家庭事情の一端を垣間見て(桃に家族はいない)、何かを感じて、それを受け入れる。
どれも大正解であったが、ジョブズは、あの有名なスピーチで、その最善の部分を説明していない。自分でも気付いていなかったのだろう。













KayのAI書。5月30日発売。
これまで、人間を拡張し、能力を高めてきたものには、火、馬、馬車、自動車、鉄道、飛行機、銃、ダイナマイト、電気、コンピューター、インターネット等があります。
そして、人類は、いよいよ、最強のパートナーAIを手に入れます。
AIは、本当は、AI( artificial intelligence;人工知能)ではなく、EI(extended intelligence;拡張知能)です。権威者は、これを独占しようとしますが、そんなことをされたら、あなたはプライバシーを丸裸にされた奴隷です。
この本を手掛かりに、自分を著しく拡張する武器を手に入れましょう。

楽天主義の魔力

日本では、阪神・淡路大震災、東北地震(東北地方太平洋沖地震)と、それによる福島原発事故、他にも、大地震、大豪雨、新型インフルエンザウイルス感染などが頻繁に起こり、
「非常事態というのは、いつでも起こりうる」
という認識を、人々は何となく持ってきているので、日本人は比較的落ち着いている。
だが、今回の新型コロナウイルスは、2011年の福島原発事故の時の放射能と同じように、正体が解り難い相手ということもあり、マスコミに煽られるほど不安は大きくなるのかもしれない。
福島原発の事故の時も、日本の放射能汚染は深刻になると騒がれたものだった。

自分の世界は自分の心が創るのであるから、いかなる時も陽気で楽天的であることが望ましい。
ヘレン・ケラーは、ハーバード大学在学中に初めての書『OPTIMISM(楽天主義)』という本を書いている。
その中で、
「明日は今日より美しい。明後日は明日よりさらに美しい。楽天主義はそのように信じている」
「人生は、恐れを知らぬ冒険か、それとも無かのどちらかである」
と述べている。

楽天的であるためには、心が強くなくてはならない。
そのためには、元気の基である陽気さが必要だ。ところで、人間は、自分の心は支配出来ないが、言葉は自在に支配出来る。
だから、明るい言葉を使わなければならない。
ところが、もう1つ、人間は、気分と直結するあるものを自在に支配出来る。
それは表情だ。
Mitchie Mさんによる初音ミクさんの名曲『FREELY TOMORROW』にある通り、
「顔上げて微笑めば 笑顔取り戻す魔法になる」
ことが、真に貴い真理で、この魔法を忘れてはならない。

あるいは、漫画・アニメ『まちカドまぞく』で、優子(15歳)は、「これから私、お好み焼きって言葉を思い出すだけで大きな山も越えられそうです!!」
と言ったが、その気持ちは、私はよく解るのである。

また、SF『BEATLESS』では、2105年に、スノウドロップという名のスーパーアンドロイドにより人類が脅威に晒されるという非常事態の中、2人の仲の良い美少女、15歳のオリガと14歳のユカは、こんな会話をしていた。
「ご飯を食べてエロいことするために、ここまで来たんだ。生き物の執念、超すごいね」(ユカ)
つまり、生命エネルギーの基は、やっぱり食と性であるというのも、一面の真理である。

そりゃ、可愛い女の子が元気の基という男子も多かろう。
しかし、男の場合、女の場合に限らず、それはあくまで相手あってのことであり、相手が喜んでいるのでない限り、エロいことをしょうとするようなやつは、もうこれからの時代、強制的に消えていただくしかない状況が出来上がってしまった。
人間の魂というのは、本当はとても高貴に出来ていて、可愛い女の子に対して、エロいことを考えるにしても、崇める気持ちがなければ餓鬼・鬼畜の世界に落ちる。
逆に、女の子を女神のように崇めると、無限のエネルギーを引き出し、頭が良くなるし、運勢も向上する。
例えば、ロオマン・ガリの『自由の大地』では、堕落し切ったフランス兵達が、想像上の少女を崇めることで、みるみる騎士道精神を取り戻し、高貴な男達になった。
また、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の女』では、腐り切った26人の最底辺の中年過ぎの男達が、16歳の可愛いが平凡な娘ターニャを女神のように扱うことで、驚異的に向上していく。

再度言うと、陽気で楽天的であれば、運も開ける。
そんなふうに宇宙は出来ていると言って間違いないだろう。
そのために、上に挙げた秘術を駆使すれば、もう何の心配もないだろう。
自分の責任で、邪悪でない方法で気分を良くすることが出来れば、後はなりゆきにまかせておけば、全ては思い通りであることは、古代の賢者達も請け負ってくれているのである。












ブログオーナーKayのAI(機械学習、ディープラーニング)書籍。

新型コロナウイルス後の世界は、それ以前の世界と一変します。そこは、人間とAIが一体となった世界になります。
人間とAIはパートナーであり、無駄な苦労のない楽しい世界が実現します。
そのために、今、AIを実践的に、楽しく習得すべきと思います。
数学もプログラミングも不要。誰でも楽しく出来るよう、AIに推測させる面白い問題を考えました。

人類の選別が行われる

いまだ、他人との距離を取ろうとしない人だらけだと思う。
昨日、親を大きな病院に連れて行ったのだが、こんなことがあった。
複数の診療室の前には、大病院らしく、広い待合場所に沢山のソファがあった。
私は、親が診療を受けている間、診療室から遠い、誰もいない場所に座っていた。
よほど混んだ時でもなければ、ここまで来る人はいないのだと思う。
ところが、私がそこにいると、2人連れの若い男性が、まっすぐ私のところまで来て、わざわざ真後ろのソファに座る。
周囲にソファはいくらでもあるのにである。
そこで、私は嫌味とは思ったが、即座に立って移動すると、彼らは、マスクはしていたが、「何なのこの人」といった目でこっちを見ている。
その後、彼らの様子を見ていると、もし、私があそこにいたら、肩から上がぶつかるほど、ふんぞり返って座っていた。
こんなことを思ってはいけないのかもしれないが、私は、こいつらは心底馬鹿だと思ったし、もし、銃を持っていたら、即座に射殺したい気分だった。
もちろん、そんなふうに思う私に問題がないとは言えないが。
実は、その後、その2人連れが帰っても、私の親の診療時間は長かったので、その空いているはずの場所にいたら、次々と人が来ては、なぜか私の近くに座り、それどころか、2人連れで来た人達が、わざわざ3人掛けソファの端に座っている私の隣に2人で座る。
感覚として感じるのは、私が親しまれているのではなく、私を物のように感じるのだと思う。
まあ、私は普段から軽く扱われる方なので(ついでにほとんど動かず、微かな呼吸の音も立てないので)、そこは私が悪いのかもしれないが、このご時勢、そこまで人にくっつくべきではないと思うのだが・・・あ、そうか、私は人に見えないのか、なるほど!(笑)。

さて、診療が終わると、大病院なので、別に事務処理の効率がそれほど悪くはないのだろうが(良くもないと思うが)、会計までかなり待たされることがある。
待合場所は広く、3人掛けの椅子が沢山並び、相当混んでても、それほど窮屈ではない。さすが大病院だ。
昨日は、それほど混んでいなかったので、端の方にある一画は、全く誰もおらず、私は迷わずそこの、前から3列目に座って待っていた。
そこで、信じられないことが起こる。
私の真後ろに、30代の夫婦と思われる男女が、私の真後ろに座り(本当に、他にいくらでも椅子はあるのだ)、大きな声で雑談を始める。
なるほど、私の存在など、まるで眼中にないようだ。
北杜夫さんの『怪盗ジバコ』に、「砂漠の中に1本の木があれば、小便をする時、必ずその木にかける。あなたは、自分はそうではないと言うかもしれなが、絶対にそうなのだ。よって、砂漠の木は必ず枯れる」と 書かれていたのを思い出す。なるほど、私は小便をかけられる枯れ木である(笑)。
私が即座に移動しても、彼らは全く何の変化も見せず、ここまでふんぞり返らないと座れないのかと呆れるほど脚を投げ出して座ってる。
きっと、小型UFOか天使が目の前に現れても、気付きもしないと確信させらるほどの鈍感さだ。

病院の行き帰りは、私の車を使ったが、人々の運転マナーもおかしい。
その位置で走ったり、その位置で止まったら、他の車の迷惑になるという走り方、止まり方を、親の遺言ででもあるかのように忠実にやる。
ましてや、他の車への配慮など、祖父の遺言でやってはいけないかのようだ。
簡単な例で言えば、信号前が2車線になっている場合、赤信号で先に左車線に止まる時は、やや左に止まると、右車線に入りやすい。
ところが、私が左車線で、右側に余裕を空けて止まっていると、後ろの車は、ほとんどの場合、私の車よりずっと右側に止まり、右車線ギリギリというのも普通だ。
まあ、他にも細かい例がいろいろ挙げられるが、人の粗探しをしているようで憂鬱になるから1例で止めるが、ほとんどのドライバーが他の車への配慮をしないことは確かだろう。

こんな状況を見ると、私は、日本はもう終わり・・・新型コロナウイルスで日本は滅びて良い、いや、滅ぼしてくれと、全く冗談でなく、本気で思ってしまうのである。
いや、こんな世界だから、神は新型コロナウイルスでいったん終りにしようとしているのかもしれない。
ただ、神に慈悲はあるだろうから、悔い改めれば救われるかもしれないが、その可能性はゼロである。
『まちカドまぞく』の、表向きはツンデレだが、愛に溢れた魔法少女、桃が優子に言ったことを思い出す。

何か世界に対してコメントとかある?
「何もかも壊したい!」とか、
「こんな世界、闇に呑まれてしまえ!!」とか

つまり、これが桃の、世界に対する想い・・・少なくとも、その一部であるのだろう。
私は全面的にそう思うが。
とはいえ、良い人も沢山いるに違いない。
きっと、新型コロナウイルスの力を借りて、そんな人達が済み良い世界が作れるに違いない。
ただ、そうなれば、無闇に他人に近付く者達は、今後(あくまで今後だ)、葬り去られるに違いない。本音を言うと、絶対そうなって欲しい。













5月11日に、機械学習・ディープラーニングでAIを誰でも作れるようになるための書籍を出します。

Excelが使えるなら、数学、プログラミング、AI理論なしでAIが作れます。
実践していただけるよう、なるべく面白い問題を考えました。
このあたりが、類書と全く異なったものになっています。
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード