もう10年以上前の作品だが、コゲどんぼ(現在はこげどんぼ*)さんの『ぴたテン』という漫画とそのアニメが人気があった。
私も大好きで、コミックスとDVDを全部揃えたほどである。
また、漫画の終末は、私が知る限りは、最も感動的なラストだったと思う。
この作品が、イラストレーターとしては人気があったコゲどんぼさんの、初めての漫画作品だった。
『ぴたテン』のテレビアニメでは、落第天使の美紗(みしゃ)が黒い服を着ている理由は単に「たまたま」だろうし、小学6年生の美少年、綾小路天(あやのこうじたかし)こと通称「テンちゃん」が塾に通っていないのは、頭が良くて行く必要なない・・・という「小さい子供向け」の設定に変更されていた。
しかし、簡単に言えば、漫画では、美紗が黒い服を着ているのは、彼女を慕う男の子を死に追いやった罪の罰だし、テンちゃんは本当は塾に行きたいが、父親が重症で寝たきり状態で入院していて、母親がいくつものパート仕事をやってはいるが経済的に苦しいからだった。
ところで、コゲどんぼさんは、美紗の性質を「母であり娘、姉であり妹」と言っていたが、その意味は、男性と女性では、ほぼ真逆に認識するだろう。
母と姉の意味として、男性は「奉仕」と捉えるが、女性は「支配」と考える。
娘と妹に関しては、男性は「清純無垢」を望むが、女性なら「わがままが許される立場」といったものだろう。
もちろん、一般的にという意味だが、自己の立場の願望を考えるのが人間である。
では、イエスが「幼子のようであれ」と言った、「幼子」の意味も、それ(母であり娘、姉であり妹の意味)と似たようなことになるのではないだろうか?
「幼子のようになれ」と言われたら、普通の人は、幼子の意味を「無責任、被保護、無知、無能、周りが何でもやってくれる」という、自分に都合の良いことと捉えるだろう。
しかし、イエスの真意は・・・となると、考えないと分からないし、普通は、考えても間違う。
イエスの言う幼子とは、世間の教義や信念から離れている者という意味だ。
幼子は、本当の知恵や力のある者に対しては、崇拝のような感情や、権威に対するような恐れも持つが、世間的な意味で個人を崇拝したりはしないし、世間のいかなる権威も認めない。
そんなことは、イエスがいちいち説明しなくても、静かに思惟(考えること)すれば自ずと分かることだろう。
ものを考える時は、自己の立場を忘れてしまうと、正しい答に行き着くことが分かる。
逆に言えば、自己の立場で考えると、全ての答を間違う。
例えば、大学はどの学部を選べば良いかとか、どんな仕事に就けば良いかと考える時、普通の人は、自分の立場で考えるので、収入、体面、名誉、見栄、安全、安楽、享楽といったことを重視するが、幼子のごとく考える者は、自分の性質や能力は、どんなことを学び、どんな仕事をすれば人々の役に立つだろうかと考える。
そして、結局のところ、幼子のように考える者が成功するのである。
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また、漫画の終末は、私が知る限りは、最も感動的なラストだったと思う。
この作品が、イラストレーターとしては人気があったコゲどんぼさんの、初めての漫画作品だった。
『ぴたテン』のテレビアニメでは、落第天使の美紗(みしゃ)が黒い服を着ている理由は単に「たまたま」だろうし、小学6年生の美少年、綾小路天(あやのこうじたかし)こと通称「テンちゃん」が塾に通っていないのは、頭が良くて行く必要なない・・・という「小さい子供向け」の設定に変更されていた。
しかし、簡単に言えば、漫画では、美紗が黒い服を着ているのは、彼女を慕う男の子を死に追いやった罪の罰だし、テンちゃんは本当は塾に行きたいが、父親が重症で寝たきり状態で入院していて、母親がいくつものパート仕事をやってはいるが経済的に苦しいからだった。
ところで、コゲどんぼさんは、美紗の性質を「母であり娘、姉であり妹」と言っていたが、その意味は、男性と女性では、ほぼ真逆に認識するだろう。
母と姉の意味として、男性は「奉仕」と捉えるが、女性は「支配」と考える。
娘と妹に関しては、男性は「清純無垢」を望むが、女性なら「わがままが許される立場」といったものだろう。
もちろん、一般的にという意味だが、自己の立場の願望を考えるのが人間である。
では、イエスが「幼子のようであれ」と言った、「幼子」の意味も、それ(母であり娘、姉であり妹の意味)と似たようなことになるのではないだろうか?
「幼子のようになれ」と言われたら、普通の人は、幼子の意味を「無責任、被保護、無知、無能、周りが何でもやってくれる」という、自分に都合の良いことと捉えるだろう。
しかし、イエスの真意は・・・となると、考えないと分からないし、普通は、考えても間違う。
イエスの言う幼子とは、世間の教義や信念から離れている者という意味だ。
幼子は、本当の知恵や力のある者に対しては、崇拝のような感情や、権威に対するような恐れも持つが、世間的な意味で個人を崇拝したりはしないし、世間のいかなる権威も認めない。
そんなことは、イエスがいちいち説明しなくても、静かに思惟(考えること)すれば自ずと分かることだろう。
ものを考える時は、自己の立場を忘れてしまうと、正しい答に行き着くことが分かる。
逆に言えば、自己の立場で考えると、全ての答を間違う。
例えば、大学はどの学部を選べば良いかとか、どんな仕事に就けば良いかと考える時、普通の人は、自分の立場で考えるので、収入、体面、名誉、見栄、安全、安楽、享楽といったことを重視するが、幼子のごとく考える者は、自分の性質や能力は、どんなことを学び、どんな仕事をすれば人々の役に立つだろうかと考える。
そして、結局のところ、幼子のように考える者が成功するのである。
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