今今メソッドは、速やかに思考を消して無意識に入る優れた方法だと思う。
無意識に入り、無意識を信頼してまかせれば不可能はない。
無意識に入る方法は他にも沢山あるが、これほど自然に気持ち良くやれるものは、そうはないと思う。
今今メソッドとは、単に、今この瞬間にフォーカスする(焦点を合わせる。注目する)ことで、本来、非常に簡単なのだが、具体的なフォーカスの仕方は案外いろいろある。
一番単純な方法は「今、今、今・・・」とつぶやいたり、心で唱えることである。
呪文のように単調に繰り返すよりは、「今」と唱えるごとに、実際に今を感じるのが良いと思うが、分からなければ、ただ「今」とつぶやいたり唱えても良いだろう。唱えているうちに、今を感じるようになると思う。
私は、いつからやっていたのか分からないが、6つか7つの時には、見えているものの1つにフォーカスし「今見ている、今見ている」と心で唱えていると、一瞬前の記憶が消えるような、何とも奇妙な感じがして、夢中になることがよくあった。
ただ、その意味が分からず、人生の中であまり行わず、何年もやらなかったこともあったと思う。
何とももったいないことだと思う。
今今メソッドに慣れた人が、こんなことを言っていたようだ。
「目の前の空気感や雰囲気を意識します」
私は、「ああこれだ!」と思った。
これほど速やかに無意識に入ることが出来る今今メソッドはないと思うほどだ。
絵画の中には、傑作とか名画と呼ばれるものがあるが、そんな絵と普通の絵との違いは何かというと、もちろんいろいろあるだろうが、何と言っても、空気感や雰囲気が違うのである。
だから、そんな空気感や雰囲気が違う名画を鑑賞する意味は大きいし、名画を鑑賞する本来の目的の1つは空気感や雰囲気といった、五感プラス意識で感じる感覚を磨くためであると思うのである。
空気感や雰囲気と言えば、私には非常に印象的なものがある。
「20世紀最大の詩人」と言われた、ノーベル賞作家でもあるウィリアム・バトラー・イェイツの自伝的小説である『まだらの鳥』にあったものだ。
イェイツが自分を投影した主人公のマイケルが、精霊の少女と出逢う場面である。
精霊の少女は、深いオリーブ色のドレスをまとい、濃いブロンズのような髪をした、美しくて優しい、ほとんど無表情な顔で、海の上2,3インチのところに両足を離して浮かんでいた。
その後の描写が素晴らしいので、そのまま引用する。
好奇心に満ちた彼(マイケルのこと)の目に彼女の細部がはっきり見え、あたかも空気が普通のときよりも澄んでいるかのように、彼女のドレスの襞の一つ一つがくっきりと隅々まで光を一杯に浴びているようであった。
まるで、この精霊の少女が目に浮かぶようであると思った。
これこそが、最上の空気感や雰囲気であり、マイケルは、「今この瞬間」にあったはずだ。
まあ、我々が、このような精霊の少女を見たら、いくら美しくても幽霊のように思って恐れるかもしれない。
新約聖書の福音書の中でも、湖の上を歩くイエスを見て、ペテロらは幽霊だと思って恐れたという記述がある。
だが、イエスが「恐れるな、私だ」と言うと、ペテロは感激し、「私に来いと命じて下さい。あなたが命じれば私にも出来ます」と言い、イエスが「私は命じる。来い」と言うと、ペテロも水の上を歩いた。
この時も、ペテロはまさしく、今この瞬間にあったのであると感じる。
そして、ペテロがこの時に感じていたであろう、空気感や雰囲気を想像すると、今この瞬間というものが明確に分かる気がするのである。
AIアート855
「神殿の石段」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)まだらの鳥(ウィリアム・バトラー・イェイツ)
(2)新約聖書 福音書(塚本 虎二訳。岩波文庫)
(3)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)
無意識に入り、無意識を信頼してまかせれば不可能はない。
無意識に入る方法は他にも沢山あるが、これほど自然に気持ち良くやれるものは、そうはないと思う。
今今メソッドとは、単に、今この瞬間にフォーカスする(焦点を合わせる。注目する)ことで、本来、非常に簡単なのだが、具体的なフォーカスの仕方は案外いろいろある。
一番単純な方法は「今、今、今・・・」とつぶやいたり、心で唱えることである。
呪文のように単調に繰り返すよりは、「今」と唱えるごとに、実際に今を感じるのが良いと思うが、分からなければ、ただ「今」とつぶやいたり唱えても良いだろう。唱えているうちに、今を感じるようになると思う。
私は、いつからやっていたのか分からないが、6つか7つの時には、見えているものの1つにフォーカスし「今見ている、今見ている」と心で唱えていると、一瞬前の記憶が消えるような、何とも奇妙な感じがして、夢中になることがよくあった。
ただ、その意味が分からず、人生の中であまり行わず、何年もやらなかったこともあったと思う。
何とももったいないことだと思う。
今今メソッドに慣れた人が、こんなことを言っていたようだ。
「目の前の空気感や雰囲気を意識します」
私は、「ああこれだ!」と思った。
これほど速やかに無意識に入ることが出来る今今メソッドはないと思うほどだ。
絵画の中には、傑作とか名画と呼ばれるものがあるが、そんな絵と普通の絵との違いは何かというと、もちろんいろいろあるだろうが、何と言っても、空気感や雰囲気が違うのである。
だから、そんな空気感や雰囲気が違う名画を鑑賞する意味は大きいし、名画を鑑賞する本来の目的の1つは空気感や雰囲気といった、五感プラス意識で感じる感覚を磨くためであると思うのである。
空気感や雰囲気と言えば、私には非常に印象的なものがある。
「20世紀最大の詩人」と言われた、ノーベル賞作家でもあるウィリアム・バトラー・イェイツの自伝的小説である『まだらの鳥』にあったものだ。
イェイツが自分を投影した主人公のマイケルが、精霊の少女と出逢う場面である。
精霊の少女は、深いオリーブ色のドレスをまとい、濃いブロンズのような髪をした、美しくて優しい、ほとんど無表情な顔で、海の上2,3インチのところに両足を離して浮かんでいた。
その後の描写が素晴らしいので、そのまま引用する。
好奇心に満ちた彼(マイケルのこと)の目に彼女の細部がはっきり見え、あたかも空気が普通のときよりも澄んでいるかのように、彼女のドレスの襞の一つ一つがくっきりと隅々まで光を一杯に浴びているようであった。
まるで、この精霊の少女が目に浮かぶようであると思った。
これこそが、最上の空気感や雰囲気であり、マイケルは、「今この瞬間」にあったはずだ。
まあ、我々が、このような精霊の少女を見たら、いくら美しくても幽霊のように思って恐れるかもしれない。
新約聖書の福音書の中でも、湖の上を歩くイエスを見て、ペテロらは幽霊だと思って恐れたという記述がある。
だが、イエスが「恐れるな、私だ」と言うと、ペテロは感激し、「私に来いと命じて下さい。あなたが命じれば私にも出来ます」と言い、イエスが「私は命じる。来い」と言うと、ペテロも水の上を歩いた。
この時も、ペテロはまさしく、今この瞬間にあったのであると感じる。
そして、ペテロがこの時に感じていたであろう、空気感や雰囲気を想像すると、今この瞬間というものが明確に分かる気がするのである。
AIアート855
「神殿の石段」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)まだらの鳥(ウィリアム・バトラー・イェイツ)
(2)新約聖書 福音書(塚本 虎二訳。岩波文庫)
(3)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)