ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ひろさちや

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

真似をすれば何にでもなれる

『徒然草』の第八十五段が素晴らしい。
一応、原文を挙げておくが、読むのが嫌なら、下の現代語訳を見ていただきたい。

 狂人の真似まねとて大路おほちを走らば、即ち狂人なり。悪人の真似まねとて人を殺さば、悪人なり。驥きを学ぶは驥の類たぐひ、舜しゆんを学ぶは舜の徒ともがらなり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。

簡単に訳せば、

狂人の真似をして(狂人のように)走れば狂人と変わらないし、悪人の真似をして人殺しをすれば、全く悪人だ。
同じように、優れた才能のある者の真似をすれば才人と変わらず、神話に登場する聖人、舜(しゅん)の真似をすれば聖人の仲間だ。
嘘でも賢人に学べば賢人なのである。

仏教学者のひろさちや氏は、『空海入門』で、『徒然草』のこの部分を引用し、
「人殺しの真似をすれば人殺し、仏陀の真似をすれば仏陀」
と述べ、空海は仏陀の真似をした人であり、空海が伝えた真言密教もまた、仏陀の真似をして仏陀になる教えと書かれていた。
馬鹿馬鹿しい感じはあるが、重要なことである。
空海は、遣隋使の一員として、危険一杯の中国行きの船に乗ったが、空海は、気分は仏陀である。
「仏陀である私が乗る船が沈むはずがない。これが済んだら、今度はインドにでも行くか」と余裕綽々であった(笑)。

このブログで度々取り上げる世界的セールスマン、夏目志郎氏は、超一流セールスマンのポール.J.マイヤーを心から尊敬していた。
そこで、自分の執務室を、マイヤーのものと全く同じにし、マイヤーのような服を着て、マイヤーのようなネクタイをし、マイヤーのように振舞った。
マイヤーをよく知っている人に、「マイヤーがいるのかと思った」と言わせたほどだった。
それで、夏目氏もマイヤーのような超大物セールスマンになったのである。

事業家で宗教家の村田正雄氏の『七仙人の物語』を読むと、凄い超能力を備えた仙人が登場するが、仙人は、常に呪文を唱えている。
呪文は真言と言って良いだろう。
ならば、我々も、この一流の仙人の真似をして、常に真言を唱えていれば仙人なのである。
私はそう思っているし、今のところ、「常に」とまではいかないが、真言を唱えているので、奇しい(くすしい。神秘的な)力が度々発揮される。
もはや、仙人の仲間と思って良いと思う。

人間は、真似るもの・・・つまり、そのように振る舞うものになる。
内面ではなく、外面の振る舞いに魔力的な力があることは、カート・ヴォネガットの『母なる夜』にも書かれている。
ナチスに潜入したスパイが、ナチスらしく振る舞っていたら、自分で気付かないうちに、超優秀なナチス党員になってしまうのだ。

このようにして、あなたは何にでもなれる。
超色男の真似をして美女を侍らせるもよし、小悪魔な女の真似をして男に貢がせるもよし。
だが、真言を唱え、魔法使いになるのが一番お得と思う。

PS
素晴らしいコメントが多く、感謝感激である。
あまり返信せず恐縮だが、熱心に読んでるし、ありがたく思っている。
皆さんにも、コメントもチェックしていただきたいと思う。








密教で万能超人になる

分かり易す過ぎる話をする人も、分かり難く過ぎる話をする人も、どちらも疑わしい。
と言うのは、真理は簡単に分かるものではないが、難しいものであるはずがないからだ。
真理は、分かりそうで分からないもの、分から無さそうで身近なものだ。

空海が開いた真言密教は難しいものだ。しかし、これほど簡単な仏教もない。
仏教学者のひろさちや氏は数百冊の著書があり、それらの多くは、一般向けの分かり易いもので評判が良い。
私も何十冊かは読んでいるが、最高傑作は、1984年の『空海入門』だと思っている。
この本によれば、密教(真言密教)とは、単に、「ブッダになり切って生きる」ことだ。
簡単に言えば、ブッダ(釈迦のような悟りを開いた人。仏、如来)の真似をして生きることである。
仏教には、顕教(表の仏教)と密教(裏の仏教)の2種類がある。
いずれにおいても、仏教の目的は、悟りを開いて仏になることだ。
そこで、悟りを開くことを富士山の頂上に昇ることに喩えれば、顕教とは、一歩一歩昇っていくことであるが、密教とは、ヘリコプターで一気に頂上に達することだと、ひろ氏は言う。
本当の仏教の目的は、悟りを開くことと言うより、悟りを開いて生きることだ。
だから、そこ(悟りを開く)までは一気に達してしまえば良い。
そのためには、ただブッダになり切る・・・簡単には、ブッダの真似をすれば良い。

私は、昔、これを読んだ時には、非常に納得出来たが、真理とは、分かり易くて分からないものだ。
しかし、分からないようでいて身近なものだ。
最近、密教に関する、その身近なものが分かった。
それは、アニメ『MADLAX』を見て・・・だが、それは置いておこう(笑)。あくまで個人的ヒントになっただけだ。
それよりも、庭野日敬氏の『法華経の新しい解釈』の第25品『観音経』を読んでだ。
『観音経』では、観世音菩薩のスーパーパワーが滔々(とうとう)と描かれる。
観世音菩薩は、まさに万能超人である。
そして、その観世音菩薩に救いを求めるためには、ただ、観世音菩薩の名を呼べば良いと書かれている。
だが、庭野日敬氏は、ただ名を呼べば良いという安直さを戒めている。
そりゃそうだ(笑)。
正しくは、『観音経』には、「観世音菩薩を念じよ」と書かれているのかもしれない。
そして、庭野日敬氏は、観世音菩薩を念じるとは、「観世音菩薩に憧れ、観世音菩薩のようになりたいと思うこと」と書かれているが、それを見て、私は一気に理解が出来た。
ひろさちや氏の言う「なり切る」だけでは不十分な感じがあり、 庭野日敬氏が言うように「憧れる」ことが必要だ。
「憧れる」とは「尊敬する」ことであるはずだ。
つまり、密教とは、「ブッダに憧れ、尊敬しつつ、ブッダの真似をする」ことだ。

「ブッダに憧れ、尊敬してなり切る」において、ブッダは、釈迦であったり、観世音菩薩であったりして良いし、もちろん、阿弥陀如来であって良い。密教においては最高ブッダは大日如来であると言える。
だが、なんでも好きなので良い(笑)。
憧れ、尊敬するためには、その仏のマントラ(真言)を唱えると良い。
そもそも、真言密教とは、マントラを唱える仏教だ。
空海だって、密教を志す以前にも、虚空蔵菩薩の真言を唱えまくることで天才になったのだ。
空海は、真言に非常に馴染みがあったと思われ、それが密教解明に役立ったのかもしれない。
大日如来の真言は「オン・バザラ・ダト・バン」(金剛界)と、「ナウマク・サンマンダ・ボダナン・アビラウンケン」(胎蔵界)で、私は短い方のみ愛用している(笑)。
(本当のことを言うと、大日如来真言の効果は凄まじいので、私はいざという時にしか使わない)
観世音菩薩真言は「オン・アロリキャ・ソワカ」、阿弥陀如来真言は「オン・アミリタ・テイセイ・カラウン」だ。
ひろ氏も『空海入門』に書かれているように、ブッダは万能である。
空海もブッダになり切っていたので万能であった。
あなたも、良ければ、マントラを唱えて万能になっていただきたい。コツはただ、数多く唱えることである。








「うまくいって当たり前」思考

目標を設定し、その実現に向かって奮闘する姿は素晴らしいかもしれないが、そうでないこともある。
つまり、目標にこだわって視野が狭くなったり、目標が餌のようなもので、その餌を必死に求める姿が浅ましかったり、あくせくし過ぎのように見えることが、世の中で非常に多いのである。
「それでも、目標がなく、何もしないよりマシではないのか?」
と言う人もいるだろうが、そんな「マシ」より、もちっとマシな「マシ」を取れば良いじゃないか?
人間なのだから。

鼻先にぶら下げられたニンジンを求めて突進する馬のようにならないための良い話がある。
受験、就職、結婚、出世・・・どれも心の持ち方次第では良い目標なのだが、これらが鼻先にぶら下げられたニンジンのようにしか見えない者が多過ぎる・・・いや、ほとんどがそうかもしれない。
だから、どれにも、あまり良いイメージがない。

ひろさちや氏の古い本『空海入門』にこんな話がある。
ちなみに、私は、ひろさんの数百冊の著書の中で、私が知る範囲でベストは、この本と思っている。
空海は803年、遣唐使の一員として中国に渡った。
中国に渡った・・・なんて簡単に言うが、当時の船で中国に行くのは、無事到着する方が珍しいという危険なことだったらしい。
実際、この時の遣唐使の数隻の船も、全部が無事中国に行けた訳ではなかったし、空海が乗った船も危うく海の藻屑となりかけ、目的地とはかなりズレての命からがらの到着だった。
そうなることは分かっているので、日本を出発した時、遣唐使達は不安や、さらに、恐怖を感じていたかもしれない。
しかし、ひろさちや氏は、空海は超然としていたと書いていた。
もちろん、本当のことが分かるはずがないが、そうでないといけないのだ。
船上の空海は、こう考えていた(とひろさんは思っていた)。
「次はインドにでも行こうか」
空海は、自分をブッダと見なしていた。
ブッダは人々を救うものだ。
そんな自分が中国に着くのは当たり前である。
「無事に着けるか?」などという馬鹿げた発想など全くない。あるはずがない。
これこそが、引き寄せの極意である。
空海には、引き寄せは出来て当たり前である。自分はブッダなのだから。

我々もそうだ。
なるほど、受験は1つの目標かもしれない。
しかし、それが最終目標になってしまっているから、愚かで格好悪くて惨めで浅はかで馬鹿なのである(ひどい言い方だなあw)。
まあ、私も大手予備校に仕事で関わったことがあり、内情をたっぷり見たのでリアルにそう思うのである。
大学など、入りたければ入って当たり前。入ってから何をするか考えれば、大学の方で「入ってくれ」と懇願してくる。
金持ちになりたいなんて下種な考えで、金持ちになったら、その財力で何をしたいのか?
それがさっぱり分からない者ばかりなので、金を欲しがる者達は餓鬼ばかりなのである。
ドナルド・トランプは、大統領に再選されるかどうかなど、全く心配していない。
邪な国に侵されたアメリカの闇を一掃し、アメリカを再び偉大な国にして地球に民主主義を確立させる英雄なのだから、再選されるのは当たり前過ぎて、目標でも何でもないのである。
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引き寄せマスター空海

私は以前から、数百冊の著書がある仏教学者のひろさちやさんの本の中でも、私が思う最高傑作は、ひろさちやさんの若い頃(と言っても47歳位だが)の著書『空海入門』(1984)と思う。
ただ、この本は、仏教の専門家(僧侶、仏教学部の大学教授等)には、おそらく評判が良くないような気がする。
また、この本には、ひろさちやさんの独断もかなり入っている。
しかし、この時、ひろさちやさんには、空海が乗り移っていたように感じられ、渡部昇一さんも、この本(祥伝社版)のカバーの推薦の言葉に「この本で空海に開眼した」と述べておられる。

まず、この本の良いことは(専門家的には悪いところになるかもしれないが)、ひろさちやさんは、空海は、自分は仏陀(釈迦と同等の存在)だという信念を持っていたということだ。
もっとありきたりな言い方をすれば、空海は、仏陀になり切っていた、あるいは、自分は仏陀だと深く思い込んでいた。
まさに、「私が価値があると言えば、それが価値になる」と言う、エマーソンの『自己信頼』のごとき信念だ。
※ 「私が価値があると言えば、それが価値になる」自体は、青池保子さんの『エロイカより愛をこめて』の、エロイカのセリフだが、エマーソンも同等のことを述べているのだと思う。

このことから、空海が引き寄せの達人だったことを確信する。
空海が打ち込んだ密教では、世界は精密な曼荼羅(マンダラ)であり、現代でいうVR(仮想現実)世界であることを見抜いた天才によって構築されたのが密教なのであり、それは引き寄せの技術に直結する。
何より、空海の行動自体が、この仮想世界を動かす引き寄せの法則に則っている。
例えば、当時は無事に到着する方が珍しい、唐(当時の中国の王朝)に船で渡る遣唐使の一員になった時も、他の団員が「途中で転覆して死ぬのではないだろうか」と不安に思っている中で、空海は引き寄せマスターの貫禄を見せ、超然としていた。
引き寄せでは、目標は既に成ったと見なさなければならない。
だから、空海は、唐に着くのは当たり前であり、不安など全くなかったのだ。
その揺るぎない自信は、自分が仏陀であるという信念からも来ている。
つまり、「仏陀である私が唐に行きたいなら行けて当たり前。さあ、次はインドにでも行くか」と思っていたのだ。
引き寄せが下手な者は、目標を達成したという視点に欠けるのである。
だから、目標を達成したら、それで終わりと思っているので、目標に生命力がない。
例えば、一千万円が目標としても、それを得て何をするかという発想がないので、情熱が起こらない。
しかし、空海は、唐に行って中国の仏教を学んで、もっと仏教の理解を深めようというのだから、そもそも、唐に着くこと自体は、大したことではない。
やはり、着いて当たり前なのだ。

ひろさちやさんは、仏陀になり切るのはどうすれば良いかというと、仏陀の真似をすることだと書いている。
仏陀らしく話し、仏陀らしく飯を食い、仏陀らしくクソをする・・・だ。
尚、最も効率が良いのは、私が今朝書いた通り、「仏陀らしくあくびをし」「仏陀らしくガッツポーズをする」ことだ。
仏陀のガッツポーズは、さぞや雄大で力強く、そして、爽やかであろう。
また、仏陀のあくびは、ゆったりとして気品があり、筋肉は力強く振動しているのではあるまいか。

むろん、誰もが仏陀になりたい訳ではない(むしろ少数だろう)。
金持ちになりたければ、金持ちらしいあくびをし、モテモテになりたければ、モテモテに相応しいガッツポーズをすれば良い。
これこそが密教であると私は思う。








会社の中で大切にされるには

コロナ後の世界では、企業は危機管理にもっと力を入れるようになるだろうし、社内留保(株式などとは違う運用可能な資産)をもっと欲しいと思うようになると思う。
それと共に、社員の質というものを、少しはしっかり見るようになるだろう。
これまでは、いくら、実力の時代だと言っても、実際はちっともそうではなく、まだまだ、年功序列や、仲良し人事が横行しており、優秀な人が日陰者になることは少なくなかった。
確かに今後は、起業する場合もだが、会社とは独立した形で働く人も増えるだろうが、それは、経験を積んだ有能な人間に限られる。

そこで、今回は、特にアフター・コロナの世界で、まともな会社で重んじられることについて書こう。
これまでだって、例えば、2人の若い社員がいて、能力や経験に大差がないのに、片方は非常に大事にされるのに、もう片方は軽んじられたり、厳しく扱われるということがよくあった。
それが単に、上司や先輩の好みの問題ということもあるが、そうではなく、いかなる上司や先輩の下でも、良い扱いを受ける者は良い扱いを受け、きつい扱いを受ける者は嫌な目に遭うことも多いのだ。
その違いは何だろう?
それは、その者が発する波動の周波数である・・・などと言ったら怪しく感じるかもしれないが、いずれ、量子論で簡潔に説明されるようになるかもしれない。

ちなみに、私は、いつも良い扱いを受ける方だった。
稀に、私にきつく当たる者もいたが、そんな連中はロクな目に遭わず、思い返せば、ほとんどの場合、消えていったと思う(笑)。
私は、敵を消すかどうかはともかく(笑)、良い思いをするために必要な波動のことを、超然とした波動と呼んでいる。
その出し方を簡単に教えよう。
必ず、あなたの役に立つはずだ。

事例を用いて話した方が分かり易い。
例えば、ある会社に入社したい場合、あるいは、ある女の子(男の子)と付き合いたい場合、あるいは、ある仕事につきたい場合、皆さんはどうするだろう?
まあ、いろいろあるだろうが、どの場合も「超然とした波動」を出せばうまくいく。
「超然」とは、「(世俗的な)物事にこだわらず、そこから抜け出ているさま」という意味だ。
どんな危機の時も、あまりに平然としていたら、それを「超然としている」と言えるだろう。
では、ある可愛い女の子と付き合いたいとしよう。
そんな時、普通は、「どうやって口説こう」とか、「何をすれば好意を持ってもらえるか」など、つまらないことを(笑)考えるものだ。
それでは、顔のいいやつ、面白いやつ、金のあるやつ(笑)に適わない。
そこでこうせよ。
付き合ってもらえるかなどといった、つまらんことはどうでも良いという態度でいることだ。
付き合うのは、もう決まっているのだから、その先を考えるのだ。
何をして遊ぼうか?どこで食事しようか?
住むのはどこにするか?(笑)
子供は何人か?(爆)

もう返事は決まってるはずさ
「Wedding」そうヴィジョンは完璧!
そうだ、住むのは松涛あたりがいいな♪
子供は3人かなぁ(^ω^ )
~『スキキライ』(作詞・作曲・編曲:フェルナンドP。唄:鏡音リン・レン)より~

会社の入社試験を受ける場合も、受かるに決まってるのだから、超然として、「次はどこに転職しようかなあ?」などと考えても良いのである(笑)。

私が、数百冊の著書を持つ仏教学者のひろさちやさんの最高傑作と思っている『空海入門』で、空海が遣唐使に参加した時、船の中で、他の乗員は皆、無事に唐に着けるかを不安がっていたと書かれていた。
そりゃ、遭難する確率の方がはるかに高い時代だから、不安なのが当然だ。
しかし、空海は超然とし、「次は天竺(インド)にでも行くか」と考えていたのではないかと、ひろさちやさんは書いていた。
ブッダたる自分が乗っているのだから、唐に着くのは当たり前なので、その次を考えていれば良いのである。
イエスだって、「願いは叶ったものと思えば叶う」と言っていたではないか?
その最上の方法が空海式なのである。

では、会社で良い扱いを受けることに戻る。
全く同じだ。
丁重に扱われて当たり前なので、その中で何をするか考えれば良いだけである。
実に簡単だ。













当ブログ著者、KayのAI書。
AIを理解している人材が必要な時代です。ましてや、実用AIを作ることが出来る人は貴重です。
しかし、実用AIを作るために、数学、プログラミング、難しいAI理論は不要です。
それよりも、AIを作るために必要なコツやセンスを身に付ければ良いのだと思います。
自動車を運転したり、電子レンジで料理するために、熱力学やマイクロ波科学が不要なのと同じです。
それ(コツやセンス)を、興味深い問題にAIで挑む楽しい実習を通して習得します。
本書のほぼ全ての実習が出来るデータを作れるExcelマクロを無料でダウンロード出来ます。
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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